無限の無限

春秋 頼

第1話 無限の無限

 この世で無限の外を見た者はいないはずだ。私が示す無限とは宇宙を示す。宇宙の外側は多くの議論を今でも呼んでいる難問のひとつだ。宇宙はビックバンによって生まれたと仮説は立てられている。


今から約150億年前に、起こった大爆発によって生まれたとする宇宙起源説であり、

宇宙は現在、膨張を続けているのか、縮小をし始めているのかは実際の所は不明である。この宇宙が出来た事を私は無限=∞とし、宇宙の外にある何かを更なる無限=∞として見つめてみる。宇宙からの星々の光でさえ、地球に届くまで、どんなに近くの星でも数分は要する。


つまり星が仮に爆発しても、我々の目に映るのは既に過去になる。宇宙は人間の脳ほどしか実際解明されていない。要するに、分かってないようなものだ。あまりにも膨大な情報量を必要とする為、実際1%程度しか脳の事も分かっていない。私の父は癌になった後パーキンソン病にかかった。パーキンソン病は、前に進むことを意識で止める事の出来ない病気である。癌や他の病気とは違い、なってから10年ほどの間に少しづつ進行していく病気だ。


しかし、パーキンソン病にかかり、父は味覚障害になった。それは脳の病気であるパーキンソン病から派生したのか、どうかも何も分からなかった。ただ発症した時期がパーキンソン病になってからであった為、そう結論づけた。


その程度しか分かっていないのが現実だ。海外ドラマなどでよく、どうすることもできない場合、神に祈るしかないという言葉を、よく台詞として使われる。それは言葉通り、今の医学ではどうする事も出来ないと言っている。


それだけ何も分かっていないのだ。医者が言うからとか、そういうものでは無く、知識として何も無いのだ。研究には膨大な時間と資金がかかる。難病であっても薬が開発されないのは、仮に作れたとしても、お金にならないからだ。今回のコロナのような突発的に起こり、危機的状況になる事が分かっている病気に関しては別だ。

しかし、他の病気の薬に関しては、製薬会社の利益にならない薬は開発されない。


 アメリカは、日本人よりも夢というか、御堅くない。それ故、現実として色々な研究を過去にしてきた。超能力も本気で訓練していた。可能性が少しでもある事に挑戦し続けてきた。それは結果として失敗で終わった事ではあるが、私はとても大切な事だと思っている。∞の可能性を追い求め、柔軟かつ信仰心のある国として子供の頃から∞の可能性に挑戦している。近年、子供に対して哲学を教育の一環として取り入れた。常に挑戦し、前進し続けている。勿論、その何倍も失敗している。問題は心が折れない強さがあることだ。



私と父は絶縁する前は、それほど仲は悪くなかった。宇宙についてや政治や戦争、紛争やそういった、父親が得意とするジャンルで討論した。宇宙の外には何があるのかという事も何度も話した。完全なる無の存在か、宇宙が収縮を始めるのは絶対的に起こる事だ。仮に今起きていたとしても、我々が心配するのは無用なほど先の事だが、知ろうとしても、悩ましてくれる議題であった。


アメリカでは、冷凍睡眠の会社が数年前から出来だした。金額はバラバラで、入って生き返れる可能性は高くは無いのが現実だろう。とりあえず資金を集めて、保存状態のままにして、その間に冷凍保存出来るように、研究を進めるのだと私は思う。すでに多くの人が入って長い眠りについている。


これは今の医学では治せない病気から、発生した思案した結果、取り組みだした事であり、少なくても数十年は眠りにつく事になる。


保存状態の失敗も当然起こるだろう。しかしその頃には、文句を言う親族も他界しているだろう。このように可能性を追求している。∞の言葉が合う事は、そういった意味ではアメリカにもあると言える。


しかし、∞の∞歳の中で、人間の産まれてから死ぬまでの成長を怠らず、明日死ぬと分かっていても生きようとした人の事を、言うのかもしれない。我々の未来も∞の可能性を秘めているし、恋や愛に関する想いも∞の可能性がある。単独的には∞は、我々の身近にあるものだろう。


∞の∞の歳をとるような形であるから難しい。というかこうして見てみると、頑張れという成功までの道を切り開いた人たちの事がどうしても頭を過る。私自身も、この身が塵になるほど頑張った事が一度というか一時期あるからだ。


たまに書く気が無い時がある。しかし私は自分に課した。少しでもいいから絶対に毎日書いていくと。己に課した約束は、一度でも破ると意味が消える。事故とかそういったものではなく、出来る状況にありながら、さぼるのは許されない事だと、私は自分に誓約として誓いを立てている。



それは、それほど人間が弱い生き物だという事を、私は意識し、自覚しているからだ。人は皆、基本的に楽な道を選ぼうとする。私は敢えて難解な道を選ぶ。そうする事によって、私も知らなった事を知る事になったり、自分自身少しづつ強くなれるからだ。


私は今気づいたが、私は今、∞の∞の世界で頑張っている。だがまだまだダメだ。それは私が死ぬまで、そう思い続けることだろう。それは苦難ではあるが、楽しみでもある。難解な道ほど、成功すれば達成感があるからだ。


∞の∞は気持ち次第で持つ事もできるようだ。書いた結果そう言う事になる。少し考えたが、問題は無い。反対意見も無い。矛盾の無い。誰もが手の届くものであると、私は結論付ける。





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 無限の無限 春秋 頼 @rokuro5611

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