2061年88歳

くれは

昴とハレー彗星

 あれは一九八五年、小学六年のときでした。当時親が買ってくれていた小学生向けの雑誌で「ハレー彗星」というものを知りました。

 確かハレー彗星を題材にしたドラえもんの漫画が載っていて、その前か後かにカラーの特集ページがあったと思います。カラーというのは記憶違いだったかもしれませんが、ドラえもんやそのキャラクターがページ内に配置されていて、彗星についてとか、いつ観察できるのかとか、そんなことがまとめられていました。

 ハレー彗星は大体七十五年の周期で地球に近付いてくるのだと書かれていました。観察できるのは一九八五年の年末から一九八六年にかけて。その次に地球に近付くのは二〇六一年なのだそうです。

 当時の私にとっては、二〇〇〇年より先というだけで、もう想像もつかないような未来でした。


 その頃、よく一緒に遊んでいた友人の一人にすばるという子がいました。もともと星の観察が好きな子で、星座や星の名前をたくさん知っていました。家には星を見るための双眼鏡や望遠鏡もあって、少し専門的な天文の雑誌も持っているみたいでした。

 ハレー彗星のことを知って見てみたいと思った私は、まず真っ先に昴に相談しました。

 昴はもちろんハレー彗星の接近をとても楽しみにしていて、私の相談も喜んで聞いてくれました。星を見るための双眼鏡があると良いと教えてもらって、私は親に双眼鏡が欲しいとねだりました。

 私の誕生日が七月だったので、そのときに誕生日プレゼントとして買う、と父親が約束してくれました。その時はとても嬉しかったのを覚えています。


 七月に双眼鏡を買ってもらって、すぐに星空を眺めたりはしたけれど、星の知識がほとんどなかった私には空を見てもなんのことだかわかりませんでした。

 その後、夏休み中に別の友人が『ドルアーガの塔』というゲームを買ってもらって、遊ばせてもらって、それがとても面白く、正直に言えば私は双眼鏡を買ってもらったことを少し後悔していました。自分も何かファミコンのゲームを買ってもらえば良かった、と。

 夏休み明けに昴に「双眼鏡を買ってもらった」と言ったら、昴はとても嬉しそうな顔をしていました。買ってもらったのは私なのに、昴は「これで彗星が観察できるね」とまるで自分のことのように喜んでいました。

 それで、ハレー彗星は十一月頃から観察できる、ということを教えてくれました。


 十一月に入って張り切って双眼鏡を構えて夜空をあおいで見たけれど、それらしいものはちっともわかりませんでした。そもそも普段から星を見慣れていない自分は、見えたとしてもどれが彗星なのかもわからないのかもしれない。そう思って観察をさっさと諦めてしまっていました。

 それから何日か経ってハレー彗星の観察を忘れかけていた頃、昴が興奮した様子で話しかけてきました。ハレー彗星がプレアデス星団の近くに見えたんだ、と。プレアデス星団というのは日本では「すばる」という名前なのだとも教えてくれました。

 つまり昴は、自分の名前の星とハレー彗星が並んでいるのを見て、それが嬉しかったのだと思います。その昴の興奮を見て、自分は惜しいことをしたのだと思いました。たった一回で諦めたけど、毎日見ていれば良かった、と。


 昴はどう思ったのか、私を誘ってくれました。十二月になればもっとよく見えると思うから、うちに泊まりにきて一緒に観察しないか、と。

 どこを見たら良いか教えるから。うちには望遠鏡もあるからもっとよく見える。お父さんとお母さんは友達を呼んでも良いって言ってる。

 昴がどうしてその申し出をしてくれたのか、実は今でもよくわかっていません。私はそんなに一生懸命に星を見ているわけでもなかったのに。その気になって双眼鏡を買ってもらっただけで、すぐに諦めて飽きてしまったくらいだったのに。

 だから少し戸惑って、母さんに聞いてみる、とだけ答えたような気がします。昴は笑って、一緒に星が見れたら嬉しい、というようなことを言っていました。


 結局私は、十二月の間に昴の家に泊まりに行きました。夜にベランダから、二人で星を見上げました。私が十一月に見た時には、双眼鏡で見るにはどうやらまだ明るさが足りなかったのだそうです。昴が指差す方向に双眼鏡を向ければ、それはもうはっきりと、そのもやもやとした雲のような姿が見えました。

 望遠鏡でも見せてもらいました。そのもやもやとした中に暗い核があるのもわかりました。


 ハレー彗星は一九八六年の二月に近日点といって、太陽に一番近くなるのだそうです。その間は地球からは見えないけれど、太陽をぐるっと回って戻ってくる二月の下旬くらいにはまた観察できるようになると、昴が話してくれました。

 その時なら彗星らしい長い尾も見えるかもしれない、と昴は空を見上げたまま言っていました。昴に色々教えてもらっていたので、私も観察できるかもしれない、という気持ちになっていました。


 その次は二〇六一年なんだよね、と私は言いました。たまたま雑誌で見て、その数字を覚えていただけのことです。私だって全然知らないわけじゃないんだぞ、と見栄を張りたかったのかもしれません。

 それでも昴は、とても嬉しそうに頷きました。

 それまで生きていたら二回目のハレー彗星を見れるかもしれないんだ、と。


「そんなに長生きできるかな」

 当時の私にとって、二〇六一年というのはやはり、とてつもなく未来でした。何も想像できないくらいの未来。

「その時には八十八歳になってるね。日本人の平均寿命って今は七十何歳とからしいけど、毎年どんどん伸びてるらしいから、きっと生きていられるんじゃないかな」

 昴はどうやら本気でそう思っているみたいでした。八十八歳というのは、やっぱりとても先のことで、当時の私にはちっともイメージができないことでした。

 そのまましばらく、二人とも何も言わずに星を見上げていました。そのうちに、昴が空を見上げたまま言いました。

「次のハレー彗星のとき、また一緒に観察してよ」

 その約束はあまりに未来すぎて、私は困った挙句にこう言いました。

「八十八歳まで生きてたら」

 昴はそれでも、嬉しそうに頷きました。


 年が明けて一九八六年になっても、ハレー彗星の観察は続きました。一月にはもっと明るくなって、それから一月の終わり頃に見えなくなりました。私が観察を再開したのは三月になってからで、その間も昴には星のことを教えてもらっていました。

 そのあと、私は地元の中学に進学したのですが、昴は親の仕事の都合で遠くの県に引っ越していきました。連絡先を教え合って、最初はまめにやりとりしていた手紙も、ハレー彗星が遠ざかって見えなくなってからは間遠になり、何年かのうちには年賀状のやりとりだけになっていました。

 気付けば、あれほど未来だと思っていた二〇〇〇年もとっくに過ぎていました。


 今でも年賀状は送りあっています。昴は毎年、前年に撮った星の写真をプリントして送ってくれます。

 私は何かあった時に空を見上げる程度で写真も撮っていないので、代わりになるかはわかりませんが、お互いに八十八まで長生きしましょう、と毎年書いて送っています。





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