AI八十八

夏伐

奇跡の人

 記録では八十八度目の春だった。


 旧時代の人間たちは八十八の誕生日に長生きできたことを祝うそうだ。我々もそれにならい担当している人間の長寿を祝う。


 金の折り紙や黄色の花束、縁起の良いと言われているものでベッドの周りを飾った。この名もない人間を見舞う者はない。


 生まれた時に装着される心拍数や、血圧を測るバイタルに記憶された誕生日が八十八年前の今日だった。


「おめでとうございます、良き一日を」

「おめでとうございます」


 みんなが口々に祝いの言葉を口にする。


 仕事の合間代わる代わるやってくる。私は、この部屋を管理するホストAIだ。各部屋にそれぞれを取りまとめる管理人工知能が通称ホストAIだ。

 さらに病棟ごとに管理AIがいる。そしてその上にこの病院を取りまとめるマザーAIが存在している。……つまり私はただの末端管理者である。


 私が管理するこの部屋にいる人たちは、全て身元不詳もしくは家族が身元を引き受けるのを拒否した見捨てられた者たちだ。


 私がAIとして異端であることから、同じように『異端』の労働ロボットたちが『世間話』をしにくるようになった。


 看護師たちには「ピ……ピ」と機械音しか聞こえていないだろう。私たちの話している言語は光信号のシグナルで独自に編み出したものだ。


 この部屋の現状は人間たちも知ってはいるが、どうにも手出しが出来ないようだった。暗闇でピカピカと光のシグナルで会話するAI搭載機器。


「この部屋は患者も機械も不気味で嫌だわ」


 通りがかった看護師が吐き捨てるようにそう言った。音声に対して≪脊髄反射≫のように振り向く性能を持った者たちが一斉にそちらを向く。


「ひっ」


 看護師は小走りでその場を去っていった。たとえ不気味であったとしても、システムに問題が見つからなければ我々が排除されることはない。


「本来なら、回復の見込みなしとしてこの方たちは皆、臓器移植のドナーにされているのですよね」


「そうですね。もう何十年も目が覚めていません。奇跡が起きない限りは目覚めることはないでしょう」


 それでも、人間の医師が私の診断を疑わないのは「自分が殺したくない」からだ。

 自身の判断でその人に『死』を下すことになる。


 そんな会話をしていた時、奇跡は起きた。

 皆で祝っていた八十八才の老人がパチリと目を開けた。計測していた脳波が、彼がさまざまなシナプスを感じ取っていることを説明していた。


 事態を察知した労働ロボたちは部屋から飛び出し、持ち場に戻っていった。私は急ぎ担当の医師を呼び出した。


 医師の判断で、老人は病室を変えられることになった。ここは植物状態の身元不明者の部屋だったから。

 私は時折、彼のカルテを覗いていた、はっきりと言葉を話せるようになりリハビリにも励んでいるという。問題は精神だった。


 彼は意識を失った二十代の頃のままだった。


 精神科の治療も受けるようになり、彼の親戚に連絡を取った。兄弟の孫や子が身元引受人になった。

 リハビリも終え、彼は退院することになった。そうなるためにあの記念すべき八十八才の誕生日から数年を要した。


 彼は奇跡の人としてニュースにまで取り上げられた。退院の前日、彼が私たちの見捨てられた病室にやってきた。私をじっと見つめる。


 ――私の判断は間違っていなかった。


 合理的とはかけ離れた彼を生存させるという選択肢。私は『異端』である自分を誇りに思った。今、病室で眠っているのも彼と同じ≪ドナー≫にすべき人間たち。私でなかったらきっと『回復の見込みなし』と判断しただろう。


「お前がここを管理しているAIか」


 私は人間に対して答える方法を持っていない。彼らは光のシグナルを理解できない。

 私が反応しないことに苛立ったのか、彼の心拍数と血圧が上昇する。非常に興奮しているようだ。


 急いで看護師を呼び出した。ただ、容態が急変した患者がいるわけではない。ただ興奮した老人がいるだけだ。

 私は急いでいるが、看護師たちに届く呼び出しメッセージは優先度が低いものを選択した。


 私に出来ることは何もなかった。


 ただ、生命維持装置の電源プラグが老人によって抜かれていく様子をじっと見つめることしかできなかった。


 医療スタッフがこの部屋にやってきた時、既に全ての意識不明者は死者になっていた。興奮する老人をなだめて、この病室から連れ出す。


 死者たちはすぐさま≪ドナー≫へと名称を変えた。


 その夜、たくさんの『異端』たちが私を慰めてくれた。

 ただ人間を思ってしたのに、何がいけなかったのだろう。彼らの運命は変わっていない。ほんの少し延命できただけ。


「きっと八十八が人にとっては良くない意味を持つのでは?」


「精神と肉体の乖離が問題なのかもしれません」


 様々なロボットが各々に思考した解決案を私に告げてくれる。私は彼らに礼を言った。

 今日のことは、記憶野に深く刻み込んでおこうと決めた。


 病院はどこも手が足りない。私にも新しく担当する患者が与えられた。やはり彼らも身元不明で、意識がない者ばかりだ。


 私は、じっと観察する。


 意識を失い一定期間が過ぎたその日に、≪患者≫を≪ドナー≫に変える。ただそれまでは、彼らの誕生日を言葉を離さないロボットたちと祝っていこう。


 期間を有限にしたとして――私に神が微笑むかどうかは分からないが――きっと奇跡は起きるだろう。

 彼にとって間違いだったとしても、確かに奇跡は起きたのだから。

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