第57話ベイクルーム

 十矢とうやたちがダンジョンにの調査に行ってから、ほどなくして、食堂の工事がはじまった。


 厨房と客席を合わせた食堂と、通路を挟んだ別棟に、オーブンを設置したベイクルームも建てることになった。


 日本から一緒に移ってきた、愛用のガスオーブンしか使ったことがない八穂やほは、この世界の薪で焚く石窯いしがまのオーブンに馴れる必要があった。

そのため、先にベイクルームを建ててもらうように頼んでいた。


 使い方の指導は、パン職人のグレダさんにお願いした。休みの日に、護衛の冒険者を雇ってまで、教えに来てくれるという。


 その代わりに、八穂が持っている料理レシピを伝授するという交換条件で、好奇心旺盛な彼女は、快く引き受けてくれたのだった。


 意外に早く、二十日ほどで完成したベイクルームは、耐熱性の高い堅焼きレンガを積んで作られていた。


 壁には大きな窓が作られていた。窓と言っても、ガラス窓ではなくて、木製の戸が、両開きになるように取り付けられていた。高温になる室温を調整するためと、酸欠の危険を防ぐためだろう。


 正面の壁に、ドーム式の石窯が埋め込まれていた。同じく堅焼きレンガ製だ。

奥が背の高いドームになっていて、一段低くなっている入口は、横に長い楕円形をしていた。


 庫内は広く、真ん中に金網が張ってあり、二段に分けて焼くことができる。

その下には、薪を焚くための焼床かしょうがあった。


 煙突は天井ではなく、窯の側面、それも入口近くの低い位置に作られていて、壁の一部をくり抜いて、煙を外に逃すようになっていた。


 コンパクトな家庭用オーブンしか使ったことのない八穂は、思っていたよりも大がかりな設備に、少しおじけずいた。


「まずは、火入れの続き」


 八穂は、初めてグレダに指導を受けた時に習ったように、焼床に薪をくべて、オーブンの温度を上げた。


 石窯オーブンは造ってすぐには使えないのだ。低い温度から徐々に庫内温度を上げて馴らしていく。

パンを焼くのは二百度から二百五十度。ピザは三百度くらいで焼くことが多い。 石窯に取り付けられた、庫内温度計の魔道具を確認しながら、作業を進めて行った。


 グレダからの宿題は、十日ほどかけて、庫内温度を三百度まで上げること。「火力調整の達人」と言われているグレダの指導は厳格だった。


 八穂は、焼床に薪を足しながら、ダンジョンにもぐっている十矢たちのことを考えた。

傷ついてはいないだろうか、疲れてはいないだろうか、ちゃんと眠れているのだろうか。日に何度も何度も思い浮かべ、気になってつい作業の手が止まってしまう。


 Sランクのジェストさんもいるし、回復師もついているのだからと、悪い考えを振り払ってみても、ついつい最初に戻ってしまう。傷ついてはいないだろうか、疲れてはいないだろうか……と。


 八穂は、心配を振り払うために、火入れが終わったら、一番最初に何のパンを焼こうかと考えた。


 パリッとしたバゲットか、内相しっとり外皮パリパリのカンパーニュ。酸味のあるライ麦パンも捨てがたい。ライ麦、そういえばトワ市場で見たことがないが、この世界にあるのだろうか。


 十矢が戻って来て、トワへ行けるようになったら、ドライフルーツも仕入れたい。今の季節、森でベリーは摘めないから、酵母用に使いたいのだ。


 八穂は庫内温度計の魔道具で、長時間百五十度が保たれているのを確認した。それから、火掻き棒を手にして、薪を掻き出して火を落とした。


 明日は二百度に温度を上げて、また同じ繰り返しだ。

パンが焼けるようになった頃には、十矢たちは帰ってくるだろうか。 待つ身の時間は、ゆっくり流れているようだった。


 まだ基礎を打ったばかりの食堂の客席には、四人がけのテーブルを五つほど置く予定だった。


厨房には、料理用のストーブが二つと、洗い物用の流し台。壁側には作り付けの食器棚を造って、客席側にはカウンター席も用意するつもり。


 今はまだ八穂の頭の中だけにある食堂で、職人さんとの話し合いで多少変わるかもしれないが、これから迎える冬が過ぎて、春がくる頃には現実のものになっているはずだ。


 町から借りた建設費用は、月々少しずつ返済すれば良いことになっている。今のところ、試算では、十矢に出資を頼まなくても、なんとかなりそうだった。


 もちろんイザという時に助けてもらえるかもしれないのは心強い。それでも、できるだけは、自分の力でやってみようと思っているのだった。

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