第56話イルアの森の秋

 八穂やほの自宅があるイルアの森付近の気候はおだやかで、 いつでも春のような日差しがあった。

多少汗ばむ日や、数日雨が続いたことはあったが、これまでは、さほど変化を感じることはなかった。


 しかし、収穫祭が終わってから、十日もすると、朝晩は、肌寒さを感じるようになってきた。


 これまで緑一色だった木々は、赤や黄色に染まって、美しい色彩を見せてくれるようになった。


 そんなある日、ダンジョンの内部調査の最終段階ということで、ジェストと十矢とうや、『ソールの剣』と、ジェストの友人だという、Bランクの回復師を交えた臨時パーティーで、四階層、五階層の調査にでかけることになった。


 四階層からは、それまでよりも格段に強い魔獣が確認されていて、砂漠地帯が広がっているという。


 毒のあるサソリや砂獣サンドワームなどの存在がやっかいらしく、Cランク以上が推奨された。


 幸い、五階層への階段はすぐに発見されて、背の高い木が生い茂る密林地帯だということがわかっていた。地形も険しく、こちらもかなり広大に広がっていそうだとのことだった。


 調査は最長で一月ひとつきの予定で、八穂は、大量のスープやシチュー、ピタサンドやお握りほか、たっぷりの肉や野菜で、思いつく限りの食事を作り、十矢の神様ポーチに詰め込んだ。


「ホントに、一人でだいじょうぶか」

リクと共にダンジョン入口まで見送り来た八穂を、心配した十矢が、何度も確認した。


「だいじょうぶ、リクもいるし。町には魔獣も出なくなったから」

「無理せず、トワ広場の営業は休めよ」


「うん、わかった。例の食堂の申請もしたから、準備してるよ」

「それならいいが。やっぱりイツを置いていこうか?」


「ダメダメ、十矢の方が危険なんだから。十矢こそ気をつけてよ」


 『ソールの剣』の三人が、ニヤニヤしながら、遠巻きに二人を見ていた。


「おい、トーヤ行くぞ」

見かねたジェストが、吹き出しそうな口元をゆがめて声をかけた。


「ああ。悪い。じゃ行ってくる」

「いってらっしゃい。みなさんも、お気をつけて」


ダンジョンのへ入って行く一行の背に、手を振った八穂は、少し寂しさも感じていた。


 ここへ飛ばされて来たばかりの頃は、ずっと一人きりで、それでも普通に生活できていたのに。いつのまにか、十矢や『ソールの剣』との賑やかな暮らしが当たり前になっていた。


 子羊ほどの大きさになっているリクの背に手を乗せながら、八穂は自宅への道をたどった。


 商業ギルドのロータスから打診を受けて、八穂はダンジョン町で食堂を始めるための申請を出した。


 町長のエルマン氏から紹介されて、店を建ててくれる職人も決まり、打ち合わせも終わったので、もうすぐ建設工事がはじまるはずだった。


 自分もまわりも、どんどん変わって行く。

八穂はとまどいながらも、不安を感じながらも、わくわくするような気持ちもしてくるのだった。


「こんにちは」

ちょうど、広場近くにさしかかったとき、道端に立っていた女性に声をかけられた。


「こんにちは」

まだ、町には女性の姿は少ないので、八穂は、珍しく思って挨拶を返した。


 つややかな赤毛をシニヨンに結った女性だった。年の頃は三十代後半といったところか、青いワンピースに白いエプロンをつけて、明るい表情で近づいてきた。


「近所の方ですか?」

「はい、この先に住んでいます」

八穂が答えると、女性はさらに笑みを深くして、手を差し出した。


「リーナです。ここで、夫と宿屋を開くつもりなんです」

「ご近所さんができて嬉しいです。八穂といいます」


「私こそ、ヤホさん、お合いできて良かった。知り合いもいなくて、心細かったんですよ」

「私は食堂を開く予定なんです。よろしくお願いします」


八穂が言うと、リーナの顔がほころんだ。

「そうなんですね。宿屋も一階は食堂になるんですけど、お互いに情報交換できたらいいですね」

「ええ、食事メニューも相談できたら助かります」


 同業になるということで、聞いた時は一瞬心配したが、屈託くったくなく話してくれるリーナを見て、安心した八穂だった。


 自宅へ戻った八穂は、急に広くなったような気がするキッチンで、屋台の仕込みをはじめた。


 十矢たちがいない間、トワ広場は休みにして、自宅前だけでの営業にすることを、トワの商業ギルドに報告してあった。


 八穂としては、開発が進み、危険は少なくなったと感じていたのだが、自宅とトワの往復で、魔獣に襲われる可能性はゼロではないため、十矢に固く止められてしまった。


 ミーニャたちに過保護だと言われているのは知っているが、戦う手段を持たない八穂にとって、慎重すぎることはないのだと思っている。


 一時は、ナイフでも、弓でも教えてもらって、自衛することも考えてみたこともあった。だが、理屈で考えるほど魔獣との戦いは簡単ではなく、恐怖心や、萎縮いしゅくしてしまう心をやりすごして、弱い獣とはいえ、命をほふることが、どうしてもできなかった。


 十矢には無理だと苦笑された。それならば、戦うみんなをサポートする方にまわろうと決めた。


  八穂は食堂で出すメニューを、あれこれ考えながら、死を間近にして戦ってきた冒険者が、ほっと安らげる場所を作りたいと思った。

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