第55話収穫祭3
広場には、楽団が演奏する楽しげな音楽が流れていた。二人は、気になった屋台に立ち寄りながら祭りを楽しんでいた。
定番の串焼きをかじり、芋を包んだ揚げ餃子のようなものをつまみ、はじめて見る真っ黒な果実水を、恐る恐る飲んだりもした。
ちょうど舞台の裏手に当たるあたりに、商業ギルド直営店の屋台があって、グレダが立っていた。
「グレダさん、収穫祭おめでとうございます」
「おめでとう、ヤホさん。この前はアドバイスありがとう」
「どういたしまして、これが?」
トレイに並んでいる丸いものが、改良した伝統菓子のボルのようだ。
「そうだ、なかなかの自信作だよ。よかったら食べてみて」
「ええ、もちろん。二袋ください」
グレダの横にいた店員に声をかけると、親指ほどの丸いボルを、一袋に十個ずつ入れて渡してくれた。
すかさず、
「おや、今日は彼氏と一緒かい?」
グレダが言うのに、八穂は照れたように笑って、うなずいた。
「グレダさん、十矢です。十矢、グレダさん。ステックパンの件でお世話になったの」
「お世話になったのは、こっちだよ。パン職人のグレダです。よろしくトーヤさん」
「よろしく、グレダさん、冒険者の十矢です」
八穂は、ボルをかじって、グレダを見た。
「いいですね、おいしい。かなり軽い口触りになってます」
「おかげさまで、評判いいよ」
グレダは嬉しそうだった。
「酵母を入れて揚げる方にしたんですね」
「ああ、小粒にする方も試してみたんだけど、こっちの方が好評だった」
「あ、これは、オレンジの香りですね」
二つ目を口に入れた八穂が言うと、グレダは、よくぞ気がついてくれたというように首を振った。
「オレンジの皮を甘煮にして生地に入れてみたんだ」
「すごく、良い香り。ね、十矢」
「そうだな、うまい。これはドーナッツか?」
「そうそう、ボルっていう、ここの伝統的なお菓子らしい」
「オレたちには、懐かしい味だ」
「ヤホさんが、いつも色々アイデアを出してくれるから、私も工夫してみたんだ」
「いいですよ、こういうの」
「そうか、よかった。他にアーモンドの粉を入れてみたりもしたんだが、それはまだ研究中だ」
「そうなんですね、完成が楽しみです」
「そう言えば、ヤホさんは屋台出してないのかい?」
「出してますよ、こことは反対側ですけど。今は友人が店番を代わってくれているんです」
「そうか、ヤホさんは何を出したんだろう。また見たことないものじゃないのか」
「ミートパイなんですけど、ご存知ですか?」
「パイ菓子ならあるけど、肉のパイは聞いたことないな」
「食べてみます? ポーチに入ってるので」
「おお、もちろん。みんなの分も買わせてもらうよ。六人分あるかな」
「はい、それじゃ特別出張販売で、六個どうぞ」
八穂がポーチからミートパイを出すと、香ばしいバターの香りがあたりにただよった・
「いい香りだな。客の前じゃ食べていられないから、あとでご馳走になるよ」
グレダは嬉しそうにバッグに入れた。
「冷めたらオーブンで少し温めると、サクサクになりますよ」
八穂は言って、グレダと別れた。
お腹もいっぱいになったし、そろそろ戻ろうかと言っていたところに、後から声をかけられた。
「トーヤさん」
二人が振り向くと、デニエ牧場のルシンダが立っていた。
たっぷりフリルのついた、淡いピンクのドレスで、髪には牡丹に似た花の、華やかな髪飾りを付けていた。
「ルシンダ嬢か、収穫祭おめでとう」
十矢が答えると、ルシンダは軽く膝を曲げて挨拶した。
「おめでとうございます。先日はありがとうございました」
「ああ、無事でなによりだった」
いつもとは違う雰囲気の彼女に、十矢は少し驚いたような顔をして、何か言いたげに八穂の方を見た。
「紹介しますわ、こちらトマス。トマス、トーヤさん。Aランクですのよ」
ルシンダが十矢を紹介すると、トマスは緊張したように背筋を伸ばした。
「トマスです。Eランク冒険者です。いつかはトーヤさんみたいになりたくて。お会いできて光栄です」
「そうか冒険者か、頑張れよ」
十矢がトマスの肩をポンポンと叩いて励ますと、嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「わたしね。来年王都の女学院へ入りますの。そこで経営を学ぶんですわ」
「ほう」
「牧場の経営者として一人前になって、だんなさまと、牧場を大きくするんですの」
「なるほど、それはデニエさん喜ぶだろうな」
「トマスがAランクになったら結婚してもいいって、とうさまが言うので、二人で頑張るのですわ」
ルシンダは言って頬を染めた。
「二人とも、将来が楽しみだな」
十矢は、ほっとしたように、笑みを浮かべた。
それから、ルシンダは八穂の前に近寄ってきて、耳打ちしてきた。
「トーヤさんは、あなたにお譲りしますわ」
「え?」
「それでは、また。トマス行きましょう」
ルシンダは言って、トマスの腕を引いて歩いて行ってしまった。
八穂はあっけにとられて、彼女たちを見送ったが、やがて、大きなため息をひとつついて、十矢を見上げた。
「なんだか、たくましい
「確かに、振りまわされたな」
二人で苦笑いしながら、顔を見合わせた。
自分の屋台に戻り、『ソールの剣』と交代した八穂と十矢は、ほどなく在庫をすべて売りつくしてしまった。
祭りは夜の部もあるらしかったが、八穂は早々に店を閉めることにした。
薄暗くなってきた道を、ゆっくり歩いていると、空からリクとイツが降りてきて、二人を先導して家路につくのだった。
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