第58話グレダの指導
石窯の火入れが終わって、グレダの指導のもとでパンの試作をしはじめても、ダンジョンの内部調査に出た
予定では最長
持って行った食料だって、そろそろ尽きてしまう頃だろう。どんな状況にいるのか、知識のない八穂には想像さえできなかった。考えているだけで胃が痛んだ。
自宅前の屋台に食べに来た常連冒険者に、何か情報はないかと聞いてみるものの、調査パーティーが戻らない限り、情報はないという。
せめて、無事でいるのかだけでも知りたいと、ダンジョン入口の管理事務所を訪ねてみたりもした。
管理事務所の責任者アランによると、十矢たちは、それぞれ生存確認のための魔道具を携帯していて、事務所では常時監視しているとのこと。
それによると、状況は不明だが、全員生存していることは確かだということだった。
「全員生きている」それを知ることができて、ひと安心ではあったが、ちゃんと健康な状態でいるのか、つらい思いをしているのではないか、なぜ戻ってこられないのか、心配が解消したわけでもなかった。
八穂の不安をよそに、自宅の隣に食堂の建設工事が始まった。しっかり固めた基礎の上に、赤いレンガが積まれて行った。
斜め向かいに建てている雑貨屋の建物は、渋い鈍色のレンガで。この新しい町は、レンガ造りの建物が多いようだった。
「やあ、ヤホさん、オーブンの調子はどうだい」
冒険者の護衛を連れたグレダがたずねて来た。八穂の定休日に合わせて、毎週のように、石窯の使い方の指導に来てくれていた。
「グレダさん、ありがとうございます。昨日、初めてパンを焼いてみたのですが。あはは……」
「ははあ、笑っちゃうできだったか」
グレダは面白そうに笑った。
「ええ、黒こげでした」
「みんなそんなもんだ。はじめは」
「庫内温度が高くなりすぎて、どうやったら下がるのかわからなくて、焦りました」
「なるほど、パン生地を入れる前に、ちゃんと温度を把握しておかないとだな」
「そうですね。失敗でした」
「みんな、失敗して覚えるのさ。どれ、見てみようか」
「お願いします。パン生地はできています」
八穂は、護衛の冒険者に飲み物と軽食を出して、待っていてもらい、グレダと連れだってベイクルームへ移動した。
壁に作り付けた棚には、楕円形の
「へえ、この籠は?」
グレダが目ざとく見つけて聞いて来た。
「発酵籠と言います。木の
「ほう、はじめて見るな」
「パン・ド・カンパーニュというパンです」
「なに? かんぱーに?」
「ええ、田舎のパンという意味です」
「なるほど」
「レシピ、あとでお渡ししますね」
「ありがとう、楽しみだ」
「このパン、二五十度くらいで焼きはじめて、途中で二百度に落としたいんですけど」
「それじゃ、薪を足してみてくれるか、二五十度まで上げたら、薪を掻きだしてしまってから生地を入れて、予熱で焼いてみたらどうだろう」
「ああ、なるほど。昨日はずっと火を焚いたままだったから」
「そうだね」
八穂が愛用していたガスオーブンは望みの温度に上がるのに数分程度で、スイッチ操作だけで温度の上げ下げは簡単だった。
ところが、薪オーブンではそうはいかない。温度をあげるにも時間がかかるし、一度上がってしまったものは、なかなか冷めないので、調整がとても難しいのだ。
覚悟はしていたものの、食堂で出せるようなパンが焼けるようになるのは、まだまだ時間がかかりそうだった。
三十分ほどすると、バイツ粉の焼ける香ばしい香りがしてきた。
ライ麦の粉が手に入らなかったので、バイツ粉に混合粉を十パーセトほど混ぜていた。
ベリーの天然酵母を入れたパン生地は、最初はなかなかふっくらとは行かず、試行錯誤だったが、最近ようやくコツがつかめてきて、カンパーニュのようなシンプルなパンなら、満足の行く焼き上がりになってきていた。
庫内の温度を確認すると、二百度を少し下まわるくらいだった。
「庫内の温度は良さそう」
八穂は嬉しそうに、オーブンの戸を開けて、焼きたてのパンを取り出した。
テーブルの上に、軽く落とすようにして出されたパンは、外の空気に触れて、パチパチかすかな音を立て、表面には浅いひび割れができた。
「うん、なかなかいいできじゃないか」
グレダが八穂を見た。
「ええ、良い感じです」
「黒い焦げが一個所だけ。あのパンは、一番右で焼いたヤツだ」
「そうですね。あれだけちょっと残念」
「あのパン、右奥の一部だけ焦げたということは、あのあたりの温度が高かったということだ」
「なるほど」
「平均な焼き色にするには、途中で位置を変えたり、向きを変えたりしてみるといい」
「わかりました。やってみます」
「窯にはクセがあるからな。クセを知っておくことは必要だ」
「はい。色々試してみます」
「あとは馴れだよ。数をこなすことだ」
グレダは、言って、八穂の肩をトントン叩いた。
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