第58話グレダの指導

 石窯の火入れが終わって、グレダの指導のもとでパンの試作をしはじめても、ダンジョンの内部調査に出た十矢とうやたちは戻って来なかった。


 予定では最長 一月ひとつき、三十日間だったのだが、もう五日も過ぎているというのに、音沙汰もなく、八穂やほの不安は増していくばかりだった。


 持って行った食料だって、そろそろ尽きてしまう頃だろう。どんな状況にいるのか、知識のない八穂には想像さえできなかった。考えているだけで胃が痛んだ。


 自宅前の屋台に食べに来た常連冒険者に、何か情報はないかと聞いてみるものの、調査パーティーが戻らない限り、情報はないという。


 せめて、無事でいるのかだけでも知りたいと、ダンジョン入口の管理事務所を訪ねてみたりもした。


 管理事務所の責任者アランによると、十矢たちは、それぞれ生存確認のための魔道具を携帯していて、事務所では常時監視しているとのこと。

それによると、状況は不明だが、全員生存していることは確かだということだった。


 「全員生きている」それを知ることができて、ひと安心ではあったが、ちゃんと健康な状態でいるのか、つらい思いをしているのではないか、なぜ戻ってこられないのか、心配が解消したわけでもなかった。


 八穂の不安をよそに、自宅の隣に食堂の建設工事が始まった。しっかり固めた基礎の上に、赤いレンガが積まれて行った。


 斜め向かいに建てている雑貨屋の建物は、渋い鈍色のレンガで。この新しい町は、レンガ造りの建物が多いようだった。


「やあ、ヤホさん、オーブンの調子はどうだい」


 冒険者の護衛を連れたグレダがたずねて来た。八穂の定休日に合わせて、毎週のように、石窯の使い方の指導に来てくれていた。


「グレダさん、ありがとうございます。昨日、初めてパンを焼いてみたのですが。あはは……」


「ははあ、笑っちゃうできだったか」

グレダは面白そうに笑った。


「ええ、黒こげでした」

「みんなそんなもんだ。はじめは」


「庫内温度が高くなりすぎて、どうやったら下がるのかわからなくて、焦りました」

「なるほど、パン生地を入れる前に、ちゃんと温度を把握しておかないとだな」

「そうですね。失敗でした」

「みんな、失敗して覚えるのさ。どれ、見てみようか」


「お願いします。パン生地はできています」


 八穂は、護衛の冒険者に飲み物と軽食を出して、待っていてもらい、グレダと連れだってベイクルームへ移動した。


 壁に作り付けた棚には、楕円形のかごに入ったパン生地が、三つ並んでいた。


「へえ、この籠は?」

グレダが目ざとく見つけて聞いて来た。


「発酵籠と言います。木のつるを巻いて作ってあるの。これに入れておくと、形が崩れないし、余分な水分を吸ってくれるので」

「ほう、はじめて見るな」


「パン・ド・カンパーニュというパンです」

「なに? かんぱーに?」


「ええ、田舎のパンという意味です」

「なるほど」


「レシピ、あとでお渡ししますね」

「ありがとう、楽しみだ」


「このパン、二五十度くらいで焼きはじめて、途中で二百度に落としたいんですけど」


「それじゃ、薪を足してみてくれるか、二五十度まで上げたら、薪を掻きだしてしまってから生地を入れて、予熱で焼いてみたらどうだろう」


「ああ、なるほど。昨日はずっと火を焚いたままだったから」

「そうだね」


 八穂が愛用していたガスオーブンは望みの温度に上がるのに数分程度で、スイッチ操作だけで温度の上げ下げは簡単だった。


 ところが、薪オーブンではそうはいかない。温度をあげるにも時間がかかるし、一度上がってしまったものは、なかなか冷めないので、調整がとても難しいのだ。


 覚悟はしていたものの、食堂で出せるようなパンが焼けるようになるのは、まだまだ時間がかかりそうだった。


 三十分ほどすると、バイツ粉の焼ける香ばしい香りがしてきた。

ライ麦の粉が手に入らなかったので、バイツ粉に混合粉を十パーセトほど混ぜていた。


 ベリーの天然酵母を入れたパン生地は、最初はなかなかふっくらとは行かず、試行錯誤だったが、最近ようやくコツがつかめてきて、カンパーニュのようなシンプルなパンなら、満足の行く焼き上がりになってきていた。


 庫内の温度を確認すると、二百度を少し下まわるくらいだった。

「庫内の温度は良さそう」

八穂は嬉しそうに、オーブンの戸を開けて、焼きたてのパンを取り出した。


 テーブルの上に、軽く落とすようにして出されたパンは、外の空気に触れて、パチパチかすかな音を立て、表面には浅いひび割れができた。


「うん、なかなかいいできじゃないか」

グレダが八穂を見た。


「ええ、良い感じです」

「黒い焦げが一個所だけ。あのパンは、一番右で焼いたヤツだ」

「そうですね。あれだけちょっと残念」


「あのパン、右奥の一部だけ焦げたということは、あのあたりの温度が高かったということだ」

「なるほど」


「平均な焼き色にするには、途中で位置を変えたり、向きを変えたりしてみるといい」

「わかりました。やってみます」


「窯にはクセがあるからな。クセを知っておくことは必要だ」

「はい。色々試してみます」


「あとは馴れだよ。数をこなすことだ」

グレダは、言って、八穂の肩をトントン叩いた。

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