第47話ダンジョン一階層

 夕刻、自宅前の屋台を閉めて、八穂やほはキッチンで夕食の支度をしていた。

今夜は、ミュレに教えてもらったトワの家庭料理。

ドードー鳥の胸肉とカブ、じゃがいも、たまねぎ、キャベツなどの野菜の煮込みだった。


 味付けは塩とスパイス、クミン、赤ピーマンの粉末、月桂樹の葉など。

大きな鍋でコトコト煮込んで、平焼きパンのエキメッキをそえた。


 エキメッキは、ピタパンに似ている。赤牛レッドカウの乳でこねた生地を、ピタパンより厚みのある円形に伸ばし、表面にリーブ油を塗り、白ゴマをトッピングしてから焼いたもの。

中は空洞にはならないが、シンプルで味のあるパンだ。


 重労働の冒険者の胃袋を満たすため、テーブルの真ん中に山になるほどに、エキメッキを積み上げた。


「ヤホ。ヤホー」

玄関からミーニャの声がした。

『ソールの剣』のメンバーが帰って来たらしい。


 いつもなら、外階段から上がって、着替えてからキッチンに入ってくるのだが、今日に限って、声をかけてくるのはどうしてか、不思議に思って玄関へ向かった。



 開け放した玄関ドアの向こうに立っていたのは、『ソールの剣』の三人だった。


「どうしたの! その恰好」

おかえりの言葉より先に、八穂は驚いて叫んだ。


「このまま家に入っちゃマズイよね」

トルティンが困ったように、眉を下げた。


 トルティンとラングが、泥まみれだったのだ。

髪は泥が乾いてガサガサだったし、服には、特に背中から腰にかけて、粘土のような泥がベッタリ貼り付いていた。


「ダンジョンで、急なスロープを降りようとしたらさ、足が滑ってこのありさまだよ」

ラングが肩をすくめた。


「そうねえ」

八穂は、どうしようか考えた。


「ねえ、ミーニャ、魔術でなにかない?」

「うーん、私、攻撃系しか使えないのよね、ウォーター弱めでかけてみるか」


「おいおい、ミーニャ、殺すなよ」

ラングがあわてて後ずさりした。


「それは、ちょっと保証できないけど」

「そんな」

「頼むよぉ」

ミーニャがからかうと、二人とも情けない声を上げた。


「それじゃ、二人とも後向いて。行くよ!」


ミーニャがウォーターを唱えると、左手の指先から弧を描くように水が噴き出し、トルティンとラングの頭から水流が降り注いだ。


「いい感じね」

八穂が感心して見ていると、二人の髪についていた乾いた泥は、とけて流れだしていた。


「うっ、目が痛い」

泥水が目に入った、ラングがぼやいた。


「目をつぶって」

ミーニャが言った。


「あ、私、タオル持ってくるね」

八穂は家の中に戻り、タオルと、タワシを持って出て来た。


「タオル、ここに置くね」

玄関先に椅子を寄せて、タオルを置くと、後を向いた二人の背中を、タワシでゴシゴシこすりはじめた。


 トルティンとラングは、革の胸当てや腰に巻いた幅広いベルトなどは外して、布の服だけを着ていた。


 冒険者の着る服は、魔獣との戦いにも耐えられるよう、厚手の丈夫な布でできているため、トゲトゲのタワシこすられても、痛くはないようだった。


 水にぬれた粘土質の泥は、ヌルヌルとしつこく背中に貼りついていたが、しだいにゆるんできて、ポタポタかたまりになって、下に落ちた。


「はあっ、こんなものでいいかな」

ミーニャが息をついてウォーターを止めた。


「ありがとうミーニャ、おおまかに泥は落とせたね」

「ヤホには、思いもよらない魔術の使い方させられるわね」

ミーニャが苦笑した。


「そうだっけ?」

「そうよ、桶の水を凍らせたりもしたし」

「そうだった。エールを冷やしたね」

八穂はクスクス笑いながら、ずぶぬれの二人にタオルを渡した。


「二人とも、お風呂へ入ってきて、服は外階段の前に置いておいて、あとで洗ってみる」

「ヤホちゃん、ありがとう」

「わかった、入ってくる」

トルティンとラングは外階段へまわって、家へ入っていった。



「それで、ダンジョンの中ってどんな風なの?」

夕食時、ドードー鳥と野菜の煮込みを食べながら、八穂がたずねた。


「仮事務所に報告してきたから、明日には公表されると思うけど、一階層は思ったより広かったな」

十矢とうやが答えた。


「壁には灯苔あかりごけがずいぶん育ってたから、成長が早かったのかも」

と、口に入れた野菜を飲み込んでから、トルティンが言った。


「灯苔って?」

「ダンジョンの壁に生える苔だよ。ぼんやり光ってるから、ダンジョン内が薄明るいんだ」


 彼らの話によると、一階層の入口付近は平らで、比較的乾燥していたが、奥へ行くほどに起伏が大きくなり、土が湿ってきて、最奥はぬかるみのような状態だったという。


「それで、すべって泥だらけになったんだ」

「うん、尻餅ついてスロープを底まですべり降りた」

ラングが嫌そうな顔をして言った。


「それで、よくミーニャは無事だったね」

「私は最後尾にいたからね、二人が滑ったから、風属性の魔術で浮き上がって助かった」

「浮き上がるなんでできるんだ」


「ほら、町の石壁作りの時、魔術師が石壁に上がってたろう」

十矢が言うと、八穂はあの時のかと思い出した。


「一階層の魔獣はスライムがメインだな」

「赤、黄色、青で見た目はうまそうな色してるんだけどね」

「でも、スライムがいれば、初心者の稼ぎにはなるわね」


 スライムはゲル状の不定型な最弱の魔獣だ。普通は直径二十センチほどの球形をしているが、せまい岩のすき間などは、体を薄く伸ばして移動したりもする。球形の時に中央にある魔核を壊すと倒れて、体内の水分が抜ける。


 普通、ダンジョン内の魔獣は死ぬと魔素にかえり霧散するが、スライムだけは、なぜか外皮が残る。

 スライムの皮は、水と合わせて煮溶かすと、接着材になるため、初心者冒険者用の常時依頼品にもなっていた。


「そういえば、ここって、ステータとかレベルってあるの」

八穂が、ちぎったエキメッキを、煮込みの汁の浸して口に入れた。


「ステータス? なにそれ」

ミーニャが首をかしげた。


「身体能力と言えばいいのかな」

「八穂、ゲームみたいなステータスは特にないよ。レベルに近いのは冒険者のランクかな」

八穂の質問に、心あたりがあった十矢が答えた。


「ああ、身体能力なら、冒険者ギルドで申し込めば計測してもらえるんだ」

トルティンが言った。


「Dランクへの昇格試験では必須になるし、それ以外でも料金を払えばやってもらえるわ」

「へえ、そうなんだね」


「今回は一階層だけで終わったけど、ともかく初日が無事終わってよかったよ。二階層へは割とゆるやかなスロープで続いているみたいだったけど、調べるのは次回になる」


十矢は、手で持ち上げた煮込みの椀から、スプーンで肉のかたまりをすくうと、口に入れた。

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