第36話魔獣暴走2
あわただしく動きまわる職員をながめながら、避難民たちは会話することもなく、ずっと緊張を強いられていた。
特に子供たちの我慢は限界を超えていて、親にかじりついたまま小さくしゃくり上げている子もいれば、声を上げて泣き出してしまっている子もいた。
「大丈夫よ。ここにいれば安全だから」
子供の背を撫でながら、母親が何度も言い聞かせているが、まわりの雰囲気にのまれている子供に、理解できようもなかった。
八穂は、疲れたようすもなく、休みなく指示を飛ばしているギルマスに近づいて、話しかけた。
「ダグラスさん、お疲れ様です」
「ヤホ嬢か、なんだ?」
「フロアの隅に屋台を出しても良いですか。避難されている皆さん、そろそろお腹がすいてきたかと思って」
「ああ、そうか。そこまでは思い至らなかった。頼むよ」
「ありがとうございます。無料提供させてもらいます」
「それはだめだ。後で材料費は請求してくれ。こういう時の予算は組んであるんだ」
「わかりました。助かります」
「食堂の料理人にも、何か食べ物を頼んでおこう」
ギルマスが近くの職員に指示すると、職員は食堂の厨房に走って行った。
「これでよし。屋台は横の食堂前、壁際にたのむ。出入りの邪魔にならないように」
「わかりました」
八穂は、ギルマスからの承諾を得ると、屋台を出して、リリイに声をかけた。
「リリイ、ゆで小豆をお椀に入れるの、手伝ってくれる?」
「いいわよ、もちろん」
何をすることもできず不安でいたリリイは、喜んで引き受けてくれた。
「八穂の屋台開店します! 本日は特別、無料でどうぞ」
八穂が声をかけると、所在なさげに座っていた人たちの視線が向いた。
「おなかすいたでしょう? 甘いビンガ豆のスープ、揚げ芋、ステックパン。子供達にはクッキーもあるわよ」
「ホントにいいのか?」
「ええ、もちろん。ギルマスにも許可もらったから安心して」
「よし、オレの屋台も出そう。外に置いてあるんだ」
近くにいた男が立ち上がり、屋台を引き入れてきた。三十代くらいだろうか、やや小柄だったが、商売人らしく、にこやかな人だった。
「ありがとうございます。それじゃ隣に」
「オレの屋台は煮込みだ。うまいぞ」
男が魔道具コンロに、煮込みの大鍋を乗せて温めると、やがて、何とも言えない、美味しそうな肉の香りが漂ってきた。
「まず子供とお母さんからどうぞ、そのあとは順番に来てください」
「あの、ボク、クッキーください」
さっき、母親にかじりついて、大声で泣いていた子が、小さな声で言ってきた。
「いいわよ、どうぞ」
八穂が自分のおやつ用に、神様ポーチに入れておいたクッキーを三枚渡すと、嬉しそうに手を出した。
「ありがとう」
「食べちゃったら、また他のも食べにきていいわよ」
「うん」
「お母さんはどうしますか?」
「それでは、ビンガ豆の甘いスープを」
「はい、向こうのリリイから受け取ってね」
「あたし、ステックパン食べてみたいの。ママは甘いスープが好きよ」
さっきまで、唇を噛みしめて、ぐっと我慢し続けていた女の子が声をかけて来た
「はい、どうぞ。カリカリおいしいわよ」
ステックパン三本をセットで渡すと、女の子は嬉しそうにかじりはじめた。
母親の方にはリリイからお椀とスプーンが渡される。二人は大事そうに持って席に戻って行った。
子供たちは、クッキーが、お母さん達には、ゆで小豆が人気のようだった。一通り子供たちに行き渡る頃には、煮込みの鍋も温まってきたようだった。
「それじゃ、大人のみなさんも、順番にどうぞ。まず一種類ずつね。食べちゃったら、別のをおかわりしてください」
子供たちの嬉しそうなようすを見ていた、大人たちの緊張も、だいぶほぐれていた。
男性の多くは煮込みの前に並び、女性はゆで小豆に殺到した。それでも混乱することはなく、食べてしまったら器を返却して、別の食べ物を取って席に戻っていった。
子供も大人も、それぞれに好きな食べ物を口に入れると、笑みがこぼれた。
「やっぱり、おいしい物を食べると、なごむわよね」
八穂は言って、リリイにも勧めた。
「リリイも好きなの食べて」
「ありがとう、甘いスープ、初めて食べる。これ好きだわ」
「そう? よかった」
「お兄さん、私、煮込みもらっていい?」
「いいぞ」
「おいしい。トロトロだ。よく煮込んである」
男から受け取った煮込みを一口食べて、八穂は、満面の笑みを浮かべた
「だろ? 気にいったか」
「うん、すごく。これだけ煮込むの大変だ」
「わかってもらえて嬉しいよ。オレ、トールって言うんだ」
「ヤホです。こっちがリリイ。よろしく。あ、トールさんも、何か食べて」
「こちら、食堂からの差し入れです、どうぞ」
ギルド職員が押してきたワゴンには、たくさんの果実水と、薄いパンに炒めた肉を挟んだサンドイッチが、大量に乗っていた。
「ありがとうございます。みなさんも疲れてるでしょう。交代で食べに来てくださいな」
八穂は職員に言って、カウンターの前に立っているギルマスに向かって声をかけた。
「ダグラスさん、いいですよね?」
「あ? なんだ?」
「職員さんたちも、交代で食べに来てくださいって」
「おお、いいぞ。そうしてくれ」
「はーい」
先ほどの殺伐とした状況は一変して、なごやかな雰囲気にはなっていたが、街の外で起こっている魔獣の暴走の続報は、次々に入って来ていた。
「報告! キラードッグ集団の討伐はほぼ完了しました」
「報告! エビルボアは残り四頭。Dランク冒険者も合流して戦闘中です。飼育していたドードー鳥は、ほぼ全滅」
「報告! ワイバーン三頭とは交戦中。Sランクのジェストさん、Aランクのトーヤさんと、大きな使役獣二匹が、地面に落とそうとしていますが、苦戦してます」
「報告! 怪我人五人搬送中、もうすぐ到着します」
心配していないと言ったら嘘になる。近くに行って無事を確かめたいとも思っていたが、戦えない八穂には、できることは無かった。
しばらくして、馬車が到着。運んで来た三人の冒険者が入って来た。
彼らの着ている服は、土にまみれていて、腕や脚の部分は何カ所も破れていた。
八穂は、どれほどの戦いなのか想像もつかなかったが、現実を目の前にして、息を呑んだ。
「ギルマス、けが人、五名連れてきました」
「ご苦労だったな、食堂を臨時治療所にしてある、こっちへ」
ギルマスは、続いて板に乗せられて入って来たけが人を誘導した。
「何人か、運ぶの手伝ってくれ」
冒険者が声をかけると、座っていた若い男たち数人が立って、外へ駆け出していった。
一時、落ち着いた避難民たちは、再び緊張して、沈黙してしまったが、今度は、最初のような、異様な雰囲気にはならなかった。
作業の邪魔をしてはいけないと、自制したもののようで、心配そうに、運ばれて来る怪我人を目で追っていた。
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