第29話ドニ貝
壁際にはカウンターテーブルがめぐっていて、数人の客がすわって、バーテンダーからサービスを受けていた。
フロアには丸いテーブルが数個。こじんまりしていたが、なかなか落ち着いた雰囲気の店だった。
八穂はこれまで、こういう店には縁がなかったので、珍しそうに店内を見まわしていた。
「とりあえず、エールでいいか」
十矢が確認すると、ジェストがうなずいた。
「あー、私、お酒飲めないんだ。ウーロン茶……は、無いか」
八穂が困惑していると、十矢が吹き出した。
「ウーロン茶は無いが、炭酸水はあるぞ、天然のヤツ」
「じゃ、それで」
「了解」
しばらくして、店員が注文した料理を運んで来た。
「お待たせしました、ドニ貝の酒蒸し、エールと炭酸水です」
店員は、フリルつきのエプロンをつけた、可愛らしい女性で、ジェストと十矢と、どちらが気になったのかはわからないが、頬を染めて、チラチラ何度も、二人に視線を移していた。
当然、隣にいる八穂のことは無視である。八穂はそんなことには気も止めず、彼女のようすが面白くて、ニヤニヤしながらながめていた。
「なんだ?」
八穂のニヤニヤに気がついた十矢が、不思議そうに言ってきた。
「なんでもない。二人ともモテるなと思って」
「なんだ、そりゃ」
「ここのエールは深煎りだな。風味が強い」
ジェストは、八穂のニヤニヤに心あたりがあったのか、チラリと十矢を見て、肩をすくめた。
「そうですね。この店のエールは当たりだな」
この世界のエールは、麦を煎って発酵させた酒だが、ビールようにホップを入れていない。製造所によって独特にブレンドしたハーブなどを加えているので、香りや風味は様々だった。
「このドニ貝というのは、初めて食べます。どうやって食べるの?」
ドニ貝は、こぶし大くらいの大きな巻き貝で、一部の川などに棲む魔獣の一種だった。渦巻きの先が三角にとがっていて、それが皿に六個、ドンと並んでいるのは、迫力があった。
「フォークで身を引き出して、こうして皿に乗せる」
十矢は見本を見せながら、説明してくれた。
見た目、巨大なサザエのような感じだった。貝の中からグルグル引っ張り出した、三十センチほどの細長い身は、薄いオレンジ色で、先の方が黒ずんでいた。
「先の方の黒い部分は苦いから食べない方がいい。あとはナイフで切って、ハーブバターか、レモンで食べる」
「見た目は、ちょっとアレだけど。美味しいね」
十矢に言われた通り、ナイフで切り分けた身を口に入れて、噛むとコリコリした食感がおもしろかった。
「なつかしい味だ」
ジェストは、大ぶりに切ったドニ貝を噛みしめると、エールで豪快に流し込んだ。
「そうなんですね」
「ドニ貝の名前、ドニってのが、オレの出身の村だ」
「ドニ村?」
「そう、辺境。北部地方の小さい村だ。山から流れ落ちてくる急流に
「思い出の味か、まだまだ知らない食べ物が多いな」
八穂は言って。シュワシュワした炭酸水を飲んだ。
「ジェストさんて、ソロで活動してるの?」
八穂が聞くと、ジェストは頭を縦に振った。
「昔はパーティーだったんだが、オレ一人だけSランクになったから、なんとなく離れちまった」
「なるほど」
「Aランク、Sランクは昇格試験が厳しいんだ。受験資格もなかなか得られないしな」
十矢が、なぜか遠い目をしていた。
「ふふ」
ジェストが意味深に、笑いを誤魔化すように、エールを飲んだ。
「なに? 何かあるの?」
「トーヤのAランク昇格試験が、オレが見届け人だったんだ」
「ジェストさん」
十矢が珍しく、困ったような声を上げるのを見て、ジェストが肩を揺らした。
「Aランクの試験は、魔獣のいる山で二十日間過ごすことなんだ」
「厳しそうですね」
「パーティーなら、協力できるけど、ソロはさらに厳しいな。それが、こいつ、夜も平気でグースカ寝てて、シルバーウルフに囲まれた時は、こりゃ助けるしかないかと思ったよ。見届け人が手を出したら、そこで試験終了だからな」
「うわぁ」
今こうして無事でいるのだから、十矢は切り抜けたのだろうと思うけれど、魔獣に囲まれた状況を想像するだけでも、八穂は恐ろしかった。
「それがな、半分寝ぼけてふらつきながら、みんな倒しちまって、何ごとも無かったみたいにテントに潜り込んで熟睡だ。恐れ入った男だよ」
「馴れというか、体が勝手に動くというか、戦闘スキルの恩恵だな。それに、完全に寝てるわけでもないんだ。危険な時はイツが知らせてくれるからな」
十矢が気まずそうに言った。
普段十矢は、あまり自分のことを話したがらないので、八穂は興味深そうに聞いていた。
ジェストが本拠地にしている王都の話など、たわいのない話を聞いてから、八穂は夕食を作らないといけないので、早めに切り上げることにした。
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