第2話異世界?

 気がつくと朝のようだった。

どうやらキッチンの床に倒れたまま、寝てしまっていたようだ。どのくらい寝ていたのかはわからないが、カーテンの隙間から強い光がもれていた。


 リクが八穂やほの顔にひんやりした鼻先を押しつけていた。

硬い床に寝ていたので、体が痛かった。八穂はコキコキと首をまわしながら体を起こした。


「にゃーん」

リクが甘えたように、体をこすりつけてきた。

シッポをユサユサ振って、床に置いたお盆に乗せてある、皿の前に、腰を落とした。ご飯が食べたいの合図だ。


「さあ、どうぞ、お水も飲んでね」

八穂は皿にキャットフードを入れ、近くの水入れのボウルに水道の水を注いでやった。


 そういえは、地震があったっけと、思い出して、昨夜の記憶をたどりながら、あたりを見まわした。


 大きかった地震の割には、部屋が荒れていなかった。

まったく物が落ちていないし、テーブルの上のベーグルもサラダも、そのまま乗っていた。コーヒーはさすがに冷めていたけれど。


 固くなってるかもしれないけど、朝ご飯はこのベーグルでいいかなと、テーブルの上を見たとき、薄茶色の紙が置かれていることに気がついた。


 手に取ってみると、文庫本くらいの薄い冊子で、表紙に『異世界の暮らし方』と書かれていた。


 作者名、至高神エリーネの使徒グーノとあり、副題として【この冊子はエリーネル界の至高神エリーネ様から、八穂へのおわびとつぐないの手紙である】と記されていた。


ラノベかな?


 八穂は不思議そうに冊子を見たが、こんなタイトルの小説は買ってはいなかった。それに副題に八穂の名前が入っているなんてあり得ない。


 何かのイタズラかとも思われるが、誰かが家に勝手に入って、置いて行ったとしたら、恐すぎる。しきりに首をかしげながら、パラリと表紙をめくった


『そなたは偶然の事故で、このエリーネルの世界に呼び込まれてしまった。

本来、我々神域の者は、地上に干渉することはない。しかしこの国、そなたが転移したメイリン王国の隣国、ドアル公国が禁忌を犯し、聖女召喚の儀式を行った。

それが失敗して、時空の膜に複数の裂け目ができてしまった。


 至高神エリーネ様は、急いでその裂け目を繕われたが、八穂の家近くにできた裂け目を感知できず、八穂をこの世界に呼び込んでしまったのだ。


図らずも、そなたの人生を狂わせてしまうことになったので、至高神エリーネ様は、償いにそなたがこの世界で、無事に生きて行けるよう、手を貸したいとおぼしだ』


はああ?


八穂は狐につままれたような顔で、冊子をパラパラめくった。


転移? 転移って何だろう。


キッチンの壁、天井、床と落ち着きなく視線が動いた。

まわりを見渡して、ここが自分の家であることを確認した後、思い立ったように窓に駆けより、勢いよくカーテンを開けた。


 そして外を眺め、息を飲んで口を押さえた。

「ええええっ 何これ、何これ」


 家の前のアスファルトの道が消えて、ペチュニアの花を植えていた狭い庭が、何もない草地に変わっていた。


草地の向こうはカエデに似た木がたくさん生えていて、立木の切れ目から獣道のような、細い道が続いていた。


「はあ? あああぁぁぁ、叫びたい!!」

八穂はドスンと椅子に腰掛けて、おもむろにテーブルの上のベーグルを、噛みしだいた。


 一晩放置されてパサパサになったそれは、ひどく残念な味で、サラダの野菜もシナシナで、酸化して冷めたコーヒーも苦くて不味かった。


 それでも、あえて気にすることなく、口の中に押し込んで、乱暴に咀嚼そしゃくした。

どうしていいのかわからない、混乱した気持ちを、食べ物に当たるようにして食べ続けた。


 やがて、テーブル上の食べ物がすべて、八穂のお腹の中に収まると、深く息を吐いて気持ちを切り替え、もう一度小冊子を手に取った。


「もう一度裂け目を開く事は難しく、開いたとしても同じ地球の元いた場所に帰れる確率はほぼ無し。残念ながら日本へ帰る手段はない…… か」


 日本での生活を簡単に忘れることは難しい。両親は亡くなったし、兄弟はいなかったけれど、少しは友達がいたし、仲良くしていたご近所の人もいたのだから、忘れられるはずがない。


「リクも一緒に飛ばされて良かったよ」

八穂は足もとに丸くなっているリクを撫でた。リクはうるさそうに顔を上げるが、文句は言わずに黙って撫でられていた。


 小冊子には、八穂への神様特典として、この世界の言葉や文字は自動翻訳されると書いてあった。

ポーチの中に当面の生活費を入れておいたとのこと。


 神様のポーチとは、いわゆるマジックバッグというものらしい。収容量無制限 重量軽減 時間停止機能付き。リスト表示機能ありだった。


「すごいね」

壁のフックにかかっていた、腰に付けるサイドバッグ型のポーチを眺めながらつぶやいた。


 ベージュ色の革製でかなり軽く、入口は白い金属の、花形の装飾金具で止めてあった。

 手を入れてみると、スッと右手が肩まで入って、体がかしいだ。どうやって取り出すのだろうとまごついていると、視界の隅に半透明のボードがあらわれて、中身がリスト表示された。


 リストには、銅貨、小銀貨、大銀貨が、それぞれ五十枚ずつ、小金貨二十枚と大金貨十枚と表示されていた。


 ためしに、大金貨1枚を出したい、と考えると、手のひらに直径三センチほどの金色の硬貨が乗った。

硬貨には王冠を戴いた男性の肖像と、裏側には楓の葉とメイリン王国の文字が彫られていた。


 神様特典はさらに続く。家と敷地の中は電気、ガス、水道、トイレなど、地球にいた時と同じように暮らすことができる。


 また、一緒に移転してきた食料品、消耗品に関しては、無限に使用可能。使って減った分は翌日には自動的に補充されるらしい。

これらは壊れたり、消耗したり、腐ったりしない代わりに、新しいものと交換することはできない。


『それともう一つ、八穂への贈り物として、飼猫リクを、八穂の守護獣に進化させた。リクは他人の悪意を感知したり、危険察知能力に優れているから、八穂の助けになるだろう』とのこと。


「これがチートってヤツ?」


八穂は冊子を読み終わると、ポーチに収納して、ため息をひとつ。


 読んだだけではとても信じられないけれど、家の外の景色といい、神様ポーチといい、目の前に途方もない現実を示されると、認めないわけにはいかなかった。

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