中編
「俺たちはここで待ってるよ。せっかくだから、お兄ちゃんと二人で行ってきな」
海に着くとロンは二人にそう言ったが、僕もロンと同じ想いだった。
僕とロンの役目は、ひとまずここでお終いだ。
ここから先は、お兄ちゃんとサヤちゃんの二人だけで頑張るしかない。
それがあまりにも残酷すぎるという事は、僕もロンもわかっていた。
でも、僕とロンが一緒に行ったところで、かえって二人の足手まといになるだろう。
「すいません。それじゃあ、すぐ戻ってきますんで」
そう言うと、お兄ちゃんは妹の手を取り、海岸へ向かって歩きだした。
車の中で手を振りながら二人を見送っていたその時、
ドリンクホルダーに入っていた二つのミルクココアが目に入った。
「あ、待ってサヤちゃん。これ、お兄ちゃんと飲むんでしょ?」
そう言って、僕は彼女を手招きした。
駆け寄ってきたサヤちゃんにミルクココアを渡しながら、
「寒いから、温かくしないとね」
と言った。
『お願い事、叶うといいね』でも、
『お星さま、いっぱい見れるといいね』でも、
『お兄ちゃんと二人で楽しんでおいで』でもないと思った。
どれも全部、違うと思った。
それはどれも、つまりはお兄ちゃんの前から彼女がいなくなるという事だから。
「ピン、大丈夫か?」
二人が見えなくなると、ロンが突然僕に言った。
「うん、僕なら大丈夫だよ。なぁロン、いったい何が正解なんだろうな。他に、僕らにできることってあるのかな?」
「正解なんて無いだろ。俺らにできることも無い。全部、あの二人の問題だからな」
「またまた、そうやって冷たいフリして。そんな心にもないこと言うんだから」
「フリじゃないし、本心だよ。年上だからっていう理由だけで、俺らがあいつらに何かしてやる義理はない。それに、そんな事したところで、ただの自己満足だろ。俺らは他人に何かしてやれるほど大人でもないし、あいつらは俺らが思ってるほど子供じゃない」
口ではそう言うけど、それはロンの本心ではない。
だって、そんな風に思っているのなら、
わざわざ片道二時間半もかけて二人を海まで連れてこないだろう。
ロンも、あの二人のために何かできることはないか必死に考えているんだ。
そして僕と同じように、自分には何もできない事を知っているから悔しいんだ。
耳を澄ますと、うっすらと波の音が聞こえる。
真っ暗な闇の中で、ただただ波の音だけが聞こえる。
少しでも気を許せば、一瞬で闇に引きずり込まれてしまいそうだ。
少しでも音を立てれば、僕に気付いた何かが、僕を闇に引きずり込むだろう。
ろくに呼吸もさせてくれないこんな世界を、
やっぱり僕は好きになれそうにない。
病院に戻ると、僕とロンとお兄ちゃんの三人は、
案の定、看護師さんにしこたま怒られた。
「ごめん二人とも、先に行ってて。ちょっとトイレ行ってくる」
病院の出口まで来たところで急にトイレに行きたくなった僕は、
二人にそう言うと奥の方にあるトイレに小走りで向かった。
「うゎ!びっくりした」
用を足し終えトイレから出ると、そこには若い看護師さんが立っていた。
先程まで僕ら三人をしこたま怒っていた年配の看護師さんの後ろで
じっと僕らの事を見ていた看護師さんだ。
「本当に申し訳ございませんでした。全て、私のせいなんです」
そう言うと、彼女は僕に頭を下げた。
それだけで、何のことかわかった。
サヤちゃんに星の話をしたのは、きっと彼女なのだろう。
「いえいえ、そんな謝ることじゃないですよ」
「でも、私も皆さんと一緒に怒られるべきでした・・・」
「べつに看護師さんは悪いことなんて一つもしていないじゃないですか。・・・あ、そうだ、紙とペンって持ってたりします?」
僕は看護師から紙とペンを借りると、自分の携帯番号を紙に書いて彼女に渡した
「・・・あの、こんな時にナンパですか?申し訳ないですけど、あなたの事は全然タイプじゃないので」
「違いますよ!もしあの二人に何かあったら、電話してほしくて。僕にできることなら、何でもしてあげたいんです」
「そういう事でしたか。なんだかすいません、勝手に勘違いしてしまって」
「いえいえ、急に番号渡した僕のせいです。すいません。・・・それじゃ、二人が待ってるので行きますね」
「突然引き留めてしまってすいませんでした。お気をつけて」
「それでは、失礼します。・・・あの、ちなみに念のため、もう一度だけ聞いておきたいんですけど、僕のことはタイプでは―――」
「ないです。全然」
「・・・そうですよね。すいません。はい。あの・・・、すいません」
こうして、僕の恋は一瞬にして幕を閉じた。
それから一ヶ月近くが経ったある日、
携帯に知らない番号から電話がかかってきた。
「私、中央病院の佐藤と申します」
「どうも。この前の看護師さんですよね?ご無沙汰してます。」
「突然お電話してしまってすいません。今、お電話大丈夫ですか?」
「大丈夫ですけど、何かありました?」
「もしかしたら既にご存じかもしれませんが、実は―――」
その電話で、サヤちゃんが亡くなったことを初めて知った。
僕らが海に行ってから一週間後の事だった。
「それで、彼女のお兄さんが病院に来ているんですけど、たぶんあの子がこの病院に来るのは、今日が最後になると思うんです。なぜだか分からないんですけど、そんな気がするんです。だから、一応お伝えだけしておこうと思って」
「・・・そうですか。わざわざありがとうございます」
電話を切り自分の部屋を飛び出すと、
ロンの部屋の扉を、ノックもせずに勢いよく開けた。
「うぉ、びっくりした。お前な、ノックぐらい―――」
「サヤちゃんがね、亡くなったって」
「・・・そうか」
「それで、お兄ちゃんが今病院にいるんだって」
「そうか。・・・で、お前はどうしたいんだ?」
僕は何がしたいんだ?
僕は何ができるんだ?
僕は何をしてあげられるんだ?
いや、違うだろ。
僕は、僕自身のために、彼に何をしてあげたいんだ?
「なぁピン、俺に遠慮なんかするなよ。お前が決めたことなら、どんなことだって間違いじゃないと俺は思うよ。一人でできない事なら、俺が一緒に手伝ってやる。俺が嫌いなのは、何もできないと思い込んでウジウジしてるお前だよ」
「・・・うん。ありがとう、ロン」
僕は家を飛び出した。
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