第10話 少し先にある、夢。

新宿歌舞伎町にある雑居ビルからミイラのような死体が出たという事件はニュースを騒がせさまざまな考察を呼んだが、「調査の結果ミイラのような死体は死体ではなく、「権化」というストレスから生まれた化け物に飲み込まれた人間であり、病院に運ばれたのち全員息を吹き返していた」というオカルトじみた発表があってからというもの、大多数の人の興味はあっという間に失われ、事件から半年が経とうかという頃には、ニュースは今年の花粉の飛来率を報じていた。



「お兄ちゃーん!アオくーん!ご飯よ〜」


一階にあるキッチンから響いた赤城花音の声に、二階の部屋で寝ていた周とアオはほぼ同時に


「ふわぁ〜〜〜い」


と返事をした。

二人は同じようにくちゃくちゃの髪の毛をしていた。


「おー。アオおはよ〜。おもろい頭になっとるなー」

「おはようございます。周さんも十分面白いですよ」

「へへへ、じゃあどっちが面白い髪型か勝負しようぜ」

「望むところです」


ニッと笑う周に、アオもニッと笑った。


「レディーゴー!!!」


周はそう言って我先にと部屋を飛び出した。大股で階段を駆け降りる。階段の途中で寝ていたライオンが「にゃ!」と不機嫌な鳴き声をあげた。


「ずるいですよ周さん!というか、髪型面白い対決なんですから早く行っても意味ないですよ」

「…確かに!」


周は立ち止まって手をポンと叩いた。

アオは笑った。


「もうお兄ちゃんどうしたの?…ってまたすごい寝癖ね」


階段下にいた花音はふっと息を吐いたが、周はキラキラと目を輝かせた。


「おいアオ!ちょっと来い」

「はい、周さん」


呼ばれたアオは周の隣にやってきた。


「おい花音!」


周はワクワクした視線を花音に向けた。


「俺とアオ、どっちが面白い髪型してる?」

「はぁ?」


花音は眉を顰めたが、アオもモジャモジャ頭で花音をキラキラとした目で見つめていたので、ぷっと吹き出して笑った。


「二人ともおんなじような髪型してるよ。親子みたい」


花音が笑ったので周とアオも見つめあって笑った。


「はい、二人とも面白い髪型選手権優勝となりましたのでサッと顔を洗ってきてください。朝ごはんが冷めてしまいます」

「はーい」


花音の言葉に周とアオは手を上げて返事した後、洗面所に向かった。背の小さなアオが顔を洗うのを手伝ってやってから、周も勢いよく顔をバッシャバシャと洗った。


「…周さん」


タオルで顔を拭く周に、アオが声をかけた。


「んー?どしたー?」

「僕ですね、考えたことがあるんです。聞いてくれますか?」

「お、なんだ?」


半年前より少し膨らんだ頬を桃色に染めて、アオは周を見た。


「周さん言ってたじゃないですか。心が暇だと嫌なことにも目がいってしまうって」


その言葉に周は記憶を遡った。


「ああ、くらもっちゃんに言ったな。それ」

「はい、あの時の言葉、僕も聞いてたんです。…それで思ったんです。僕の心ももしかしたら暇だったのかもしれないなって」

「え?」


周はタオルから顔を上げてアオを見た。

アオの表情に曇ったところはなかったので周はホッと安堵した。


「どうしてそう思ったんだ?」


アオはこくりとうなづいた。


「他人に言われるままストレスを奪うだけの日々で、僕の心もいつの間にか暇になっていって。だから悪いこととか嫌なことばっかりが見えるようになっていたんだと思うんです。」

「そうか」

「だから、僕も夢を持ちたいと思いました。」


アオの溌剌とした声に周は深くうなづいた。


「うん。いいと思う。どんな夢を持ちたいかはもう決めたの?」

「…はい」


アオは少し照れたように下を向いてから、もう一度周を見上げた。その瞳には窓から差し込む青空の光と、周が映っていた。


「僕、周さんや真名課の皆さんのような「心の強さ」を持った刑事になりたいです」

「ええ?!」


目を見開いている周に、アオは前のめりで話した。


「七黄さんみたいに冷静な強さも、馨さんみたいに大胆で楽しい強さも、総司郎さんみたいに包み込んでくれる優しい強さも、どの強さもカッコイイと思いました!僕、僕も皆さんみたいな、カッコイイ人に…なりたいです」

「…そうか」


周は目の前のアオの姿を見て、瞳をうるうるとさせた。


「そうか、そうか。アオは心の強い刑事になりたいのか」

「…はいっ!」


アオの返事に、周はアオを勢いよく肩車した。

そしてそのままキッチンに向かった。


「おおおおおい〜花音、聞いてくれよ〜アオが〜アオが〜」

「わ!びっくりした!何よお兄ちゃん、なんで泣いてるのよ」

「アオが〜アオが〜。将来俺みたいな刑事になりたいって〜」

「はぁ?」


花音はズビズビと泣きじゃくる周に眉を顰め、肩の上のアオに視線を向けた。


「アオくんいいの?こんなんで」

「はい。僕は周さんみたいに人の心を温かくしてくれる人になりたいです」


キラキラとしたほほ笑みを見せるアオに、花音は少し困った顔をした。


「まぁ、アオくんがいいならいいんだけど、ウチの兄はアオくんのことをいまだに「アオ」と呼んでる駄目刑事よ?」

「え?」


花音の言葉に周はパチクリとまばたきをした。

その様子に花音はふーっとため息をつく。


「…七黄さん言ってたじゃない。アオっていうのはコードネームなんだって。事件からもう半年も経つんだし、アオくんにちゃんとした名前つけてあげた方が良くない?」

「わ、忘れてた…」


周は顔を上げ視線を肩の上に送った。だがそれだとアオの表情を見ることができなかったので、大急ぎでアオを肩から降ろした。


「アオすまん!お前の気持ちも考えずコードネーム呼びしたまんまで」

「ああ、そのことですか」


周や花音の心配をよそに、アオはあっけらかんとした表情をしていた。


「それですね、偶然なんですよ」

「…偶然?」

「はい。僕、周さんに最初に助け出してもらった時、驚いてあんまり声が出なかったんです。だからあ、とかお、とか言っちゃったんです」

「え?」

「それで、事件が全部終わってから聞いたんです。僕のコードネームがAOOだったっていうお話」

「え?」


周はポッカリと口を開けた。


「そうなの?」

「はい」

「え、だって七黄が闇市のコードネームがAOOだったから、頭文字とって「アオ」ってみんな呼んでたんだろうって…」

「いいえ。僕はものごごろついた頃には箱の中に居たので…自分に名前があるなんて思ってもみませんでした。」

「え、そうなの?マジ」

「はい。だから周さんが最初に「名前だ」と思って僕をアオって呼んでくれた時に、僕はアオになったんだと思います」


アオはそう言って笑った。


「だから、僕はアオです。アオが良いです」


アオの瞳は光を受けて輝く海のような色をしていた。


「あ、でも…」


アオは眉をキュッと顰めた。その様子に周はバタバタと手を振った。


「え、どうした?適当につけられたみたいで嫌だった?」

「いいえ違うんです。違うんですけど…」


アオはそっと周を見上げた。


「一つだけ…。お願いがありまして」

「おうなんだ!なんでも言え!」


周は膝を折り曲げてアオの正面に座った。

アオは真っ直ぐな視線を向けてくれる周を見て、手を胸の前でぎゅっと握った。


「その…ですね、七黄さんは黄色じゃないですか」

「お、ああ。あいつ黄色みたいな髪だし、名前にも黄の字が入ってるしな。」

「はい。それと馨さんは花斑さんだから桃色かなって思うんですよ。真名の炎もピンクですし。」

「まぁそうかもな。シャツと蝶ネクタイピンクだし」

「で、ですね。総司郎さんは森谷だし真名で出てくる布が薄緑だから緑だって思ったんです」

「お、おう。そうだな。それで?」


周は真剣な眼差しでアオの言葉を聞いていた。

アオは周の眼差しの熱を浴びて顔を火照らせ下を向いたが、意を決したように顔を上げ、胸の前で握っていた手のひらを解いて、その勢いに乗せて言葉を放った。


「はい!だから僕の名前も「青」ならいいと思いました。青い空の「青」です!」


小さくプルプルと震えながら放たれた言葉に周は


「なるほど、青空の青か!アオに似合ういい名前だな」


と言ってニッカリ笑った。


「よーし!じゃあ今日からアオは「青」な!」

「…言葉で言ってもわかんないわよお兄ちゃん。」


二人のやりとりを眺めていた花音がため息混じりに発したが、周は頭を大きく横に振った。


「いいや!アオが青になりたいって言ったんだから、俺はこれからアオのこと青って呼ぶ!」

「だから言葉じゃわかんないってば」

「…わかります」


ため息をつく花音に青が声をかけた。


「周さんの言葉なら、わかります。絶対に」


青はそう言ってはにかんだ。


「…そう?」

「はい」

「おう!つまり俺と青は以心伝心ってことだな」

「…はぁ」


ニッカリ笑う周に花音は眉を顰めたが、青が


「そうですね!」


と言って周と同じようにニッカリと笑ったので


「まぁ、青くんがいいならそれでいいんだけどね」


と小さく息をついて笑った。


「んじゃ花音、飯にしようぜ!あ、今日は青の名前が決まった記念に赤飯にするか?」

「んもう、今言われても準備できるわけないでしょ」

「そか、すまん」

「夕方まで待って。晩御飯は赤飯」

「いやっほー!さっすが花音」

「はいはい。んじゃ朝ごはんにしましょ」

「おう!」


そう言って周は飛び跳ねてリビングへと向かったが、途中振り返り


「おい、青。早く行こうぜー」


と青に声をかけた。

周の言葉に青は


「…はい。すぐに追いつきます」


と言った。


「おう!」


周はニッカリ笑うとのっしのっしとリビングに向かって歩いていった。


周の大きな背中を青は見つめた。


いつもキラキラと輝く赤い光の隣に、肩を並べて歩く青い光を夢にみて。

青はぎゅっと拳を握って、少し先を歩く周の背中を追いかけた。

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ようこそ、警視庁刑事部特殊能力隊「真名課」へ! 山下若菜 @sonnawakana

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