第9話 周の真名

「…だからあれほど、力を全部使うなと言ったのに…」


遊佐七黄は目の前のビル全体が紅色に輝き出したのを見て、ぎゅっと眉を顰めた。


「これは…なんですか」


七黄のすぐ後ろで聞き馴染みの無い声が響いた。

驚いて振り返ると、赤城邸でソファに横たわっていた倉本がいた。


「倉本刑事。いらしてたんですか」

「あ、ああ…」

「ちょっと前ばかり「視て」いたので気づきませんでした。すみません」

「あ、いや…」

「いつからいらっしゃってたんですか?」

「そ、それは…」


言い淀む倉本の横で稲葉がカッカと笑った。


「割と最初からおったよ。なんだったら赤城邸で真名課の皆んなが話よったのも聞いとったらしいばい」

「ええ?」


七黄は稲葉の話に倉本を見た。倉本は気まずそうに下を向いた。


「…その、俺、事件の前からちょっと心に焦りみたいなのがあって…それで、その心の弱さのせいで権化に飲み込まれたんだって言われて…余計に真名課の奴らが憎くなってしまって」

「めちゃくちゃな話たい!なってなか!」


稲葉の叱咤に倉本は肩を落としながら続けた。


「病院で赤城に会って、なんていうのか…悔しくて憎くて。でも、あいつの言葉が妙に頭の中をぐるぐるしてて」

「…どんな言葉ですか?」


七黄の問いに倉本はさらに下を向いてポソポソと話した。


「…心の怪物がどうしても抑えきれなくなって、権化を産んでしまうことがあったとしても、もう大丈夫だ…。だって俺がいるじゃんって」


その言葉に七黄はふっと息をついた。


「周らしい言葉だ」

「あのっ!」


倉本は意を結したように、急に七黄の顔を見つめた。


「赤城も真名課所属ってことは、何かしらの真名を持ってるってことですよね」

「え、ええ」

「失礼ですけど、本当ですか?」

「え?」

「だって俺が権化を産んでしまった時も、実際に真名の力を使って浄化させてくれたのはアオという少年でしたし、なんていうのか、「俺に任せろ」的なこと言ってたのに何にもしてくれなかったから。赤城刑事に本当に真名なんてあるのかなーなんて」

「はぁ」


倉本は目の前で繰り広げられた真名課の戦いを見ていた。司令塔の遊佐七黄、特攻切込隊長の花斑馨、後方支援補佐の森谷総司郎の力を目の当たりにした。

「オカルト課」だと罵っていた真名課の力は思っていた以上に強力で、自分はまた井の中の蛙だったことを知ってしまった。

敵わない力を持った人間達を前に、悔しいやら羨ましいやら妬ましいやらで、心がまたぐちゃぐちゃになりそうだった。

できれば一番腹立たしい男、赤城周は無能であって欲しかった。


「ふふふ」


そんな倉本の後ろで鈴を転がしたような笑い声が聞こえた。


「も、森谷刑事!」


倉本は総司郎に敬礼をした。総司郎もにこりとほほ笑んで礼を返した。


「こんばんは倉本刑事」

「はっ!お疲れ様であります!」


七黄は倉本の変貌ぶりにジトリとした視線を向けながらも


「総司郎、戻ったの?」


と声をかけた。

総司郎は目の前のビルを見て少し困ったように眉尻を下げた。


「はい。ビルが紅色に輝いたのが見えたので、僕の出番かと思いまして」

「ああそうだね。アイツの場所を「視て」みるよ」

「お願いします」


総司郎の言葉に七黄は深くため息をついてから息を吸い込んだ。


「…【とう】の真名の元、力を行使する。透過視」


七黄の髪がキラキラと煌めき、その左目に【瞪】の一文字が浮かんだ。


「ああそうそう、倉本刑事」

「あ、はい!」


総司郎に急に話しかけられたので、倉本はドギマギとしながら返事をした。


「なんでしょう!」

「周さんの真名のお話し、でしたよね?」

「あ、はい…」

「倉本さんは感じませんでしたか?」

「何をでしょう?」


総司郎はゆったりとした動きで口元に手のひらを翳した。


「周さんの言葉を聞いた時「心が強くなる感じ」しませんでしたか?」

「え?あ…」


その言葉に、倉本は思い当たる節があった。


「確かに赤城と話した時、憎らしいのになんか心が温かくなるような…。そんな不思議な感覚がありました」

「そうですか」


倉本の言葉に総司郎はほほ笑んだがが、七黄はぎゅっと眉を顰めた。


「アイツは本当に、真名課の刑事なんだから力使うのは仕事中だけにしろって何回も言ってるのに」


紅く光るビルを見つめながらため息をつく七黄に倉本は思わず


「え、どういうことですか」


と尋ねた。


「あのですね…」


倉本の問いに総司郎はふわりとしたほほ笑みをくれた。


「今あのビルが紅く光ってるの、周さんの力なんです」

「え?」


倉本はビルを見た。

蠢いていた黒い溶岩流が、紅くキラキラと輝きながら消えていくのを見ていると、何故だか心の中に温かさが灯るような気がしてくる。


「あんな綺麗な力が、赤城の?」

「ふふふ」


総司郎は穏やかに笑った。


「周さんの真名は【しゅう】といいます。与えるという意味の真名です。」

「…与える?」

「はい。周さんはその手のひらや言葉にのせて、愛を分け与えてくれる人なんです」


総司郎はそう言って紅く光るビルを見つめた。


「今あのビルの中では、周さんが権化一体一体に声をかけている所です。「大丈夫だよ、もう大丈夫だよ」って。あの人のあたたかさに触れて浄化しない権化はいません」


総司郎の長い睫毛が揺れるのを見ながら、倉本は周に会った時のことを思い出していた。

思えば周はいつだって笑っていて「大丈夫だよ」と繰り返し伝えてくれていた。


「権化もそうですけど、人もそうですよね」

「え?」

「そうじゃないですか?「大丈夫だよ」って、「安心していいよ」って言って、いつでも愛を与えてくれる人が傍に居たら…心が強くなると思いません?」


総司郎の眼差しに倉本はあっと息を飲んだ。


「真名の力って、心の力なんですよね」

「はい」

「じゃあ、人の心を強くする赤城は、真名課の皆さんの力を強くする、ってことですよね」

「はい」

「権化って人の心の弱さから産まれる怪物ですよね」

「はい」

「じゃあ、人の心を強くする赤城は、そもそも権化を発生させないように出来るってことですよね」

「はい」

「なんかそれちょっと最強じゃないですか…」

「はい!」


総司郎はパッと華やかに笑った。


「…でもな」


正面のビルを視ながら七黄はため息をついた。


「アイツはその分アホだから、毎日何時でも誰にでも全力全開垂れ流しでその力を使ってる。俺たちみたいに使うべきところで使うっていう賢さが無いから、いつも何処かでへばって動けなくなりやがる」

「ふふふ、でもそれが周さんのいいところでもありますから…」

「そうかもしれないけど…。あ、いた。総司郎」

「はい。」

「ビル最上階のDー45エリアで周がへばってる。運んでやって」

「はい」

「あ、それから…」


七黄はふーっと息をついた。


「アオくんの手は変わらずしっかり掴んでるから、一緒に包んで運んでやって」

「はい!」


総司郎は花が咲いたような笑顔で右手をビルに向かって差し出した。


「【】の真名の元に力を行使します、揺籠」


総司郎の右手の甲に【裹】の一文字が浮かび、手のひらから薄緑色のハンモックのようなものが飛び出したかと思うと、ビルの屋上に向かって一直線に飛んでいった。


七黄はふっーと息を吐き、ヘッドセットマイクに声を発した。


「馨」

「オー!なんだい?七黄」

「周がパワー切れだ。残党処理頼む」

「オーライ☆まだまだ楽しんじゃうよ~」

「あ、それから倉本刑事」

「…はい!」


七黄に急に声をかけられて倉本は驚いてびくりと身を震わせた。

七黄はくるりと振り返り、倉本を真っ直ぐ見つめた。


「…確かに周は見た目はあんなだし、何回言っても現場にはパーカーで来るし、アホだし、これからも倉本刑事をイラつかせることがあるかもしれません」

「…はぁ」

「でも」


七黄はふふっと息をはらって笑った。


「アイツ、本当にいいやつなんで。憎しみの方角からだけじゃなくて、ちょっと違う角度から見てみてやってくれませんか。…人よりちょっとよく目が見える俺からのお願いです」


そう言って七黄は倉本に頭を下げた。倉本は戸惑った。


「このバカちんがぁ!」


倉本の後ろ頭を稲葉が叩いた。


「お前さんの心の弱さが憎しみば産んどって、真名課のみんなには助けられてばっかりやっていうのに、ほんにお前さんは!心構えどうなっとうとね!!」

「あはははは」


おろおろとする倉本の耳に、あたたかな笑い声が聞こえた。

声のした方を見ると、薄緑色のハンモックに包まれて、アオを抱いた周がビルから引っ張り出されて来たところだった。


「まあ、そう言わんでやってよ稲葉っち」

「呼び方!」


ミノムシのような周の頭を七黄が叩いた。


「へへへ、言ったろ稲葉っち。なんでくらもっちゃんが人を憎らしいと思うほど頑張るのか」

「そ、それは…」


稲葉は困ったように言い淀んだ。


「ねぇくらもっちゃん」

「誰がくらもっちゃんだ」


倉本はミノムシ周に冷たい視線を向けた。

周はお構いなしに笑った。


「くらもっちゃんは夢叶えてすごいよ」

「はぁ?」

「前も言ったけどさ、その若さで捜査一課の刑事になれるなんて、並大抵の努力じゃないよ。めっちゃ凄いことじゃん」

「…前にも言ったが、お前に言われても嬉しくない」

「へへへ」


周はヘラヘラとわらった。なんだかとても嬉しそうだった。


「ねぇくらもっちゃん。新しい夢を持とうよ」

「はぁ??」

「前に話してくれたじゃん。見たく無いのに嫌いだから目についちゃうって。あれから俺考えたんだけどさ」

「なんだよ」

「昔のくらもっちゃんは多分、そんなこと思わなかっただろ?」

「え?」

「だってそんなこと思ってたら、その若さで捜査一課の刑事になるっていう夢、叶えられてないと思うんだよ」


周の言葉に倉本は言葉を失った。

確かに昔の自分は「井の中の蛙だ」と悟った時、誰かを疎んだりしたことはなかった。ただひたすらに夢を叶えるため努力していた。


「くらもっちゃんはさ、捜査一課の刑事になるって夢を叶えちゃった今、逆に何したらいいのかわかんなくて焦っちゃうというか。情熱的に挑んできたものを無くしちゃって、心がどこか暇になっちゃったんだよ。それ自体は悪いことじゃ無いけど、心が暇だとわりと嫌いなことも目に入ってきちゃうもんだよね。だからさ、新しい夢を持ったらいいんじゃないかって」


ヘラヘラとする周を見て、倉本は眉を顰めながらも


「新しい夢、だと」


と話を聞く体制となっていた。


「そう、それで俺に一つ提案があるんだけどさ。稲葉っちの持ってる「伝説の警部」っていう肩書きを手に入れるの、どう?」

「はぁあ?」

「だってくらもっちゃん、稲葉っちが居なくなるのが嫌で不安で仕方なかったんでしょ?」

「ちょ…」


周の言葉に倉本はみるみる顔を赤くした。

周はミノムシのまま稲葉に視線を送った。


「ねー稲葉っち。くらもっちゃんが今みたいに不安定な心構えだと安心して楽隠居出来ないよねー。でっかい孫じゃなくて「頼りになる息子」くらいまでは進化して欲しいよね~」

「…おい倉本」


稲葉はじっとした視線を倉本に向けた。


「俺はな…」


そう言って倉本の背中をバシンと叩いた。


「お前が立派な刑事になって「伝説の警部」っていう名前を受け継がせてやってもいいってくらいに成長するまでお前のそばから離れんったい!早く楽隠居させられるぐらい気張ってくんしゃいな!」


稲葉は笑った。

倉本は背中の痛みとその言葉に涙がこぼれた。


初めて会った時に言われた「気張らなくていい」という言葉は、稲葉の優しさだとわかっていた。

たがその言葉は同時に、倉本の心に「期待されていない」という暗い影を落としていた。

だからこそ気張って気張って「頼りにされる刑事」になりたかったのだと、自分の心の暗い部分は「稲葉に頼りにされたい」という欲望から産まれていたのだと、倉本はようやくわかった。


「心の暗い部分には、本当の自分がいるのかもな」


倉本はそう言って周を見た。

周は変わらずヘラヘラとしていたが、倉本の心にはもう周を憎いと思う気持ちはなかった。


「おい赤城」

「何?くらもっちゃん」

「俺は伝説の警部になるぞ」

「そっか!」


周はニッカリ笑った。


「頑張れよ!くらもっちゃん!」

「だから誰がくらもっちゃんだ!!」


そう言った倉本は、本人は気づいていなかったが

周と同じようにニッカリとした笑みを浮かべていた。

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