第8話 奪ったものの反対側


(もうダメだ…僕は…なんて役立たずなんだ)


朦朧とした意識の中、アオはドス黒い溶岩流の中を横たわって漂っていた。

時折胸を突いて上がってくるドロドロとした溶岩流を、抑えきれずに口から吐き出す。


(僕は…奪うこともまともに出来やしない。奪ったように見せかけて、ただ溜め込んで、今吐き出してる…なんて意味の無い人間なんだ)


アオの瞳に涙が浮かんだ。


(せめて、溜め込んだまま消えられたらよかったのに。そしたら…もしかしたら赦されたかもしれないのに…)


瞳から涙が零れ落ちた。だがそれを拭えるような力はもうアオには残っていなかった。


「…アオ!アオどこだ?」


アオの耳に優しい声が届いた。

周の声だとすぐにわかった。


「このすぐ上か、了解!」


周のその声が聞こえて、アオの体はふっと宙に投げ出された。

アオの下にあった溶岩流が一瞬にして消えてなくなったためだった。


「アオ!」


アオは周の腕の中に落ちた。


「アオ、アオ。聞こえるか?わかるか?俺だ、周だ」


必死の形相でアオに話しかけてくれる周に、アオはなんとか口を動かした。


「僕から…離れてください…。力が、うまく使えません。…今の僕は、何を奪うかわからないんです」


アオはもう思うように動かない体に鞭打ち、力の限り周の腕から逃れようともがいた。


「僕は…あなたの大事なものを、奪いたくありません」


必死の抵抗をするアオを周はぎゅっと抱きしめた。


「え…」

「聞こえてるんだな、アオ。よかった…」


アオの頬にポタポタと温かな雫が落ちた。周の涙だった。


「いいか、聞いてくれアオ」


周は優しい音で話した。


「お前は嫌だって思うかもしれないけどな、奪っていいんだ。俺から大切なものを奪っていい」


アオは驚いていた。周の言葉の意味はわからなかったが、ふと心の奥底に温かいものが落ちた。


「いいかアオ、人は皆誰かから何かを奪って生きてる。誰かが持ってるものが羨ましくて妬ましくて奪うだけじゃない、自分でも気づかないうちに誰かの仕事や楽しみや喜びを奪ってたりすることがあるんだ。皆そうなんだよ。アオはたまたま人から何かを奪うってことに敏感なだけで、その罪を全部を背負いこむ必要は無いんだよ」


周の言葉一つ一つがアオの心に温かさを落としていく。アオは与えられる温かさに泣き出してしまいそうな気持ちでいっぱいになっていった。


「でも、僕は、あたたかさに触れちゃいけないんです。あたたかさを、奪ってしまう」


周の腕の中の温かさに溺れてしまいそうになりながらも、アオは両腕をつっぱった。周の大切なものを奪いたくはなかった。


「なあアオ」


そんなアオに柔らかに周の言葉は降り注いだ。


「お前はもう充分奪うことを知ってる。だから俺からちゃんと奪えるだろう?」


その言葉にアオは顔を上げ、周を見上げた。

もしも周に何か「奪ってほしいようなストレス」があって、アオにそれを頼んでいるのだとしたら、その願いを叶えられる自分でいたかった。


「…何を、ですか?」


アオの言葉に周は笑っていた。

両目にいっぱい涙を溜めながら笑う周は、アオとようやく目があったことに喜んでいるのだと、アオにもわかった。


「俺の時間を奪ってくれ」

「…え?」


ぱちぱちとまばたきを繰り返すアオに周は笑った。


「俺が一人で寂しいと思う時間を奪ってくれよアオ。俺もお前から奪うから。花音からも真名課の皆んなからも奪ってくれ。俺たちが寂しいと思う時間を、アオ、お前が存分に奪ってくれよ」


アオは奥歯を噛んだ。嬉しくて嬉しくて両の目から涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。


「そんなの…僕の罪ほろぼしになりません!僕は大事な人から大事な記憶を奪った!幸せになっちゃいけないんです」

「気がつかないか?」

「…え?」


周は涙を拭ってニッカリ笑った。


「お前が俺と一緒にいて、寂しい気持ちを「奪った」としたら、それは同時に与えてるってことだろ?」


アオはその言葉に二、三度まばたきをした。

一瞬言葉の意味がわからなかったが、周のニッカリとした太陽のような笑みを見ていると、降ってきた言葉がじんわりとアオの心に拡がった。


「与える…?僕がですか?」

「そう。俺はアオと一緒にいたら楽しい。それはアオが俺から寂しい気持ちを奪って、楽しい気持ちを与えてくれたってこと。お前の力は奪うだけじゃない。奪ったものの反対を与えることだってできるんだってこと。お前が奪ったものの反対側は、お前が与えてきたものだってこと」


周は腕の中に抱えていたアオをひょいと持ち上げて肩車をした。

アオの目の前には黒く蠢く溶岩流が拡がっていた。

目を背けたくなるような光景にアオはぎゅっと眉を顰めたが、周の声は変わらず穏やかで優しかった。


「なぁアオ。確かにお前は誰かの記憶を奪ったことがあるのかもしれない。けどそれをきっかけにこんなに沢山のストレスを奪ってきた。ここにあるストレスの分、アオは誰かに幸せを与えてきた。もう「罪滅ぼし」なんて言葉に逃げてないで、お前が奪ってきたものと、それから与えてきたものを、真正面からちゃんと見つめてみようぜ」


周の言葉にアオはじっと目の前の溶岩流を見た。

これまで目を背け、見ないように見ないように努めてきたストレスたち。奪うだけで飲み込んであげられなかったストレスの塊たちが、自分の生きてきた意味のように感じられた。


「なぁ、もう大丈夫だ。アオ」


周はそっとアオを降ろした。心に温かさの積もったアオは不思議なほどしっかりと黒い溶岩流の上に立つことができた。


「これはお前の誇りだよ」


周は蠢く溶岩流を指して言った。

その言葉についにアオの両目から涙がこぼれ落ちた。


今まで自分が集めてきた「罪滅ぼしの欠片」たちを、消化できずに吐き出してしまった「弱さ」を、周は誇りだと言ってくれた。


その言葉の温かさに心がいっぱいになったアオは大きな声を出して泣きじゃくった。


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