米寿と人形

九十九

米寿と人形

 曾祖母の八十八歳の米寿のお祝いの時、曾祖母は私にそっと人形をくれた。少し古びているけれど大事にされている事が一目でわかる綺麗な日本人形は、抱いてみるとどこかほんのりと温かかった。


 伯父さんに伯母さん、従兄弟達を始めとした親戚一同が大勢集まった曾祖母の米寿は、それは賑やかなものだった。近年、正月に人が家に集まるという事も無くなった我が家に於いて、その日は久方ぶりに親戚一同が集まるお祭りのような状態だった。曽祖父は祝えなかったから尚更かも知れない。

 部屋と部屋との間にある襖を抜いた座敷の中、伯父さんと叔父さんの間で酒が行き来して、伯母さんと叔母さんの間で料理が行き来する。大人達は誰も彼もが楽し気に昔話や今の話をして、子供達は大人数で広いとは言えない座敷の中をはしゃいで遊び回る。そんな一日だった。

 お祝いの中で曾祖母の隣に陣取っていた私は、親戚達の楽し気な風景を眺めながら、枝豆とかのおつまみ料理を食べていた。子供の中では少しだけ年が離れて一番年上だった私は、時折一緒に遊んだりお手伝いをしたりしながらも、子供に混ざりきる事も大人に混ざる事も出来ずに曾祖母の隣に居た。

 まるで定位置みたいにすっぽりと曾祖母の隣に収まった私に、曾祖母は自分が主役だと言うのに、私の好きなものを自分の料理の中から取り出すと、私の皿の上に並べていった。折角美味しいのだから、と食を勧めてみても、曾祖母は美味しいならお食べ、とどんどん私に料理を渡してくれた。

 本当にいいのか、と尋ねると、今日お祝いしてくれただけでお腹がいっぱいなのだ、と曾祖母は言った。

 横目で曾祖母を窺うと、曾祖母は私の隣でにこにこと嬉しそうに集まった親戚達を眺めていた。眩しそうに細められた曾祖母の目に、私はなんだか嬉しくなって曾祖母に、楽しいか、と尋ねた。

 曾祖母はほけほけ笑って、楽しい、と答えた。

 暫くそうやって二人して親戚達の賑やかな一挙一動を眺めていたが、曾祖母が何かを思い出した様に、ああそうだ、と小さく声を上げた。そうして主役の席からそっと席を立つと、不思議そうに見上げていた私の手を引いた。

 私は手を引かれるままに立ち上がると、そのまま曾祖母に付いて行った。


 曾祖母の部屋までやって来ると、賑やかな声が障子に隔てられて少しだけ遠くなる。曾祖母の部屋はお祝いの席とは打って変わって静かだった。

 私は曾祖母を見やった。腰の曲がった曾祖母と、私の目線は丁度同じ高さにあったので、真っ直ぐ見詰める形になる。

 曾祖母は人差し指立てて口の前に持ってくると、にっこりと笑った。そうして大切な物を入れてある箪笥を開けると、中から赤い着物の日本人形を取り出した。

「私より、十、年下のお人形さんなの。今年で七十八歳になるわ」

 それは曾祖母が大切にしていた人形だった。曾祖母の十歳の誕生日に合わせて、お父さんが友人に言って作って貰ったと言う日本人形は少し古びているけれど大切にされている事が一目でわかるほど、綺麗な人形だった。

 その人形を、曾祖母はそっと私に差し出した。

 私は驚いて、目をまん丸にして曾祖母を見詰めた。だって人形は曾祖母の宝物だ。毎日、箪笥から取り出しては髪を梳かしているのを知っている。何かあった時は、話しかけているのを知っている。

 そんな大事なものを曾祖母が私に差し出していると言う現状にどうしたらいいか分からなくなって、受け取るのか受け取らないのか分からないような中途半端な位置に腕を上げて、視線を曾祖母と人形の間で往復させた。

「どうして?」

 私が尋ねると、曾祖母が穏やかな顔で私の手を取った。私の手の中にそっと人形を手渡すと、手櫛で人形の髪を梳き、顔を撫でる。

「私がこの子を貰った時も、あなたと同じくらいだったから」

 言う曾祖母は、昔を懐かしむように目を細めた。

「それにね、この子も米寿を祝って欲しいの。私がこんなに幸せだったんですもの。この子にもおすそ分けしないと」

 曾祖母は私を真っ直ぐ見詰めてそう言った。慈しみの溢れた目だった。私のことも人形のことも大好きだと語ってくれる瞳だった。もう一度、曾祖母と人形の間で視線を往復させた私は、頷いて、そっと人形を抱きしめた。

 人形はほんのりと温かかった。

「じゃあ、ひいばあちゃんも一緒に祝ってくれる?」

 言外にそれまで長生きしてくれるか、と尋ねると、曾祖母は嬉しそうに笑って私の頭を撫でた。

 それからまた二人でそっとお祝いの席に戻った。今度は人形も一緒に、曾祖母の米寿をお祝いした。


「ひいばあちゃん、お人形さんの米寿だよ」

 横になる曾祖母の隣で、私は曾祖母に声を掛けた。その日は曾祖母の九十八歳の誕生日だった。人形もこれで八十八歳になった。

「長生きしたのね私」

 昔を懐かしむみたいな声音で曾祖母が言った。

「まだまだ長生きしてほしいな」

 私の言葉に曾祖母は朗らかに笑う。

 そろそろ難しいことは知っている。曾祖母は昔ほど起き上がれなくなってしまった。座敷で座っている事が多いけど、それ以上に横になる事も増えてしまった。曾祖母が横になる度に私は人形を曾祖母の隣にそっと寝かせた。

「お人形さんの米寿、一緒に祝おう、ひいばあちゃん」

 曾祖母の時みたいに親戚一同揃ってのお祝いは無理だから、私と曾祖母だけのお祝いだ。曾祖母が好きなケーキを用意して、人形に曾祖母が着ていたちゃんちゃんこを着せてあげる。

「一緒にお祝いできたのね」

 しみじみと言う曾祖母に、少しだけ泣きそうになりながら、私は頷いた。

「お人形さん、米寿おめでとう」

 曾祖母の顔が柔らかく解ける。曾祖母と私の間に座る人形の微笑みも、なんだか柔らかくなったような気がした。

「おめでとう、ひいばあちゃん、お人形さん」

 旧知の友のように、そして姉妹のように寄り添い合う曾祖母と人形の姿を見ながら、私はこの光景がもう少しだけ続けば良いと笑った。

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米寿と人形 九十九 @chimaira

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