アンドロイドは冷却水を流すか

北浦十五

フィオリーナ





僕が彼女、フィオリーナを見つけたのは僕が12歳の時だった。





僕は倉庫の中を探検していた。




「あの倉庫の中にはあまり入ってはいけませんよ」



これが今の僕の養育係をしている有機アンドロイド「マリ」の口癖だった。



有機アンドロイドはその身体の3分の2は有機物質で出来ている。だから外見も触ってみた感触も人間と変わらない。

動力源は超小型核融合炉で自律型AIが制御している。感情は持っていないが笑ったり怒ったりと、感情に似せた言動は取る事が出来る。



僕はマリには黙って倉庫の中を探検していた。

マリは怒ると怖いからマリにはナイショなんだ。

そんな倉庫の片隅の椅子にフィオリーナは座っていた。


僕はビックリした。

フィオリーナは目を閉じてメイド服を着て椅子にチョコンと座っていた。

どう見ても15歳くらいの人間の女の子にしか見えなかった。


僕は恐る恐る少女に近づいた。

少女はピクリとも動かない。触ってみた手は冷たかった。

それで僕は彼女がアンドロイドだと判った。


彼女の中の核融合炉はまだ稼働している。そうでなければ彼女の有機物質の部分は腐ってしまう筈だから。

僕は首の後ろのパネルを探したけどパネルは無い。と言う事は。

彼女は非合法で作られた有機アンドロイドなんだ。


僕は制御パネルを探した。

メイド服から露出した部分では見つからなかったので僕は服を脱がす事にした。 アンドロイドなのに何故かドキドキした。

メイド服をめくっていくと背中に制御パネルがあった。全部脱がさなくて良かった事に僕はちょっとホッとして起動スイッチを押した。



ブーン



静かな機械音が倉庫の中に響く。

起動するかどうかは僕にも判らない。彼女がいつ造られたのか判らないからだ。僕は期待と不安が入り交じった目で彼女を見つめていた。

10分くらい経った頃に彼女はゆっくりと目をあけた。


それは吸い込まれそうなほど深いブルーの瞳だった。茶色の髪と透き通るような白い肌の彼女は芸術品のようだった。

僕は自分の頬が染まるのを感じた。これが僕の初恋だったのかも知れない。

ドギマギしている僕に向かって彼女はゆっくりと口を開いた。


「・・・あなたはどなたですか? ご主人様」


薔薇の蕾のような唇からこぼれた言葉はとても美しい音楽のようだった。

マリとは明らかに違う。

僕には彼女が人間でもアンドロイドでもない天使のように感じられた。


「え、えっと、はじめまして。僕はこの家の人間だけど」


明らかに動揺している僕に向かって彼女はある人物の名前を口にした。

それは30年前に亡くなった僕の曽祖父の名前だった。

そうか。彼女は曽祖父が造ったのか。


「それは僕の曽祖父だよ。30年前に亡くなったんだ。僕はひ孫だよ」


「・・・そうですか」


彼女は悲しそうな表情で目を伏せた。

起動させたせいか彼女の血色が良くなって来た。それと共に僕の鼻孔を刺激するような甘い香りがして来た。

週に3回行く学校の同級生の女の子達からは感じた事のない香りだった。


「・・・それでは、あなたが新しいご主人様ですか?」


「えっ? いや、ご主人様なんて。それより君の名前を教えてよ」


彼女は僕の目をじっと見つめてから言った。


「・・・すみません。あたしはご主人様と呼ぶようにしかプログラミングされていませんので。あたしはフィオリーナと申します」


「フィオリーナ・・・イタリア語で小さな花、だね。うん、とても君らしい名前だね」


僕がそう言うとフィオリーナは不思議そうな顔をした。


「・・・あたし、らしい。・・・そうでしょうか?」


「うん。だって君はホントに小さな花、みたいだから」


僕がそう言うとフィオリーナは恥ずかしそうに下を向いて頬を染めた。

なんだ? この反応?

僕は今まで何体もの有機アンドロイドを見てきたけど、こんな反応を見たのは初めてだ。非合法のアンドロイドって皆、こんな感じなのかな?


「・・・あの、今は何年なのでしょうか?」


「ん? 2322年だよ。西暦の」


それを聞いたフィオリーナは少し納得したような感じだった。


「どうしたの? 」


「・・・いえ。あたしが造られてから88年が経ったんだなあ、って」


「えぇ!88年!」


僕は心底ビックリした。

曽祖父が造らせたものだからかなりの年数は経っている、とは思ってたけど。それにしたって88年って!


「じゃあ、君は88歳なの?」


フィオリーナはクスッと笑った。

それは初めて彼女が見せた笑顔だった。


「・・・それは人間の年齢の数え方ですね。あたしは88年間ずっと稼働していた訳ではありませんから。ただ」


「ただ?」


僕の問いにフィオリーナは困惑した表情になった。


「・・・手を動かそうと思っても動かせないんです。手だけではありません。たぶん身体の駆動系に何らかのトラブルが発生しているようです。首から上は動かせるんですが」


「それなら早く修理しなくちゃ」


慌てている僕にフィオリーナは強い口調で言った。


「それはダメです。あたしは自分が非合法のアンドロイドである事は判っています。非合法のアンドロイドは所持しているだけで重い罪を課せられるんですよ。これはご主人様だけの問題ではありません。ご主人様のご家族も社会的地位を失うのです」


「・・・・・」


このフィオリーナの言葉に僕は返す言葉が無かった。

今は離れて暮らしているお父さんやお母さんにも影響して来るんだ。

僕のような子供が勝手に判断して良い事じゃ無い。うつむいて無言の僕にフィオリーナは優しく声をかけてくれた。


「ご主人様があたしの事を考えて下さっているのは嬉しく思います。ありがとうございます。それと」


フィオリーナは少し悪戯っぽい顔をした。


「早くお家に帰られた方が良いと思いますよ」


「あっ、そうだ!マリに怒られる」


慌てて倉庫から出ようとした僕は振り返る。


「明日も来ても良い?」


「勿論です、ご主人様。でも怖い方に見つからないように」


僕は「うん」と返事をすると倉庫から飛び出して行った。





それから僕は毎日のようにフィオリーナに会いに行った。

フィオリーナは倉庫の片隅でいつも目を閉じていた。88年前に造られたアンドロイドだからいつ機能停止してもおかしくは無い。

でも、僕が心配そうに声をかけるとフィオリーナは目を開けて花のような笑顔を見せてくれた。


僕はフィオリーナと色々な話をした。

僕の話をフィオリーナはいつも優しい笑顔で聞いてくれた。

フィオリーナも僕に色々な話をしてくれた。フィオリーナの声は静かだけどキレイな泉の水のように僕の心に染み込んでくるようだった。その香りと共に。


「ねぇ、どうしてフィオリーナからはいつも良い匂いがするの?」


「これは花の香りです。ご主人様が仰ってくれたように実際にフィオリーナと言う花があるんですよ」


僕はちょっとビックリした。


「ホントにフィオリーナって言う名前の花があるの?」


「はい。ビオラとも言いますが。スミレ科スミレ属の花です。フィオリーナにも色々な種類があるんですよ。ゴールド、ベルベットゴールド、オーロラ、ブルーイエロー、レッドフレア、スカイブルーなどです」


僕は「ちょっと待って」と言うと端末からスクリーンを浮かび上がらせた。

そして、フィオリーナで検索すると沢山の花の画像が現れた。

フィオリーナはちょっとビックリしたようだけど嬉しそうに顔をほころばせた。


「スゴイ。あたしが稼働していた時にはこんな技術は無かったですから」


「君はどのフィオリーナなんだろ?」


僕の問いかけにフィオリーナは戸惑ったように恥ずかしそうな顔になった。


「・・・それは、あたしには判りません」


最後の方は消え入りそうな小さな声だった。



翌日、僕は小さな花束を持ってフィオリーナの所へ行った。

彼女を喜ばせようと思って。


「はい、フィオリーナ。プレゼント」


僕は得意げに手渡した。


「まぁ、これはビオラですね。ご主人様はどうしてこれを?」


「マリに聞いたらウチの庭にもビオラは咲いてる、って言われたから。あれ?」


ビオラの花束を膝の上に置いたフィオリーナは少し悲し気に見えたからだ。


「どうしたの? 嬉しくないの?」


フィオリーナはゆっくりと首を横にふる。


「ご主人様のお気持ちはとても嬉しいです。でも、もう花は摘まないで下さい」


「どうして?」


「・・・摘まれた花は枯れてしまいますから」


フィオリーナの小さな声が倉庫の中に響き渡るように感じられた。





それから1週間。

僕はフィオリーナと会う事は無かった。

学校の課外授業で家を離れなければならなかったからだ。家に帰って来た僕はすぐにフィオリーナに会いに行った。


僕が声をかけるとフィオリーナはいつもの笑顔を見せてくれた。


「ご主人様、お会い出来て良かった。今日が最後の日ですから」


「最後? 最後ってどういう事?」


フィオリーナは顔を伏せて話し始めた。


「ご主人様に起動させて頂いた時にあたしはあたしの中の核融合炉が暴走し始めているのを知りました。あたしは直ちに核融合炉を停止させました。蓄電池の電力でご主人様とお話する事は出来ましたが。その電力もあと僅かで、あたしは機能を停止します」


「そんな!そんなの嫌だ!絶対に嫌だ!」


僕の目から涙が溢れた。


「泣かないで下さい、ご主人様。あたしは幸せでしたから」


笑顔のフィオリーナの両目から涙がこぼれていた。


「・・・フィオリーナだって泣いてるよ」


「え?」


フィオリーナは動かない筈の左手で涙に触れた。


「・・・これは冷却水です。でも変ですね。あたしには目から冷却水が出る機能なんて無いのに」


冷却水、いや涙を溢れさせながらフィオリーナは喋り続けた。


「あたしはこの世に存在する事が出来て幸せでした。そして、最後をご主人様に看取られて。あたしは・しあわせ・・でした・・・」



「フィオリーナ!フィオリーナ!」




フィオリーナは動かなくなっていた。




名前と同じ、花のような笑顔のままで。




僕にはそこにフィオリーナが咲いているように見えた。








終わり


フィリップ・K・ディック氏とリドリー・スコット氏に心からの敬意をこめて





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