駆け落ち前のスタミナ回復

天井つむぎ

愛の力で回復! よーい丼!

「えっと。何があったかなあ」

茉莉が小さな冷蔵庫に顔を突っ込む。うんうん唸っていたけど、作る品は決まったようで扉を早々に閉めた。

「卵、バラ肉、マグロのお刺身……うん!」

「どんなの作るの?」

臍を茉莉に向け、私は山座りをしながら聞く。

「冷蔵庫の残りをぜーんぶ使ったスタミナつくどんぶりもの!」

ピースサインを送られ、早速彼女はキッチンに立つ。結び目の歪なリボンが解けそうになっており、調理開始前の彼女のところへ寄って結び目を固くした。

「ありがとう! 美結ちゃんは器用だよね」

見返り美人。明るいオレンジ色のボブヘア、向きたてタマゴ肌、二目の瞳とぷるぷるの唇。どれ一つとっても愛らしく綺麗な部位をも凌駕する、満面の笑み。例えるなら果汁100%のオレンジジュースだ。

「茉莉が不器用なだけよ」

「がーん!」

器用なわけあるもんか。半熟ゆで卵を作ろうとしたら黄身が固くなり、そもそも卵割りだって危うい。三回に一回の成功率だ。

「美結ちゃんは作業やっていて。ちゃちゃっと作っちゃいますから」

見学されるとゲテモノ料理になってしまう、なんて鶴の恩返しじゃあるまい。

週に一度マンツーマンで教えてくれる彼女は、料理を作っている姿を見られるのがどうやら恥ずかしいらしい。

「わかった。楽しみにしてる」

苦楽を五年共有した仲だ。彼女の調理過程を覗けないのは残念だが、誰だって恥ずかしいことの一つや二つある。

ちゃぶ台の前で正座し、リュックからスケッチブックを取り出す。私は普段、風景画を描く。SNSでリクエストを募り、依頼者が撮った写真や想像力を元に絵を起こす。コミュ障のイラストレーターと依頼者の間を取り持ってくれるのはもちろん茉莉だ。

しかしながらこれは依頼用でもなかった。

彼女の後ろ姿をスケッチブックへ描いていく。使用するのは消しゴムとHBの鉛筆のみ。料理に夢中な彼女を、白と黒の濃淡でどこまで表現できるのかが腕の見せどころだ。といっても、誰かの評価や鑑賞してもらうために鉛筆を動かしているわけじゃない。

フライパンの中で油がパチパチ弾ける音。ふわぁと炊けたご飯が木ベラで炒められ、香ばしい匂いへ。想像力を掻き立てられた。

彼女の背中とスケッチブックを交互に見る。時折聞こえていた鉛筆の音が、可愛げのある鼻歌でかき消された。一昔前流行ったJPOP。リズム良く野菜を切りながら、だ。

低音パートで私も口ずさむ。

「美結ちゃんってば、その曲大好きだね!」

地獄耳を持つ茉莉はくるりと振り向き、またにっこり笑う。胸の奥がきゅうとなる感覚を伴い、見つめ返せず視線を落とした。

今の可愛いところ、絶対表現してみせる。

絵の彼女とはいくらでも視線を絡められるのに、本物相手だとまだ少し無理だ。大事な存在なのに情けない。

じゅわああ。甘辛いタレとお肉の匂いが六畳の部屋に漂い、透明な水滴が描いた線をぼかす。慌てて手で口元を拭った。

「ふんふふーん」

キッチンの周りを移動する茉莉の足元がまたリズムを刻み出す。爪先をとんとん、と。踵をとんたたん。

ほんと、楽しそうに料理するな。

その動きも絵に取り入れた。


しばらくすると、カシャカシャと音が鳴る。茉莉が料理し終わった合図だ。ただ、彼女にとって記録でしかなく、映えへのこだわりもない。撮影が完了し、私もテーブルへ運ぶのを手伝う。取っ手が紫とオレンジのグラスに烏龍茶を注ぎ、席に着いた。向かい合わせに座るといっても、小さなちゃぶ台なのでほぼ隣。

「「いただきます!」」

出会った当初はバラバラだった挨拶もこの通り。

「マグロと生姜焼きを一緒に乗せるとは大胆だね」

照りがあって艶やかな豚バラ肉と玉ねぎ。艶やかなマグロがゴロゴロ。どんぶりのご飯を覆い尽くし、頂点にはふわふわ白身のポーチドエッグが乗っている。空腹は限界を迎えた。

スプーンを手に取り、まずはお肉からいただく。柔らかく脂身もあってジューシー。とろっとした玉ねぎと最高に相性抜群。千切りされた生姜のアクセントもよく、甘辛いタレがよく絡んでおり、一枚だけで何杯もいけちゃう。ご飯も抜かりなく、チャーハンからぷちっと甘めのコーンが感じられて楽しい。

食べていたら、黙々と食べる茉莉と目が合った。

「美味しい?」

「ほいひい。……うん、く。もしかしてとうもろこしの芯、一緒に炊いた?」

実はさっき、炊けたお米から甘めのとうもろこしがふわりと香ったのだ。

「ピンポン、ピンポン大正解!」

茉莉は頭上に腕で丸を作り、にこにこ笑う。当てられて相当嬉しかったようだ。

次にマグロの部分。サイコロ状に切ってあって噛みごたえがある。

「マグロは醤油で漬けたの。あんまり時間なかったけど」

醤油で漬けたからか口当たりが濃厚だ。マグロの下に敷かれ、醤油が移った細めの海苔とご飯も美味しい。

さて、味変かな。

薄い皮からも強調するポーチドエッグを恐る恐るスプーンで割る。とろっり、と黄身の滝が流れ、どんぶりをかき込んだ。お肉も魚も、卵と一緒に食べるとどうしてほっぺが落ちるくらい美味しいのだろう。

はむっ、はむ、はむうっ!!

笑顔のまま見守る茉莉が横目に入り、口へ運ぶ手をゆっくりにする。

「あ、ごめんごめん! 美味しく食べてくれる姿に愛おしさを感じたの」

「そりゃ箸も進む……匙も止まんないくらい美味しいよ。茉莉の作るのはどれも絶品だから」

みるみる顔を赤らめる茉莉を前にして、正直に伝える。紛れもない本心だった。

「そ、そんな普通だよ! 褒めても何もでないってば」

「普通じゃない私が保証する」

「もお! 美結ちゃんも練習すればなんとかなる。それに、今回だって適当にレシピを組み立てて作ったもん。上手な人は100%美味しいものを作れるでしょ?」

つまり、こう言いたいのだろう。「自分が作るのはリスクもあるアドリブ料理ばかり」だと。だから褒め言葉に値しない。長年の勘が教えてくれる。

「……極論を言うと、見た目とか上手さとか関係ないと思ってる。お腹の中に入れば全部一緒だし、私は誰かのお腹を空かすこともできない」

実際、黄身が硬いゆで卵だとしても火が通っていれば食べられる。胃の強さには自信があった。

「茉莉くらいの次元だと適当なのかもしれない。でもね、食材も少ない中、いつも美味しいものを作ろうと頑張ってくれる。私はその気持ちがとにかく嬉しい。実験相手でもなんだっていいよ」

「良くない! 適当とは言ったけど、美結ちゃんのことを実験相手だなんて一度も思ったことないよ」

キレるところはそこなのか。真っ直ぐ見つめられたら、こそばゆくなって目を逸らした。

「うん、わかってる。……最後の晩餐もありがたくいただくよ」

もうすぐどんぶりの底に着く。名残惜しさで満たされた心が少し萎む。

今夜が最後の晩餐となった理由は、私のせいだった。血縁関係が薄い両親といざこざを抱えており、なおかつこんな弄れた性格た。社長令嬢である茉莉に相応しくない、と南城家には未だ関係を許されていない。認めて貰おうと日々努力はしてきたが、結果的に彼女と両親の仲を引き裂こうとしている。

ごめん、私のせいで巻き込んで。

食べていたから言えなかったんじゃない。口内はもう空っぽ。喉の奥で言葉が詰まるような感覚に陥っていた。

「最後の晩餐じゃないよ」

首を傾げた私を見て、茉莉は笑う。雨風酷い嵐が来ても、彼女の笑顔で全部吹き飛ばしてしまいそうなそれ。

「これからパートナーになるんだよ? 二人で世界あちこちの美味しいもの食べに行ったりー、駅弁食べて日本列島制覇しよ!」

「食べること……ばっかりじゃん」

「もしかしてー、ご飯に嫉妬した?」

「ばかまりな」

「馬鹿まで言うことないじゃんかー!」

揶揄ではなく、食への愛が溢れる彼女らしい未来図だ。肩を揺らしつつ、ブスな表情を見せたくなくて顔を伏せる。

私はまだ人間ができていない。大好きな彼女と人生を歩めるのに、責任の重さに狼狽えてしまう。

鼻を啜り視界が震える私の手を、茉莉は包むように握ってくれる。体温がとても高い。冷えた汗が蒸発していく。

「美結ちゃん……美結。どんな時も私の隣には絶対、あなたがいる。逆もそうだよ」

「うん、……うっん」

「明日の朝も、昼も、夜も。十年後も、百歳になったって。美結のお腹も心も満たしてあげる」

綺麗な顔が近付いてきて驚くと、はむっ。

「うーん。しょっぱい米粒だ」

「何それ意味わかんない……ふふっ」

私達は今夜、逃げる。縛りのあるこの街から、痕跡を一つ残さず。

「じゃあ、明日の朝は電車で塩むすび食べよ。どっかで美味しいものあったらそれも買おう!」

行き先も詳細なことも決めていないけど、何年か前に二人で描いた夢。

『早川美結さんっ! 毎日、私のご飯を食べてくれますか?』

皺ができるくらいエプロンを握り、顔を真っ赤にさせながら告白されたあの日を思い出す。

「茉莉と一緒に食べるご飯、楽しみだな」

幸せなため息を吐けば、むぎゅむぎゅと茉莉が抱き締めてきた。

「もー美結ちゃん、大好き!」

「わぷっ。……ん、私も」

「えへへ〜。あ、このどんぶりの名前、もっと違うのにしよ」

「『冷蔵庫の余りを全部乗っけたスタミナ丼』も結構ありだよ?」

海と陸の産物。本来なら交わらない食材達だ。

「食堂開いた時、お客さんが遠慮しちゃうじゃん?」

「えー初耳ぃ……」

まさか食堂を開くつもりでいたとは。

好きが高じて料理人になる人もいるくらいだ。それに、茉莉の手料理で幸せになる人が増えるなら悪くない。

「その名も『愛盛りドーン!』」

「アイモリドーン?」

「美結ちゃんへの愛情と、スタミナ回復からのよーいドーンをかけてるの」

「どうかな?」と無垢な笑みを浮かべるものだから、頭を抱えたくなった。

可愛すぎる。愛らしくてヤバい。

「ダメかな? 何か良い案ある?」

「『愛の力で回復! よーい丼!』とか? 茉莉の案でいいよ」

冗談で言ったつもりだったのに、数年後、一言一句変えずに実装されてしまうことを私はまだ知らない。

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駆け落ち前のスタミナ回復 天井つむぎ @Amaitsumugi726

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