土曜のオムライス
SOLA
想い出食堂 「愛は かくれている」
「『想い出食堂』?」
足が止まった理由もわからなかった。
その日、宏は「なぜか」家に帰る気が失せ、「なぜか」いつもと違う路線に乗り。「なぜか」見知らぬ駅で降りた。「なぜか」はよくわからないが、「なぜか」知らない街をふらふらと歩いているうちに、「なぜか」小さな食堂を発見し、「なぜか」その店の前で足をとめ、「なぜか」店の名前を呼んだのだった。
店の名前がわかったのは、えんじ色に近い深い紅い暖簾に『想い出食堂』と書かれていたからだ。外観は木造一軒家。「もうね!こちら昭和から建っていますからね!」と、建物から勝手に自己紹介してくるような庶民的な木造家屋。ガラス越しに店内を覗くと、『豚汁定食』『お酒はお一人さま二回まで』と手書きの貼り紙、そしてコの字型カウンターが見える。
あの人気漫画を思い出さずにいられない建物に思わず「おいおい、大丈夫か」などと笑いながらも、宏のなかで芽生えた好奇心はむくむくと成長し、ニョキニョキっと足が生えてしまった!
「『言えばなんでも作るよ』てか?」
妻には夕飯は要らないと連絡済みだ。孤独のグルメごっこをするくらいの小遣いならある。
マスターは片目に傷がある作務衣姿であってほしいなぁ、なんてこみあげる期待を込めて勢い良くガラッと木戸を開けると、少し濃い目の桃色の着物を纏った女将がいらっしゃい、と微笑んで迎えてくれた。
入って右手の店の奥にはいまどき白いレトロな灯油ストーブが煌々と燃えており、その上でシュンシュン、とヤカンが湯気を立てている。コの字型カウンターもイスも全て木製で、いまどきのオシャレな昭和レトロではない垢抜けなさがどこか懐かしく、ストーブともあいまってか、あたたかな店内に緊張がゆるんでホッとした。
店内に客は誰もいない。カウンターの真ん中に座ってみると、女将が湯呑みに白湯を出してくれた。ゆっくりとそれに口をつけながら店内をぐるりと見渡している宏に女将がこの店の説明を始だす。
「うちはメニューがないの。そのかわり、食べたいものを言って頂戴?フォワグラとかキャビアなんてのはないけどね?まぁ、あるもので大抵のものは作るわよ」
「ぶっ!!」
聞きたかった期待通りのセリフに宏が胸を熱くする。
「どうしようかな。えっと、それじゃあ、赤いウィンナーあります?それと卵焼き!」
宏としては長年愛読している大好きな漫画を重ねて注文をしたのだが、目の前の女将が黙って首を振る。ケバケバしくない程度に紅い口紅と、後ろでまとめ上げた艶のある黒髪から溢れた数本の後毛が色香を感じさせながらも、どこかでもう会えない母親が重なった。彼女に瞳を見つめられてドキリと胸を高鳴らせると同時に、なぜか視線が外せない。
「それはあなたが食べたいものじゃあないでしょう?」
「いやぁ、あの、えっ…」
たじたじになっている宏に、女将はくるりと踵を返して店の奥に消えた。冷蔵庫からピーマンや玉ねぎといった平凡な材料を出してきた女将は「あなたの食べたいものを作るから。ちょっと待っててね」といって目の前のカウンターで料理を始めてしまったのだから、宏としては予想外の展開に驚きだ!
『随分あの漫画と違うな?』なんて首を傾げながらも、『まぁ、現実はこんなもんか』などと期待外れを癒すようにスマホをかまっていればーー「おまちどうさま」と声が降ってきた。
「あ!」
目の前に差し出された皿の上にはケチャップがまとわりついた真っ赤なご飯と、それに絡むように半透明に炒まった玉ねぎ、火が通り過ぎて黒っぽいピーマン、そしてペラペラのハム。そこには肉汁あふれる鶏肉がゴロゴロ入ってなんていなくって、紅い色と相対する美しい翡翠色のグリーンピースもない。なのに、それなのに!この真っ赤なご飯に心が跳ねずにはいられないのだ!
「あなたが食べたかったものは『これ』でしょう?」などとグラスの水を差し出しながら問いかける女将の声にマトモに応える間も無く、宏は「いただきます」と手を合わせるや否や、スプーンで山盛りのケチャップライスをばくり!と大きな口で頬張った。舌の上では独特の酸味となにやら粉っぽさがふわりと踊り跳ね、懐かしい記憶を記憶をくすぐりだす。
「あぁ、これだ」
宏はたった一言だけそう呟くと、勢い良くガッガッと真っ赤なライスをかっ込みだした。噛んだ玉ねぎはシャキッと甘く、小さめに切ったピーマンがどこか苦い。玉ねぎはくたくたになるまで火を通していないせいでシャキシャキしているなんて、レストランでは絶対に食べられない味。米を一気に大量に飲み込むのは久しぶりだったのか、「ん!ん!」とグラスの水で一気に流し込んではハァ、ハァ、と肩で息をしている。
女将は何も言わない。黙ってゆっくりと白湯を飲んでおり、二人きりの静かな空間にはスプーンが皿に当たるカチャカチャの音だけがよく響く。あんなに勢いよく食べていた彼の所作は次第にゆっくり、ゆっくりになってーーやがてスプーンの手を止めた。あとひと口、ふた口が皿に残っているというのに、先程とは打って変わって、口に運ぼうとしない。
「もったいないなぁ。これ。とっておけないかなぁ」
少年が宝物をどこかに埋めたいと言うようにキラキラ輝く瞳には、どこか一方で「無理だよね」と憂いた影と「だけど!でも!」なんて希望を帯びている。
美しいその眼は溜まった涙で潤んでおり、彼はシワがあり、白髪も多くなったた五十歳過ぎの中高年だが、その瞳はまごうことなく十歳の少年のものだった。
「そんなに美味しかった?」
「どうでしょう。自慢じゃないが妻は料理上手でね。それに材料もずっと豪華ですしーー」
「そうよね。こんなペラペラハムなんてきょうび使わないわよね」
女将が笑うと、宏も観念したかのようにかぶりを振って。すぅ、と大きく息を吸っては吐いた。
「ですがーー私が一番食べたかった味でした」
「そうでしょう?」
「私にとっては世界一ウマい、母親のケチャップライスの味です」
涙混じりの声に混じって、ずぅ、ずぅ、と鼻水を啜る音が響く。齢五十過ぎの男が涙を流して飯を喰らおうとも、女将は怯まないしうろたえない。
女将が口を開いたのはシュンシュンとヤカンの湯気の音が彼の泣きじゃくる声より大きくなった時だった。
「この『想い出食堂』で『想い出メシ』を食べた人にはね?お代としてご飯にまつわる想い出を話してもらうの。ねぇ?あなたの想い出話を聞かせてもらえる?」
「はぁ」
宏は普段なら初対面の人間に自分の話などしない。世間では中高年のオヤジと呼ばれる年齢になったにもかかわらず、初対面の人間とは天気だのペットがどうのこうのといった無難な会話を終わらせることで精一杯だ。先日も付き合いで行ったキャバクラだって、初対面の女性に自分語りをどのようにすればよいのか解らず戸惑った。一緒に行った仲間どころか自分の妻にまで真面目すぎると笑われたほどなのだから。(そんな素朴さが魅力なのだと笑ってくれた彼女こそ、ホステスよりも輝いているなんて思えたのだけど)
だが、今は自分以外に他に客がいない。なによりこのケチャップライスを作ってみせた女将になら、なぜか自分のことを話しても良いような気がしてーーいや、話したい。聞いて欲しい。
自分の幼い頃を、このケチャップライスが美味しかった理由を。ずっと食べたかった理由を。妻にも話してはいけないと蓋をしてきた言葉を。
「このケチャップライスは私の母の定番料理でした」
****************
まだ土曜日の午前中に学校があったあの頃。土曜日の昼ご飯の定番といえばスーパーのコロッケかインスタントラーメンかチャーハンが定番だった。
母親たちからしたら送り出した二、三時間後に子供が帰ってくるのだ。朝の送り出し戦争が終わったのにおちおち休む暇もなく、今のようにいちいち映えがどうのこうの他人の目線や評価を気にしなくてよかった時代。自分以外の家も大体似たような昼ごはんで、むしろ違う家なのに給食のように同じようなメニューであることが子供たちにとってはどこかくすぐったくて嬉しくて「おまえんとこも?」なんて笑ってさえいた。
学校から帰って、かっこむようにお昼ご飯を食べて出かければ、たっぷり四時間は遊べる!ご飯を食べる時間がもったいないけれど、ご飯を食べないと遊べない。少年たちは幼いながらも葛藤と闘っているのだ‼
宏もそんな少年の一人だった。ごちそうさま!と言いながら、食べ終えたお皿を台所に持っていきもせず、んぐ、んぐ、と口の中のコロッケを飲みこみながら玄関に走り出す。
「どこ行くの」
「だいちゃン家!」
母親がお皿を運ぶよう言っているのが聞こえるが知ったことじゃない!はやく!はやく!いそげ!いそげ!宏は急いでビニールにアニメキャラが印刷された靴を履く。靴下なんか履いてられない!そんな時間が惜しい!
「行ってきます!」
こぼれ落ちるように玄関から飛び出したら「うちゅうぜっと」と名付けた近所のお兄ちゃんからのお古の六段変則自転車にまたがって。体力の限りに叫びながらスイッチを入れると、ウィンゴウィンゴ、キュー〜ん!(ガガ)と宇宙的UFOをイメージしたかすれた電子音がうるさく響いた。
「だーいーちゃーん!あーそーぼ!」
商店街に住居兼店を構える大輔の和菓子屋の引き戸を開けながら大きな声で呼べば、「まってぇ」なんてシャツに短パンの大輔がやっぱり口をモゴモゴさせながら出てきた。子供たちは今みたいに水筒なんか持ち歩かない。喉が乾いたら公共の水道で喉を潤したし、友達と駄菓子を買うことになったらまた家に戻ればいい。やっぱりキャラクターがプリントされた「ズック」を履いたら自転車に乗って出発だ!
「行ってきまーす!」の声は両隣三軒先まで響くほど大きくて、どこ行くのと親が奥から呼びかけると、大輔はさらに大きな声で「神社!」とがなった。
(急げ!急げ!)
大輔がまたがった黒光りの自転車も商店街の誰かの家のお古のものだ。変速レバーはないけれど、やっぱりボタンがあって、それを鳴らせばひとたび暴走族や宇宙特捜隊になれる‼
くたくたにくたびれた砂ぼこりの体で帰れば夕ご飯が待っている。宏の家庭では土曜日の昼飯はたいてい総菜のコロッケか、夕飯はカレーやなにか洋食的なものが多かった。母親の手軽さからシチューやカレーが多かったけれど、宏はときおり食べられるこのケチャップライスが楽しみでしょうがなかった。普段は魚や納豆と味噌汁の食卓に、レストランのようなメニューが並ぶ土曜日は本当に「特別」だったのだから!
「やったぁ!」と嬉しそうに笑っておどける次男に母親が微笑み、食卓の準備をする姉が「あんたも手伝いなさいよ」と眉をひそめている。
友達の家でも食べたことはある。それはお肉が入って、薄焼き卵がのっていて、自分と友達のには名前が書いてあって、友達の妹のオムライスにはハートが書いてあった!贅沢で美味しくって美味しくって美味しかった。ーーけれど、なにかが違った。
外食先でも食べたことがあった。レストランで頼んだオムライスにはグリーンピースがのっていて、ピーマンが入っていないことに驚いたものだ。
母親が作るケチャップライスに薄焼き卵はのっていないし、グリーンピースもない。コメはあんなにきれいな真っ赤じゃない。大人になればその正体を探ろうとでもするが、子供のすごいところは「そんなもん」と受け入れていたところだし、むしろ母親の料理が正しくて他所の料理がおかしい、間違っていると思っていたところだ。
「うめぇ、うめぇ」と宏が食らい、兄も姉も、父も母も笑顔だった。ケチャップライスと一緒に並んでいたのは豆腐とワカメの味噌汁やほうれん草の胡麻和えだったけど、あの頃はレストランのような洋食を食べていると信じていた。
「それ」は十八歳まで普通に食卓に並び食べられていたが、大学進学をキッカケに宏一人暮らしを始めるようになり、就職、結婚と宏が自分の人生を歩んだときには、「母親のケチャップライスを食べていない人生」が普通の人生になっていて。帰省した時もわざわざ作って欲しい料理でもなく、「おふくろの味」だったら豚汁や豚肉で作るカレーの方がよっぽどだ。
そんなケチャップライスを「食べたい」とふと思ったのは母親の一周忌のあと。
五十歳のとき母親が死んだ。「人生八十年」と聞く昨今、七十代でこの世を去ったことが早すぎるかも遅いかも相応かも判らない。
身内が気がついたときには全身が癌で侵されていたが、亡くなる二ヶ月ほど前には旅行に行ったりなどそれなりに人生を謳歌していたのだから、本人も自覚がないほど苦しみ過ぎず眠るように息を引き取れたことは、それなりに幸せだったのではないかと葬儀の後に兄姉達と話したところ。
「それ」は一周忌の会食も終わり、キョウダイだけで緑茶で一服していた頃、兄の徹がゆっくりと口を開いたのがキッカケだった。
「俺さ、母さんのキントンが好きだったな」
「うん、美味しかったよね。ミカンの缶詰が入ってる奴ね。アレって今だと逆に贅沢なのよねぇ」
兄と姉がしみじみと語るのは母親の料理について。当たり前に食べていたことが当たり前じゃなくなる。こんな風に慰めるでもない想い出話ができるのは、母が亡くなったことに慣れてきたおかげだ。
「私が好きだったのは鶏汁かな。豚汁とは違ってもやしが入ってるのが好きだったなぁ」
「大学行ってから作ったら驚かれたよ。豚汁じゃないのかって。別モンだよな」
「それ言ったらウチのカレーもじゃない?オレ、カレーに鶏肉とか牛肉とか派閥があるって大学行ってから知ったもん」
ここで宏も参戦すると「佐藤家あるある」なのか二人がうなずく。
「世界は広いって思うのって大学生になってからじゃない」
「昔はオフクロの料理が絶対基準だったからなぁ」
兄の徹がゆっくりと湯のみを傾ける。頷きながら微笑む姉の恵子は年々母親に似だしており、顔どころか手や首のシワの位置まで同じではないのかと思うほどそっくりだ。
「そういえばさぁ。おふくろのケチャップライスってなんか変わってたよな」
「は?」
「そう?」
宏としては佐藤家あるある話に兄姉が頷いてくれなかったことが意外だった。
「ほら、えっと。ウチのは『オムライス』じゃなくてケチャップライスだったかなって」
「あー」
それはわかる。卵のってなかったもんな」
「めんどくさかったのかしらね」
外食のグリーンピースに驚いたこと、他所の家ではのせられた薄皮たまごにケチャップで名前が書かれていた衝撃。昭和の子供あるあるだろうか?それともこの佐藤家だけの話だろうか?
「作る家によってケチャップの濃い薄いとかもあったよねぇ」
「カルピス的なやつだよな。味が濃いほど金持ち」
「そう、それそれ」
兄も姉も昭和のあるあるに笑っている。が、宏だけは二人に合わせた嘘笑いをしていた。(彼らにとって母親のケチャップライスは特別でもなんでもなかったというのか?)
「姉さんてさ?ケチャップライスになに使ってる?どんな風に料理してる?」
宏としては話の矛先を変えられては困る、と無理やり戻してみせたのだが、ついつい声を荒げてしまった。
「ええ?普通よ?」
「その『普通』が聞きたいんだよ」
「細かく切った鶏肉と玉ねぎを炒めて、ピーマン炒めて、塩胡椒をしたらご飯を炒めて最後にケチャップで味付けしてーー」
「それっておふくろと同じ?」
「どうだろ?あたしも自己流だからさ?こんなの別に教わるほどのものじゃないし……母さんが作ってるとこなんてわざわざ見たことないしね」
「そうか」
主婦の恵子にとってはなんてことのない料理すぎて、かえってコツなんてないという。考え込むと、普段は料理なんてからきしな徹も話題に入ってきた。
「レストランみたいにグリーンピースはのせてないのか」
「ピーマンで充分彩りになるもの。冷凍をわざわざ買うほどじゃないし。いまどき旬以外に買う方が逆に難しいわよ。
思うんだけど、グリーンピースが入ってるのって、レストランだからこそいいんじゃない?」
「なるほど」
姉兄が笑う横で宏だけがしかめ面。
材料を切って、炒めて調味料をかけて。超絶シンプルなイタメメシはカレーに次いで子供が作る王道料理だ。自分だって家に居た十代の頃から、自炊時代から、何度も何度も作った。だけどいつも不思議だったのは「母親の味にならない」こと。
ケチャップ以外になにがあるのだろう?ウスターソースをかけてみたし、とんかつソースもかけてみた。だけどなにかが違うのだ。自分たちの生まれ育った家はごく普通で、特別な海外調味料などはなかった。あの頃は今と違って海外の調味料は「舶来品」であり、スーパーで気軽に手に取れるものではなかったのだから。
何度も何度も試行錯誤したけれど、やっぱり違う。謎は深まるばかり。姉か兄に聞けば、今日こそは謎が解けると思ったけれど、姉兄たちの話題はとっくに別になってしまい、もう母親のケチャップライスについて話すことはできなさそうだ。
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「自炊ってなにを作ってるの?」
「その日によるよ。卵かけご飯も食うけど目玉焼き丼とかさ?あとはまぁ周りの食堂が安いからさ?あ、金が無い時はメシにソースかけてる。ソーライスって知ってる?すげぇ美味いんだけどーーーー」
「まぁ!」
楽しそうに笑う宏に対して由美子が目を丸くしている。
大学時代に出会った由美子と親密になると、彼女はすぐに自分の飯を心配し出した。野菜を食えだの、うどんばかりはいけない、などと、自分の母親以上に口うるさい。彼女は友人関係や趣味、麻雀に金を使うことには口を出さなかったが、「一週間連続でソースかけご飯」なる食事をしていたことがバレたら、「しばらくご飯を作ります」と、アパートに出入りするようになった。当時は友人達に「世話焼き女房」と揶揄されるのが少し恥ずかしくもあったが、誰かが自分を機にかけてくれる嬉しさの方が勝っていたことが真相だ。
彼女の手にかかると、炒め物で終いになるはずだった玉ねぎやニンジンはあたたかいシチューの具材になり、進学以来、数年ぶりにマトモなハンバーグを食べた時は「美味い!」と心から感嘆したものだ。ひき肉のカレーも、野菜が多めのナポリタンスパゲッティも、自分では決して作らない。
美味い美味い、と食らうと由美子が笑う。彼女は決して美人という枠ではなかったが、愛らしいその笑顔に惹かれた。彼女の料理を食べて笑うほど彼女が笑う。その笑顔をずっと見ていたかった。
少しずつ悪友達と麻雀やタバコを吸う時間が減り、由美子と過ごす時間が増えた。一緒にスーパーに行くことも、麻雀に消えていたアルバイト代が二人の食費に移り変わることが幸せだと素直に思えるようになったころ。
「今日はオレが作るよ」
「だいじょうぶ?」
「任せとけって」
料理上手な彼女に向けて宏がマトモに作れるインスタント焼きそばは偉大だ。チキンラーメンと一緒にノーベル平和賞を授けたい。のハズの、「誰が作っても美味しいはずのインスタント食品」がべちょべちょになってしまったわけだけど。
「ごめん」
「ううん?私のために作ってくれたことが嬉しいよ」
うなだれる宏に向けて彼女は怒らなかった。どころか笑って食べてくれている。それでも落ち込んでいる宏をなんとかしたかったのか、彼女は台所に向かった。
「ねぇ!こうすれば美味しくなるんじゃない?」
由美子はべちゃべちゃだった焼きそばに少し焦げ目がつくほど水分を飛ばしては焼き直し、さらに目玉焼きを載せるなどの工夫をしてくれた。
「ほら、あなたが失敗してくれたおかげでいつもより美味しいわよ?」
その彼女の笑顔に胸が締め付けられーー愛おしさがこみ上げて。宏には「もっと料理上手になろう!」という発想はなかったけれど、彼女を手放したくないと抱き寄せるには充分だった。
「飯を食えって言うオンナと飯食いながら笑えるオンナは手放すな」という上司の言葉がプロポーズの背中を押してくれ、宏が社会人になって三年めの六月に二人は同じ苗字になる。
結婚してからも宏は幾度か料理はしたが、正直な話、自分より妻の方が断然上手い。自分では野菜や肉は炒めたら完成だと思っていても、栄養や盛り付け、まさかの彩りなんて考えは及ばない。向き不向きがあるのだったら食べる側に回るのが正解だ。だからこそなにがあっても宏は由美子に「美味しいよ、ありがとう」と言い続けてきたのだ。
彼女が長電話をしていたせいで煮物を焦がした?電話が楽しかったのだと笑って報告してくれるのなら、それこそ調味料じゃないか。
失敗料理を子供達が正直に残しても、きちんと最後まで失敗料理を食らう彼女を見て惚れ直したと言えば彼女は嬉しそうに笑う。そうして決まって彼女は当たり前のように言う。
「あなたのお給料で作った料理を簡単には捨てないわよ」と言ってくれることがどれだけ自分を救ってくれただろう。
この二十年、安心して眠りにつくことができ、また電車に乗って出勤できるのは彼女の言葉に励まされてきたからだ。
由美子がときおり作ってくれるオムライスはそれはそれは美味しくて、ごろごろとした鶏肉は口の中でプリプリとジューシィで、くったり炒められた玉ねぎは香ばしく香りを放ち、苦いハズのピーマンはなぜか甘く、ケチャップのほどよい甘味と酸味、塩胡椒と隠れたコンソメのバランスが絶妙で、文句のつけようがなかった。
「おいしいね」とお世辞なしに宏が言うと、「うふふ」と嬉しそうに笑う。
自分だけでなく、昔から幼い子供たちからも評判が良かった。まだ偏食が激しかった幼い子供たちもよく食べるからと、ひと頃は「野菜炒めケチャップ味ご飯添え」と表現した方が早いほどのものもあったこと、さすがに宏がもう少しコメを増やしてくれと頼んだことは告白しておこう。
ひところテレビでケチャップライスの上にトロトロの卵がのったものや、デミグラスソースやホワイトソースをのせたものが流行ったときには主婦の腕が鳴ったのか(?)見事に再現したこともある。とろとろ卵はテレビのようにいかないまでも、豪華な見た目に、自分よりも娘が美味しい美味しいと感激していたことも記憶に新しい。
ある日、ピーマンは切って炒めるのではなくトースターで丸ごと焼いているのを見て驚い宏に向かって、ピーマンは丸ごと焼くと甘くて柔らかくなるので小さく切れば子供も食べやすくなるのだと誇らしげに教えてくれた。もう子供は小さくないが、今でも妻はそんな一手間を忘れない。まさに彼女は台所の魔法使いだった。
彼女の作るケチャップライスは豪華で華やかで美しく、、とてもとても美味しくて、世界で一番誇らしく、世界で一番自分が求める味ではなかった。
美味しいと言いながら、心から彼女に笑顔を向けているはずなのに、自分はどこかで嘘をついている。懸命に家族のために料理を作る彼女に「自分の母親の味を再現してくれ」と誰が言えるだろう。
自分が努力しても成し得なかったことを彼女に頼める関係こそ、打ち明けられる関係こそ、仲が良い夫婦ではないのか?
そんな正論や理想論は頭では解ってはいても、「それ」は言ってはいけない百年の約束じゃないか?
仮に言ったとして?彼女は笑顔で承諾するだろうがーーおそらくその笑顔は本物ではないだろう?
彼女を傷つけるのが嫌だと優男のフリをして、嫌われる勇気のない臆病な自分のことを見て見ぬふりをして、自分の本音に蓋をしてきた。
そんなに焦がれたケチャップライスも、実家に帰省すれば、やれ墓参りだの、やれなんだのとバタバタと時間が過ぎ、いざ母親の顔を見れば、「炒めた飯を作ってくれ」と頼むことを忘れた。そんなものはわざわざ言うほどのことでもなく、「その程度のもの」だったのだ。
もし「母さんの作るケチャップライスは世界一美味い」とでも言っていれば、もう一度食べられただろうか?
それよりも「私、結婚してから鶏汁を知りましたけど、お義母さまの鶏汁は本当に美味しいですね」という妻の毎年の言葉の方が、孫の「おばあちゃんのキントン美味しい」という言葉の方が百億倍大切だと信じていた。
自分だって最後に母親の料理が美味しいと言ったのはカレーだかなんだかで「ケチャップライス」ではなかったはずだ。母や妻の幸せを願えば、自分の願望なんて口にできるわけもなかったのだ。
****************
「これはーーどうしてですか?」
ゆっくりと顔をあげると、腰に手を当てにまにま笑いの女将が顔の横でシャカシャカと銀色の手のひらより小さな小袋を振っている。
「それは?ふりかけですか?」
「そ。正確には『ケチャップライスの素』って言うんだけど」
「初めて見ました」
「これが、あなたのお母さまのケチャップライスの秘訣」
「これが?」
カウンター越しに手渡されたそれは銀袋をいくつも収めた固い紙袋で、毒々しいまでに朱い米粒と一緒に『ケチャップライスの素』と印刷されている。それは平成や令和のような今時のセンスを感じさせず、パセリや福神漬けと言った、どこか懐かしい昭和なレイアウトやフォント、新しくない色使いが宏の子供時代をーーあの頃熱心に見ていたテレビ番組や、友人たちとの外遊びを、その後に食べる少し特別な土曜日の夕ご飯が一気に蘇る。
「おいしいね」
「おいしい!」
「おかわりある?」
「あるわよ」
「やった!」
「あたしも!」
「俺も!」
「ほらほら、お母さんはいいから。あんたたち、食べなさい」
姉兄弟三人が奪い合うようにガツガツ食らい、それを見て両親が笑う。あの頃は当たり前だった野球のナイターの生中継のアナウンスが聞こえる。テレビのコマーシャルになれば憧れのインスタント食品の映像が流れて、「あれ食べたい」と子供のなかの誰かが言って、母親がはいはいと生返事をして。オムライス、カレー、ハンバーグ、ナポリタン、焼きそば、ポテトサラダ、シチュー、コロッケ。あの頃の「洋食」はレストランに食べに行くよりも、テレビ越しに憧れ焦がれて食べたいと言えば母親が作るものだった。そんな「当たり前の愛」があふれていた。
妻は母と同じものを与えてくれていたというのにーー「それ」に気付けなかった自分の幼さに呆れてしまう。
両親の愛と一緒にご飯を食べて笑う少年の宏を遠くから見つめる大学生くらいの背丈だけが伸びて中身が子供なままの自分の頭を小突いてみせると、視界はあの頃のちゃぶ台ではなく、小さな食堂のカウンターに変わった。
「おそらく野菜だけ薄めに味つけしてご飯を混ぜたあとに最後にこれを振りかけたのよ」
「こんな商品があったなんて……知りませんでした」
クスクスと女将が笑うが、皮肉ではないことはわかっている。
「これはーー私の妻には作れない筈だ」
宏は銀の子袋を見つめながらも、自分の長年の謎の答えに脱力して、女将と一緒に笑った。
昨今のようにインスタント=悪という風潮がさほどなかった時代でも、妻は極力『××の素』を使わない人間だった。育児をしていたこともあったろうし、育った環境、彼女の母親の料理、なによりもともとの性分もあるだろう。そのせいか彼女の辞書に『グラタンの素』『おでんの素』などという『インスタント調味料』は存在しなかった。料理を妻任せにしていた自分は世の中にこのような商品が存在していたことすら知らなかった。
「そうか。こんなものがあったのかーーおふくろはこれを使ってーー」
母を手伝いながら台所に立っていた姉は知っていたかもしれない。だけど今、自分流で料理をする彼女は使っていない。「そういう存在」なのだ。
「『それ』で育った子供にとったらインスタントこそ『実家の味』よね?」
「本当にそうなんです!駄菓子屋のいかにも体に悪そうなお菓子も。悪とか正義とかそんなんじゃないんです」
毒々しい蛍光色のゼリーも、食べられるパッケージに包まれたグニャグニャのお菓子も、ボリボリと固くてしょっぱいラーメンも、全部、全部宝物だ。女将が微笑んでくれるのが、自分の過去を肯定してくれるようで。自分の思い出と想い出が優しく風呂敷に包まれたように、全身があたたかくなる。
「もったいない」「残しておけないかな」そう言いながら先ほど止めたスプーンを持つ手が動きだした。バクリ、バクリ、もう一口、と、口に運んでは水を飲みーーついに完食してみせた。
「ごちそうさまでした」
「あら、よかったの?」
「残しておきたかった正体がわかりましたから」
きっと一緒に食べていたのは、あのころ友人たちと日が暮れるまで遊んだ思い出や姉兄父母の笑顔。ケチャップライスと一緒に飲み込んだのは愛されることが当たり前だった日々。本当に食べたかったもの、作って欲しいと妻に頼めなかった理由、自分の幼さも弱さも全て平らげてしまえた。
「もう、大丈夫です」
「そうね。未来に向かって歩くのは良いことよ」
(お見通しだったのか)
宏が照れ隠しに笑いながら耳の後ろを掻いていると、女将は空になった湯呑みに白湯を注いだ。宏はアツアツのそれをちびり、と飲んでは、ふぅ、とため息を吐く。
「私は心のどこかで飢えていたんですかね」
「それは悪いことじゃないでしょう?なんなら奥さまに言ってもいいんじゃない?」
「それはちょっとーー甘えすぎです」
こんなときにもプライドが邪魔をしてかぶりをふる宏のことを女将がじっと見つめてーー
「良いことを教えてあげる」
「?」
ニンマリと笑う彼女の目尻には深いシワがあり、その刻まれたシワになぜか心が引きつけられた。
「心の隙が埋まらない人間ほど、過食や散財に走るのよね?心の隙を自分の『好き』な なにかで満たそうとするの。借金だらけになっても高級ブランドのバッグをもったり、過食症や拒食症の人間ってテレビで見たことあるでしょう?」
「はぁ」
テレビで見る過食症、買い物依存症の類は見たことがある。それを克服しようとした奮闘記の映像が宏の頭の中で流れた。
「心の隙は食べ物やモノやセックスや誰かからの好きでは満たせないの。自分の好きでしか自分の隙は満たしてあげられないのよ。それに苦しむから依存症や虐待が生まれる。わかる?自分の心の声を殺すのはね?自分を虐待してるのと同じなのよ?」
「ーーーーあぁ!」
女将の言葉が届いたようだ。
「今度の日曜日には私がこのケチャップライスを作ろうと思います。妻と、娘とのために。そして、このオムライスが好きだと言おうと思います」
「奥様、きっと喜ぶわ」
ゆっくりとおもてをあげ、そう呟いた宏に女将が微笑んでみせた。
(よく出来ました)と言われた気がして、心のどこかが緩み、腹のなかが温かくなる。
焦がれた味は愛されて当たり前だった頃の味。もう手に入らないと涙を流す必要はどこにもない。
****************
「また来ます、今度は妻も連れて」
そう言ってガラガラと音を立てて木枠の引き戸を開けて、蘇芳色の暖簾を潜れば、少しひんやりとした外気が心地よい。
ありがとうございました、と聞こえる女将の声に頭を下げ、宏の足が動き出す。
なんとも不思議な店だった。
今日は他の客をついぞ見なかったが、常連で成り立っているのだろうか?
今度行った時は赤いウインナーに卵焼きが食べられるだろうか?
飲んだ締めには是非とも豚汁定食を食べておきたいところだ。
客同士でアジフライで醤油かソース論争が起こったら、自分は醤油派に参戦したい。
角を曲がればタクシーが行き交う大通り。光が行き交うなか、そういえば店の名前はなんだったろうと確かめたくなり、元来た道を振り向いてみればーーつい今しがた歩いていた路地が見当たらない。
「?」
自分はどこを歩いていたのだ?キツネにつままれたとでもいうのだろうか?まさか今しがた食べたメシは馬の糞尿ではーーと昔の落語だかなんだかのようで冷や汗がでるが、正直、それならそれで良いのかもしれない。それよりも大切なのはこの数十年の空白が埋まったことだ。
ゾッとするよりも、なぜか「それでいい」気がした。「もう来るな」と言われているのなら、「そう」かもしれない。
宏は振り返り、立ち止まった脚を再び進めた。彼はもう、このまま歩いて家路をたどることができる。
************
「さぁ!できたぞ!」
宏が中華鍋ほど大きく深いフライパンを食卓の真ん中に置く。真っ赤なライスに熱の通り過ぎたピーマンの緑色、玉ねぎ、ハム、と決して今時らしくない、見た目シンプルな焼き飯だ。
「あら美味しそう」
「自分で言うけどね、ウマいよ」
『日曜日にケチャップライスをつくらせてくれないか』と宏が言ったとき、由美子としてはさてはテレビか漫画かあるいはネットに触発されたな?などと期待せずに笑っていたのだが、出てきたものは自分が予想していた数億倍シンプルなもの。驚いていないと言えばうそになる。
「実は昔からこれが好きで」
「へぇ」
宏がにこにこと皿に盛りつけて由美子の前に差し出す。いただきます、と言ってスプーンを口に運んで、自分が作ったことのない、食べたことのない未知の味に目を丸くする。酸味はあまり感じないし不味いとかそういうのではない、他にも、何もかもがいろいろ違うのだが、それらをすぐに表現できるほど、自分はグルメ評論家ではないし。
「これがケチャップライス?」
「そう。っていってもカラクリがあるんだ。ほら、これ。こんな素を使ったんだ」
宏はレトロなパッケージの紙袋を妻に渡すと、彼女はしげしげとそれを眺めている。
「へぇ。こんなのがあるの。最近新発売したとか?」
「違うよ。僕たちが子供のころかあった。昭和からの生き残りだ」
「そうなの!」
「嫌がられるかと思って言えなかったんだけどね。これが僕にとっておふくろの味なんだ」
「うん」
「土曜日の夕ご飯は月に一回か二回はこれがあってね。午前授業が終わって、半ドンの長い放課後、めいっぱい遊んだあとはこれを腹いっぱい食べたんだ。これ自体が美味しいっていうよ………きっとあのときの食卓が好きだったんだな。うまいうまいって食べて母親がおかわりをよそってくれて、姉貴や兄貴もおかわりしたいんだから残せって叱られて、両親が仲裁して、後ろではナイター中継が流れてて。横に並ぶのは味噌汁が多かったけど、僕にとってはレストランのものよりも美味かったんだよ」
「……」
由美子は黙って聞いている。嗤うでもなく、自分を責めるでもない。
「これが食べたいって言ったら君が嫌な気になるかと思って、言えなかった」
「そんなわけないでしょう」
「怒らないのか」
「二十代の新婚当時だったら私も怒っていたかもしれないわね。お義母様に嫉妬していたでしょうし、インスタント料理に自分が負けた、なんて怒ってたかもしれない」
やっぱり、と宏が顔をこわばらせるが、それを見たのか由美子がふわっと笑ってみせた。
「でも、もう私たち五十歳よ?育児もひと段落したし、結婚したばかりのころよりは成長してると言わせてくださいな」
「あぁ」
「今の私はあなたにとって大切なモノを教えてもらえた喜びのほうが大きいの。それに……好きな食べ物を言えないほど、何十年も気を使っていたんでしょう?ありがとう」
彼女はそう言って残りのケチャップライスに口をつける。世界一美味しい!なんてリアクションではないが、ゆっくりと笑って食べてくれるしぐさから、宏にとっては自分の思い出を大切に食べてくれているようで。
(そうだった。こういう人だった。だから……)
宏もスプーンで食べ始めたとき、由美子がゆっくりと口を開く。
「私の家の土曜日のお昼ってインスタントラーメンが多かったのよね」
「へぇ」
「それがどこかで寂しくって。だからインスタントを毛嫌いしてたのかもしれないわ?」
「そうなんだ。僕だったら嬉しかったと思うけど」
「子供を産んだら母の気持ちもわかったんだけどね。あなたみたいにいい思い出として解釈していればもっと違ったかもしれないわ」
「いやあ、だからこそインスタントを使わないで何十年も頑張ってきたんだろ。それもあなたの一部だもの。僕らの健康を気遣ってくれてたことをダ否定はしないでくれよ。おかげで健康診断で同年代よりいい結果出してるんだから」
「ありがとう」
自分の一言は数十年の妻の重荷を下ろせただろうか。
「土曜の昼は僕の家はコロッケだったな。それかメンチ。あの頃のメンチって古くなった売れ残りの挽肉を使ってたから臭くて不味かったんだよな。由美子が結婚してから臭くないメンチカツを作ってくれて、人生観変わったよ」
「大げさよ」
由美子が嬉しそうに笑う。白髪が生えて、しわは増えたが、飯を褒めると嬉しそうな愛らしい笑顔は出会ったころから変わらない。
「土曜は駄菓子屋に長く行けるんだよな」
「そうだった」
「覚えてる?ガチャガチャって十円だったの」
「そういえば」
「このあいだテレビでみたら二百円でさ。驚いたよ。カプセルに入ってるものは昭和だろうが令和だろうが相変わらず中身がなかったけど」
「入ってるのに、中身がないの?」
ウマいこといった、なんて二人で笑うと、もっと、もっと、と思い出があふれてくる。
「あれってコインいれてまわす瞬間が一番楽しいんだってやっとで解ったよ。人間は無駄遣いで勉強するんだよな」
「十円のガムボールでお小遣い増やそうとしたりね」
「やった、やった」
「わたし、百円の赤いガムなんて当たったことなかった」
「あれも何回か痛い目に遭って覚えるんだよ。博打なんかろくなもんじゃないって。
今の僕がギャンブル依存症にならずに済んでるのってそのせいじゃないか?」
「おおげさよ」
夫婦は昭和のケチャップライスを片手に、真っ青な空のもと、秘密基地を作ったり、怪我をしても平気で遊びまわった、あの頃を飛んで跳ねて、駆け回る旅をする。
旅への切符は大切な「想い出のごはん」があればいい。
土曜のオムライス SOLA @solasun
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