ベイジュー☆ロード KAC20225【88歳】
霧野
シニガミ医師、見参!
私が現場に辿り着いた時、彼は薄暗い踊り場に立ち尽くし階段の上を呆然と見つめながら繰り返し呟いていた。
「……なんでやねん…………なんでやねん…………なんでやねん………」
彼の足元には、常人では為し得ぬ無惨な格好で頽れた彼自身の姿。
私は密かに彼の精神に重なり、彼の視界を共有した。
彼の目に見えていたのは、彼を階段から突き落とした男が狂ったように笑い続けている姿。彼を指差し、自分の膝を叩き、腹を抱え、涙を流して甲高い声で哄笑している。が、血走った目を見開き、涎を垂らしたその顔は既に正気を失っているように見えた。
先ほどから踊り場に立ち尽くしたまま、彼はその場面を何度も繰り返し見ているのだ。
私は男の前に立ち視界に割り込むと、彼の名を呼んだ。
呆然としたまま、男は私に反応した。
「え……どなたですか」
男の目をまっすぐに見つめ、太く響く声で名乗る。
「私はシニガミです。あなたを迎えに参りました」
男は言葉もなく、私を見つめる。こういう反応には慣れているので、私は鷹揚に微笑んだ。
「あなたは亡くなりました。彼に階段から突き落とされて」
親指で、背後の階段を指差す。階段のてっぺんでは、彼がまた同じ狂笑を響かせている。
視線をゆっくり下にずらしてみせると、男も私の視線を追ってそれを見た。あり得ない角度に曲がった首、ぐにゃりと折れた胴体、バラバラの方向へ滑稽に投げ出された手足。
「……こりゃぁ………死んでるな。たしかに」
感情を失ったような声で、男が呟いた。
「いかにも」
どす黒い靄が体に纏わりつき、彼をこの場に縛り付けている。
男の肩に手を置いて、こちらに意識を向かせる。急がねばならない。
「大事なお話があります。気をたしかに持って、聞いてください」
「なぁ、なんでシニガミなのに手術のお医者さんみたいな格好なん?」
「もっともな質問です。順を追ってお話ししましょう」
私がパチンと指を鳴らすと、階段の上で笑い狂う男の残像が消えた。薄暗い階段の踊り場は、静寂に包まれた。
階段の上の男は、彼を突き落として殺した直後にこのビルの屋上から飛び降り自殺を図った。
彼ら二人は売れない漫才コンビで、未来に絶望し現状に消耗しきった相方の凶行であった。
だが、運が良かったのか悪かったのか、飛び降りた相方は死にきれなかった……というか、たった今この瞬間、生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
たまたま病院にいた私のところへ、瀕死の彼が運び込まれてきた。そこで『シニガミ』である私がここへやってきたわけだ。
「今流行りの二刀流です。私はシニガミですが、本職は医者なんですよ。しかも、かなり腕利きの。いわゆる『スーパードクター』ってやつです」
『スーパードクター』。自分のことをそう紹介する度、気恥ずかしくて仕方なくなる。だが、この呼び方が最も相手に伝わりやすい。だから恥ずかしいけれど、あえてそう自己紹介しているのだ。
私はちょっと肩をすくめた。照れ隠しをするときの癖だ。
「今、私たちは時間の流れから外れた一瞬に留まって居るのです。ここまでは、理解できましたか?」
「……医者が、シニガミで………俺らは、時間の外……で、あいつは死にかけてる……」
夢を見ているみたいな表情で男は呟いた。気の毒だが、なんとか現状を受け入れてもらうしかない。時間の流れから外れていられるのも、あと僅かだ。
「あの男は、あなたを殺した。が、私が手術すれば彼は助かるかもしれない。あなたは……どうしたいですか?」
「どう、って……」
「本来であれば、あなた方ふたりは88歳まで生きるはずでした。だが、あなたは殺された。彼が憎ければ、このまま死なせることもできる。そうすれば、自ら命を絶った彼は地獄へ堕ちるでしょう」
「地獄………」
「私は医者だ。助かる命ならば助けたい。だが私は、同時にシニガミでもある。シニガミである私は、あなたの魂を無事に天国へ送りたい。それには、あなたに強い念が残ってはいけないのです」
「待ってくれ。よく、わからない……何が何だか」
「あなたはついさっきまで、同じ光景を何度も繰り返し見ていた。『なんでやねん』と呟きながら。相方に突き落とされたショックと『何故』という疑問で、あなたの魂はこの場に固着してしまった。あなた、地縛霊になりかけていたんですよ」
この男の魂を天国に送るには、彼の執着を取り除く必要がある。そうして納得の上、天界へと向かってもらうのだ。
「どうします? 彼を生きながらえさせるのか、地獄へ落とすのか。言っておきますが、彼が助かったからといって死後に彼の魂が救われる保証はありません。でも、天国へ行ける可能性はゼロではない。それは彼次第でしょう。さぁ、今この場で決めるのです。でないと、あなたはここで地縛霊になる」
そんな……と男は呟き、押し黙った。無人となった階段のてっぺんと足元の自分の骸の間に、交互に視線を彷徨わせる。
「申し訳ありませんが、ゆっくり考えている時間はありません。私の肉体にタイムリミットがあるものですから」
弾かれたように顔をあげ、男は「そ、そうですよね。すみません」と謝った。生前はいい人間だったのだろう。
「……俺は、相方に殺された。でも、そこまであいつを追い詰めてしまったのは、狂わせてしまったのは、俺自身だ。上手くいかない現実にイラついて、おとなしいあいつに酷く八つ当たりした。あいつを『何もしない』と非難して無理やりネタを作らせて、作ったら作ったで『無能』と罵倒した。八つ当たりの自覚はあったけど、自分を止められなかった………俺が、あいつにあんなことをさせたんだ」
男は私の目をまっすぐに見つめ、大きく息を吸った。
「あいつを、助けてください。お願いします」
深く頭を下げ、そのまま動かない。
「助けたところで、彼を待っているのは生き地獄かもしれませんよ」
体の回復には膨大な時間と金がかかるだろう。それに、相方を殺したという罪は、おそらく一生拭えない。
「それでも」
頭を下げたまま、男は続けた。
「あいつにチャンスをやって欲しい。苦しいかもしれないけど、生きてさえいれば何かができる。本当は優しい奴なんだ。すごくいい奴なんだ。じゃなきゃ、一生を賭けてコンビ組んだりしない。先生、頼みます。あいつを助けてください」
「本当に、それでいいんだね」
彼は顔をあげて言い切った。
「はい。後悔はしません」
彼が発していた重苦しい靄が徐々に薄くなっていく。どうやら本当に納得したようだ。
「わかった。全力を尽くして彼を助ける。約束するよ」
靄が急速に消えて無くなり、彼の顔には穏やかな笑みが浮かんだ。
「さっきも言いましたが、本来ならあなたたちの寿命は共に88歳だった。だが今、彼は自殺を図ったせいで寿命がゼロになってしまっている。助けるのなら、彼に君の分の寿命を分けてやれるようになるんだが、どれぐらい…」
「全部!! 全部やってください。あいつになら、俺の寿命を任せられる。あいつなら、俺の分まで生きてくれる」
迷いなくそう言い切る彼は、白く光り輝き始めていた。天国へ昇る時間だ。
生き残った相方くんには、辛い人生になるだろう。88歳までの道のりを生き地獄にするか、しっかりと全うするか。もしかしたらもう一度自分の命を絶つかもしれない。
でも……きっと乗り越えていける筈。
だってこの二人、本当ならば二人仲良く金色スーツを着て、米寿の祝い行事の帰り道に事故に遭って死ぬ予定だったのだから。
その年まで一緒に仕事できていたぐらいなのだから、「一生を賭けてコンビを組んだ」という二人の絆は本物だったんだろう。
でも。運命なんて、本当にちょっとしたことで変わってしまうのだ。
「彼に、伝えたいことはあるかい?」
「そうだな……」
少し考えていたが、すぐにニヤリと笑う。
「キモいから止めろって何度も注意されたのにニセ関西弁使って、悪かったって。あと、『暗黒舞踏』って喩えはマニアックすぎて伝わりづらいぞ、って」
「暗黒舞踏?」
聞き返した私に、彼は自分の足元にある己の骸を指差した。
「この格好を見て、『暗黒舞踏かよ』って言ったんすよ」
「……たしかに、ちょっと伝わりづらいかもね」
彼は笑って、全身から柔らかな白い光を放った。いよいよお別れだ。
「じゃあ先生、よろしくお願いします」
「ああ。任せてくれ。伝言もちゃんと伝えるよ」
無事に天国へ旅立ったのを見届けた。これで一安心。
でも………本当の被害者は、どっちだったんだろうな。
死んでしまった彼か、相方を殺してしまうまでに追い詰められた死にかけの男か。
しかし、私は警察官でもなければ裁判官でもない。
医者であり、シニガミなのだ。
シニガミとして一人の死者を無事に天国へ送った今、次に為すべきことは患者を救うこと。いくら寿命を分けてもらったところで、私が失敗したら全て終わりだ。
さぁ、ここからは医者である私の出番。スーパードクターのお出ましだ。自分の体に戻るとしよう。
🏥
「先生。準備できました」
医者の体に戻った私は、手術室のスタッフ全員と目を見交わし、頷いた。皆、やる気に満ちた眼差しをしている。気合いは充分。
手術台に横たわる患者に、心の中で語りかける。
───君の相方くんから大切な伝言を預かってるんだから……死ぬなよ───
「了解。では、始めましょう」
〜 終 〜
ベイジュー☆ロード KAC20225【88歳】 霧野 @kirino
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