寿華

lampsprout

寿華

 私は、壁のスクリーンに映したカレンダーを見て溜息を吐いた。来月はまた私の誕生日がやってくる。もう来なくていいのに、と何度願っただろう。時を止める術など無くてもつい考えてしまうことだ。

 うんざりしてもう一度溜息を吐いたとき、玄関の鍵が開く音と共に息子の声が聞こえてきた。


「ただいま」

「おかえり」


 ……こうして月に一度は実家に帰ってくるのだから、つくづく良い一人息子だと思う。


「母さん、今何歳だっけ」

「そうね、一応88になるわ」

「昔は米寿と言って祝ったらしいね」


 58になった息子が、白髪交じりの頭を掻きながらはにかむ。こうした表情は夫にそっくりだ。


「ええ、私もお祖父ちゃんやお祖母ちゃんを祝ったわね」

「じゃあ、俺も何かお祝いを用意しようか」


 考え込む様子の息子を慌てて止める。


「気にしなくていいのよ」

「何言ってるんだよ、誕生日はもうすぐだろ」


 彼にとっては、最早母親の事情など当たり前のことなのだろう。

 だけど私は、普通の年寄りではない。素直に祝ってもらうのには幾許かの抵抗があった。



 ――私の外見は、36歳で止まっている。息子が6歳になる年に、身体の老化を止めてしまったからだ。側から見れば、私は彼の娘に見えるのかもしれない。


 35歳のとき、私の身体は癌に冒された。1年近く闘病した後、主治医から一度身体の機能を制限することを提案された。そうすれば、確実に治療を行うことができる。

 勿論、いくら私が幼いころより技術革新が成されているとはいえリスクはあった。それでも息子を残して逝きたくなかった私は、迷わずそうすることを選んだのだった。

 若い頃両親が亡くなり、育ててくれた祖父母も喪い、夫までも亡くした私は、息子には自分のような寂しい思いをさせたくなかった。何より、私自身が息子と出来るだけ一緒に生きていたかった。


 しかし息子が大人になり、徐々に年を重ね、とうとう私の年齢を追い越してから考えるようになった。

 彼が居なくなったあと、私はどうやって生きていけばいいのだろうか。死ねない身体で、一体いつまで生き続けるのだろうか。


 本当なら、私も病気の治療を終えれば元の身体に戻すつもりだった。それが、再発を恐れて後回しにし、漸く決心したときには手遅れになっていた。何故か私の身体は、再び老化を始めることがなかった。

 主治医によれば、稀にこの症状は報告されているらしい上、施術を受ける際にリスクの説明もされていた。確かに聞いた覚えはあるけれど、当時の私は正気ではなかった。それに、まさか自分が当事者になるなんて思いもしなかった。


 これ以上息子や、その家族に迷惑をかけることも出来ない。

 楽しそうに来月の予定を話し始めた息子を見詰めながら、私は少しずつ決意を固め始めていた。



 ◇◇◇◇



「母さん、何してるんだ……?」

「……何もしてないわよ、どうしたの」


 誕生日の前夜。突然帰宅した息子は、咄嗟に隠した私の手を掴み絶句した。彼が見詰めるのは、黒光りする小さな最新式のスタンガン。見かけでは分からないが、少し改造して致死的な機能を持たせてある。

 いつか息子に先立たれることに、自分が堪えられる気がしなかった。息子の年齢を考えても、そろそろ親を喪っておかしくない頃合だ。そう考えた末のことだった。


「そろそろ、私も死に時なのよ」

「……勝手なこと言わないでくれ」

「……そうね、勝手なのは分かってる」


 こんな身体で生き長らえているのも、自ら死のうとしているのも、独りで考えて決めたことだ。葬儀などの煩雑な手続きが全て降り掛かるのだから、唯一の関係者である息子にくらいは一言伝えていいはずなのに。

 両親も夫もいないままに長い時を過ごした私は、いつしか全てを独りで決断するようになっていた。……昔はもう少し、夫にだけは頼っていたと思う。それでも結局、全てを決められるのは自分だけなのだ。


「これ以上生きていたら、死ぬこともできなくなりそうなのよ」


 強く私の手首を掴む息子に、私は穏やかに懇願した。


「だから、逝かせてほしい」


 静かに語る私に、色を失い呆然とする横顔。

 私にはただ、そんな息子の言葉を待つことしか出来なかった。



 ――暫くして、静寂に包まれる部屋に、私たちの嗚咽だけが響いたのだった。

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