笑いの先の、そのまた向こうへ

櫻葉月咲

俺たちの物語

 スポットライトが、今日も今日とて眩しいくらいに舞台へ上がる者たちを照らす。

 けれど、今日は普通の舞台とは違った。


 数組の芸人たちが、次から次に照明が照らす舞台──この日の為に作られたネタを見せ、笑いの波を攫っている。

 某テレビ局にて、年に一度の祭典が始まっているのだ。


(やっとここまで来た)


ふぅと一度深呼吸して、山本やまもと仁喜じんきはドクドクと高鳴りつつある心臓を落ち着けた。

 上京して五年。芸人となって五年。


 やっとこの地に上り詰め、夢にまで見た舞台に、今立っている。


「大丈夫、俺たちなら」


 仁喜が未だ肩の力を抜いていないのが伝わったのか、愛すべき相方である千海せんかい祐太ゆうたが、ポンと仁喜の肩を優しく叩いた。

 それだけではやる鼓動が静まる。


「そ、やな……」


 ふぅ、と安堵とも言えない溜息を吐く。

 祐太とは上京してからすぐ、数奇な運命の元に出会ったのだ。



 ◆◆◆



(ひゃ〜、東京怖すぎやろ……)


 そろそろと人通りの少ない場所を、仁喜は縮こまりながら歩いた。

 大阪は都会だと思っていたが、東京の方がもっと凄いのだと実感した。

 駅の中だけでも人でごった返し、地上へ上がっていくにつれ人数が増え、まるで吸い込まれる掃除機のようだ。


(こら、大阪なんぞ非でもあらへんわ)


 高校を卒業した事を機に、両親たちに反対されつつも「芸人になりたい」という夢を叶えるべく、勢いだけで東京へ来たのもあるかもしれない。

 けれど、必ず芸人となってテレビに出る。そんな闘志のもとで上京してきたのだ。


(俺は東京でテッペン獲ったるんや)


 ぐっと瞳に力を入れ、仁喜は前を見据える。


「よっしゃ、そうと決まれば養成所やな。えーと、こっからどんくらい……おっと!?」

「あ、すみません」


 ドンと仁喜の肩に誰かがぶつかり、踏ん張り損ねてよろける。

 自然に手を引っ張られ、転びそうなところを支えられる。


「いや、こっちこそすんません。余所見しとった、みたい……で」


 顔を上げた瞬間、仁喜は文字通り言葉を失った。

 仁喜も高身長との自負があるが、それよりも十センチほど高いところに顔がある。

 自然と見上げると、仁喜が今まで見たことの無いタイプのイケメンが、そこに居た。


 高い鼻梁びりょうやツヤツヤとした唇は勿論、その瞳に心を奪われた。


(なんや、この……胸の高鳴りは)


 きりっとした意志の強そうな瞳は、仁喜が求めていた人間だ。

 というのも、芸人になるにはコンビで、と上京する前から決めていたのだ。


 ピンで笑いの頂上へ行くのもいいが、それではつまらない。どうせならイケメンな相方と共に出てやろう、と模索していた。

 仁喜はピコピコと頭の中で考えを整理し、やがて雑踏の中大声で言葉を発した。


「自分、俺とコンビになってテッペン獲ってくれへんか!?」

「はい!?」


 電車の音に負けないほどの大声に、数人の人々の視線が仁喜と青年に向いた。

 大半は気にせず歩いているが、ジロジロと見る人や、立ち止まって写真を撮る人がいる始末だ。

 ただ注目されかけている事に気付いていないのは、仁喜一人だけ。


「ずっと探しとったんです、あんたみたいな人を! な、芸人になる気ぃあらへん? 一緒に養成所行かへん?」

 「ちょ、ちょっと落ち着いて」


 仁喜の勢いに押されてか、青年はほんの少し声を落とした。


「あ、名前言ってへんかったな。山本仁喜いいます、気軽に仁喜って呼んでやってや」


 にかっと歯を見せて笑う。

 我ながら恥ずかしい事をしている自覚はあったが、気付いた頃にはもう遅いのだ。そのままの勢いで、青年の言葉をじっと待った。


「あー……千海裕太です。えーっと、仁喜くん? でいいかな。ここじゃなんだし、カフェとかで話そうか」


 すぐ傍に見えるカフェを指さし、青年──祐太がちらりと仁喜を見る。


(こ、これはOKされたってことやな!? 勢いで言ったとはいえナイスや、俺!)


 そんな思いと共に、仁喜は祐太の後ろを着いてカフェの中へ入った。



 静かな店内に入ると、仁喜はコーラを、祐太はカフェラテを注文した。

 まだ飲み物が来たばかりだからか、ストローに当たった氷がカラリと涼やかな音を立てている。


「結果的に言うと……」


 祐太はやや俯きがちに、小さな言葉を紡ぐ。


「おん」


 相槌を打ちつつ、仁喜はコーラをがぶ飲みする。先ほど大声を出したから、喉が乾いていたのだ。


「俺は芸人にはなれません」


 すみません、と蚊の鳴くような声で祐太が謝罪の言葉を口にした。

 その言葉に仁喜は絶句する。


「な、なんでや! 俺はOK貰ったんかと思って……」


 大丈夫だと信じて疑っていなかったため、その喪失感もひとしおだ。


「いや、初対面の相手がすぐ『じゃあよろしく!』なんて言うと思います!?」

「言うかもしれへんやろ、んなカフェ行こか言われたら!」

「それは俺がゆっくり話したかっただけです! OKするとは言ってない!」

「は〜〜〜? なんやねん、期待して損したわ。大損や大損、バブルが弾け飛んだんかってくらいの損や」

「なんですかその例え! 人生は一期一会、会った傍から友達や! 言うタイプですか!?」

「あ、良いなそれ。貰っとくわ」


 仁喜が手でメモをとる仕草をすると、どちらからともなく吹き出した。

 カフェに居た客がチラチラと二人を見ている者がいたり、中には笑いを堪えている者もいた。


(なんや、ちょっとやけどウケとるやん)


 その事実に嬉しさも上乗せされ、仁喜は自然と上がる口角を抑えられない。

 しばらく二人で笑っていると、先に落ち着いた祐太が声を出した。


「はぁ……まんまと乗せられましたね」


 笑い涙を流し、それを指で拭う。その仕草一つとっても、仁喜が欲しいと思う逸材だった。


「やっぱ自分、笑いの才能あるで。俺が保証したるし、なんならここのお客さん全員に証人なって貰ってもいい」


 な、と周りを見渡すと、先ほどまで仁喜たちの会話を聞いていたであろう人々の視線が逸らされた。


「いや、最後は迷惑だろ」


 反射で祐太がツッコむ。


「迷惑かぁ、大阪やったらノってくれるんやけどなぁ」


 どうしたもんかな、と仁喜は腕組みする。

 東京の人間は、大阪よりも笑いの沸点が低いと噂で聞いたが、あくまでも噂だ。

 実際は違うのかもしれないし、事実なのかもしれない。


「東京の人たちは、目立ちたくないんだよ」


 ぽつりと祐太が呟いた。

 何かを諦めているような、そんな表情だ。


「さっきちょーっとやけど、俺ら目立っとったやん? 自分は──祐太はそれが嫌なんか?」


 仁喜は前のめりになりつつ、祐太に問い掛ける。何かがありそうな、そんな予感がしたのだ。

 その言葉が的を射ていたのか、祐太はほんの少し目を見開いた。


「まぁ……そう、かな」


 祐太はにこりと愛想笑いを浮かべると、席を立とうとする。


「じゃあ俺の話は終わったし、行くよ。お金は払っておくから後はゆっくり──」

「待ちぃや」


 仁喜がぐいと手首を掴んだ。最初に出会った、祐太にされた時よりも強い力で。


「自分、ほんまは目立ちたいんやろ? 何を隠す必要があるんや、そんな隠さんと誇るもんやろがい」


 必死だった。

 今ここで何も言わないままでは、せっかくの縁を逃がしてしまう。

 それに、もう祐太とは会えない予感がした。


「な、もう一回言うで。裕太、俺とテッペン獲ってくれへんか」


 殊更ゆっくりと、祐太に問い掛けた言葉をもう一度紡ぐ。

 沈黙が空気を支配した。その間が痛い。

 けれど、仁喜は何も言わずにじっと待った。祐太の心の整理が決まるまで。


「……わかった」


 やがて、小声ながらはっきりとした言葉が仁喜の耳に入る。

 それは待ち望んでいた、至高とも言える言葉だった。


「ほんまか。ほんまに、俺とコンビ組んでくれるんか……!?」


 仁喜はガタリと椅子から立ち上がる。

 祐太の掴んでいなかった片手を、自身の両手で包み込む。


「そう言っただろ、なんならもう一回言おうか?」


 短時間の間に葛藤したのだろう。何かが吹っ切れたように、祐太が笑う。


「一回や言わんと何回も言うてくれ。したら俺が喜ぶさかいな!」


 ドン、と仁喜が強く自身の胸を叩く。


「そこで肯定するのか、いいな……嫌いじゃないよ」


 ふふ、と小さい笑った祐太の顔を、きっと仁喜は一生忘れないだろう。

 それほど綺麗な、ともすれば可愛らしい笑顔だった。



 ◆◆◆



「──さん、出番でーす」


 スタッフが仁喜と裕太のコンビ名を呼ぶと、いよいよ後戻り出来ない場所まで来たのだと実感させられる。


「……行くで」

「あぁ」


 仁喜が声を掛けると、祐太はそれに応えるように仁喜の背中を優しく叩く。


 大丈夫だ、俺たちならやれる。


 そう言われているような気がして、仁喜は自然と笑顔になった。


「「どうも〜、海と山の声でーす!」」


 今日も幕が上がる。

 ただいつもとは違うのは、男たちの夢が、願いが、その数分に乗せられる事。

 目の前にいる沢山の客に見つめられ、年に一度の笑いの祭典──M-1が始まる。

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