どう生きるかにもセンスが必要
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 どう生きるかにもセンスが必要
ファッションセンスが無い、と幼少期は親、友人、知人、担任、成人後は同僚、上司さらには部下にまで、言い方は様々なれども、あらゆる人間から指摘されては、さすがに気にする。
だから、スーツも普段着も服屋のマネキンが着ているものを一式購入する。たまに俺には似合わないファッションのマネキンが混じっているせいで、最大限の予防線を張ったにも関わらず似合わないことを指摘されたことがあるが、この方法を取る以前の生活よりかは、指摘される回数が格段に減った。
自宅でソファに疲れた体を沈め、テレビを点けると、お笑いバトル番組が始まっていた。今時の芸人は、ハデハデなコメディアンスーツを着ている人が、あんまりいない気がする。カジュアルな格好でステージに立っている若い人が、増えてきたような、そんな気がする。
ぜんぶ俺の気のせいかもしれない。服装センスに劣等感があるから、大げさに目立って捉えているだけなのかもしれない。
でも、思ってしまうのだ。最近の若い人は、客から笑いを取る職業でさえもファッションが整っていると。つまり油断すると奇抜な格好になってしまう俺は、大爆笑を生み出せるのではないかと……さすがに、そこまで甘い考えを抱いては、真面目にお笑いに命を賭けている人たちに失礼だと思い、それ以降は考えないようにした。
いつも通り、マネキン様と店員さんのファッションセンスを信じて、自分で選ぶことなく衣服をまとい、生きていけばいい。
そう思っていた時期が、俺にもありました。
新卒で勤めていた会社が、労働時間的に明らかにブラックであった。初めは勤務時間に疑問は抱かなかったのだが、俺が仕事に慣れた頃を見計らったかのように「若い子にはたくさん経験を積んでもらわなきゃ」とか「俺が若い頃はこれぐらいペロッと終わらせてたよ〜」とかなんとか言い始めて、気づけば会社で寝泊まりが当たり前となっていた。
辞めてゆく同僚、病んで出社しない上司、労働時間だけが伸びてゆくのに給料がほとんど上がらない……。
俺も自分の健康と将来を考えるならば、この会社から脱出しなければならない。
しかし、俺は、この会社を嫌いになれていなかった。空調も故障して長い、暑くて臭いデスクに、雑多に積まれたファイルの束にまぎれこんだ重要書類、お得意様にお出しするお茶菓子すら経費がなかなか下りなくて肝が冷えたりと……そんなどうしようもない会社だけど、俺にとっては最初の社会人としての一歩を踏み出した、思い入れの深い場所だ。ここでのミスや叱責や、先輩からもらった缶コーヒーやお客さんからの労いの言葉など、どれもこれも初めてのことで、俺の起伏の少ない人生の中では忘れ難い感動シーンとして胸に刻まれている。
もちろん安月給で睡眠不足で残業代ほぼ付かないのに連日全員が居残りのヤバーイ状態がこれ以上続くなんてごめんだし、俺が二十代でなかったら確実に病んで入院してただろう。
俺は、自分の今後のためにも、この会社を辞める。
でも、ただ「嫌な場所だった」「大はずれな会社だった」だけで、終わりたくなかった。社長は超絶的にドケチでクソだけど、なんだかんだ社員には良い人が多かったから。
だから、ここを去る前に、俺にしかできないことを、やっておこうと思った。
「おはよー」
「おはy……ブフッ! なんだよ、どうしたんだよ、え? ちょ、なになに? 罰ゲーム的な何かなの?」
「うわ、山田君、どうしたの、上着、オレンジ色なんだけど」
「ひゃははは! シャツ黄色じゃん。ピエロかよ!」
「靴、グリーンピースみたいな色してるな……そんなの、どこで売ってたんだ?」
「そのユーフォーのネクタイピン、なんか点滅してますけど、ボタン電池式なんっすか?」
「そんな格好で、よく職質されなかったね〜」
その日、俺は人生でいっちばん笑われたと思う。いや、違う、半年以上笑った顔を見られなかった会社の、みんなの笑顔を見ることができたんだ。
なんか俺も、腹の底から笑い転げてるみんなを見てたら、一緒になって大笑いすることができた。みんなと笑い合うの、ほんっと久しぶり過ぎて、一周回って涙が出てきた。
もう何も思い残すことはない。俺も笑顔で、退職届を出すことができた。
「はあ!? このクソ忙しいときに何抜け駆けしようとしてんだテメ殺すぞ!!」
……あれ?
「冗談はそのピエロファッションだけにしろ!!」
目の前で破られた辞表に、俺は目が点になった。
どう生きるかにもセンスが必要 小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中) @kohana-sugar
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