専任客室乗務員とクソガキ

ミケランジェロじゅん

第1話 専任客室乗務員とクソガキ

「初めまして皆さん、新しく入社しました後藤ごとう鶴太つるたです。よろしくお願いします」

「じゃあ、後藤くん。離陸時間、着陸時間、到着空港の正式名称、フライト時間、時差、今の現地時刻。そして、そうだな。心肺蘇生法を教えてください」


 満席のホノルル線を前にブリーフィングで礼儀正しく挨拶するこの新入社員は社長の孫だ。そして僕の中ではブラックリスト《クソガキ》認定している。


 僕が二十五歳、このクソガキが十五歳の時だ。アメリカで育ったクソガキが日本の高校に入学するために帰国してきた。その便に乗務してしまったことが全ての始まりだった。

 ビジネスクラスの訓練を終えたばかりの僕に「とろい。手際が悪い。英語が下手くそ」と言い放ち、舐めた態度を取った。その上、上司に報告し、フライトが終わるとこっぴどしかられた。

 きっと社長にも「このままじゃ会社がダメになる!俺があいつを監視する」なんて責任感のかたまりの様な告げ口をしたのだろう。彼が乗る便には必ずと言って良いほど、僕が割り当てられた。前日にスケジュールが変更されることも一度や二度ではない。


 当時の日系航空会社に、男性が客室乗務員職として新卒で入社することは前例がなかった。入社してからも『新時代の幕開け』と騒がれ、社内報はもちろん機内誌でも特集が組まれたのだ。

 女社会に若い男が急に入ってくるのだ。自然とフライトでの評価も鰻登りになり、会社からも期待された。だからこのクソガキのせいでクビになるのだけは避けたかった。


 日本に来た頃はまだマシだった。嫌味も厨二病の強がりだと思えて微笑ましかった。でも高校二年生になってからはひどくなる一方だった。酒の味をどこで覚えたのか、違法なのにファーストクラスのシャンパンを持って来い。ビジネスクラスの肉が不味い、お前のせいだ。あの客の前で駄洒落を言え。この様に無茶難題を押し付けてきた。断ると「じいちゃんに言いつけるぞ」と決まり文句を言ってくる。流石に手に負えなくなった時は先輩にお願いした。

 

 そんなクソガキも高校を卒業し、卒業旅行として友達三人と僕の乗務するホノルル線に乗って来た。

 クソガキの友達もクソガキだった。「類は友を呼ぶ」なんてことわざを頭に思い浮かべながらサービスに当たった。クソガキが僕だけに対して横柄な態度を取るの見てか、他のクソガキ達も次第に横柄な態度を取り始めた。


「お兄さん、仕事トロイね」

「この機内食不味いから替えてよ」

「このオレンジジュース不味いからすぐに違うの持ってきてよ」


 出来るだけお客様には満足していただけるよう、常日頃から要望にはできる限りの範囲内で答えている。ただこの時ばかりはこいつらのせいでサービスもスムーズに行かず、他のお客様からお怒りを受けていたのもあり、苛立っていた。

 どんなに冷静を保とうとも、サービスに粗さが出てしまった。クソガキの友達の空いたグラスに水をついでいた時に他の客に呼ばれた。急いでしまったためか、少しだけ水をテーブルの上にこぼしてしまった。

 ほら見たことかと言わんばかりにあいつの友達は僕に土下座を要請してきた。

 自分のミスであることに変わりはない。悔しくて堪らないが唇を噛みながら、まず膝を着いた。


「__ろよ」


 通路を挟んで座っていたクソガキが小声で何か言おうとしている。

「しろよ」か。自分が虚しくなった。こんなにクソガキでも、クソガキの友達でもいちお客様なわけだ。客室乗務員と客とでは立場が違いすぎる。

 そんなことを考えながら僕はカーペットの床に両手をつけた。


「申し訳ござ__」


「やめろよ‼︎ そんなみっともない事すんなよ‼︎」


 突然、機内に響き渡る怒号になんだなんだと他の客がこちらを覗いてくる。見なくても全方向からの視線が僕に突き刺さる。


「後藤……様?」


 僕は何が起きたのか分からずクソガキの方を二度見した。嫌味を言ってきたり横柄な態度を取ってきたこのクソガキが僕のことをかばううなんてありえない。


「こいつをこんな風に扱って良いのは俺だけなんだ!」


 息を荒くして友達の方を睨みつけるクソガキが少し羨ましく思えた。こんなにハッキリと言える姿に。


 それからホノルル空港に着くまでの数時間、クソガキは僕にも友達にも目を合わさず、ヘッドフォンをし、機内エンターテイメントの映画だけを観ていた。コールボタンさえも押さなかった。何回とこのクソガキのお世話をしてきたが、こんなことは初めてだ。

 機体が完全に停止し、シートベルト着用のサインが消えてすぐに立ち上がり、クソガキは友達を残してそそくさと去って行った。


 戦場を終えた僕たち乗務員はホテルが用意しているクルー専用バスに飛び乗った。ホノルルに滞在出来る時間は三十時間。一泊三日というタイトなスケジュールだが、これが普通だ。何泊もするなんて大昔のこと。そのためかバス内は体力回復のための仮眠場所となっていた。


 僕もこのホノルル滞在をどう楽しむか計画してきた。昼にゲイビーチで小さめの競泳パンツを履いて日焼けをし、早めに有名ステーキ屋さんで夕食を取り、ゲイバーでフライトの十二時間前までお酒を楽しみ、あわよくばバーで出会う地元の子をホテルに連れて帰るという。

 だがホテルに着いた途端、僕の計画は打ち砕かれた。


 ホテルに入ってすぐ目に飛び込んできたのはロビーの真ん中に置いてあるソファで座っているクソガキだった。

 社長の孫である以上、ないがしろに出来ない僕たちは会釈だけをし、スーツケースを引きながら整列してチェックインカウンターに並んだ。パイロット、専任客室乗務員、客室乗務員と位の高い順からチェックインしていくのがこの会社のならわしだ。何もタイトルの付いていない僕は男ということもあり最後尾に並んだ。

 僕の番になると三枚のカードキーを渡された。その場ですぐに一枚多いことを告げると、お連れ様がいらっしゃる、と返答され理解できなかった。「いません」と答えるとホテルのスタッフが「あちらの」と座っているクソガキの方を指さした。僕はとりあえず三枚のカードキーを持ったまま、クソガキの元へ行った。


「どういうことですか?」

「一緒に泊まらせろ」

「無理ですよ」

「ケチケチすんな」


 クソガキが僕の手から乱暴にカードキーを一枚だけ取り上げ、エレベーターの方へと一人で向かった。僕はすぐにでも追いかけたかったが、翌日の集合時間について専任から聞かなければならなかったので何事もなかったかのように集まっている輪の中に入った。


「すみません」

「大丈夫? 何かあった?」

「いや、一緒に泊まりたいと」

「あら、仲よかったのね」


「違います」とだけ返事をして、話を戻した。翌日の集合時間はフライトが十四時半発なため、十二時半にロビー集合となった。


 専任からの解散という声と同時に、これから一日このクソガキとホテルで一緒に過ごさなくてはいけない思ったらため息が漏れた。

 でも考えたら一緒の部屋に泊まるだけで別々に行動するればいい。ベッドも二つあるわけだし。

 僕は部屋番号を確かめ、カードキーをかざしドアを開けた。


 ダラダラとベッドの上で寝転んでいるだろう、と思っていたがその予想は外れた。浴室のドアが閉まっており、シャワーの音がしていたので居場所はすぐに分かった。

 僕はクソガキを透明人間の様に扱おうと心がけていたが、そうもいかなくなったのはシャワーを浴び終え、彼が下半身だけをタオルで巻いて出てきた時だった。

 いつもツンツンにワックスで固めていた前髪はサラサラと下を向き、少し火照ってる頬はピンク色に染まっていた。程よく鍛えられた身体にぷくっと小さく膨れ上がった乳首に、タオルを巻いていても際立つ程のふくらみ。

 床に広げたスーツケースから必要な物を取り出そうとしていた僕の目は彼の身体に釘付けになった。

 熱い眼差しに気づいた彼は汚いものを見下すかの様に僕の目の前に仁王立ちした。


「お前、俺のことジロジロ見てただろ」

「い、い、い、いや。違う。違う……ん……だ。綺麗な身体だったから」

「じゃあもっと見れよ」


 下半身に巻かれていたタオルを自ら剥ぎ、僕の頬をってきた。10歳も年下の彼に「やめてください」と懇願する僕はなんてみじめで見窄みすぼらしいんだ。けれども言葉とは裏腹に身体は正直だった。

 大胆かつ繊細な舌づかいをする彼に乗務後でシャワーを浴びてない僕は「汚いですよ」と忠告した。彼にとってその言葉は悪魔の囁きでだったのか、激しくなる一方だった。僕は声を押し殺そうにも出来ず、部屋中に喘ぎ声の様な吐息が鳴り響いた。ゾクゾクとするような興奮の先にある快楽に辿りつた僕を横目に、彼はその魔の手を止めようとはしなかった。


 一体いつ失神してしまったのか。ベッドの上で僕の右腕の中でスヤスヤと赤ちゃんの様に眠る彼を見つめながら恥ずかしさと嬉しさに笑みがこぼれた。

 

 しばらくして我に返り、寝ているクソガキを起こさないように、ベッドから起き上がり、携帯で時間を確認した。もうお昼過ぎだ。ハワイでの滞在を無駄には出来ない。急いでシャワーを浴び、計画通り競パンを下着代わりに履き、ゲイビーチへと向かった。


 この日は曇りのせいで人もまばらで、何一つ目の保養がなかった。それでもせっかく来たので、砂の上にビーチタオルを広げ、身体にサンオイルを塗り、寝転んだ。

 あいつ何してるかな。黙って出て来てよかったかな。あの寝顔可愛かったな。クソガキのことしか頭に思い浮かばない。結局、滞在時間三十分もしない内に切り上げた。


 寄り道をしながらホテルに戻ったが、クソガキは部屋にいなかった。十五歳で出会ったクソガキも、もう十八歳になったのだから一人で行動するのも当然か。

 でももし、さっきの出来事が原因で失踪なんてことになってたら、と考えると居ても立っても居られず、僕はクソガキを探しにホノルルの街へと出かけた。時間が経つに連れ、僕の焦りはしていく。諦めとともに夕暮れ時のホテル専用ビーチへ足を運んだ。


「いた」


 寂しそうな背中が夕日と甲斐極まって僕の胸に突き刺ささる。


「どうしましたか?」

「あぁ。お前か」

「僕にもちゃんと名前があります。杉田竜助です」

「知ってるよ。竜ちゃん。てか竜ちゃんも俺のこと後藤様としか呼ばないじゃん」

「じゃあ、何と呼べば良いんですか?」

「……あの時みたいに」

「わかりました。つるくん。で、なんでここにいるんですか?」


 彼は彼なりに親元を離れて日本に来てからの三年間、僕の前ではあんなに強がっていたが、本当は学校に馴染めず苦労していたらしい。社長の孫で帰国子女という肩書きに何度も押しつぶされそうになり、アメリカに帰ろうとした。友達も彼を金づるとしか見ていなかった。今回一緒に来た友達もだ。一般市民の僕には考えられない苦労がこの小さな肩に乗っていたと思うと、今まで彼の気持ちを知りながら、見て見ぬ振りをしていた自分を責めた。けれども未成年に手を出すことは出来なかった。


「ごめんな。つるくん、よく頑張りました」

「竜ちゃんが十八歳になってからって言ったからじゃん」

「そうですね。でももっと寄り添ってあげればよかったですね」

「寂しかったよ」

「でもフラれたからってすぐ態度に出すのは良くないですよ」

「ごめん。竜ちゃん、あのさ、待っててくれてありがとう」

「つるくん。高校卒業、そして大学入学おめでとう。そして僕からのプレゼント」

 

 僕は人生で初めて、大切な人に指輪を渡した。左手の薬指のではないが。


「好きだよ」


 僕の胸に飛び込んできたクソ可愛い可愛いクソガキは15歳で僕のフライトに乗って来た。まだ幼さが残る彼は恥ずかしがりながら僕に告白をしてきた。一目惚れだと言う。驚いたが勇気を振り絞って告白してくれた彼に真摯に向き合い丁寧にお断りした。


「もし、つる君が18歳になって高校卒業する時にまだ僕のことを好きなら、その時はお付き合いしましょう。でもそれまでは勉学に励んでください。僕は陰ながら見守っております」


 そんな彼も無事に大学を卒業し、今年から弊社に入社した。厳しい二ヶ月のトレーニングを終え、今日からは僕と一緒に乗務する。会社にお願いして、彼の初フライトを任せてもらえた。

 ブリーフィングでの僕のいきなりの質問に彼は緊張のせいか固ってしまった。


「冗談だよ。これから一緒に頑張っていこうな。つるくん。ただし、今訊いたことは全部頭の中に入れておけよ!」


「はい‼︎ 杉田チーフ」

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専任客室乗務員とクソガキ ミケランジェロじゅん @junjun77

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