「使い古しのエレキギターと夜行性の思想家」

@tanyo_tenten

第1話

 ただただ真っ白な空間。猫背の若い男がぽつんと立っている。男の名は上野といった。黒の上下に身を包み、暫くの間、鏡の前で無地のネクタイの結び目を微調整していたが、半ば諦めたかのように彼は歩き出した。


 彼には会いたい人がいた。しかし、どういう気持ちで会いにゆけばよいのか分からなかった。俯きつつ歩みを進める彼の先には、一人の男がいた。



 その男というのは、演奏者であった。男は気配に気づき、アップライトベースを弾いていた手を下ろし、こちらに近づいて来る人物をじっと見つめていたが、その正体をはかりかねている様子であった。




上野は男の前で立ち止まり、少しの間が空いたものの、先に口を開いた。

 「…どーも。」

上野はにやりとした。


男はハッとしたように目を見開いた。

「こりゃ珍しい!いつ以来かね!?久しぶりやなぁ!」

やや大袈裟に反応する男の方は見ずに、上野は続けた。

「…エレキのことなんですけど。…Bacchusの。…頂いた。」

「エレキ?…あ〜!!はいはいはい。君にあげたやつか!どうしたん、使ってくれてんの?」

上野は意地悪な笑みを浮かべつつ、男の方に顔を向けて言った。


「…アレ、使い過ぎでしょ。ビビりまくってるし、ミニアンプの方も、とてもじゃないが良い音とは言えない。」


男はそれを聞いても、気を悪くするどころか可笑しそうにクックッと笑った。

「キミはあいっかわらず…思ったことをずけずけと…。まァ、元気そうで何より。」

そう言うと男は改めて、ずっと持っていた自分の楽器を大事そうに傍らに置いて椅子に座った。


「しかし本当に…久しぶりやね。俺がいた頃は、まだブレザー着てたよね キミ。…そうや、キミ今何してるん?大学…?生よね、アレ?合ってる?」

男は首を傾げながら指で計算していたが、目の前の若い男が黙り込んでいることに気付いた。


「なんか、雰囲気変わった…?前はもっと明るかったような…。」

男はしげしげと彼を見つめた。


ふいに、上野がぼそりとつぶやいた。

「…なんで…。いなくなったんですか。」


男は驚いたように目をしばたたかせた後、ゆっくりと遠くに視線を向けた。しかし、男の視線の先には真っ白な空間が続くのみである。

「そやなぁ…。でも言ったところで…キミには…分からへんやろうしなァ…。」

上野をちらりと見て、男は少し悔しそうに笑った。


「…ほんの二ヶ月前くらいです。何もかもどうでも良くなって。誰も俺のことを知らない場所に行きたいっていうか。なんかもう、いいや、っていうか。…それで、、」


遮るように男は言った。

「あかん。まだ早過ぎるで。」

目の前の若い男をじっと見つめた。


上野の言葉は続かなかった。そして深いため息をつき、顔を上げて言った。

「…エレキ…子供達が凄く喜んでくれました。俺、子供のために働きたいんですよね。…つっても、今人生最大にフラフラしてますけど。」

そう言って上野は力無く笑った。

「…ほんとはお礼言いたかったんですよね。俺にも、生きれる場所があったんだなって思わされました。あなたのおかげです。」

少し頭を下げ、踵を返して歩き始めた。



振り返ることの無い彼の後ろ姿を、男はじっと見つめていた。

「またおいで…。話を聴くくらいボクにもできる。」


男は続けた。

「エレキ、使ってくれてありがとな。キミに預けて正解だったよ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 最後の文字を打ち終え、男は画面を閉じ、一息ついた。時計はもう0時を回っている。それにしても…自分で書く小説に自分の名前を使うとは我ながら芸が無い。

 

 夜中になればなるほど、脳が活性化しているのか、眠れない日々が続く。すぐそばで丸くなっている、老犬の小さな背中が、微かに上下していることを確認し、少し安心する。いつものごとく、ここ数ヶ月の自分を振り返る。


 ―きっと、暗いヤツには暗い世界が見えていて、明るいヤツには―


男は思わずため息をついた。一体いつまでこんなこと…。ふと、中学時代の担任の言葉を思い出した。


「君の考えは哲学的やね。…あんまりそういうふうに考えるのは良くない。俺の知り合いにも、哲学者がいたけど…亡くなったもんね。」


 ベッドに入り、部屋の隅に雑に立てかけられたエレキギターを見つめた。前々からずっと書きたかった。ほとんど覚えてなどいないが、怒られるだろうか。外を歩いていて、鉄骨が落ちてきたりしないよな。


…笑えないブラックジョークだ、と自嘲するような薄笑いを浮かべ、男は手を伸ばして電気を消した。

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