〈星語りのダーシュ〉5

 その作家の、数多あまたある作品の中で、私は『土神ときつね』という小品を繰り返し読んでいた。

 あらすじはざっとこうだ。


 ──美しいかばの木には、二人の友達がいた。一人は谷地に住む粗野な土神、もう一人は学があり洒落者の狐。二人は樺の木をめぐるライバル関係だった。

 だが、樺の木はどちらかと言えば狐を好いており、土神は神としてのプライドも手伝い腹が立ってしようがない。

 夏の晩、久しぶりに土神が樺の木に会いに行くと、狐と美学や書斎や望遠鏡の話をしているところに出くわし、もういけない。嫉妬に自分が何をしでかすかわからず、耳を押さえて走り去り、泣いて泣いて、疲れて祠に戻る。

 秋になり、土神はいくらか気が落ち着き、上機嫌で樺の木を訪ねる。気持ちが軽くなったこと、樺の木が狐と話すのはぜんぜんいいことだと伝えようとして。

 けれど、そこへ狐がやってくる。赤革の靴と茶色いレインコートの洒落姿で。土神は狐の靴のキラッと光ったのを見て、にわかに怒れてくる。嵐のように狐を追い、住処である丘の穴に入り込む前に、狐をねじり投げつけ踏みつけ殺した。

 狐の穴を覗いてみると狐が自慢していた書斎も望遠鏡もない。ただの土壁。狐は見栄を張っていただけだった。土神は号泣し、少し笑ったような狐の死に顔に泪が降り注いだ── 


 誰から薦められたわけでもない。父が買い集めた短編集に収録されていたのをなんとはなしに読んだのだと思う。さして有名ではない、その短い話。

 好きではない、その逆だ。

 どうして、と戦慄した。どうしてこんなにも己の心の裡を言い当てられたのか。




 銀河特急鉄道エクスプレス小惑星群衝突災害から生還したものの、記憶を喪った私はまったくのデクノボーだった。

〝ヨダカ〟と名乗った自分の父親だという初老の男は、私とはまた違った意味で無器用だったが、歳経た息子の帰還を心より喜び、労わってくれた。

 彼の素朴な人柄に惹かれ、彼の愛した息子──サンの記憶を取り戻そう、またサンらしい振る舞いをするよう努めた。サンの部屋を漁ったり、かつての友人らに話を訊いたり。父は焦らなくていい、ゆっくり療養しろと言ってくれたが。

 寄星虫学を修めるため、父を振り切って留学したサン。賢く、穏やかで、見てくれも良い──そんなイメージが調べるにつれ、徐々に覆された。

 サンは友人に対してあまり人当たりが良くなかったようだ。勉強は優秀だが、それを鼻にかけるところがあったらしい。話してくれた数少ない友人は、君は随分変わったと漏らした。月の裏側でも覗いた気分だよと。

 私は混乱した。父が思い描くサンと、友人が浮かび上がらせるサンの違いに。二つはどうやっても重ならない。

 そして露わになった傷のない額から、私は堪らず、〝ダーシュ〟を名乗る。サンとは別人格であり、だがヨダカの息子としてあるために、いるはずもないサンの弟というスタンスをとって。

 父は私に優しかった。サンダーシュを比べるようなことはなく、気遣ってくれていた。

 けれど、気遣われる分、余計にサンを想っているのだと思えてならず、父が想うサンは偽りなのだと叫び出したくなる衝動を抑えるのに苦労した。

 私の胸はサンへの嫉妬の炎で焼け焦げ、その野火は父が教える若い猟師見習いたちにも広がる。私は定職についておらず、家事手伝いをしていた。その引け目も手伝って、時にぐらぐら煮立ったやかんのように、真っ直ぐ立っていられないほどの感情の波に襲われた。

 時折、醜い想いを書き溜め、缶詰に入れて、誰にも開封されないよう特殊なはんだで封をした。そうして鬱憤を晴らしていたのだ。


 月日は流れ、老齢の父は病を得る。

 父は自分の身体よりも、私の行末を案じていた。私が人の間に馴染めないのは相変わらず、というより年々ひどくなっていた。

 奇跡の生還者というレッテルが、経年によりまだらに剥がれ出したのも一因だろう。知らぬ者には読み取れず、ただただ不気味な文様にしか見えなかったに違いない。

 父は入院し、私は見舞いながら短期の仕事を繰り返す。

 就職活動なんざ焦ってするもんじゃないと父に言われたが、ゆっくりしすぎだった。父が引退すれば、父の雑務と家事をしていただけの私の収入はなく、わずかな年金だけが頼み綱となる。

 実の子ではない遠慮があるからなのか、父は私に甘かった。見舞いで口当たりの良いゼリーやくずきりなどを差し入れるが、逆に他の見舞客からもらった高級な果物を持たされることもしばしばだ。

 反面、己に厳しく、術後は先生にできるだけ動けと言われたと言って、スクワットやら腕立てやらを始めた時は、肝を冷やした。

 多分、父は早くに退院して、私の負担を減らそうとしたのだろう。私としては病院にいてもらったほうが安心なのだが──つい言ってしまって口論となったのは、珍しいことだった。思い返せば、この時、私たちはもっとも親子らしかったかもしれない。

 互いに、揺れる小舟に乗った相手の少し先の未来を見ようと目を凝らしていた。己の道行そっちのけで。過去ではなく未来であり、前向きに。サンへの嫉妬すらうっすら忘れていた。


 そんな中、一つの缶詰が私の元へと流れつく。


 災害の怪我を処置するついでに額の古い傷に傷消しスカーエイジングを施したというわざとらしい善意がまぶされた、あの手紙。


 ──私は〝ダーシュ〟ではなく〝サン〟だった。ただ、記憶を喪失していただけ。


 本来、喜ばしい知らせのはず。父に伝えたなら感涙にむせび、病など吹き飛んでしまうかも。


 ・・・・・・けれどそうしたなら〝ダーシュ〟はどこへ消えてしまうのか。


 今日まで積み重ねてきた私と父のやりとりは嘘になってしまうのか。

 父が私に向けていた情愛はすべてサンに盗まれるのか。いや、盗んでいたのは私。

 そして同時に〈缶詰〉をきっかけとしてなのか、私自身に仕掛けられていたのかわからねど、〝サン〟としての記憶の蓋が開き始めたのだ。夕暮れ時、一番星、二番星と、夜空に星が灯るように、ぽつぽつと。

 サンが、父ヨダカを見下していたという信じられない感情も私の裡で甦る。

 ありえないとしながらも、同時にその感情の道筋が辿れてしまった。

 また、サンは勉強こそできたが、私と同じく人間関係の構築が下手で、何度か留学をやめて父の元へ帰ろうとしていたことも。

 サンは父を嫌い、同時に好いていた。それは子どもが親に抱く、さして珍しくない感情なのかもしれない。殺したいほど嫉妬した相手の心の裡を理解するとは、なんとも奇妙な感覚だった。

 結局、私は父の一度目の手術、二度目、三度目を経ても自分が〝サン〟であると明かさなかった。四度目の手術はなかった。

 つまるところ、〝サン〟を本当に殺したのは、寄星虫学でも、銀河特急鉄道でも、小惑星群でもない。魔女ですら。つまりは私自身──〝ダーシュ〟だった。





 猟銃を構えながら、ざぶざぶ河を渡り、中州へ渡る。コートは途中で脱ぎ捨てた。

 上陸した小島は、朝焼けを浴び、秋の花々を無節操に咲かせている。その一画に黒いゴミ袋のような物体が落ちていた。

 蹴り転がして、仰向きにさせる。

 鳥たちが、ギャア、ギャア、グワアアァっと叫び、嘴で突いたり、爪で裂こうとしたり、こちらを攻撃してくる。


 タアーン、タアーン、タアーン


 威嚇を放つと一旦は逃げるものの、また降りてくる。魔女はよほど鳥たちを飼い慣らしていたらしい。あるいは、鳥たちが魔女を群れのリーダー代わりとしていたのか。

 鬱陶しいので、見せしめとして一羽を撃つ。

 白い血が噴き上がるように、今度こそ鳥たちは飛び立った。

 静かになり、改めて黒いゴミ袋──〝魔女〟〝メリッサ〟〝アイランド〟のいずれか知らねど──をひっくり返す。 

 顔を向けさせるが、その表情はわからない。

 狐の死骸のようにうっすら笑っていたか確かめたかったが、顔はすでにぐちゃぐちゃになっていた。一発目で命中するとは私にしては珍しい。でろり、赤黒い泥のような物体が流れ出る。

 四、五回、顔を踏み抜き、もう一度猟銃で心臓のあたりを撃ち抜いた。醜く、おぞましく、屈辱的な死を。いつも猟師見習いの連中やサンに頭の中で繰り返していた暴虐。まだだ、足りない、もっと無様に、ふためと見れぬよに。

 明るい桔梗色となった空に、やめろ、やめろと制止の叫びが響き渡る。鳥たちか博士かあるいは別の何かかわからねど、その声が私の良心から聴こえてくるものでないのは確かなことだった。

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