〈銀河の播種〉7

 古来より伝わる昔話には、女が消える物語がいくつもある。竹取物語、羽衣伝説、天人女房、鶴の恩返し、狐の嫁入り。各地に類話はまだまだあるだろう。ミヤコはこれらの昔話はすべて〈卵種〉の実話だと言い張る。

 いや竹取物語は日本最古の物語ってテストで出たぞ、千年のタイムラグあるじゃん、設定ミスだろ。突っ込めば、〈卵種〉は種子に似た特性を持ち、育成に十分な環境が整った時を見計らい発芽する。地球の場合は、女性の胎内に宿り、出産となる。誤って竹に宿る場合もあるが。星間戦争が起きたのは地球の公転で換算したところの二千回前なので設定ミスではない、ちゃんと整合性があるとはミヤコの言い分だ。いつ発芽するかは種蒔きされた先の環境によるので、回収漏れがないよう新母星は定期的に信号と巡察艇を送っているのだ、となぜか胸を張る。

 いや、それなら移民先が見つかるまで、移民船内で防火金庫にでも保管しときゃいいだろと返せば、黙り込んでしまった。そうして、……たしかにそうかも、と蒼褪めた。

 異文化交流とか、小野妹子的な意味もあったんじゃねえの、期待されてんだろ。なぜだか落ち込むミヤコを慰める羽目になり、俺は消耗してしまった。でも実際のところ、〈卵種〉係のやつが、うっかり手を滑らせて銀河中に蒔いてしまい、焦った上層部がそれっぽい理由をこさえてようよう迎えを寄越しているのではないかと邪推してしまう。

 かように設定としてのSFチック馬鹿話はわりに面白い暇つぶしとなり、俺とミヤコは奇妙な共通話題を育みつつ、年の瀬を迎えようとしていた。


 シークレットライブ終了後、週が明けるとミヤコはマンションを出て行った。

 と思ったら、三日後に戻ってきた。月末まで泊めてくれ、光熱費と食費と家賃はちゃんと支払うから(ただし日割りしてほしい)、と。

 派遣先の職場を辞め、登録も抹消し、アパートは引き払い、旅行鞄一つだけ下げて。

 よく急な退職を許したなと尋ねると、労基にチクらないなら有給消化後の退職にしてあげると例の担当者がはからってくれたそうだ。

 ついでに、アパートの契約は月単位だからまだ出る必要なかっただろと言えば、大家さんがクリスマス前から年始まで娘さん一家が暮らすハワイで過ごすので、引き渡しが今しかできなかったのだと答える。


「大晦日前に実家帰るよね、そっからはカプセルホテル泊まるから心配しないで」

「……せめてビジネスにしとけよ」

「カプセルホテルって宇宙っぽくない? 宇宙船の練習になるんじゃないかな」

「……ならねえよ。年始まで実家にゃ帰らん、その分、光熱費・食費・家賃、上乗せしとけよ」


 俺は冷蔵庫の中を覗いて箱の中身と個数を確認しながら、ミヤコを見ないで言い放つ。うん、わかったー、といつも通りのわかってんだかわかってないんだかわからない軽い返答が背中に打ち寄せた。 

 雨が夜更け過ぎに雪になろうが、サンタクロースがパパだろうが、真っ赤な鼻のトナカイが皆の笑い者になろうが、クリスマスイブもクリスマスも特別な催しはせず、俺は平常運転で過ごした。去年は参加したクリスマス異業種交流会に今年も誘われたが断った。ミヤコも同様平常運転で、マンションに帰ればコタツの上には色々な意味で偏ったおかずが並んでおり、二十六日だけは特売シールが貼られていたチキンとケーキが追加された。

 世間はクリスマスに年越しと賑々しいが、俺ら二人は前述のSFチック設定馬鹿話以外は静かなもので、1LDKのマンションは教会や寺院レベルに清らかだった。そしてそれはあっちの意味でも同様で、ミヤコの生理が終わったかどうか知らず、結局十二月はいたしていない。聖誕祭クリスマスに参加していない俺らの方がよっぼど聖人めいてるなんてと笑えてきたが、ミヤコにその冗談を投げかけることはなかった。


「冷蔵庫はもう補充しない方が良くない?」


 ――あさってには二人ともいなくなるんだし。

 付け足された言葉に、俺は箱――常備菜である人参ナムルが詰まったタッパー――を持つ手を止めた。我が家での食事はほとんど出来合いだ。つまりは俺が事前に作って冷凍やら冷蔵していたものを、ミヤコが選んで温めたり皿に盛りつけたりするのがいつものパターンだった。付き合い始め、ミヤコが料理することもあったが、腕はイマイチであり、適材適所の結果だった。いや適材適所といえば、俺のほうが料理自体も組み合わせもテーブルセッティングも巧いのだが、身体は一つであり、時間は有限で、ミヤコに任せてクオリティが少々落ちるのはまあしょうがない。それが暮らしというもので、多少の妥協は必要だった。

 しかし、冷蔵庫の補充に対する具申は至極真っ当で、カレンダーはすでに十二月三十日を示している。時刻ははや夕方で、大晦日の夜までマンションで食事するとしても、たった二人で大した量を消費できるはずもない。年末は忙しく、昨日がようやっとの仕事納めで日にち感覚が失せていたのだ。……あさって。

 お前は実家に帰るのか、そういや仕事辞めたの伝えたのか、この親不孝者が。俺は少々意地悪い調子でミヤコに向き直り矢を放つ。

 親不孝なんて儒教的な思想、普段の俺にはない。だが、この時はひどく攻撃的な気持ちで、儒教だろうが仏教だろうがゾロアスター教だろうが、使えるものは使ってやれという心地だった。そうして一番に訊くべきこと、確認しなけりゃならないことを姑息にも紛れ込ませようとしたのかもしれなかった。

 ミヤコはふるふると首を横に振った。座敷犬みたいな仕草と瞳で。


「わたし両親いないよー。実家ないし」

「あん?」

「父親は借金苦らしくて、母親は蒸発しちゃって。小学生の頃」


 父親のくだりで、ミヤコはわずかに首を伸ばしてみせる。

 それはそれは……初耳だった。だけど、たった一人で大人になれるはずもなかろう。里帰りしないってどういうことだ。いわゆる施設か? 訊けば、ううん、とミヤコはふるふるする。 


「育ててくれたのは伯父さんと伯母さん。でも、わたしが中三になってから変な感じになっちゃって」

「変な感じって」

「伯父さんがやさしくなって、伯母さんがこわくなった。高校受験前、伯父さん勉強教えに部屋に来るようになって、せっかく教えてくれるし、スポンサーだし、いたくはなかったし、へらへらしてたら、伯母さん口きいてくれなくなっちゃって」 


 言葉を失う、というのはまさしくこの日この時このシチュエーションに相応しい表現だった。

 俺はミヤコの身の上なぞ興味なかった。だから今の今まで尋ねたことはない。逆にミヤコにも訊かれた覚えはない。そりゃあそうだ、訊けば聞き返されるのが一般的な作法だから。

 不意に息苦しさを感じた。気付けば、ゆらゆら顎のすぐ下あたりまで海水がせり上がっていた。潮が満ちている。無論、幻想だ。けれど俺は今から起ころうとしている事態に慄いていた。一方のミヤコはこのタイミングを測っていたのではなかろうか。

 タッパーが落ち、床に色鮮やかな人参が散らばるが、すぐさま波にさらわれてしまう。


 ――でもさ、高斗たかとは。


 実に久しぶりに名を呼ばれた。第三者を挟まず二人きりでいると、おい、お前、ねえ、ねえねえ、で事足りてしまうから。足りるのにわざわざ足す。ならばミヤコが特別な話をしようとしているのだと直感した。今までさんざん避け、見ないふりして、実のところ逃げ回っていた〝特別〟を。

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