〈銀河の播種〉6
戻ってみれば、ミヤコと眼鏡女子はまだ二人で話し込んでいた。ミヤコが同性と仲睦まじくしている姿は少々新鮮でなんとはなしに眺めてしまい、聞くともなし会話も拾い聴いてしまう。
「私は最終バスで来てかれこれ七時間以上待っているんです。他の人が来てからは車の中で待たせてもらっていたんですけど、なんだか落ち着かなくて」
「大変でしたねー。落ち着かないっていうのはよくわかります。この数日はわたしも変でした」
俺はいわゆる〝彼女〟を、仲間と書いて「とも」と呼ばせるような友人に紹介する趣味はなし、ましてやミヤコだ。ミヤコにも親友や幼馴染と呼べるような存在は身近におらず紹介されたことはない。まあ、俺がそういうのを嫌がると察していたのかもしれないが。
「一緒にいたの、もしかして彼氏さんですか?」
「はい、車で送ってもらったんです」
「素敵ですね、羨ましい」
白い吐息の花を咲かせながら、女たちはいとも軽やかに会話する。
その一方、俺は固まってしまった。彼氏。その響きに。なんとなく否定される気がしていたからか。それをこんなあっけらかんと、フツーに、自然に、照れもせず。次にカッと顔が熱くなり、全速力で走ったごとく心臓の鼓動が打ち付けられる。なんだ、これ。
妙に居たたまれなくなり、その場を離れようとしたが、どちらの足から踏み出せば良いのか、咄嗟、見失った。
だから続く会話もフード越しに聴いてしまう。眼鏡女子はなぜだかワントーン声音を落とし、でもいいんですか、と潜むように。
「こんなとこまで連れてきてしまって」
「……一番手っ取り早いかなって。反省の上の決断です」
そりゃあ自家用車で来るのが一番速いわな。反省の上の決断です(キリッ)って、歳下相手になに格好付けてるんだか。ミヤコのくせに生意気だ。動悸が収まり、どちらの足から踏み出しても大差ないと気付き、ツッコミを入れようとしたその時。
辺りが真昼の明るさを取り戻した。
浮き上がった景色を網膜に焼き付ける時間はなく、次に突然息ならぬ水を吹き返した噴水にぎょっと振り返り、刹那、俄に深夜という大広間に一斉にシャンデリアを灯した明るさは鎮まった。なんだなんだと周囲を見渡していると、ミヤコを含む他の全員が一点を見据えているのに気付く。
銀色のどら焼き型したオブジェの前に一人の男が佇んでいた。どら焼きは餡の部分が仄かに輝いており、男の姿形を見て取るのは容易だった。中肉中背のスーツ姿、そしてどら焼きと同じく見事な銀髪。日本人ではないのかもしれない。
銀髪はどら焼きから出てきたに違いなく、なるほど、美術博物館協賛の演出なのだなとご明察する。
ミヤコ達は銀髪の前に進み出る。銀髪は話し出すがやはり言語が違うらしく、何を言っているのかさっぱり理解できない。ミヤコ達はさすがファンというべきか、わかっていないだろうに神妙に聞き入っているが。
それから十分ほどして、銀髪はいつのまにかタブレットらしきものを抱えていた。ミヤコ達はさながらレジに並ぶ主婦で机の前に一列に並ぶ。そして銀髪と一対一で順番に話をしていき、最後には、銀髪ではなく、彼女らがそのタブレットに何やらサインをしているようなのである。
おかしくね? 思わず首を傾げる。どうしてアーティストがファンのサインを集めるんだ。
――つか、まずいだろ。
俺はつかつか歩み寄り、最後尾にいたミヤコの腕を掴んで列から抜けさせた。
え、え、どしたの、戸惑うミヤコに有無を言わせず、駐車場の方向へとずるずる引っ張る。
チャリティコンサートか、物販か、署名活動かしらんが、こういうのはクーリングオフの対象になるかわからない。お人好しのミヤコなぞ、格好の餌食だろうが。
「しっかりしろ、これ以上カモられてどうする!」
振り返って怒声を浴びせれば、なぜ叱られているのかまったく理解していないのだろう、ぽかんと口を開けて俺を見つめる子どもの顔があった。図書館について騙されていたと笑っていた間抜け面とだぶり、腹立ち紛れに俺は一層腕に力を込める。
あぶない、ミヤコの警告は小さな囁きだった。もしかしたら音にはなっていなかったかもれないが、口の動きは疑いようがなかった。普段とろくさいミヤコが素早く身を屈め、その重みを利用して抗するように俺の腕に縋りつく。同時に。
じりりっと。後頭部にかすかな熱と痛みが走った。衝撃にアスファルトに突っ伏しそうになるのを堪え、辛うじて背後を見やれば、銀髪が視界に入る。さっきまでタブレットでファンのサインを集めていた詐欺師がどうして俺らの進行方向にいる? ミヤコを掴む反対の手で後頭部を触れば、もろもろと細かな何かが崩れ落ちる感触がした。ちょうどマッチ棒の燃え滓が風にさらわれるような。もし、ミヤコに縋られ前のめりの体勢をとっていなければ、崩れ落ちていたのは。
身体を起こし、銀髪に向き直った。先ほど起きた危機を一足遅れに理解し始めた身体が小刻みなビートを刻み始めるが身を任せている場合ではなく、リズムを無視して俺は
眼前に見据えた銀髪は端正な顔立ちをしていた。整っているがゆえにあまり印象に残らない男前――ただ一点をのぞいて。というか、その一点がすべての印象を飲み込んでしまう。遠目に見た時は青だったはず。だが今、銀髪の双眸は血潮のごとく紅く輝いていた。王蟲か。
そして一体どういう演出なのか、俺は自分の身体指一本も動かせなくなっていた。呼吸は止めていたのか、止められていたのか、わからない。
ふいに、俺の前に影が覆い被さった。誰かが俺と銀髪の間に割って入ってきたのだ。
そいつは臆することなく銀髪に喰らいつき、俺には意味不明な言語だったが、そいつがひどく怒っているのは伝わってきた。意外にも、銀髪は誠実と呼べる態度で対応ており、悄然としたふうをのぞかせ、しかし喰らいついたそいつは立腹が収まらないらしくさらに激しく言い募り、高らかな平手打ちまでかましてみせた。しまいに泣き出した銀髪を慰めるためか、周りの女子たちがそいつの怒りを宥めるためか、わらわら寄ってくる。
息はできないし、後頭部はずくずく痛み始め、おまけに寝不足がたたったのか意識が遠のいてくる。
体調は最悪だったが、気分は悪くなく、ひどく愉快だった。口の端がくくと震える。なんだお前、一丁前に怒れるのか、と。
――ミヤコのくせに、生意気だ。
起きてよーう、という情けない懇願を幾度か無視して、布団を引っ張り上げる。しかし、後頭部の痛み、吹き付ける寒風、何より尿意に負け、俺は目覚めた。
朝日は白々と清く、空は清々と青く、鳥は高々と歌い舞う。良い休み日和だった。
「あ、やっと起きた。もうすぐ開館時間だよ、見つかったら怒られちゃう」
早く帰ろー、という声に促されてのろのろ起き上がる。自分が寝ていたのは美術博物館前の大広場であり、かけられていたのは布団ではなく、どこから見つけてきたのか段ボールだった。まあ、無いよりはましだが。
お腹減ったね、モーニング食べていこうよ。おーう、そうだな、ってかまず便所探せ。公園のほうにあるよー。
なぜかすかすかとする後頭部を押さえつつ立ち上がる。同時に、時刻になったのか、噴水が水を吹き返し、飛沫が朝日の中を舞い踊った。
ふと辺りを見渡すが、昨夜の女子らの姿は無かった。そしてもう一つ。大広場の左手に建っていたはずの銀色に光る近代美術展示館も、
俺とミヤコはトイレに行き、ファミレスへモーニングを食べに寄り、マンションに帰ってシャワーを順番に浴びて、爆睡した。
そして、シークレットライブについての感想は、俺からもミヤコからも述べられることはついぞ無かった。
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