〈銀河の播種〉4

 真夜中午前二時。ミヤコはよく眠っている。白く安らかな顔で、軽い鼾をかきながら。

 起こさないよう布団から這い出て、キッチンへと向かい、流し台上の蛍光灯だけを点けた。

 どうして自分のマンションでミヤコ相手に気を遣わにゃならんのか。車を一時間走らせて特売の玉子買いに行くとか、添付ファイルのパスワードを次のメールで送るとか、同じレベルの無駄加減なのではないかと思えてくる。


〝この間は変な話してごめんね〟――闇夜に見慣れぬ横顔が浮かぶ。そう、あまりに変な話だった。

〝わたし異星人だったの〟発言の後には続きがあった。よせばいいのに、あの夜、俺は愚かにもどういった思考回路のもと〝異星人〟という結論が導き出されたのか尋ねてしまったのだ。


 ――この銀河には、太陽系外にも、知的生命体が棲んでいる惑星がいくつか存在している。

 しかし同星系に属するそれらの惑星間で戦争が起こり、ある惑星は壊滅状態となってしまった。人々は移民船での脱出を余儀なくされ、移住可能な惑星を探す放浪の旅へと出る。しかし適した惑星はなかなか発見できず、旅は予想よりも遙かに永きに渡った。

 移民船の人々には二つの使命があった。新たな母星たる移民先を探すこと。そして歴史や文化や科学技術、何より忌まわしき戦争の記録を継承すべき子孫を残すこと。

 しかし、移民船は子を育てる環境が整っているとは言い難い。そこで彼らは自らに似た知的生命体が棲む星々へ、各星の出産形態に合わせて〈卵種〉を送り込んだ。

 新たなる母星を見つけて住環境を整え、〈卵種〉が健やかに育ち、次の生命を宿す準備ができたなら、必ず迎えにくると約束して――


 ミヤコの説明を要約し、想像で補い、推敲すれば、そんなような話だった、漫画だかアニメだか小説だかを部分部分パクったっぽい設定はまあいい。つまりは〈卵種〉とやらのお育ちバージョンがお前だとして、なんでまた唐突に覚醒しちゃったんだ? そう多少意地悪い気持ちで問うたのだった。


 作業を終えて流し台の蛍光灯を消し、ベッドに戻ろうとしたが、なんとはなしにリビングを抜けてバルコニーへと出た。十二月の夜風は覚悟していたほど冷たくはなく、空気には湿り気が感じられた。なるほど、空は曇ってきており、星も月も見えない。


〝……潮が満ちたから〟


 俺の問いに、ミヤコはそんな台詞を吐き出した。


 ――本当はもっと前から引かれていたんだと思う。合図みたいのが定期的に送られていたけど、わたしは鈍くて受信できていなかった。でも、今回、身体の奥の奥の奥まで響き渡ったの。初日はいつもお腹痛いんだけど、それとはちょっと違う、〝どうん! 〟って砲弾みたいなやつが。普通は〝どーん〟って五キロ離れた市民花火大会ぐらいなのに。だからもうすぐ来る。もう、すぐそばまで来ちゃっているの――


 女の身体は男にとっていまだ未開拓地フロンティアである。どれだけ歳をとろうと、経験を重ねても、奥の奥の奥の秘境である赤黒くぬめった沼地へと探索を進めても。それがたとえ残念女子であろうとも。


 ――生理は、受精卵のベッドたる子宮内膜が、受精卵がこなかった時には不用となってはがれ、血液とともに膣から排出されることだ。通常三~七日間続き、二十八日ほどのサイクルでやってくる。

 生理痛は、経血を排出させる際、プロスタグランジンという物質が分泌され子宮を収縮させることにより起きる。しかし痛みが我慢できないほどひどい場合、子宮内膜症や子宮筋腫など、他の病気のサインとも考えられるため、速やかな受診が勧められる――


 スマホやら図書館の本で調べられたのは、かつて保健体育の授業で習ったのとほぼ同じ内容だった。決して、情緒不安定、妄想促進、宇宙との交信作用があるとは書いてない。生理の周期は月の満ち欠けとほぼ同じであり、その同期に着目したスピリチュアルなサイトは結構あったが。あと、満月の日に出産が多いとか。ウミガメの産卵やら孵化やら。

 確かに月が及ぼす影響は大きい。その最たるものが潮の満干だ。月と太陽の引力が海水を引っ張るわけであり、一日の中で月が最も近くなるところで満潮(裏側では干潮)となる。そして満月・新月の月と太陽の引力が合わさる時には大潮が起き、下弦と上弦の月の引力と太陽の引力が直角に引っ張り合い相殺される時は小潮となる(児童図書コーナー『月の大研究』なる学習シリーズにて学んだので確かだろう)。

 太陽は巨大だが、月は地球に一番近い天体であり、最も強い影響を受ける。

 そして成人の身体の六割は水分であり、生理やら出産やらが月に支配されるという説は、まあまあまあ、わからんでもない。しかし、それは男も同様であり、俺自身、性欲やら精通やら影響を受けているかと言えば、この三十二年の人生で露ほどに感じたことはなかった。ってゆうか、気の持ちようというか、迷信とゆうか、都市伝説じゃね? ぐらいのスタンスである。ちなみに後になって調べたが、ミヤコが〝異星人〟発言したあの夜は、満潮でも大潮でもなかった。

 大学時代、スピリチュアル系女子の美人に入れ込んだ時期があり、結局は時間と体力と自家発電の無駄遣いに終わった苦い記念碑メモリアルが心の裡に建っており、その刻まれた教訓から注意深くその手の女を避けてきた。

 ミヤコとは異業種交流会という名の合コンで知り合い、第一印象は『簡単にやれそう』であり、事実そうであった。概ね俺の言いなりで、天然ボケと物知らずと料理センスを除けば、あまり面倒臭さを感じたことがない。だから、二年半もずるずる付き合ってしまい、俺は三十路の橋を渡り、ミヤコは若さを売りにできるほどの鮮度を失った(超が付くほどの童顔ではあるが)。

 そんな女が今更になって、月だか、新たな母星だか知らんが、それに引かれた、合図を受信した、潮が満ちた、とのたまっている。やべえ。自ら病院を受診すると言い出したのは良かったが、どうにも雲行き不安だ。 

 ――そろそろ潮時かもな。

 日本中の溜息が投げ込まれ攪拌されたように濁った夜空を見上げ、俺はひとりごちた。

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