【3】

【3】★

「……どういうことだ」


 博士がようよう言葉を発したのは、私が語り終えて数分も経ってからだった。

 それまで眠ってしまったのではと疑うほど静かだったが、今は切羽詰まったような表情をしている。


「どういう、とは?」


 再度、質問に質問を返す愚を犯し、叱られるのかと身構えたその時。


「つまるところ、〈銀河の最果て〉とやらに残された男二人は、どうなったんだい?」


 物音と共に降って湧いた声に見やると、小柄な人影がドアを開けて入ってくるところだった。厚手の雨合羽レインコートを着込んでおり、雫が滴る。


「惚れた女を宇宙の藻屑デブリにしちまった馬鹿共の結末は?」

「……そこまでは」

「考えてなかったのかい。聞き手の想像に委ねます、というやつか。物語としては三流さね」


 手厳しい評と共に、フードを外すと青く険しい眼差しが現れる。

 ふんっと鼻を鳴らしながら、人影は雨合羽を脱いでいく。防流星雨仕様なのだろう、きらきら、きらきら、〈星休み〉の名残を撒き散らして。


雨合羽コートは中扉の前で脱げと言ったろう、〝魔女〟!」


 ──魔女。

 博士の怒鳴り声に、まじまじとその小柄な人物を見る。黒の長衣に、白髪をまとめた痩せぎすの姿は、なるほど童話に出てくる魔女然としていた。博士よりも十は歳上であろう女性。体格差があり、力関係は歴然として見えるのだが。


「うるさいよ、人のテリトリー荒らして、よく言うね!」


 〝魔女〟と呼ばれた老女は、キッチンに目をやり、その小柄な身からは予測がつかないほどの大音量で叫んだ。

 博士は蛇に睨まれた蛙のごとく硬直する。その様子で真実の力関係が察せられた。真の主人ホストはこちらだったか。


「あの、すみません、キッチン荒らしは私です」


 博士に憐れみを覚えたわけではないが、剣呑な雰囲気に片手を上げてソファから立ち上がった。片付けは一通りしていたつもりだが、主にしかわからない微妙な差異があるのだろう。

 老女はつかつか私のすぐ胸下までやってきて、突き上げるように、こちらを見上げてくる。

 なんとはなしに、以前、地球自然公園で出会った象を彷彿させた。肌の皺深さと落ちくぼんだ青鈍のまなこがよく似ている。声とは裏腹に静かな眼差しを見つめ返し、告げる。


「博士に夕飯を用意しろと命令されたので、ご遠慮したかったのですが、仕方なく」


 おいぃっと悲鳴じみた声が上がったが、聞こえなかったふりをした。

 博士に同居人がいるであろうことは、最初に珈琲の用意をしていた時から察していた。

 食器の数や調理器具、調味料の品揃えは豊富でけれど無駄がない。博士は月桂樹の葉を具材と一緒に頬張ってから吐き出すタイプだろう。

 老女が脱いで腕に掛けていた雨合羽に腕を差し入れ、思いがけず、素早い挙動で腕を差し出してきた。その手に黒っぽい何かが握られているのが刹那見て取れた、ので。


「……随分と大げさだね」


 トランクを引き寄せ、転がり伏せて、その言葉にはっとする。


「後ろ暗いところでもあるのかい」


 見上げれば、枯れ枝じみた老女の手には一輪のリンドウが握られていた。真っ青なコップ型の秋告げ花。


「珍しいこともあるもんさ。東の河辺に咲いていた」

 ──その上、来客なんてね。


 捧げられた相手──私だ──に拒否されたリンドウを、老女は博士の顔にぺしりと押しつけ、活けておきなという。


「……リンドウの花言葉は〝悲しんでいるあなたを愛す〟でしたね」


 私は立ち上がり、改めて老女に向き直った。彼女は地下シェルターの中扉の外で雨合羽をハンガーに掛けている。


「留守中に立ち入ってしまい大変失礼しました。〈星休み〉が始まった折り、偶然、博士と出逢いまして、こちらに避難させてもらっていたのです。申し遅れました、私は、──」

「名乗る必要なんざないね。どうせ〈星休み〉の間だけの付き合いだ。ところであんた、いつまでそんな暑苦しいコートを着込んでるんだ。図体のでかいのから、ハンガーを勧められなかったのかい」


 博士は渋面をつくるが、言い返しはしなかった。私は私で、このままで大丈夫ですと答える。別段、博士に気を遣ったわけではなかったが。


「こちらにお住まいなのは、お二人ですか?」

「そうだよ」


 だからなんだという風情で、彼女は私を見やる。


「では、お二人は」

「断っておくが夫婦じゃあない。惑星缶詰循環工場プラネット・プラントの職員ってだけさ。総勢二名のね」


 ちっぽけとはいえ、人間が散らばる銀河系中の〈缶詰〉集まるというのに、たったの二名。しかも、あまり、若いとはいえず、労働力としていささか不安が残るような……


「年金暮らしができるような身の上じゃないんでね」


 こちらの内心を見透かされているようで、ええ、いえ、ちがうくて、すみません、としどろもどろになった。

 まったく、ただでさえ忙しいのに、仕事を増やしてくれる──彼女はぶつぶつと言いながら、キッチンへ行き、壁にフックで掛けてあったエプロンを装着する。そうして振り返り叫ぶ。


「なにぼうっと突っ立ってるんだい。手を付けたなら、ケツまでやんな!」

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