三語り、宇宙の缶詰

〈宇宙の缶詰〉1

 ①蟹缶を用意して、中身を食べる。

 ②ラベルを剥がして、空になった内側に貼り付ける。

 ③蓋を閉めて、ハンダ付けする。


「これで〈宇宙の缶詰〉の出来上がりというわけだ」


 ラベルの貼り付けにより、缶の内と外をひっくり返すことで、外側にある全宇宙を缶詰に内包する。それは地球のとある島国の芸術家がつくった、梱包芸だった。


「人によってはジョークやとんちだと感じるかもしれんがね」


 ダイニングテーブルの上に置かれた平べったくのっぺらぼうな缶詰を、ポカンと見つめる助手にウインクを送る。と、助手――シイナは魔女の呪いがとけた姫君のごとく顔をほころばせた。冗談だと理解したらしい。


「〈宇宙の缶詰〉なんて仰るから、私はてっきりこちらのことかと」


 片付けの途中だったのだろう、彼女は抱えていた縦長の缶詰を掲げる。やや大振りな桃缶を彷彿させる形だが、無論、桃缶ではない。手紙や小さな荷物を宇宙空間に射出する輸送ポットだ。〈宇宙の缶詰〉と聞いたら、まずそちらを指すのが一般的だった。

 シイナは出来上がったばかりの〈宇宙の缶詰〉をまじまじと見つめ、


「面白いですね。内と外、視線の向きを変えるだけで、空っぽだったはずの缶詰の中身が全宇宙になってしまうだなんて」


 レム博士は博識でいらっしゃる、そう微笑む。

 彼女は二十代後半のはず。だがそのころころと弾む声は、少女のそれだった。もっとも、己の年齢と比較すれば、まさしく少女に違いない。レムは柔らかな心持ちで、伊達に年をとっておらんよ、と返す。


「まだまだお若いですよ。それはそうと、今日はどうしますか?」


 壁一面に掛けてあるあまたの時計から、猫型の時計を選んで見上げる。地球時間に合わせたそれは、午後三時過ぎを指していた。

 では珈琲で。はい、かしこまりまして――呼吸の合った軽妙なやりとりは、懐かしい誰かを思い起こさせる。シイナは束ねた髪を揺らして、キッチンへと姿を消した。

 一人残されたレムはダイニングの椅子に深々と腰掛ける。吹き抜けのガラスパネルの向こうに広がるのは、練絹で織りあげた漆黒の褥にきらきらしいビーズを縫い付けた宇宙そら、錦の帯のごとく横たわる銀河、そして波打つ金色野原。

 太陽系から遥か彼方。銀河上流に浮かぶちっぽけな惑星のちっぽけな観測基地――通称〈銀河の最果て〉に赴任して三十年以上が経つ。計画初期には二十名以上滞在していたスタッフも、今では所長であるレムと助手であるシイナの二人きり。当時の名残である巨大なダイニングテーブルは、寂寞感を与えないでもない。だが雑然とした騒々しさよりも、うつろな静寂を好むレムは、概ね現状に満足していた。

 何より……ほどなくして芳しく豊かな香りが、ゆうらり漂ってくる。助手が淹れるお茶の味は素晴らしい。半径五万光年以内に、これほどの腕前を持つ者が他にいるとは思えなかった。

 カップと焼き菓子を載せた盆を持ったシイナが現れ、和やかな珈琲ブレイクが始まる。釉薬が塗られ藍色に焼き上げられたカップに、琥珀色の液体はよく映えた。食器を選ぶセンスも、彼女を高く買う理由の一つだ。レムは上機嫌で、何も入れないまま薫り高い液体に口を付けた。

 シイナも向かい合った椅子に腰掛け、カップを手にしながら、


「そうそう、小惑星群の衝突警告について宇宙航行協会からお礼のメールが届いていましたよ」

「ああ、そんなこともあったね。しかし、あれは運が良かった。宇宙の缶詰も届いたわけだし」


 〈銀河の最果て〉は娯楽に乏しい。三十年もの間、レムが何をして余暇を過ごしていたかといえば、主に天体観測だった。仕事との境目が曖昧な趣味ではあるが。

 ひねもす観測ドームに閉じこもっていると、思い掛けないものを見つけることがある。新しい惑星や彗星ならば喜ばしいが、そればかりではない。宇宙災害の兆しを発見する時もあり、そうした場合、レムは速やかに関係機関に警告を発していた。

 だがくだんの件では、折り悪く大規模・長期間にわたる磁気嵐が発生し、メールによる通信が不可能となっていた。そこでピンチヒッターとして使ったのが〈宇宙の缶詰〉だ。

 中に手紙を入れて銀河に流す。ある程度の目測はつけるが、基本的には大海を漂うボトルレターと同じだ。しかし、宇宙航行法により、宇宙を往く者は、缶詰を発見したら宛先へ届ける(あるいは近付ける)最大限の努力を払うことが義務付けられている。また各所には、缶詰専用レーダーが設置されており、時間はかかるもののある程度は到達していた。


「博士の警告が無ければ、大惨事になっていたかもしれませんね」

「彼らも無能というわけではない。私が言わなくとも誰か気付いていただろうさ」


 レムの言葉を謙遜と受け取ったのか、シイナは控えめに微笑んだ。ふと、話の流れに乗って連鎖的に思い出す。


「そういえば、もうすぐ星祭りだったね」

「ええ。何かご馳走をつくろうと思っていますが、リクエストはありますか?」


 普段の食事はもっぱら自動調理器オート・クッカーに任せているが、当日は手料理を振舞ってくれるのだろう。君の作るものならなんでも美味いよと呟くと、彼女はこちらを軽く睨んできた。やや生真面目なきらいがある助手には、この手の世辞――レム自身にとっては嘘偽りのない本音だが――は通用しない。眉を上下に揺らしてその眼差しに応えると、シイナは堪えきれずに小さく噴き出した。そうして緩んだ空気の中、なんでもないように尋ねる。


「彼は、今年はやってくるのかね?」

「……来ないんじゃないでしょうか。去年も来ませんでしたし、もう諦めたんでしょう」


 珈琲にクリームを落としながら、シイナは呟く。くるくると渦巻く乳の道。それを辿る孔雀石色の瞳が、長い睫毛に翳る。細い指が、鋼繊維のようなプラチナブランドを耳にかける。白大理石のような顔色が、さらに透明に色を失う。

 その変化は微細なものであった。しかし、彼女とはもう五年の月日を向かい合って過ごしているのだ――。

 美しい助手を眺めながら、レムは残りの珈琲を啜った。


 

*赤瀬川原平(1934〜2014)『宇宙の罐詰』

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