【2】

【2】★

 博士は滂沱の涙を流していた。

 足が痛むのですかと腰を浮かすが、


「馬鹿、足じゃない、ハートだ。俺はこういう話に弱いんだ」


 と、博士は分厚い手でぐしゃぐしゃと顔を拭う。コートのポケットを探ってハンカチを差し出せば、遠慮なしに鼻をかまれた。


「互いに想い合っている若い二人が運命の悪戯で引き裂かれる、これほど切ないものはない」


 強面で壮健な老博士の意外なツボだった。

 泣かせてしまったのは、申し訳ないような、嬉しいような、複雑な気持ちだ。せめてと思い、珈琲おかわり用意しましょうかと訊けば、


「・・・・・・ああ、頼む。いや、待てよ、じきに夕食時だ。君も腹が減ってきただろう」


 なんとはなしに腹に手を当てれば、応えて小さくクゥと鳴る。


「食事にしよう」


 じゃあ頼むと言われて、はい? と疑問符を上げた。


「私が作るのですか?」


 無論、というふうに博士は手当された方の足を差し向けてきた。


「キッチンには自動調理器オート・クッカーがある、適当に野菜と肉を入れたなら何かできる、なんとかなる」

「ですが、」


 お茶を淹れるぐらいならまだしも、初めて訪れた家のキッチンで許可なく料理するのは躊躇われる。だが、博士は頓着せず、


「ただし、肉は焼き目を付けてから入れてくれ、旨味を閉じ込め、香ばしさも出せる。冷蔵庫の培養野菜はどれを使ってもいいがセロリは駄目だ、あれは食べ物じゃない、趣味だ。塩分、カロリー控えめ、ただしバターは植物油の代用不可、卵は一日二個まで」


 と、注文が多い。あと偏見も。私は諦めてソファから腰を上げた。



 がっしゃん、ぐっしょん、べっちょん!



 親譲りの無鉄砲があるのならば、親譲りの無器用もあるのだろうか。あったとしても、父から受け継いだはずはなく、誰から受け継いだのかわからねど。

 とまれ、私は料理が下手だった。慣れないキッチンということを差し引いても、無器用に過ぎる。

 トマトの水煮缶、培養野菜、そして保存肉。まず肉にフライパンで焼き目をつけて、野菜に油をからめ、自動調理器に入れる。このさして複雑ではない工程の代償として、皿二枚と指先の火傷を払った。

 それでも、なんとか材料を自動調理器に入れて、スイッチを入れる。調味料は内臓されており、味付けは心配ないはずだが。


「おいおい、大丈夫なのか」

「トマトでそれっぽいなんかをこしらえています。あとは機械がそれっぽくなんとかしてくれることを祈りましょう」

「おいおいおい。すごい音がしていたが、キッチンが焦土と化してないかね」

「破壊なくして創造はありません」


 二回目の連なる〝おい〟のトーンは一回目のそれとは微妙にトーンが違うが、私は気付かないふりでしれと応える。とりあえずは、ほうっておけば殺人現場と間違えられかねない真っ赤な床を拭かねば。

 ニ十分ほどであらかた片付け終えるが、自動調理器はできあがりを告げない。というか、タイマーがほとんど進んでいない。


「その自動調理器は古くてな。できあがりがいつになるのかは機嫌次第だ」

「そんな。替えないのですか?」


 博士は自動調理器の機嫌に付き合い、己の空腹に耐えるタイプには思えなかったのだが。

 そいつの味に舌が馴染んでいる、たまに無償に食べたくなる、との返答は少し硬く感じられた。


「……できあがりを待つ間、〝星語り〟でもしましょうか」


 私はリビングに戻り、提案する。暇つぶしには丁度いいという言葉を受けて、再び博士の向かいに腰掛けた。

 私は余ったトマト缶を横目に提案する。


「では、少し長めの〈缶詰〉にまつわる話を。もちろん、トマトではないほうの──」

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