笑わない少女を笑わせたい
凪野海里
笑わない少女を笑わせたい
クラスメイトがふざけているときも、数学教師の
一部の生徒たちは彼女を「名前の通りの子だね」と言い、誰が言い出したかは知らないが、「氷の女王」という二つ名がいつの間にか、彼女に定着してしまった。
いつも冷めた目で、教室の窓から見える景色を眺めていて、その表情はピクリとも動かない。氷のように表情さえも凍っているのではないか。だから「氷の女王」
最初のうちはみんな、彼女を笑わせようとあの手この手を尽くしていたが、やがていっさい笑うことがないと知ると、さすがにみんな飽きてしまって、2学期になる頃には彼女に近づく者はほぼ誰もいなかった。
彼女の前の席に座っている、陽一以外は。
「
静の名前を呼びながら、頬を両手でぐい~っと引っ張る古典的な顔ギャグを披露する。これが陽一の最近の日課だ。朝イチに彼女に必ずやる。
しかし呼ばれた静は、短く切り揃えられた髪を風に揺らしながら、白けた目で陽一を見つめていた。
「おはよう」
「……おはよ」
顔をもとに戻して挨拶をすると、静はボソリと挨拶を返してくれた。
「今朝さ、大変だったんだよ。登校中にさ。何があったと思う?」
「そんな情報だけじゃ、わからないわ」
静は小さな声でそう言った。
「それもそうか。実はな、俺の目の前に突然。布団が飛んで来たんだよ。風に乗って。これぞまさに、布団がふっとんだ! ってな」
「……そう」
静はやはり小さな声でそう言う。
「でさ、そのあとに校門前でバナナの皮見つけてさ。『こんなところにバナナあるのかよ』って笑ってたら、そのバナナで足滑った。もうハッデに尻餅ついてさ。今もケツ痛ェの。挙句、先生には笑われるしよ」
「……それは、大変ね。……ほかに怪我はしなかったの?」
「そりゃヘーキ。ケツは痛いけどな」
お尻を押さえつつ、陽一は言った。
静はその冷めた目で陽一が痛がっているお尻を見つめて、「お大事にね」と言った。
「おう、さんきゅ」
「もうすぐホームルームが始まるから、前を向いたほうがいいわよ」
「そうだな」
陽一が静に背を向けた瞬間、ちょうど始業のチャイムが鳴って担任の先生が教室に姿を現した。
***
「なあ、陽一。なんでお前、あの氷の女王にかまうんだよ」
「ん?」
お昼休み。
仲の良いクラスメイト同士で集まって、お昼を食べているとき。
「なんでって。笑ってるとこ、見てみたいじゃん?」
その「氷の女王」こと、静は。お昼休みは基本的に教室にいない。弁当箱の入っている包みを持って、どこかに行ってしまうのだ。
「そりゃ、オレたちも一時期、氷の女王を先に笑わせるのは誰だって。盛り上がったけどさ。もう不可能だって。あいつ、ぜってぇ笑わねぇよ」
「そうかなぁ。根気強くいけば、いつかは笑うかもだろ。ほら、ヘタな大砲? 数撃ちゃあたるともいうだろ」
「それ言うなら、鉄砲な。むしろ大砲数撃ち過ぎたら、あたり一面焦土と化すぞ」
なんだかよくわからないツッコミをされるが、たしかに大砲ではなかった気がすると思い至った。
お昼休みが終わる10分前、陽一は不意にトイレに行きたくなって席から立ち上がった。
たしか、教室から1番近い男子トイレは故障していて使えないんだったよなと思い至り、仕方なく3階へと向かった。
階段を駆け上がっているとき、クスクスと小さな声が聞こえた気がして、陽一は踊り場で立ち止まった。クスクス、という声はさらに上の階――屋上へと続く階段から聞こえている。
まるでそれは誰かの笑い声のようだった。誰だろう、と思いながらそっと階段の手すり越しから屋上の様子をうかがった。そこで、陽一は見てしまった。
「っ……ふふっ。今朝の変顔、何なの? いつも、いつも、なんで、あんな顔してんのよ。挙句、登校中に布団がふっと……ふふっ、ふっとんできたとか。というか、バナナの皮で転ぶとか、今時あり得るの? ふふっ、ハハハッ」
笑っている人物は――。陽一は何度か瞬きをして、目をこすって、屋上へと続く階段にいる人物をまじまじと見つめた。
間違いない。笑っているのは、美住静だ。目頭をおさえながら、肩を震わせて、クスクスと楽しそうに笑っている。
「バナナの、皮で。……ふふっ。転ぶとか、ありえなさすぎっ」
呼吸困難にでもなるのではないかというくらい、クスクスクスクス。ずっとずっと笑っている。
陽一は何かいけないものでも見たような気分になりながら、さっさと用を済まそうと後ずさりをしかける。
が、履いている上履きが床を強くこすって。キュッと大きな音をたてた。途端にクスクス声もぴたりとやんだ。
静の目が、陽一をしっかりととらえている。その表情はさっきとは一転、カチンと固まっていた。なんともいたたまれない空気が流れてしまい、陽一は黙ったまま静を見上げた。
見つめあうこと、数秒。沈黙に耐えかねた陽一が「昼、終わるぞ?」と恐る恐る声をかけると、「そうね」と言いながら、静は膝の上に広げていた弁当箱を片付けて立ち上がり、階段を降りてきた。
すれ違ったとき、彼女の耳がわずかに赤くなっているのがわかって。陽一も今さら頬が熱くなっていくのがわかった。
笑わない少女を笑わせたい 凪野海里 @nagiumi
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