三枚の呪いの書?
葵月詞菜
三枚の呪いの書?
その日、
真ん中辺りの机に、三人の部員の姿がある。その内の一人、同級生の
「すずめちゃん~! 呪いだよ、呪い!」
「は?」
彼女の言葉を理解する前に、腕をぐいぐい引っ張られて行く。
机の上には、A4用紙が三枚並べて置かれていた。それぞれの紙には、黒色で大きな円とぐにゃぐにゃとした線が筆のようなもので描かれていた。線は文字なのか図形なのか、複雑に重なり合っているように見える。
(何だこれ……)
すずめが目を眇めて凝視していると、
「ね、呪いでしょ」
「ええ……? そうかなあ? 何でそう思うの?」
「だってこの漫画に描いてある呪いの紙と同じような模様じゃん!」
美雛がどこからか漫画を取り出して、該当のページを開いて突きつけて来る。
――確かに筆で書かれた点や、意味があるようなないような不気味な模様が似ていないこともない。しかし禍々しさなら漫画で描かれた方が格段に上のように感じた。
(いや、そんな呪いの紙がほいほいこんなとこにあったら怖いわ)
「これ、ここにあったものですか?」
漫画と紙を熱心に見比べている美雛を放って、すずめは机を挟んで向かいに立つ二年の
「ええ。今日は私が一番乗りだったのだけど、来たら机の上にね。不気味だったからちょっと離れた所で作業をしていて、次に来た
二つくくりに眼鏡の峯吉が、隣のひょろりと背の高い男子にパスする。
「そう、俺が着いた席に二枚目があって、その後すぐ来た白鳥が三枚目を見つけたわけだ。さすがにちょっと気味が悪くてな」
確かに一枚ならともかく、立て続けにこのわけの分からない模様が描かれた紙を三枚も発見したとなると少し不気味に感じるかもしれない。
その時、ガラリと部室の扉が開いて、その場にいたすずめたちはわけもなくビクリとしてしまった。
「お疲れ様です……って、えっ……」
そろって扉の方に注がれた視線に、来訪者の方が驚いて立ち竦む――一年の
胸に抱えたスケッチブックをぎゅっと握り締めて、後ずさりかけた彼を美雛が呼び止めた。
「寒河江君、待って! ――驚かせてごめんね」
先程すずめに対してしたように腕をぐいぐいと引っ張ることなく、どこか照れたように「ちょっと来て来て」と手招きしている。恋する乙女の対応だ。
人見知りで大人しい鶫はおずおずと部室の中に入り、小動物のようにそっと近づいて来た。
そういえば今日は珍しく一人だ。いつもなら陽気な友人と一緒に部室を訪れるのに。
「あの……どうかしたんですか」
「実はね、これが」
鶫は机の上の紙に視線を落とした。彼の長い前髪の間に覗く瞳が軽く見開いた。
「これは……」
「呪いの紙だよ~」
美雛がまた漫画を片手に鶫に説明を始める。鶫は微かに口を開きかけたが、結局何も言わず美雛の言葉に耳を傾けていた。
(ん……? 寒河江君、何か言いかけた?)
すずめがふと首をひねる横で、二年の先輩たちも「本当に呪いだったらどうする?」と話し始める。
「誰かが誰かを呪おうとしているってこと?」
「うちの部にそんなやついるかな?」
「誰かが才能をやっかんで、とかあるかも?」
「いや、そもそもうちにそれほどの熱量があるやつがいるか?」
「それもそうね……」
峯吉と山道が冗談交じりに言って笑い合うのを聞きながら、すずめはじっと三枚の紙を見つめた。
よく見ると、ところどころ、ひらがなの文字に見えなくもない。
(でも何でこんなところにこんなものがあるんだろう)
文芸部で活動している者たちは、たいがいノートやルーズリーフに何かしら文章を綴っていたり、読書をしたりしている。鶫のように絵本を作るためにスケッチブックに絵を描いている者もいるが、紙にただ文字や模様を書いている者は見たことがない。
まあこの部は活動が緩いので、まだ部員全員を見たことはないのだが。
「とりあえず何事もなければ良いんだけど。捨てるにも捨てにくいわよね」
峯吉が溜め息を吐いて三枚の紙を見遣る。確かにこれが何かはっきりしていない以上、捨ててしまうのも気が引ける。かといって、このままここに置いておくのも気分的に微妙だ。
「念のためお祓いでもしてもらうか?」
山道が真面目な顔で言うので、すずめたちは思わずそれが良いかもしれないと頷いてしまった。
だがそこで、ずっと黙っていた鶫が、すっと手を上げた。
「あの……それ、僕がもらってもいいですか」
「え!? 寒河江君呪われちゃうよ!?」
美雛が速効で止めに入った。好きな人を不幸にするわけにはいかないから当然だろう。
一方、峯吉と山道も驚いた表情で鶫を見ていた。
「あー……だ、大丈夫。これ、呪いとかじゃないから……」
鶫は小さな声でぶつぶつと呟いた。
(ん? 呪いじゃない?)
すずめは鶫の言葉に疑問を覚えた。彼はもしかして、これが何かを知っているのではないだろうか。
「お疲れ様でーす」
明るい声と共に新たな一年男子が部室にやって来た。鶫の友人の
「悪かったな鶫、先に行かせて――って、何やってるんですか?」
雲雀はすずめたちの方に近付いてきて、鶫と、机の上にある三枚の紙を順に見た。
「これ……」
彼の顔から笑みが消えた。いつも元気で笑みを絶やさない彼が表情を変えたので、周りの面々は驚いて唾を飲み込んだ。
誰かが口を開くのを待ち続けて、ようやく小さく息を吐き出したのは鶫だった。
「……これ、雲雀が書いたんです」
「え!?」
すずめを含め、鶫と雲雀以外の全員が声をそろえた。
雲雀は「あ~」と意味をなさない呻きと共にしゃがみこみ、頭をガシガシとかいた。髪の間に覗いた耳が微かに赤くなっているのが見えた。
「……何と言うかだいぶ独特な表現だが、これは何を書いたんだ?」
山道が言葉を選びながら問う。鶫が心配そうに雲雀の様子を窺いながら、
「ひらがなです。あいうえおとか」
「ひらがな」
山道が一枚の紙を持って上下逆さまに色々な方面から眺める。
「まあ、ところどころ読めなくも、ない……?」
「多分ほとんど読めないと思います。利き手じゃない方で書いてたし、途中から丸を書いたりもしてましたから」
鶫は苦笑気味に言い、雲雀の頭をぽんぽんと撫でた。
「だから、呪いの紙では決してないです。ご安心ください」
すでに彼の話を聞いているうちに、その紙は不気味なものでも何でもなくなっていた。
すずめは改めてじっとそこに書かれたものたちを凝視する。
「なるほど。ここは『かきくけこ』かな」
指でなぞると、隣で美雛が「ああ」と頷く。
「でもすずめちゃんに言われないと気付かなかった」
「あはは。何となく文字の重なり具合で推察しただけだけど」
話によると、昨日部室で筆ペンで字を書く練習をしていたらしい。乾かないインクを重ねないようにそこら辺の机に置いていたが、帰り際にバタバタして片付けそびれた紙があったそうだ。
きっと鶫は、雲雀が来ないうちにこっそり回収しようとして『もらってもいいですか』なんて言い出したんだろう。
雲雀はまだ羞恥のダメージから回復できていないらしく、暫くはただボールのように丸まっていた。
「でもこれ、もしかしたら欲しい人いるかもよ?」
いつの間にか紙を写真にとっていた峯吉が、意味ありげに呟いた。
***
「ありがとう! めっちゃ助かる! 呪いの小物として使わせてもらうね!」
翌日、演劇部の部員が文芸部の部室を訪れて、とても嬉しそうに例の雲雀の練習作を持って行った。
吉峰が演劇部の知り合いに写真を見せたところ、次の公演の小道具に欲しいと言われたそうだ。
雲雀も断りはしなかったが、さすがに苦笑を浮かべていた。
「すごいね高観君! 演劇部の小道具に使われちゃうとか! 絶対見に行かなきゃ」
「……そうだな」
美雛は純粋に褒めていたが、彼にとっては複雑だろう。なぜか鶫まで複雑そうな顔になっていた。
椅子に座って大きく息を吐いた雲雀に、すずめはそっと尋ねてみた。
「ねえ高観君。何で字の練習なんかしてたの?」
雲雀は束の間黙り込み、やがてすずめから視線を逸らした。
「……別に。どっかの誰かさんの字を見てちょっと練習してみたくなっただけ」
「どっかの誰かさん?」
すずめが首をひねると、雲雀はもう一度息を吐いて、こちらを向いた。
人指し指がすずめの鼻先に突きつけられる。
「そ。稲荷さんのね」
「!」
まだ春先、一年の四人で、それぞれの得意なことを話していた時のことだ。
すずめはしょうもないとも言える一発芸のような特技を披露して、その際に書道をしていること、両利きであるということを話したような気がする。
あの時、雲雀は妙に感心したような顔で、「俺も挑戦してみようかな」などと言っていたが……。
(あれ……冗談じゃなかったんだ)
あれから、彼は密かに字を書く練習をしていたのだろうか。
「自分でも下手な字ってことは分かってるけど、まさか呪いにされるとは思わなかったなー」
雲雀が机に突っ伏す。
鶫曰く、スポーツも勉強も何でもほどほどにこなすという彼が、下手な字を克服しようと練習している姿を想像すると少し微笑ましい。
すずめは小さく笑って雲雀に声をかけた。
「今度一緒にお習字でもする?」
「え?」
雲雀が顔を上げてすずめを見る。
「ここで?」
「うん。文芸部だけどね」
絵を描いている者もいるのだし、たまには書道をする者がいてもいいだろう。
ここの文芸部は緩い部活だ。
「じゃあお願いします。稲荷先生」
冗談めかして言う雲雀に、珍しくすずめも乗ることにする。
「こちらこそよろしくお願いします」
どんな練習をしようかと、今から考えるのが不思議と楽しく思えた。
三枚の呪いの書? 葵月詞菜 @kotosa3
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