異世界転生者がクズだったので人格を矯正します。

@reisuou

<序章>原点

如月拾肆日


木々が取り囲む森の中、大きな岩に両手を合わせ祈るようにしている青い髪を短く整えた少年が一人、立ち上がると、「いってきます」の一言と共にその場を後にした。森を抜け、山を下ると大きな牧草が広がり、その奥に牛舎が見える。囲いで仕切られた牧草地をまわり牛舎に着くと、大柄な熊を連想させる男が、牛舎の清掃をしていた。背後から男に挨拶をすると、朝なので少し機嫌が悪いのか、ぶっきらぼうに返事をし、少し奥の方にいる馬二頭の手綱を引いて少年の元まで連れてきた。男に向かって感謝の言葉と共に「いってきます」というと、男は背を向けたまま手を振り「ああ」と小さな声で返事をする。それを聞いた少年は満足そうにし、馬を引き連れ山を下りていった。


牛舎を離れ少し歩くと村が見えてきた。牧草の香りと共に少し変わった薬草の匂いが風に乗って運ばれてくる。朝早くまだ薄暗いため、村に着いている灯りが、少年の行く先を導くように照らしていた。王都から少し外れたところに位置する、老若男女50人程で構成された小さな村。村で唯一の薬師である少年の指導の下、薬草を栽培し、その薬草と薬草を食す家畜たちにより生計がたてられている。村の中を二頭の馬を引き連れ歩いていると、家の前の扉で老婆に声を掛けられた。老婆はまだ肌寒いこの季節に朝早く、自身の家の前に置いてある椅子に腰掛け、見えない目の代わりに聞こえてくる音を楽しんでいる様子だった。


「ごくろうさま。お菓子を焼いてあげるから、早く帰ってくるんだよ。きをつけてね」

「ありがとう。でも、なんで俺だってわかるんだ?」

「匂いと音だよ。それと、女の勘だね」

「はっはっは。いってきます」

「いってらっしゃい」


二頭の馬をあらかじめ用意していた馬車へと縛り付ける。少年は朝日が差し込む前のうっすらと暗い夜空の下、昨日村人総出で収穫した薬草を馬車に詰め込み王都で売るための準備をはじめた。特殊な竹のようなもので編まれた長い壺型の筒に、同じ種類によって分けられた薬草が筒から飛びでそうなほど詰め込まれている。見た目に反し、薬草の入った筒は重く馬車にあげるのも一苦労である。腰よりも高い位置にある馬車に、中身がこぼれでないよう慎重に運び入れる。その間、馬たちは少し暇そうに、鼻を鳴らし前足の蹄で土を蹴りながら、それでも主人である少年が事を終えるのを大人しく待っていた。王都までは馬車で5時間ほどかかるため、朝早くから準備をしなくては薬草を売った後、帰るのに日をまたいでしまう。最後のひとつを運び入れ、眠たい目を擦り、欠伸をしながら、王都に入るための交通証や、薬屋に依頼されていた薬草がそろっているか確認し、いざ出発をしようとしたとき、後ろから声が聞こえてきた。


「グレーーン」


快活な声で自身の名前を呼ばれた少年は、声の主の方に振り返る。村に朝日が昇ると同時に、元気よく手を振りながら駆け寄ってくる少女は、先程起きたばかりなのか、きれいな赤い髪の毛を寝癖のついたまま、風にあおられ振り乱し、寝間着姿の薄着で走りながら駆け寄ってきた。薄着に、成長期であろう少し膨らんだ胸、そんな姿に、卑猥な感情を抱いてしまい、健全な少年らしく成長期であろう胸元に視線がいってしまう。


「な、なんだよ?どうしたんだよ、フレア」


幼なじみで恋心を抱いている相手に、今し方卑猥な感情を抱いていたことと、思春期まっただ中な少年らしく、健康で元気な体が手伝って、自身を大きくしている事への羞恥心と、少しの罪悪感からぶっきらぼうに返事をする。自分では少しぶっきらぼうではあったが、いつも通り落ち着いた態度で返事が出来たと思っていたが、少し言葉に詰まったのを少女は聞き逃してはいなかった。そんな様子のおかしい少年がおかしいのか、顔がにやついてしまう。そんな少女の顔を見て、自身の態度が変なのを悟り羞恥心から顔を赤くし、少女から目をそらした。


そんな愛想のない幼なじみの少年を意に介さず、少女は笑顔で話しかける。薬草を売るために王都に行く少年をねぎらうため、わざわざ早起きして駆けつけてくれたのだ。


「気をつけてね」

「なんだよ、そんなくだらないこと言いに来たのか?」

「くだらなくないよ。グレンはこの村の勇者だよ。村がいつも笑顔であふれているのは、薬師のグレンがこうやって頑張ってくれてるおかげだもん。みんなの笑顔を守るのが勇者のお仕事でしょ。だから、グレンはこの村の勇者なんだよ!勇者の門出を祝うのは当然のことじゃん!」


「あぁ,そうかよ」とお世辞とは思えないような屈託のない褒め言葉を受け、内心喜びで満ちていることを悟られないように、顔を見せないようにしさっさと馬車に乗り込み手綱をひいた。今まで暇を持て余していた馬たちは、歩き出すには十分なほど強く前足を踏み込み、勢いに少年の体は押され、少し後ろに引っ張られてしまう。そのまま勢いよく走り出した馬車に揺られながら小さく、聞き取れるかわからないような声で「いってきます」というと、少女は聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、一拍おいてから「いってらっしゃい」と笑顔で手を振り見送った。朝からいいことがあったと、少年は少女には見えなくなったであろうところで、体を左右に振り浮き足立つ。


木が伐採され、馬車二台ほど通れる開けた森の中の一本道を、ただひたすらに馬車に揺られ進んで行く。村の薬草は王城内で認められているほど品質が良く、村から王城まで直接行けるように道が整備されている。ちらほら、前方に馬車がいくつか見えてくると、だんだんと自身と同じ方向に、大きな荷物を背負った人や、人や物を乗せた荷車を運ぶ人、片やほぼ何も持たず軽装で歩く人などで賑わいはじめた。そこからさらに進んでいくと、森が開けたさきに、大きな壁に囲まれながらも、それらの壁に視界を阻まれること無く一段と大きくそびえ立ち、太陽の光に照らされ、その真っ白な壁が荘厳さをさらに際立たせる、美しい城が見えてくる。


グレンは仕事のためもう何度も訪れているが、この城の立派な様には何度見ても驚かされる。幼少期に両親と共に初めて来たとき、その騒然たる様をフレンに鼻高々に話した事が思い起こされる。その後、フレンが自身の両親に王都に行きたいと泣いて迫っていたのは、忘れもしない思い出だ。数時間前に見たフレンの笑顔と比較しながら、少し笑ってしまう。


そんな思い出に浸っていると、いつの間にか、王都の前についてしまっていた。王都に入るための門の前で、慌てて今朝確認した交通証を取り出すと、門番に見せ、後ろの馬車に積まれている荷物が確認される。確認が済み、入ることが許可された事を示す判子を交通証に押されると、10メートルはあるだろう、ちょっとしたトンネルを抜け王都の中へと入っていく。


王都の中は別世界のように賑わっていた。様々な出店が並び至る所から店を宣伝する声が聞こえ、何かしらの見せ物が行われているのであろう、何かに驚くような歓声が聞こえてくる。賑わいを見せる王都に、自身もこの賑やかしい中心都市に来たのだと、心躍らせていたが、グレンは少しだけ違和感を覚えた。確かにいつもこのように王城内は賑わっているのだが、いつもよりさらにも増して、人々の歓声がうるさく、活気に満ちあふれているのだ。


多少の違和感を覚えつつ、宮廷薬師に薬草を届けるため王城へと向かう。門から一直線に伸びた道を真っ直ぐに進み、白い壁とそれを囲むように水が張ってある王城の前までやって来た。王城へ入るためには、橋を下ろさないと中に入ることは出来ないため、上がった橋の前にある小屋のような、石レンガで出来た詰所にまず声をかけなくてはいけないのだ。詰所にある小さな窓をのぞき込みながら、グレンは中にいるであろう門番に話しかける。


「おーい、おっちゃん、いるかー?」


定期的に王城へとやってくるグレンは、この詰所にももう何度も訪れており、ここの門番とは両親が健在の時からの顔見知りなのだ。そんな見知った仲の門番に軽く挨拶をし、呼びかけるが、返事は全くない。いつもならすぐに、自分はまだそんな歳じゃないと言いながら、食べ過ぎと運動不足で大きくなったおなかを抱え、橋を下ろす許可を示す蛍光灯をつけてくれるのだが、仲に誰かいる気配すらしない。


「おーーい、おっちゃーーん!橋下ろして欲しーーんだけど!」


もう一度、今度は奥まで届くように大きな声で呼びかけるも返事は無かった。王都内で賑わっているのが何か関係あるのか、それともただの休憩なのか、どちらにしても今はまだ王城に入り薬草を売ることは出来ないと判断し、その場を後にした。なんとなく視線を感じ振り返って見てみると、王城の壁に黒髪の少年が自身を睨むように立っており、何か寒気のようなものを感じてすぐさま目をそらした。この国では珍しい黒髪の少年、そんな彼が王城の壁に立ちこちらを睨んでいるという異様な光景に、自分の頭がおかしくなったのでは無いことを確かめるため、もう一度振り返るが、先程見た少年の姿はどこにも無かった。


王城に入ることは出来なかったが、王都の中にある薬屋に薬草を売ることは出来、最後の一軒に注文された薬草を荷車から降ろしながら、先程王城の前で起こった出来事について考えていた。だれもいない詰所に、一瞬感じた視線、そもそも王都の異様な活気も謎である。


「なんだ?ぼーっとして、考え事か?」


先程あった出来事を思い返していると、大柄の男に声をかけられた。少年が三人並んでも勝てないのでは無いかと言うほど大きな体躯に、腕にはかつてこの国の兵士として戦っていた証である龍の入れ墨が掘られており、緑色のオーバーオールを黒に近い色になるまで使い汚している姿は、いかにも力仕事をしていそうな出で立ちではあるが、今は薬屋で奥さんの手伝いをする、ただの良い夫である。この男も門番と同じく両親が健在時からの仲で、幼少期から世話になっている。


「別に何でも無いよ。奥さんと赤ちゃんは元気?」

「ああ、元気すぎるほど元気さ。すくすく健康に育って、まだまだ二人目は出来そうにねぇな」


おじさん特有の青少年をからかうような言葉と顔つきで、にやにやとグレンの反応を楽しむように見下ろしてくる。そんなおじさんを無視して、グレンは何も言わずに、黙々と馬車から注文された薬草を下ろしていく。


「そういやぁ、元気にしてっか?お前のかわいい赤髪の彼女?」

「はっ、はあ!?か、彼女じゃねえし!何言ってんだおっさん!!」

「おっ!なんだ、なんだ!!いっちょ前に大人になりやがって!!!かわいいかわいいグレンちゃんでチュね~」


明らかに馬鹿にしたような口調で、頭をガシガシと力強くなでられる。うるさいと手を払いのけ、顔が紅潮しているのを隠すように作業を続行した。フレアと共に薬草を届けに来たのはここ数年で4,5回ほどにもかかわらず、フレアのことが好きなのがばれてしまうほど自身の態度に出てしまっている事に落胆する。これからはもう少し気を引き締めて、特にこのおじさんにはばれないように態度を改めようと堅く決心した。そんなグレンの態度を知ってか知らずか、おじさんは未だに少しにやにやしながらこちらを見ていた、グレンにはそれは自身をからかっている態度のように感じ、少し憤慨していたが、おじさんはただグレンの普通の男の子としての成長が微笑ましかっただけなのだ。初めて見た頃よりも、ずっと大きくなった背中に語りかける。


「冗談抜きで、本当に大きく成長したよな。お前の両親も、天国で喜んでると思うぜ」


グレンが8歳の時、両親は死んだ。それは、今から約4年前のこと、魔国と呼ばれる何百年もの間この国と争っている帝国との戦争が原因だ。この国が「魔物」と呼ばれる人や動物を食い荒らし、生態系を破壊しながら各地で暴れ回っている生物を生み出した原因とされている。そんな非道な生物を生み出す国を止めるべく、両親は4年前に魔国との戦争に赴き、そこで戦死した。両親はどちらも、特別な力である魔法が使え、薬師としての知識も相まって後方で味方の支援を務めていたが、敵からの奇襲を受け、けがで動けない味方を守るために戦い、命を落としたのだ。


今はそんな両親を誇りに思うし、魔国に対する憎しみも薄れてはいるが、当時は自身にも魔法の才能があることがわかり、両親が殺された知らせを受け、戦争に参加して復習をしようと考えていた。だが、そんな中で、フレアの祖父に言われたことがある。

「戦争はどちらかが悪いのでは無く、どちらも自分たちが生きるために必死に戦ってるんじゃ。誰かが悪いのではないんじゃ。恨む気持ちも怒りに震える気持ちもわかるが、復讐するためだけに、剣を振るってはならん。復讐は魂が故郷に帰れなくなってしまう。それに、グレンのお父さんも、お母さんも、グレンの将来を願って戦争にいったんじゃ。その気持ちを無駄にしてはいかん」


当時は自分の母親が殺されたのに何を言ってるのかと反抗的な態度をとっていたが、フレアに泣きつかれ、気持ちが変わった。このまま、自身が戦争に行ってしまったら、だれがこの村を、フレンを守るのだと思い、戦争に行くことを諦めたのだ。このときの選択は今でも間違っていなかったと思うし、今ならフレアの祖父が語っていた事も理解が出来る。こうして村唯一の薬師として王都と村を行き来し、村のために働いてる日々は、両親が亡くなってしまった心の穴を埋めるための、グレンにとってかけがえのない日々となっていた。そんな魔国との戦争は一年前に収束した。しかし、未だに魔獣は絶えず畑や村を荒らし、魔国復活を試みる輩が王国の転覆を狙っていると噂になっている。頼まれた薬草を全て下ろし終えたとき、おっさんに今日の王城内の異様な活気について尋ねてみた。


「そういえば、なんでこんなに賑やかなんだ?いつも賑やかだけど、今日はいつも以上に騒がしいよな」

「なんだ?何にも知らねえのか?」


一瞬怪訝そうな顔を見せたが、ほんの少し間を置いて、おっさんはぽつぽつと王都での出来事を話し始めた。


「2日前、王様が勇者の召喚に成功したって発表があってな…これで、魔獣はいなくなって魔国も倒せると話題になったんだよ。で、勇者とこの国の安寧を祝って終始大騒ぎってことよ」

「へぇー…」

「ただなぁ…その勇者が来てから、王城は完全に閉め切って、だれの出入りもねえんだわ。それに、詰所の門番も王城の警備兵も全然見当たんねぇし。俺は王様の早とちりで、実際は勇者なんて召喚されてねぇんじゃねえかって思ってるよ」


先程見た光景を思い出す。何度呼びかけても反応がない詰所、王城も王都の城下町ほどではないにしても、平和ぼけしているのか、王城の壁の上からいつも警備兵の笑い声が聞こえていた。この国の警備兵として心配にはなるが、そんな平穏な様子は好きだった。だが、今日はそんないつものような笑い声も聞こえては来なかった。見たのは、異様な雰囲気の黒髪の少年だけであった。


「まあ、そのうちこの騒ぎも収まって、王様から何か説明があるだろうよ」

「…うん」

「にしても、伝令も送ってないとはなぁ…一体どうなってんだ?」


王都から何か重要な知らせや、招集がかかったとき、王城内で特別に飼育されている鳩が知らせを持ってやってくる。王都から近くにある町や村に行き着き、そこから順々に巡っていき国中に知らせを届けるのだ。2週間も前に勇者を召喚したのならもうとっくに知らせは届いているはず、それが未だに届いておらず、王城内の異様な静けさと謎の少年、グレンは何か薄い膜が肺にかかるような嫌な予感がして、すぐに村へと帰りたくなった。急いで帰って村の無事を確かめ安心したかったが、詰所にだれもおらず王城に届けるはずの薬草がまだ運べていないため、王都で足止めをくらっていた。


「そういや、なんでこんなに薬草が残ってんだ?いつもより多めに荷台に乗せてきてんなら、少し買ってもいいか?」

「これは、王城内に持って行くための薬草なんだけどさ、詰所にだれもいなくて王城に入れなかったんだよ。・・・そうだ!おっさんこれ置いてくからさ、王城には入れるようになったら届けてくんね?ちゃんとお金払うからさ」

「別に金はいらねぇけどよ…大丈夫なのか?俺は宮廷薬師に会ったことねぇし、そもそも王城に入る許可ももらってねぇぞ。それにもらった報酬はどうすんだ?」

「俺の名前を出せば、王城内に入って宮廷薬師には会えるし、今回の薬草は納税を兼ねたものだから報酬は受け取らないんだ。たのむよ」

「…あ~あ、まあそれなら問題ないか。荷台に乗ってる薬草は別にして保管しとくぞ」

「ありがとう!おっちゃん!!」


本来、別の人間を介して薬草を届けることは良くない、ましてや王城内にいる王の下で直接働く臣下に対してなのだから、なおさらだ。しかし、時間がたつにつれ先程感じた嫌な予感はどんどん強まっていく。グレンの頭の中はとにかく早く村に帰ることでいっぱいだった。


「ほら、これもってさっさと帰れ、日が暮れちまうぞ」


そう言うと、麻布で出来た袋を手渡し、大きな手でグレンのあたまをなでる。成人男性の力であたまをなでられ、重みで首が上下する。頭の上に置かれた手を払いのけ、子供扱いするおじさんににらみをきかせながら、手を何もない空間に、水につけるように動かした。すると、指先から黒い霧のようなものが広がり、手を動かすとその霧の中に、手がそのまま飲み込まれていく。


「本当に便利な魔法だよなぁ、それ」

「大きなものは入れられないし、重すぎてもだめだし、移動には使えない。以外と不便だよ、これ」

「そういうのは、持ってる人間のわがままってやつだ。ないよりあるほうがいいにきまってんだからなぁ」


あって困ったことはなかったので、それもそうかとうなずきながら、黒い霧から手を取りだし、先程もらった布袋をその中に沈めていく。すると、布袋は地面に落ちること無く、黒いもやの中に消えてしまった。もう一度手をかざすと、霧は消え空の空間だけが残っている。黒い霧グレンの持つ魔法の力だ。この世界の人々はまれに特殊な力である魔法をもって生まれてくることがある。魔法の種類は様々で、手のひらに水を出す能力や、視力や聴力、嗅覚などの五感を強化する能力、体を発光させる能力など、人によって持っている能力は異なる。彼らにとって日常である魔法を行使した後、急いで馬車に乗り薬屋を出て行く。後ろから感謝の言葉と共に、いつでも遊びに来いよと大きな声で聞こえてくる。あまりの響に周りの人間が、グレンの馬車に注目してしまっていた。そんな中、若干の恥ずかしさを覚えながら、後ろを振り返り、手を振ると、店の奥から出てきた奥さんが赤ん坊と一緒に手を振っていた。そんな家族三人の姿を見ながらも、心の奥底の不安は増していくばかりであった。


日が落ちる前、もうすぐ村の灯りが見えてくるところで、グレンは違和感を覚えた。黒い煙が立ちこめているのだ。近くに行くとその様子がはっきりと理解できた、村の家が燃えていたのだ、一軒だけでは無く全ての家が。激しい動悸と共に、不安から吐き気がしたが、なんとか冷静さを保ち、馬車から馬を一頭引き離し、背中に乗って急いで自信の村へと向かった。村についたグレンが最初に目にしたのは、燃えさかる家と畑、その後すぐ目に映ったのは無惨な死体となった村人であった。村の入り口すぐに、女性の死体と、その女性を守るように覆い被さった男性の死体が目の前にあった。この二人は最近村に越してきたばかりの若い夫婦で、兵役から帰ってきた夫とゆっくり過ごすために、王都から少し離れたこの村に越してきたのだ。グレンとフレアの次に若い夫婦で、村長が村に活気が戻ると喜んでいたのを覚えている。二人とも整ったきれいな顔立ちで、仲のよいおしどり夫婦であった。しかし、目の前にある死体は、どちらも顔の皮が剥がされ、おなかに何かで打ち抜かれたような大きな穴が開いていた。


グレンは二人の死体を後にし、村の中心にある村長の家へと向かった。村長の家は他の家と違い少し強固に作られており、何かあったときは村長の家へ避難するのが決まりだった。しかし、グレンが村長の家の前についたとき、その建物は屋根から崩れ落ち、燃えさかっていた。燃えさかる炎の隙間から、人の手や足らしきものが見え、それが周りの木と同じように黒く赤く燃え、異臭を放っていた。誰か生き残りはいないのか、フレアは無事なのか、絶望的な状況にわずかな希望を見いだそうと周りを走り回ると、何かにつまずき倒れてしまった。土で汚れた自分の体を見つめ、つまずいた原因に目をやると、それは長く赤く黒く茶色い、グロテスクな太い紐のような物体、それがどこからか伸びてひっかかったようだった。紐が伸びてる方向に目をやると、村長が倒れた建物に横たわっていた。腹のあたりが引き裂かれ、中から先程見えていた紐が露出していた。村長はこの村のまとめ役で、両親が他界したグレンのことをよく気にかけてくれた。他の村の村長とは違い、よそから来た村人も歓迎する優しい性格。最近の悩みが村の平均寿命が年々上がっていることと、冷え性で夜寒いことだと、くだらないことをわざわざグレンの住む家に来て話して帰る事を繰り返していた。おかげで、村でフレアやフレアの祖父母の次によく知る人物となっていた。本当にお茶目で優しい人なのだ。


「…なんで」


あまりに理不尽な状況に、頭が混乱し、ただただ疑問が口をついて出てしまう。薬草を運ぶために借りた二頭の馬は、この村で牧畜を営んでいる男が貸してくれた馬だった。今日会ったおじさんほどではないが、大柄で熊を連想するような体格の男性で、まだ結婚できる歳なのに、このまま馬と牛と共に死んでいくのだと嘆いているのをよく慰めていた。村長よりも年をとっているおばあちゃんは、この村一番の物知りで、両親が死んでからグレンやフレアはこのおばあちゃんに色々なことを教わった。勉強が終わった後、手作りのお菓子を振る舞ってくれるのだがこれがおいしく、勉強もこのお菓子を食べるためだけに頑張っていたようなものだった。フレアの祖父母はグレンの両親が死んだ際に、一人だったグレンを引き取りここまで育ててくれた。自分の子供たちも死んで悲しかっただろうに、そんなこと微塵も出さずグレンとフレアを優しく介抱してくれた。今グレンがこうして元気に健康に仕事が出来ているのは、フレアの祖父母のおかげであり、すごく感謝している。フレアは…フレアは、大好きな幼なじみだった。


何もかもが燃え尽き、壊され、ひどい異臭と煙で嘔吐してしまう。急いで帰ってきたため、何もたべておらず胃液だけが食道を通って口から吐き出された。


「―――――――――――――――――――――」


何かしゃべるような声が聞こえて振り返ると、そこには王城で見かけた黒髪の少年とフレアが立っていた。うれしさにこの異様な状況のことなど忘れ、二人の方に近づこうとするが、何か見えない壁のようなもので阻まれてしまう。勢いよく飛び出したため、顔面からその見えない壁に勢いよく突っ込んでしまった。顔に熱と痛みが集中し、手をかざすと鼻から血が出ていた。


「はぁっはぁはぁはぁはぁはぁはぁ」


目の前にいる少年は、口を大きく開けその様子を見て腹を抱えて笑っている。楽しそうに笑っているのだ。顔面に衝撃を受けたことにより、冷静に状況を見ることが出来た。未だに楽しそうに笑っている少年の横、胸に手を回して支えられているフレアはどこかうつろな目をしていた。服はボロボロで無理矢理裂かれたのか、伸びて肩が露出していた。体も傷だらけで腕や手には太い線のようなあざがいくつも出来ており、目も大きく腫れていた。少年が笑うのにつられ揺れる顔を見てみると、かすかに唇が動いていた。熱で水分が失われたのかしわが出来て、唇が裂け、血が出ていた。少年の笑い声にかき消されそうな、小さくてか細い声を必死にフレアの声だけに集中して、耳を研ぎ澄ませる。


「…た……すけ…て……」

「うあわぁぁぁぁーーーーー」


消え入りそうな声で助けを求められ、グレンは目の前にある見えない壁を何度も殴りつける。それを見て少年は何か言葉を発しているようだったが、グレンには何を言っているのか理解できなかった。何度も見えない壁に拳をたたきつけたため、血がにじみ透明な壁に赤い模様を浮かび上がらせていた。どれだけ拳が傷ついても、少年が何かわめいても、殴ることをやめなかった。すると、少年が顔を殴っている拳に近づき、挑発するように下から見上げてくる。それを見て、グレンは睨むようにその少年の顔を見下ろした。一瞬少年の顔が強張り仰け反ったと思ったら、見えない壁が消え先程まで壁を壊そうとしていた拳が、そのまま少年の顔にめがけて飛んでいった。このままフレアを救うために拳をお見舞いしようと殴りかかると、次の瞬間には体が宙に浮いていた。一瞬自身の身に何が起きたか理解できなかったが、宙に浮いた体がそのまま木に叩きつけられ、腹と背中に尋常ではない痛みが走った事により、あの少年に蹴り飛ばされたことが理解できた。息が出来ず、体に走るひどい痛みと痙攣で腹を抱え動けない。少年はそんなグレンを見下ろし、何か一言言葉を放った後、目の前でフレアの頭を地面に叩きつけた。割れた顔面の骨と肉と血が、動けないグレンの顔にまでしぶきを上げて飛んできた。少年は一瞬光るとその場から消えてしまった。動かない体を必死に動かし、指先に黒い霧を出すと中から紫色の小瓶をとりだした。その小瓶を持った手に倒れ込むように体を動かすと、グレン自身の体重に押しつぶされ、小瓶は割れグレンの傷はみるみる回復していく。腹に受けた傷が治り、息が出来るようになると、グレンはフレアの体を自身の方へと無理矢理引き寄せる。抱きかかえたその体は、先程まで生きていたことを証明するように温かく、顔から出る血がグレンを包み込むように服に浸透していく。


「あぁ、ああぁ、うわぁぁぁぁぁぁああああああああああ、あっ、っあああぁあぁぁあぁあぁぁ」


畑も家も全て焼かれ、優しかった村人は無惨に殺され、愛した幼なじみは目の前でどんどん冷たくなっていく。グレンの腹の傷は、この村で栽培された薬草で作られた回復薬で治ってはいるが、木に強く打ち付けられた背中の傷はまだ痛み、腰から下、下半身の感覚は全くなかった。無理矢理引き寄せたフレアの体は、血のついたどろで汚れており、強く抱きしめると体についた細かな土が針のようにグレンの体に痛みを与えてくる。グレンの心への負荷は、村の現状を一目見た瞬間から、現実ではなく夢であると心の奥底で誤認することでなんとか耐え忍んだものであった。しかし、フレアの死体か温もりを失うのと同時に感じる痛みが、グレンにこの現状が現実であることを認識させていた。ただ、フレアの死体を抱きしめ泣きわめくこと以外、何も出来なかった。


「ずいぶんとひどい有様ね」


女の声が聞こえ、顔を上げるととんがり帽子に黒いローブを羽織った銀髪の少女が立っていた。少女はグレンと目線を合わせるためしゃがみ込むと、グレンの頬に手を添え、親指で涙を拭った。


「ねえ、きみ大丈夫?…この絶望にあふれた状況で、ただただ泣くことしか出来ない。でも、恥じることなんてないよ。しょうがないのよ、これは必然だもの。この世界にやって来た男が、あんな汚物だったことが、君だけではなく、この私の体を含めたこの世界に存在する者たちの運が悪かったって事だから。せっかく拾った命なんだから、後どれくらい残っているかわからない、この世界の余生を大事に過ごしたほうがいいわね」


そう告げると、少女は立ち上がりグレンから離れていく。彼女の語ることは、何ひとつとしてグレンには理解できないものであった、いや、理解したくない内容だった。


「待てよ!……運が悪かった?…そんな言葉で片付けられて、納得出来る分けねぇだろ……あんた、あいつのこと知ってんのか?……知ってるなら、教えてくれよ…あいつのこと、教えてくれよ!!何でもいいから、教えてくれ………俺があいつを…殺す」


先程まで泣いていた目は赤く腫れ充血し、息は絶え絶えで、しゃべるのにも一苦労だった。一撃蹴りを入れられただけで瀕死になり、村人も愛する幼なじみも殺され、下半身を動かせなくなった少年だった。戦う事など出来ないとだれもが思うような有様で、それでもなお、あの男に復讐しようとする意思は、すさまじいほどの憎悪をその目に宿していた。そしてそんな憎悪と共にかすかに希望も見いだしていた。少女が話した内容は、確かに一字一句漏らすこと無くグレンの耳には届いていた、しかし彼女の話した内容では、あの男を殺せる希望など無いに等しいものであった、だが、それでも彼は、少年の体には収まりきらない憎悪をもって、あの男の首元に噛みつこうとしていたのだ。


「ふひひ、ふふふふふ、あはぁはぁはぁはぁはぁ」


あまりにも愉快なことだった。この絶望的な状況で、復讐心の中に、希望を持っている。人間らしい自己矛盾にも似た何か。この少年に出会ったことも、運命だったのだろう。そう、少女は納得していた。


「死にかけで、無力で無知な少年。私は君のことなんて何一つとして知らない。名前を聞いても、君は今この場で死ぬか、次に会っても、おそらく私は君のことなんて知らないと思う。それでも、託そう!この国の未来を、私たちの希望を、この世界からの復讐を!!さあ出発しよう、彼の世界へ!!そして……私たちを救って欲しい」


少し悲しそうな表情をした後、少女がグレンに手をかざすと、体が徐々に沈んでいくような感覚に襲われる。だんだんとその感覚は体ではなく体の内側、何か精神のような、魂のような、体の中にある何かがそのまま地面に引きずられるような、今まで体験したことの無い気味の悪い感覚を不快に感じていると、突然目の前が真っ暗になり一瞬意識を手放した。


目を開くと、目の前には何か木で出来たような机らしきものがあり、背もたれのある椅子に座り、服は先程着ていた麻で出来た薄地の服ではなく、少し高級感のありそうな黒い服を全身に身にまとい、金色のボタンを首元まで留めていた。意味のわからない状況に、立ち上がりあたりを見渡すと、自身が座っていた机と椅子がきれいに整列され並べられており、そこには同じ服を着た、同じくらいの年齢の少年少女が、同じようにきれいに整列して座ってこっちを見ていた。目の前には、濃い緑色の長方形の板があり、そこには白い文字の見たことの無い言葉で何かしら書かれていた。その板の前に立つ男は、周りにいる人々とは違い大人で、服も首元に何か平べったい紐のようなものをぶら下げ、こちらを不思議そうに見ていた。しかし、話している言葉だけは聞き覚えがあった、周りの少年少女や、目の前にいる男が、グレンを見て話している言葉、忌々しい過去と共に思い出されるその言葉は、あの村を襲った黒髪の少年と同じものだった。


突然の状況に頭痛がする。さっきまで銀髪の少女と話して死にかけていたのに、今は傷もなく、少女も見当たらない。代わりにいるのは、みんな同じ格好をした、村を襲った少年と同じ黒い髪の人間しかいない。困惑して頭を抱えていると、大人の男が何かを話しながら、グレンの両肩を突然つかみ揺さぶってきた。その男は顔をのぞき込むようにして様子をうかがうと、子供たちがいる方に何か声をかける。すると、一人の少年が立ち上がり男とグレンの方へと向かってきた。動悸が速くなる、全身の筋肉が硬直する。歩いてきた少年の顔、あのとき見たときと違い、顔を下に向け猫背なうえに、顔に赤い斑点が出来ており遠目には気づけなかった。だが、確実にあのときの少年、村を襲い、村人を焼き殺し、愛する人を目の前で叩き潰した少年。黒髪の少年が近づくと、男は何か彼に告げ、この部屋の外、ガラス張りで出来た大きな窓と、黒髪の初年と共に長い廊下に連れ出された。黒髪の少年は、グレンとは目を合わさずゆっくりと廊下を進み始めた。その背中を見ながら、グレンは怒りで我を忘れ衝動的に動きそうになるのを、なんとか冷静に押さえ込んでいた。前回初めて対峙した際に、見えない壁で攻撃を全て阻まれたのだ。状況はわからないが、前回のように見えない壁で攻撃を阻止されては困る、グレンは確認のために、目の前を歩く黒髪の少年の背中に触れてみた。肩をふるわせ驚くと、少年は恐れるような目でグレンの方を振り返る。その顔を見た瞬間、グレンは怒りを抑えられなくなり、拳を握りしめてこちらを見ていた黒髪の少年の顔を殴りつけた。拳は黒髪の少年に命中し、体はそのまま宙に舞い、回転するようにして倒れ込んだ。


-殺れる


グレンは横たわる黒髪の少年に馬乗りになると、そのまま両の手のひらを合わせ、顔面を力一杯に殴りつけた。鼻がひしゃげ血が噴き出すのを見たとき、心につかえていた何かがはじけ飛び、濁流のように様々な感情があふれ出した。憎悪、嫌悪、憤怒、怨嗟、軽蔑、殺意、様々な感情が入り交じりながら、黒髪の少年に振り下ろす手は止まることを知らず、何度も何度も顔面に振り下ろされる。そんな心の内とは裏腹に、グレンは表情を一切変えずに、機械のように顔を殴り続けていた。最初の一撃で気絶していた黒髪の少年は、ただ殴られ続けるのを享受するしかなく、顔は陥没し見る影もなく、真っ赤に染まった廊下がどれだけ多くの血を流したのか証明するようだった。


すると、グレンはこちらに来たときと同じ感覚に襲われる。内側から何かが抜けるような感覚。そのまま意識が遠のき、また目の前が真っ暗になった。



如月拾弐日


「…ン…レン…グレン…グレーーン!!」


気がつくといつもの麻布を着て、土と牧草、それと共に薬草の匂いが強く風邪と共に香ってくる。手には薬草を持ち、土がこびりついていた。目の前には見慣れた畑が広がり、親しんだ村人たちが何かを話ながら、楽しそうに薬草を刈っている。今までの全てが夢のような体験だったが、感覚は未だに残っている。殴ったときの感触も、手についた血の生暖かさも、畑や死体が燃える匂いも、フレアの体が徐々に冷たくなる感覚も、それら全てを何もかも実体験したかのように覚えていた。あの出来事は現実だったのかそれとも悪い夢だったのか、なにもわからなかった。


「グレン?大丈夫?ぼーっとしてるみたいだったけど…」


横を見るとフレアが心配そうにこちらを見ていた。夢か現実か、頭で理解できなかったグレンは、フレアの頬にそっと触れる。すると、急に頬を触られ、フレアは少し顔を赤くする。フレアの頬に触れた手は、血が脈打つ感覚と温もりを感じ、やっとここが現実で生きているのだと実感が出来た。


「ど…どうしたの?グレン?」


フレアを抱きしめる。鼓動が聞こえる。抱きしめた事で、フレアは羞恥心から鼓動が早く、大きくなり、グレンはそれを体全身で感じ、涙があふれ出てきた。安心感から抑えられない感情が、涙として体からあふれ出てきてしまう。異様な状態のグレンに、フレアは何も言わずただ背中をさすり、大丈夫だと優しく声をかけ続けた。周りの村人たちも心配そうにグレンの周りに集まっていた。フレアは村人たちには、心配いらないと安心させ、仕事を続行するようにいった。フレアはグレンが落ち着くと、自分たちが住む家へ一度帰ろうと手を引いて未だに少し嗚咽を漏らすグレンを引っ張っていく。心配そうに、何度も後ろを振り返り、顔をのぞき込むフレアに、冷静さを少し取り戻したグレンは、服の袖で涙を拭っていた。


すると、大きな爆発音と共に、何かがグレンの足下に飛んで来た。赤い液体を撒き散らしながら飛んで来たそれは、どう見ても人間の手だった。フレアに逃げるよう声を掛けようとしたとき、つないでいた手だけを残して、フレアの体は平らに潰されていた。地面には、フレアの血液と肉片が細かく飛び散りグレンの足下を赤く染める。先程まで握っていたフレアの手が、重くグレンの体を地面に引っ張り、そのまま膝から崩れ落ちるように座り込んでしまった。何が起きたのか上を見ると、黒髪の少年が空に浮かび、ゆっくりと飛んでいった。血と燃える匂い、鮮明に村を襲った記憶が一気によみがえり、朝食べた物を戻してしまった。ただ、呆然と村の悲惨な状況を眺めることしか出来なかった。


「ひどい状況だね。君は運がいいね少年」


どれくらいの時がたったかわからないが、いつの間にか横に立っていた銀髪の少女が、グレンの横で手を合わせて、この状況に祈りを捧げていた。少女の髪色も格好も前合ったときと同じだが、どこか雰囲気が違っていたため、グレンはすぐに少女の事を思い出せなかった。


「……なあ、もう一回送ってくれ。たのむよ」

「……送る?君とは初めて出会うはずだけど。一体どこに?」

「なにいってんだよ!?あんたが送ってくれた場所だよ!!どこかわかんねえけど、あのクソ野郎を殺した場所だよ!!!夢じゃなっかたんだろ…過去に起きたことも、今起きてることも、何もかも夢じゃ無かったんだろ!あんたがいるのがその証拠だろ!!だったら、もう一回あの場所へ送ってくれよ、きっと殺せてなかったんだ、あのクズ野郎を殺せてなかったんだ。……次はちゃんと殺すから、殺してみせるから、なぁ!たのむよぉ……」

「…成功したの?……私たちは一度会って、君を彼の世界に飛ばしたんだね」

「…?…ああ、たぶん」

「…それじゃあ、まだ何一つとして終わってはないんだね」

「…なあ?俺のはなし聞いてたか?たのむよ」

「ああ、きいていたさ。そして、君がやろうとしていることは無駄だ。何度殺しても結果は変わらない」

「はあ?じゃあ、どうしろってんだよ!!」

「救うのさ」

「だから!そのためにあいつを…」

「違うさ。“救う”というのは、君の友達の話ではなくて、今君の友達を殺した彼のことだよ」

「……は?」

「その人の人格は、その人の人生経験に起因する。彼の人生は、この状況を生み出すようなひどいものだったんだろう。そんな彼の…」

「ふざけんなよ……ふざけんじゃねぇよ!!自分の人生がいいものじゃなかったら、関係ない人殺していいのかよ!!こんなひどいことして、許されるのかよ!!冗談いってんじゃねえよ!!ふざけんな…ふざけんなよ……ふざけてんじゃねぇよ………」

「…君の怒りはもっともだ。こんな理不尽許されていいわけない。殺したくて殺したくて仕方がない相手だろう、生きていていいわけがないし、君にした仕打ちはどんな理由があっても到底許される物じゃない。それでも、救いたいんだろう?愛する人が理不尽に殺される運命を変えたいんだろう?平和に生きる未来を望んでいるんだろう?…それなら覚悟を決めて欲しい。復讐心を捨て、殺してしまうほど憎んでいる相手の人生を救う、そんな覚悟を」

「………」

「…すぐに決めるのは、無理だと思う。私はここでいつまでも待っているから、考えがまとまったら、その考えを教えて欲しい」

「どうすればいい…俺は、何をしたらいいんだ?」


目の前にいる名前も知らない少年は、涙で顔を濡らし、先程まで絶望的な状況に腰を抜かしていた。そんなどこにでもいそうな少年の、覚悟を決めた目と今まで見たことも無いような憎悪に、少女は困惑していた。一体どんな経験をすればこんな風に人を駆り立てることが出来るのだろうか。先程言ったことは、少年にはあまりにも残酷な仕打ちである。それを理解しても、少年はこの残酷な提案を受け入れたのだ。しかし、少女は託すしかなかった、この絶望的な世界を救う唯一の希望を、地獄のような道を歩ませることを、ただこの少年に託すしかなかったのだ。


「……君に頼まれたとおり、君を彼の世界に送る。だが、その前に君は知らなければいけない。彼が一体どこから来たのか、君がどこから帰ってきたのか、勇者とは何なのか、そして“異世界転生”という言葉の意味を」




朝起きて目に入るのは、天井に張ってある深夜アニメの最推しキャラクター、海辺の砂場で長い赤髪をおさえ水着姿でこちらに笑いかけている。どれだけ眺めても、学校に行きたいとは思えなかった。きっかけは些細なことだった。私立中学の受験に失敗し、意気消沈していたが、公立の入学式で心機一転、友達を作り中学校生活を楽しもうと思い、名前順で並んだ前席の同級生に肩をたたき、声を掛けた、稲葉紅、この男に話しかけたこと、それが悪夢の始まりだった。未だに振り返った時の紅の笑顔が忘れられない。声を掛けた後、学校の帰り支度をしていたとき、一緒に帰りたいと言われ喜んで了承したが、人目のつかないところで取り巻きに囲まれリンチされた。入学式で初めて着たおろしたての制服は、土とほこりと血でひどく汚れ、つなぎ目はほつれ穴が開いてしまっていた。ぼろぼろになった制服姿で家に帰ると、母親が口元を押さえて涙目で汚れた制服を着た自身の姿を見ていた。心配してくれたのだと、受験に失敗し、溺愛する兄の足下にも及ばなかった弟で、見限られたのだと思っていたがまだ自身を愛してくれていたと、そう思った。しかし現実は全く違っていた。母親はボロボロに汚れた自分の息子を見て「なんで目立たないようにすることすら出来ないの!」この言葉を聞いた後、何を言われたか覚えていない。けがをした息子を心配もせず、怒鳴りつけるだけだった。この日を境に、紅からひどいいじめを受けることになる。殴る蹴るの暴行は当たり前で、虫を食わされ、裸で土下座させられ、万引きを強要され、スパイごっこと称して拷問されたこともあった。いじめられどれだけ制服を汚して帰っても、両親は心配するそぶりすら見せなかった。約一年間いじめられ続け、二年生になればクラスも変わり、いじめの標的から逃れられると思っていたが、紅とは同じクラスで逃げることは出来なかった。もう限界だった。家にも学校にも居場所はなく、趣味のアニメでノベル時代から追っている「死後に夢見る幽霊少女」も最終話を迎え、生きる目的も無くなってしまった。ベッドで小さく丸まっていると母親の怒号が飛んでくる。学校を休む権利など、この家の疫病神である自分にはないのだ。


学校の屋上は太い鎖で扉が閉められており、出入りすることは禁じられている。鎖を外すために、ワイヤーカッターとかかれた道具を購入して、学校に持ってきていた。この道具で、稲葉紅を殺せるかもと思ったが、そんな勇気も力も気力も無く、こうして屋上の鎖を断ち切り学校の屋上で自らの命を絶つことを決めたのだ。両親といじめた同級生への恨み言を綴った遺書を、内ポケットに忍ばせてある。せめてもの抵抗として、死んだ後にSNSで話題になればいいと、昨日一枚だけ書いておいたのだ。グラウンドよりも強い風が吹く屋上で、あと一歩足を踏み出せばグラウンドまで真っ逆さまという所まで来た。不思議と恐怖心は無く、ただやっと終わるという開放感の方がずっと大きかった。大きく前足を踏み出すと、誰かに後ろから腕をつかまれ後ろに引っ張られ、そのまま学校の屋上に倒れた。体を起こし、振り返ると、いじめの主犯で自殺を決意させた男、稲葉紅が走ってきたのだろう大きく息を乱し、この地獄から逃がすまいと強く腕を握っていた。




「はぁ、はぁ…黒瀬、こんなことやめろよ」


全く本心にない言葉を彼にかける。黒瀬英雄、村人を焼き殺し幼なじみを殺したグレンにとって最も憎むべき相手、このまま死んで二度と顔を見なくてすむのならどれだけうれしいことだろう。だが、運命はそうはさせてくれなかった。ここで死んでも、彼は勇者として異世界に招かれ、多くの人を殺す。故郷である国を、村のみんなを、フレアを救うためにはグレンはこうするしかないのだ。ふぬけた彼の手を強く握りしめる。


「わるかった。…俺がわるかったよ。こんなことすんな。これからは、俺が守ってやるからさ。もう二度といじめたりなんかしないから、だから…こんなことやめろよ、な?おれがお前の人生を変えてやるから」


-そう、俺はこいつを、心の底から死んで欲しくて、殺したいと願っている黒瀬英雄を救う。みんなを救う方法はこれしかない。壁となる障害は全て取っ払い、邪魔をする人間は排除する。たとえ、俺の体や感情や魂を捨て去ることになっても、目的を達成するために、どんな犠牲でも払う。この男が、復讐相手のこの男が、愛されることを知って、まっとうな倫理観を持ち、誰かのために力を扱うような人格者にするために、この男の人生を救う。



この物語は『報復』ではなく、『救済』の物語である。

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異世界転生者がクズだったので人格を矯正します。 @reisuou

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