第6話 傷
朧君が住んでいる辺りとは違う、幾つもの高層マンションがある区画へ戻って来た。ここは学園にも近いので通いやすいのだが、私は有力な魔法使いとして知られているせいで、通りを歩くだけで声を掛けられることが多い。私と近付きたいという下心が見えるのであまり相手にしたくないんだけど……
「……静かね」
しかし、今日に限ってそんなことがなかった。もしかして、朧君と出かけていたことが効いているのだろうか。いつもこう静かなら、散歩も行きやすいのだが。
「まぁいいわ」
さっさと帰ろう。最近は色々と物騒なのだから、あの日のように自分から巻き込まれる理由もない。
「ただいま」
部屋から帰りを迎える声はない。それはもう、10歳になる前になくなった。
「それにしても……」
病院のおばさんから預かった扇を持つ。
「……そっか。この扇は……朧君のだったんだね」
病院のおばさんから預かった重めの扇。警官以外の魔法使いは総じて武器を持つことが禁止されている上、こんな日用品を武器にする人なんてこの街で殆どいないだろう。
「思えば私、何回助けられたんだろう」
退院してから何かと関わることが増えたのに、何の礼も出来ていないままだ。それに、最近は退屈していない。それもよくよく思い返せば、朧君と関わりが出来てからでは?
「──折角だし、朧君にお弁当でも作ってみようかな?」
料理をするのは嫌いじゃないし、同じメニューなら一人分が二人分になったところであまり苦労は増えないというもの。でも、作るのは朧君に聞いてからにしよう。
しかし、翌日もその翌日も朧君は学園に来なかった。
「──あれ?」
渡したい物もあったのに、これでは意味がない。……って、何だか、騒がしいわね。
「釧灘さん、ちょっと噂を聞いたんですけど……」
「嘘ですよね、火之果さん!?」
何よ、噂されるようなことなんて……沢山あるか。
「名無しの朧とデートをしていた、って本当ですか?」
嫌な噂だけは回るのが早いわね。大方、朧君が気絶させた学生から広まったのかしら。
「ええ、それが何か?」
悲嘆に似た声が聞こえたが、私の知ったことではない。全く、魔法が使えるだけで偉くなった気分でいるこいつらが信じられないわ。
「どうしてあんな名無しなんかと!?」
「あんたらみたいにしつこい人じゃないし、朧君は誰かを見下すこともしないわよ」
まぁ、昔の私も驕りがあったはずだから他人に強く言えないけど……朧君と関わることで、ちょっとずつ変われているような気がする。強い魔法が使えるということで慢心していた自分から。
「────へ?」
「少なくとも、努力もせずに威張り散らしているあんたらよりは、よっぽど付き合い易いってことよ」
それにしても、朧君は何処に行ったんだか。風邪を引くような、柔な鍛え方をしていないと思うんだけど。
その後、朧君のクラスの担任に確認したものの、理由は不明らしい。こうなると、家に行って安否を確認した方がいいだろうか……あれ、あの人は……。
「えっと……桜庭先生?」
「ああ、火之果ちゃん。今、時間を貰ってもいい?」
構わないですけど……どうして不安な顔をしているのでしょうか。
「朧君が来ていないのは知っている?」
「はい。風邪なんでしょうか?」
桜庭先生なら何か知っていると思ったけど……この様子だと違うわよね。
「いえ。担任の先生に聞いてみましたが、朧君の知り合いが連絡してみても繋がらない所にいる、と」
「……え?」
思わず、冷や汗が背中を伝う。
「最近話していたって聞いたけど、おかしなことは無かった?」
「……いえ。最後に会ったのは5日前なんですけど、一緒に出掛けていまして」
あの日、朧君は変なことをしていたのだろうか。いや、それはない。帰るまで、一緒にいたんだから。やっぱり、何かに巻き込まれたの?
「あら、そうなの。それはいいことね。私も朧君のことは知っているけど、まさか火之果ちゃんが一緒に出掛けているとはね……やるじゃない」
いや、あの……今は茶化さないでくれますかね、しかも。
「ちょ……桜庭先生。私、まだそういう……」
え、どうしてニヤニヤしているの?
「まだ、ねぇ~。隅に置けないわ、火之果ちゃんも。いや、この場合は朧君が、かな?」
ちょ、いや、私は、まだ……
「………………え?」
桜庭先生から目を逸らそうと窓から見える街を見て……そこで私は始めて、外の異常に気が付いた。
「さ、桜庭先生……」
思わず、震える手で窓から見える外を指す。
「どうしたの……っ!」
私達が住んでいる区画が、燃えていた。桜庭先生も異常に気が付いたようだ。学園の周りにある私達の住む区画が赤いことに。
「あ、ああああ……」
幼い日のことを、家族を失った日のことを思い出す。
「ああああああ、ああああ……」
銃撃が響き、窓から見えるマンションの一つに大きな凹みが出来る、学園の周囲が火の海のように赤くなる。そうして、私の視界も……
「あ、あああぁ……」
この光景を二度と見るとは思わなかったのに……ああ、嫌でも思い出す。この学園都市に来る羽目になった最初の事件。これを忘れた日はないし、今でも三日に一度は夢に出る。強すぎる火がその時いた公園を、家族を、友達を、そして街を焼いた悪夢の日。
「いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
視界が赤に染まる。記憶がフラッシュバックする。あの日、二度と見ることが無くなった景色が、どうしても蘇る。
「ど、どうしたの、火之果ちゃん!?」
あ、ああ。桜庭先生……
「しっかりしなさい。何処に逃げればいいかは分からないけれど、まずは貴方がしっかり意識を保ちなさい!」
「は、はい……」
「あなたがこの街に来た経緯は私が知っているわ。だから、言うわよ。この街はあなたが焼いたものじゃないわ。私達以外の誰かが、故意に起こしたものよ」
そ、そそそ、そうだ。この炎は私が、私が出したものじゃない。私の魔力は暴走していない。あの日みたいに暴走していない、制御出来ている。
「あ、ありがとうございます……」
落ち着くためにも深呼吸して、と。
「落ち着いたようね。まずは避難するわよ!」
「はい!」
でも、一つ気になることがある。朧君は今、何をしているんだろう。無事に逃げていればいいんだけど。
「桜庭先生、何処に行きますか?」
「まずは魔法実践室に行きましょう。あそこなら頑丈な筈よ」
あれ、誰かこっちに来ていない……?
「……ちょっと、待ってください!」
「どうしたの、火之果ちゃん!?」
「……誰か、来ます」
誰かがゆっくりとこっちに近付いてくる……何でこの状況で、慌てていないのだろうか。あれは……バーコード?
「平先生、外の様子は大丈夫でしょ……うか?」
でも、何か様子がおかしいわ。桜庭先生も不審な様子に気付いたみたいだけど……それより、何を隠し持っているの、あいつ……あの形状、まさか!?
「……先生、危ない!」
あの野郎、桜庭先生に向けて銃を……!
「何をするのよ、このバーコード!」
銃弾を魔法で防ぎつつ、反撃する。
「……お前は釧灘か。悪いが、私の為に消えて貰おう!」
銃を構える速度も、魔法を練る速度も遅い。
「トロいのよ!」
すかさず、雷を撃つ。そして、それを平が避けられるはずもなく……
「っぐおぉ!」
感電して気絶したようね。全く、余計な時間を使ったわ。それにしても、銃撃が止まないわね。
「……ところで、他の先生方は何をしているのでしょうか?」
そもそも、ここにこいつだけ来ているのも変な話だ……何故、こんなことが。
「火之果ちゃん!」
桜庭先生が戻って来たけど、焦った様子だ。うん、まさかと思うけど。
「先日まで襲撃していたテロリスト達が今、ここを襲撃しているみたい。だから、魔法が使える先生たちは対処に向かっているわ。私はこれから他の学生達の誘導をするから付いてきて!」
多分、逃げようと思えば逃げられる……だけど。
「……それは出来ません、桜庭先生」
「え、どうして?」
と、その前に平を縛るには……土で重しを敷いておけばいいか。
「今、力を持っている私が動かないと、他の学生や先生が犠牲になるかもしれません。それに、あのテロリストが他の区画を襲撃することも考えられます。そうすると、神楽ちゃんのいる場所も襲われるかもしれません」
先生の顔が真っ青になる。それもそうだ。神楽ちゃんは桜庭先生同様、ただの一般人だ。もし、テロリストに見つかったら……為す術もないだろう。
「だけど、火之果ちゃんが戦う理由なんて……」
「あるんです。この区画じゃないけど、神楽ちゃんだってこの街で生きています。神楽ちゃんや桜庭先生はあのテロリスト達と戦うことは出来ないけれど、私は魔法使いなんです。それも、強い力がある魔法使いなんです。だから、行かないと」
本当は怖い。あの日の奇襲も、朧君がいなかったら間違いなく大怪我をしていただろう。だけど、朧君は魔法という力が無くても誰かを助ける人だ。そんな人がいるのに、私が動かないままでいるのか。
「──それに、誰かを助けるのに、理由なんて要らないですから」
桜庭先生もようやく、頷いてくれた。
「……分かったわ。その代わり、必ず生きて戻ってくること、いいね?」
「はい。今度は朧君も連れてきますので」
校舎を走って、急いで正門まで急ぐ。途中で逃げる学生を見かけたが、やはり先生達は殆ど見られない。とりあえず、逃げている学生に対して、平を縛るようには言ったからもう暴れることはないだろうけど……問題は正門近くだろう。
「先生、大丈夫です……!!」
予想していたとはいえ、やはり直視すると胸に来るものがある。
狙撃された先生たちが辛うじて応急措置をしているようだが、まだ外には数人のテロリストが見える。今も尚、正門に向けて銃を向けているのが見えた。
「貴方達……!」
私のいる場所が正門の上だからか、あいつらはまだ気づいていないらしい。なら、このまま決めるしかない。
「焼けたくないなら、さっさと退くことね!」
あまり使いたくなかったけど、どうこうも言っていられない。私が最も得意とする、火の魔法であいつらを……!
まずは正門から入られないように炎を放つ。例え直撃しなくても、そこにあるだけで彼らは正門に近寄れなくなるはずだ。ついでに、正門から横に広がる道にも炎を拡散させて……と。
「…………」
上手くいったけど、気分は最悪だ。忘れるわけもない。あの日、私は魔力を制御できなかったからこそ、街を一つ焼いてしまったのだ。
「…………」
銃声はなんとか止んだ、かな。制御している前提とは言え、街に火を放つ日が来るなんて考えもしなかったけど、やっぱり。
「……うぷ」
……うっ、やっぱり気分が。
「おい、てめえがしっかりしないでどうすんだ!!」
…………え?
「もう十分だ。そろそろ消さないと街に被害が出るぞ!!」
「え、え、え?」
……ど、ど、どうして、朧君が学園に?
「さっさと火を消せ。話はそれからだ」
あの火の中を通って来たからか、服と髪が焼けてしまった跡がある。
「で、でも、もう……火は付いて」
街が燃えている。街を守る為とは言え、自分でやったとはいえ、私はかつて、自分の魔力で街を燃やし尽くした火の魔法を再び使ったのだ。そのせいで友人である朧君を焼いてしまったのに、どうやって……
「でもだろうが、もうだろうがやれ。お前が過去にそれで何があったかなんて、俺は知らない。だけど、それが望んだ結果じゃないのなら……死ぬ気で足掻け」
足掻けって……足掻けって言われたって……今更、自分が放った火が怖くなった自分に何が出来るというの?
「だって、私……魔力の制御が出来なくて街を焼いたんだよ!!」
「じゃあ、魔力を振りかざす快楽殺人者と謳うか。それとも、その行為を誰かに擦り付けて……自分がやらなかったことにするか?」
…………は、何を言っているの?
「そんなの……出来る訳ないじゃない!」
「なら、足掻け。桜庭先生に聞いたが、魔力の制御は得意なんだろ。それが今、出来ないというのなら……優等生失格じゃないか?」
……厳しい言葉だが、朧君の眼と声は温かい。きっと、私が出来ると信じているんだろう。
「もう一度聞く……この火を消せるか?」
差し出された手を、両手で掴んで立ち上がる。そう言ってくれる朧君の温かさに、期待に応えたい。
「ええ、任せなさい」
……ありがとう、朧君。もう、大丈夫。
「手の空いた先生も手伝って下さい!」
既に燃え移っている部分は中々消えないけれど……燃え移った所は他の先生が率先して消化を手伝ってくれている。この分ならそう時間は掛からないはずだ。
「……朧君、そこから私の魔法を見てなさい!」
先生方の協力もあって、ものの数分で消し終えることが出来た。
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