第2話 朧
翌日、その日最後の授業を受け終えた俺は、ある先生に呼ばれていた。
「それで、今日は何の用ですか?」
まぁ、この人に呼ばれることなんて、ある程度決まっているんだが。
「朧君、また魔法の実践授業サボったんだって?」
「そうは言っても桜庭先生。魔法を碌に使えない奴が実践授業にいても、的になるだけですよ。そんなもの、こっちから願い下げです」
「君は私と違って魔力があるんだから、さ。鍛えてあげないと将来損しちゃうよ」
桜庭先生は学園都市にいる教師の中でも、魔力を持っていない数少ない先生だ。魔法こそが全ての学園だが、この先生は学園の学生の小言やら悩みを聞くことを積極的に行っているため、家族がいない学生にとって安心できる人の一人になっている。もし、先生を害そうとする誰かがいれば、大多数の学生が団結する可能性すらある。
「ま、そうかもしれませんがね。魔力を持っていることが、必ずしもいいことでは無いですよ」
そうなる理由として、この学園都市に通う学生の半数以上は親元から離れて此処で暮らしているか、既に亡くなっているか、なのだ。本当の親ではないけれど、親のように信頼できる相手というのは、この学園都市で何よりも得辛いものだ。
「……まぁねえ」
「それだけの用事なら、帰りますよ」
今日は早めに帰りたいのだ。用事があるので。
「君、誰かと待ち合わせなんてするタイプだっけ?」
「いえ、今日は特売があってですね……卵の価格がいつもより10円安くて」
「……朧君、変な所で庶民的だよね。まぁ、分かったわ」
いやぁ、割と馬鹿に出来ない理由、知っているでしょう。
「魔法が使えないから支給される生活費が少ないので、何気に死活問題なんですよ?」
「……ま、その様子なら大丈夫そうね。ところで、最近はどうなの。まともに誰かと話をした?」
別にコミュ障という訳ではないが……魔法が使えない学生、ということで魔力を持つ教師からも、同じ学生からも相手にされないので単純に人と話さない。話しかけてくる奴と言えば、俺をサンドバックにしようとする奴くらいか。そう言えば昨日は……まぁ、この人なら悪い様にはしないだろう。
「そういえば昨日、魔法の実戦授業をサボっていたら、釧灘さんと会いましたよ」
「……え?」
どうやら、このことは桜庭先生も知らなかったらしい。問題ない程度に話しておくか。
「色々とうんざりしていた感じでしたよ。先日のテロリストの件で、他の学生達に面倒な絡みをされたらしくて」
「そう、ありがとう……最近はあの娘とも話していなかったから、今度話してみるわ。それにしても、てきとうにやっているようで、朧君は意外と人を見ているよね。ここの学生も先生も、魔法使いに対しては魔法以外にはあまり価値を置かないのに」
いやいや、桜庭先生には敵わないですよ。まぁ、見てしまったものは仕方ないということで。
「何、この学園の底辺にいるから見える捻くれた奴なりの景色って、ものですよ」
「確かに君は捻くれた所があるけれど、それ以上にタフだと先生は思うけど?」
「それは買い被り過ぎですよ。そろそろ帰りますけど、最近は色々と物騒なんで先生も気を付けて下さい」
俺だったら逃げる程度は出来る。だけど、魔力がない桜庭先生は難しいだろう。
「そうねえ。幾ら魔力持ちの警官や教師がいた所で、事件が起きる時は起きるからね」
「はい。先生のことを案じる学生は多いですから気を付けて下さい。それでは失礼します」
「あ、そうだ。最後に……」
はて、何か含みのある顔をしていますが……
「何ですか?」
「朧君が良かったらだけど……火之果ちゃんの話し相手になってあげて」
何のつもりかは分からないが……桜庭先生はよく学生のことを見ている、と評判だ。きっと、意味があるのだろう。
「ま、噂にならない程度であれば」
人がいない場所なら、別にいいか。
「ありがとう……それじゃあ、気を付けてね」
用事が無かったらもう少し話してもよかったが、これ以上は特売に遅れてしまう。それにしても、何かで繋がりでもあるんだろうか。
そうして買い物に行こうと校舎の玄関で靴に履き替えた時、不良っぽい奴に道を塞がれる。おいおい、邪魔なんだが。
「おい、能無し。ちょっと付き合えよ」
ちょっと魔法が使える程度の、弱い者いじめしか楽しみが無い奴なんて、相手にしたくない。そもそも、殴られて喜ぶ趣味はない。
「買い物あるから遠慮しとく。というか、八つ当たりはサンドバックにでもやってろ、よ!」
肩を掴もうとする手を払いのけて、脛に蹴りを入れる。
「イッッ……!」
さて、今の内に逃げてしまうか。おっと、風を起こして俺を転ばせようとしたらしいが……範囲が狭い。
「よっ……と」
これなら横に跳ねる程度で簡単に避けられる。
「てめえ、明日は覚えていろよ!」
これ以上、付き合っていられるか。特売に間に合わなくなるだろうが。
最寄りのスーパーまで着いた俺は、今日の目玉である卵を買い物かごに入れたんだけど……あー、一人一パック限りか。そこまで見ていなかったわ。まぁ、間に合ったからいいけれど。
「──じゃない」
ん、誰だ。声を掛けられた気がしたが。
「ああ、やっぱりあんたね」
最近聞いた声だと思ったが、釧灘さんか。ファンクラブの連中から言わせれば、背中まで伸びるストレートの黒髪に、宝石を思わせる赤い瞳、整った容姿からスラリとしたスタイルは、まるで学園都市に舞い降りた女神だ……とか。実のところ、そんな連中に絡まれたくないので、釧灘さんにはあまり関わりたくない。変な風に勘違いされて、意味も無く殺され掛ける必要も趣味もない。
「昨日以来だな」
しかし、こればっかりは本人に言っても仕方ない。まさか、桜庭先生に言われた後、こんなに直ぐに会うと思わなかったが。桜庭先生の頼みだし多少の話はいいけれど、ここは時間が経てば人が多く来る場所だ。タイミングを見計らって逃げるとしよう。
「そうね。ところであんた、さっきは校舎の玄関で何をされていたの?」
もしかして、学園を出る時が見られていたか。
「俺をサンドバックしようと絡む馬鹿がいた」
「馬鹿ね。あんたみたいな魔法の実力が無い奴を倒しても、評価の足しにならないのに」
「…………」
事実とは言え、痛い所を突く。
「ま、そんな事はどうでもいいわね」
ひでぇ、と思ったが、こいつも卵目当てか。釧灘さんも特売のことを知っていたのか。
「そう言えば、聞いた。襲撃の話?」
「何だ、それ?」
お、牛乳も手頃な価格。ちょうど切らしていたんだよな。
「この前の襲撃、街を囲っている魔法障壁を破った形跡が無かったらしいわよ」
「大方、障壁を破らずに通せるような魔法使いでも雇ったか?」
お米もそこそこの金額だが……一応買っておくか。
「私もそう思っているんだけど……ちょっと変なところがあるの」
「変なところ、というのは?」
「被害に遭った場所、私達が住んでいる場所が殆どだったの」
つまり、奴らは事前に魔法を使えない一般人が住む区画を知っていた、ということか。さて、お茶は……まだ予備があったはずだ。今日は買わなくていいか。
「それが目的なら、あいつらも大義名分を通しているだけだろ。それの何が問題なんだ?」
む、どうした。何か変なこと言ったか。随分と目を丸くしているが。
「……あんた、随分と気楽ね。自分たちが狙われているのに、危機感も無いの?」
ああ、なるほど。お、肉が手頃な価格、これは買いだな。
「何時攻めてくるのか分からない連中を何処まで気にしろ、と言うのやら。ましてや、俺は魔法が碌に使えない身だ。襲われても、逃げることくらいしか出来ねえよ」
それに、奴らは優れた魔法使いをターゲットにしている。だから、一般人に近い奴を狙った所で意味がないだろ。て、何だ。噴き出しそうな顔をしているが。
「フフフフフ……あー可笑し、この話を先生が朝に話した時、他の学生達はピリピリしていたわよ。それなのに、あんたときたら……」
何時来るかなんて気にし出したら、余計に疲れるだけだ。お、ほうれん草が安い。
「実際、直ぐに逃げればいいだろ。距離があったら、俺程度でも逃げられる自信はある」
ま、魔法使いが一般人如きに遅れを取るとは何事か、とか頭がバーコードな平は言ってきそうだが。
「アハハハハハ、そんなこと言ったら、教師達にどやされるわよ。特にあのバーコード頭の平に。あいつ、自分より実力の無い学生を露骨に見下しているんだから……そう言えば、昨日は聞き忘れていたけど、名前は?」
あのバーコードの言うことなんて聞いていたら耳が腐るわ。って、名前か。そう言えば、言っていなかったな。
「朧(おぼろ)だ」
「……苗字は?」
よく聞かれたが、そんなものはな。
「孤児だからそんなもの無い。ああ、だからと言って気にする必要はないぞ。ここへ行く前は、家族みたいなものはいたからさ。騒がしいガキ達が殆どだったが」
……どうした。表情が何処となく暗いような。
「…………そう、なのね」
少し、話題の引き出し方を間違えたか。まぁ、気にしても仕方ない。とりあえず買う物はこれでいい。さて、気になることと言えばもう一つ。釧灘さんと話しながら買い物をしていたが、もう少し時間が経てば他の学生がこのスーパーにやってくる可能性が高いことだ……よし。
「じゃあ、俺はこれで。会計済ませるわ」
「え、ちょ、待ちなさい!?」
施設内での魔法は禁止されているからな、今なら問題なく逃げられるだろ。釧灘さんのファンクラブに目を付けられたら、俺の明日が危ういんでな……流石に勘弁して欲しい。そんな俺の甘い考えは、一時間後に撤回されたんだけど。
まさか、私のことを置いて帰る奴がいるとは思わなかったわ。確かに、話しながら食品とかを入れていたのは見ていたけど……
「フフフ……気に喰わないわね、あいつ」
外だったら遠慮なく魔法をぶっ放してやったのに、スーパーにいることを利用して逃げると思わなかったわ。
「……久し振りに、狩り甲斐のある奴ね」
魔法の実力こそ無い奴だが、あの胆力は見所がある。私が学園に入ったばかりの時は絡んでくる先輩を魔法で叩きのめしたけど……その当時を思い出す。面白いじゃない。
「まずは、会計をしなきゃね。それから……」
これからの算段を建てる。まずは何処にいるかを見つけないと。
わざわざ魔法を使って急いで家に帰った私は、手早く荷物を入れて早速あいつを探す準備を整えた。勿論、先程着ていた服は着替えて、と。
「それにしても一体、何処にいるのかしら」
今日中に見つけるのは難しいとは思うけど……今は他のことで立て込んでいる訳でもない。こうなったら、日が暮れるまで探してやりましょう。そう意気込んで探し始めたのはいいんだけど……
「……あ」
意外と直ぐに見つかった。あの辺は確か数日前に襲撃があった、一般的な魔力を持っている魔法使いが住んでいる区画よね。既にあいつは買い物袋を持っていないから……あの辺に住んでいるのかしら。だとしたら、肝が据わり過ぎていない?
自宅周辺で襲撃されたらかなり怖いと思うんだけど……ちょっと様子を見てみますか。その為には、あいつから私が見えないようにして、と。
「…………」
それにしても、何をしているんだろう。パッと見、ごみ拾いに見えたけど……袋を持っていないから、違うか。
「……うーん、やっぱ無いか。仕方ないな」
うん、どちらかと言えば何かを探しているのかな。
「ま、先日の襲撃のドタバタだろうな。仕方ない」
え、先日の襲撃の時にこいつ……いたんだ。被害に遭ってすらいない他の学生達は震えていたし、まだ入院している学生もいると聞いたけど……逃げる時に何か落としたのかしら。
「……仕方ない。他、探すか」
もう少し見ていてもいいけれど、とりあえず暇なのが分かったんだ。そろそろいいでしょう。
「へぇ~、何を失くしたの、お・ぼ・ろ・く・ん?」
ついでに、逃げられないように肩を掴んでおこう。
「っで、えぇぇぇぇっ!!」
えっ、手が外されて……何処?
「はぁ、はぁ……心臓止まると思ったぞ」
へ、踵……ということは今、蹴りを入れられかけたの、私?
「…………そ、それはどうも。さ、さっきぶりね、おぼろくん?」
もし、朧君が止めていなかったら、私の顎に蹴りが入っていただろう。
「……ああ、昨日の屋上以来か」
よし、向こうも悪いと思っているからか態度が引けている……うん、少しは余裕が出てきたわ。その嫌がる顔に免じて、答えてあげましょう。
「あら、おかしいわね。私はさっき、街のスーパーで確かに話をしていたはずなんだけど……何処かの誰かさんが、突然逃げるように会計を始めたからイラっとした……とか、欠片も思っていないわよ」
さて、逃げられないように肩をもう一度掴んで、と。
「じゃあさ、何で俺の肩が痛いんだ?」
「さぁ、貴方の体が脆いんじゃない?」
本当は嘘だ。朧君は思った以上に鍛えられた体をしている。さっきの蹴りもそうだけど、魔法が使えないだけで十分に強いのでは?
「じゃあ、鎖骨の辺りを思いっきり掴むのは……イタタタ」
何だ、分かっているじゃない。流石に痛かったのか、肩を掴んでいた私の手を払って……深呼吸をして何をする気かしら。ここで謝るなら、許してあげなくもないけど……
「逃げたのは謝る。謝るが……それでも、逃げさせてもらう!」
「……へ?」
気が付けば、既に朧君は公園から姿を消していた。
「ちょ、待ちなさい!!」
私を前にして、二度もこんなことをする奴がいるとは思わなかった。擦り寄ってくる奴よりは遥かにマシだけど、今までこんな奴は見たことない。
「待ちなさーい!」
とりあえず、捕まえて格の違いを教えてあげないとね。
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