第16話 帰郷


 光が収まり、二人の視界に映ったのは暗い遺跡であった。転移成功ということなのか。石造の床から魔法陣の光は次第に収まり遂には真っ暗になってしまった。


「これじゃ何も見えないじゃないか」


 もちろん転移場所など知らされるはずもないのでどこに飛ばされるかわからなかったのだが、この状況で何らかの建物の中であるとルーカスは推測した。彼の言う通りこれでは何も見えないので、背負子から発光石のランプを取り出そうとして、


「私に任せて。——灯火プチファイア——」


 シルヴィが人差し指から小さな火を発生させた。彼はその様子を見て驚いた。詠唱無しで魔術名を言っただけで魔術を使ったからである。


「? どうしたの?」

「シルヴィ……詠唱無しで使えるの?」

「うん」


 魔術には詠唱が不可欠。それがこの世界の常識。例外に魔道具があるが、これも魔法陣という媒介があるからできることだ。


 初歩の初歩『灯火』であっても魔法陣も無しに詠唱無しで使えるのは異常なことなのである。


 ともかく灯りは点いたので出口を探す。この部屋は全体的に石造りである。何かの遺跡なのだろうか。


「ルカ、こっち」


 シルヴィが指を差した方向には階段があった。ここ以外に階段は無さそうなのでそっちに向かうほかない。足元に気をつけながら階段を上る二人。進んでいくと彼らの視界に光が差した。出口の光だろう。


 光の先には平野が広がっていた。遂に地上に出られたのだ。


「やっと……外に出られたのか」

「そうみたい。お日様の光、久しぶり」


 日光を浴びたことでルーカス達の体内時計が調子を取り戻す。人間には日光は必要不可欠な存在なのだ。日が差す平野を彼らは歩き始めた。


 道という道はない、ひたすらに続く平野。あるとするなら左に海が、右に岩山が見えるだけ。ときに野営しながら帰る道を模索し、歩き続けた。途中で魔物と遭遇したこともあったが、強化された魔道具とノータイムで放たれる魔術の暴力をもって瞬殺。


「シルヴィ、君はこの後どうするの?」

「この後?」

「うん。シルヴィにも帰るべき場所があるだ———」


 だろうと言いかけてルーカスは口をつぐんだ。「帰るべき場所」という辺りで彼女の歩みが止まったのだ。何か嫌なことでも思い出させてしまったのかと不安になった。


「帰るべき……故郷……そうだ」


 ボソボソと言ったのち、彼女はルーカスの方を向いて頼み事をした。


「廃村が見えたら、そこに行っていいかな?」

「……わかった」


 彼女にとってそれは通過儀礼。過去の自分と向き合い、これからの自分になるために必要な通過儀礼である。


 地上に出てから二日ぐらい経った頃だろうか。いつものように歩いている途中でそれは見つかった。


「ルカ、あった」


 シルヴィが指を差した方向には廃村が見えた。約束通りそこに寄ることにした。


 廃村というよりは跡地という表現が合うだろう。家の原型を留めたものなどあるはずもなく、ただただ壊滅的な状態。どういう原理かはわからないが、毒の沼地までできてしまっている。不思議に思ったルーカスはこの毒の沼の正体を探ることにした。


 一方でシルヴィはほとんど埋もれた建物跡に向かった。見覚えがあったのだ。この風景、この石床、腐ってしまっているがかろうじて読める文字が書かれた柱らしき木材の一部。


「ただいま……」 


 長き時を経ての帰郷。愛おしき家への帰りの知らせ。されどそこに待ち人はあらず。


 ここで過ごした日々を思い出すシルヴィ。


————「お母さん大好き!」「私もシルヴィが大好きよ〜」————

 

 目の前に生前の記憶が重なり白昼夢が現れた。何気ない日常の風景が、幸せだった日々が鮮明によみがえる。一緒に喜び、ときに叱られ、ときに泣き、それでもやはり笑った顔が一番好きだった。


「……ごめ———」


 言いかけてハッとした。思えば涙を流して謝ってばかりである。彼に出会ったときも、再会したときも。今この場で送れる最大の言葉は何か。謝罪ではないだろう。


 彼女は地面に花を咲かせてそれを摘み、手向たむけとして供えた。


「ありがとう」


 そしてさよなら。最期まで愛情を込めてくれた母への感謝の気持ち。でも思い出に浸るのはもうおしまい。彼女は彼女なりの生きる道を決めたのだから。


 背を向けてその場を立ち去った。


 その先には調査を終えたルーカスが待っていた。


「……ただいまは言えた?」


 その言葉には重みがあった。彼もシルヴィの様子を見ていた。ここに来た時点でなんとなく察していたのだ。ここが彼女の故郷であり、しかし帰る場所はもうないのだと。


「うん。もうほとんど無くなっちゃったけどね……」

「……」


 プルプルと震えながらも笑顔で答えるシルヴィ。だがそれは笑顔とは言い難い、無理をした作り笑い。本当の気持ちは悲しみでいっぱいだった。


 それを見た彼は、自然と自分の過去のことを思い出していた。それは紛れもなく孤児であったとき。親が死んだという訃報を聞いて絶望し、帰る場所を失ったあの日を。


「帰るべき場所が無いなら……見つければいい」

「…え?」

「僕も小さい頃に両親を亡くしたんだ。それで居場所を失って、奴隷みたいに売り飛ばされそうだったよ。けど……」


 しかし、絶望に打ちひしがれたルーカスを救ったのは、


「仲間がいた。新しい居場所を見つけた、大切なものもできた。自分の存在理由を見つけだせたんだ……」

 

 仲間や大切な人との出会いだった。人間は一人では生きていけない。共通点がある者同士で惹かれ合い、生きていくものなのだ。だからルーカスは彼女の架け橋になろうと思った。


「だから……僕と一緒にゼルドアに来ないか? きっと皆歓迎してくれるはず……」


 言ったこと全てにおいて我ながらキザったらしいと感じるルーカス。内心冷や汗をかきながら答えを待った。そんなお誘いを聞いたシルヴィの反応は……


「…うん!」


 涙を流しながら笑顔で答えた。悲しみの涙ではない。生まれて初めての嬉し涙である。


「じゃあ、誓おう」

「…へっ?」


 彼女はキョトンとした。いきなり「誓い」という言葉を聞いてはこうなるのも当然だろう。そんな彼女を尻目にルーカスはポケットから手のひらサイズの小箱を取り出した。そして箱を開けひざまずいた。


「君が好きだ、シルヴィ」


 箱の中身はこれまた綺麗な指輪が入っていた。告白だ。初めて会ったときからずっと思っていたことを言葉にした告白である。


 しかしながらここは平野。もうちょっとそういうのはデートスポット的な場所でやるべきだとは思うが、ルーカスにはそういったセンスはない。


 だが気になるお返事はというと……


「私もあなたのことが好きです、ルカ」


 頬を赤らめて彼女は左手を出し、彼はその薬指に指輪をはめた。お互いに顔を合わせて微笑む二人。その周りには心なしか花畑が浮かびあがり、甘い空気が包み込んだ。


「でも……私でいいの?」

「君じゃなくちゃダメなんだ」

「そっかー、ルカにそんな趣味があったんだねー」

「ッ!? 何か大いなる勘違いをしていないか?!」

「アハハッ、冗談だよー」


 互いの心を打ち解けた二人はそんな会話をしながら、帰郷への道を歩き始めた。煙が上がる方向へ。


 そして二日後、ついに故郷ゼルドアにたどり着いた。

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