第14話 悪魔の子と呼ばれた少女

 (これで……よかったんだ)


 ルカが私を刺し殺した。でもそれでいいの。そのおかげでルカを守れたから……大切な人を守れたのだから。


 これでやっと……解放される。


 意識がだんだんとなくなってきた。まぁ死ぬわけだから当然と言えば当然か。


 ……ん? なんだろ?


 脳裏に走ったのは、何処かで見たような懐かしい光景。緑いっぱいの村に……優しげな女の人。


 そっか……思い出した。



------


 

 遥か昔の話。


 ゼルドア大陸の南側、今の【ゼルドアの街】がある辺りから鉱山を跨いだ先に小さな村があった。


 その村の名は【ナーザ村】。海に面したそこは気候が穏やかで住み心地が良く、村人は少ないが人との繋がりが強かった。


 その村のある一軒家。大勢の人が集まっている家があるのだが、そこで一人の赤ん坊が産声を上げた。


「ハァ…ハァ…」


 脂汗をかいて赤子を見つめるのは二十代ほどの女性。


「う、産まれた……」


 赤ん坊を産湯に浸からせながらそう言ったのは産婆である。本来なら「元気な女の子ですよ」と喜ばしい報告を告げるはずの彼女ではあるが、このときばかりはそうは言えなかった。


 ふと、誰かが言った。


「一体、誰の子なんだろうねぇ」


 そもそもの父親がいないのだ。付け加えて言うならこの母親も身体が弱く、不妊であった。そのせいで結婚もできなかったことは言うまでもない。


 そのため、彼女が突然妊娠したとわかったときは当然村中が驚いた。


 得体の知れない、どこの誰との子なのかもわからない赤子を、人々は気味が悪いと感じていた。淫魔に襲われたからじゃないかとも確証のない噂も流れた。


 だが母親は違う。不妊であるのを理由に結婚もできなかった彼女だったが、自分の子供を持てたことが何よりも嬉しかった。愛情をたっぷり注いで育てようと意気込んだ。


 母親は毛布に包まれた赤子を優しく抱き、こう名付けた。


「この子の名前は……シルヴィ」


 

-----



 五歳になった。この五年間で私はいろいろなことを覚えた。


 一歳までに両足立ちができるようになり、二歳になるまでには喃語を卒業して日常の中で言葉を覚えることができた。


 我ながら学習能力は並外れたものだった。


 特に魔術の分野では好奇心がくすぐられ、三歳頃から魔術書を漁り始めた。そのせいなのかすぐに初級魔術を全種習得し、五歳頃には中級まで覚えてしまった。


 当然、小さく辺鄙な村であるため学校といったものはない。魔術書は家にあったお母さんのお下がりである。お母さんは凄い人だったみたい。


 通常、魔術は七歳で初級、十歳で中級が習得できれば十分優秀だとされていて、魔術師と言われるに相応しい基準だったみたい。


 となれば齢五にして中級まで習得してしまったのは、まさに天才と言えたのだろう。でも私は天才なんかじゃない、魔術が得意なだけ。そんな私に向けられたのは二つの目。一つは羨望、もう一つは嫉妬だった。


 悪口だってたくさん言われたことがある。淫魔とか悪魔の子とか、散々な言われようだった。


 しかし魔術をひけらかすような真似はしなかった。村の畑に水をやったり家の手伝いをしたり、皆の役に立つことを率先してやった。天才気質な振る舞いなど一切なく、常に心はピュアだった。


 外で村の子供達とも遊ぶようになった。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、至って普通の遊びをしながら楽しんだ。泥だらけになってお母さんに叱られたり、追いかけっこしてるときに畑に入って怒られたことあった。


 それでも、あのときは楽しかった。


 村の人達も初めは気味悪く思っていたみたいだけど、明るくフレンドリーに接したら次第に心を許してくれて、いつのまにか村全体で見守ろうという団結ができていた。


 そんな普通で、温かく守られてきた何気ない日常。


 けれど、ある事件をきっかけに私の人生がガラッと変わった。


 それは六歳になったある日、いつものように友達とかくれんぼをして遊んでいたときのことだった。


「九…十! みんなどこかなー」


 そのとき私は鬼役をやっていた。早く皆を見つけよう!と意気込んでいたんだっけ。そう思って探していた最中、突然悲鳴が聞こえた。方向は北の井戸がある辺り。もしかして落ちちゃったのかな。もしそうならすぐに助けなくちゃ! と走り出した。


 井戸に着くと、近くで尻もちをついて怯えている友達のルティを発見した。井戸に落ちたわけではないようだ。じゃあ一体……そう思った矢先にソイツは現れた。


 三メートルはある毛むくじゃらで凶悪な顔の熊。もちろん魔物であり、この地域では非常に危険な奴だ。化け熊は牙が並ぶ口から涎を垂らしながらルティをロックオン。完全に食糧としか見ていない。


 ルティは涙目になってて叫ぶことすらもできなかった。もちろん、私も叫ぶことができなかった。助けを求める考えよりも恐怖が感情を支配していたからだ。このままだとルティが危ない。


 グルルと唸り声を上げてルティを見つめていた熊。鋭い爪を露わにして襲いかかろうとしたそのときだった。


 パチャッと小さな水球が熊の顔に当たった。もちろん動いたのは私。どうして動けたのか、そして魔術を発動できたのかはわからなかったが、化け熊の注意を逸らすことには成功した。


「早く逃げて!」

「! うん!」


 ルティは注意が逸れたことがわかるや否や脱兎の如く逃げ出した。


 一方で熊はグルルと唸りながら、今度は私に目をつけた。獲物を逃した元凶への怒りなのだろうか。ギロリとした目は「テメェよくも邪魔してくれたな! 殺して食ってやる!」と雄弁に物語っていた。


 その視線を受けた私は、


「…………」


 顔から血の気が引いた。思えば魔物との遭遇は初めてだ。しかもまだ六歳。生物としての本能が圧倒的にまさり、身体が震えて力が入らなかった。まさに蛇に睨まれた蛙のような状態だ。


 化け熊が突進の構えをとる。殺意が溢れんばかりに放たれていた。このままでは避けることができない。


 ダッと化け熊が襲い掛かり、視界が血濡れになる覚悟を決めて———時が止まった。色褪せた世界で目の前の熊も飛んでいた鳥もピタッと止まっていた。


「…えっ?」


 次の瞬間にどこからともなく声が聞こえてきた。女性の声だ。


 (右手に魔力を込めろ)

「こ、これはどうい———(いいから早く込めろ。やられる前にやれ)」


 説明を求めたが遮られてしまった。手を前に出して言われたように魔力を込めた。だが声の主は「もっと込めろ」と言い、私もそれに従った。


 そして何の忠告もなく時が動き出す。


 先程まで止まっていた熊は勢いを落とすことなく再度動き出した。唸りながら鋭爪を振り下ろして—————一瞬で灰と化した。


「あ……」


 そのまま熊はパタリと倒れて二度と動くことはなかった。辺りは焦げ臭い匂いが立ち込んでいる。ただ魔力を込めただけなのに、いつのまにか目の前で焦げた死体が出来上がっていた。


「シ、シルヴィちゃん……すごい」

「こりゃ一体……何があったんだ?」


 気がついたときにはルティと数人の自警団員が駆けつけていた。ルティから救援要請を受けてやってきた彼らだったが、来てみれば外敵はこの有様。


 私が魔術が得意なのは全員知っていたが、数倍もの大きさをもつ化け熊を仕留めたとは到底信じられなかったみたい。

 

 だが、ルティは見ていたようだ。何が起こったのかをルティに聞いてみると、


「シルヴィちゃんの手からね、こうブワァァ!っておっきな火の玉ができてね! でっかいのをバァーン!って」


 腕を大きく動かしながら説明するルティ。火魔術を使ったのは見てわかるのだが、まさかそこまでの大きさのを放ったとは考えてもいなかった。


 ゾロゾロと人が集まってくる。爆音で何事かと集まってきたのだ。もっとも、焦げ臭い匂いもその原因ではあるみたいだけど。


「まさか、シルヴィが? やったのか? あの化け熊を?!」


 その後、ルティが武勇伝を言いふらすことで瞬く間に噂が広まった。すなわち、あの化け熊を業火球一発で仕留めた天才魔術師だと。


 その日の夜はパーティーだった。メインディッシュは熊の丸焼き(あの後きちんと調理した)。長年悩まされてきた化け熊の討伐成功のお祝いだ。外では騒がしい声が聞こえ、松明に火が灯り、普段と違って随分と賑やかな夜となった。


 しかし、子供の私にはまだ早い。当然夜は眠くなったので、お祭り騒ぎなどそっちのけでベッドに向かった。魔力を使いすぎたせいなのか、すぐに眠気が来たのでそのまま眠った。


 そして、


 彼女・・に出会った。というのも、夢に出てきたのである。


 薄紫色のツインテールに紅眼、黒のフープドレスを着た少女だ。姿は私と瓜二つだ。ただし、矢印形の尻尾と悪魔の羽が付いていたが。


「昼は凄かったな、シルヴィ」

「……あなたは誰なの? それにどうして私の名前を知ってるの?」

「ちょ、無視するかそこ。私はお前を褒めたんだぞ? もっと…こう嬉しそうな顔をしてほしいんだが?」


 初対面での最初の一言をシカトされてしまった。可愛げのない奴だと内心呆れているようだけど、初対面で一方的に名前を知らないのは少々不公平だとも感じたのか自己紹介を始めた。


「まぁいい。私はリリス。お前の魂に眠る、魔導を司る悪魔だ」


 彼女はそう言いながら腰に手を当てて「えっへん!」と言わんばかりの態度をとった。

 

「あ、悪魔?」

「うむ! あ、でも勘違いするなよー。私は君に危害を加えたりしない。あくまでもシルヴィのサポートをするだけだからな。あくまだけに!」


 ドヤァと言ってやったぜ感を醸し出すが、私はその様子を白い目で見ていた。ホントに魔術のエキスパートなの? そんな疑惑が頭をよぎった。


「!? そ、そんな冷めた顔しないでくれ! 悪かった。寒いギャグを言って悪かった!」

「……で? 何の用なの?」

  

 そもそもこの人は何をしに来たんだ。助けてくれたことには感謝してるけどいきなり現れて。それに私の魂に眠る悪魔って一体……


「実はな、君に話があるんだ。少し難しいからちゃんと伝わるかどうかはわからないが、とにかく聞いてほしい」


 別に大丈夫だ。だって私、小さい頃からいろんな本に触れてきたんだから。それなりには理解できるし、むしろ理解できなくちゃ魔術書なんて今頃読めていない。で? その用件って?


「君に、最強の魔術師になってもらいたい」

「ほぇ〜さいきょ…………えッ!?」


 なんか変な声が出た。でも仕方ないかも。急に「最強」なんてワードが出たんだもん。本当に急すぎて頭が追いつかない。なんで最強を目指しているのか聞いてみると、


「いやー、前世でも魔術使いまくっていろんな輩を無双してきたんだが、最強と名乗るにはほど遠かったんだ」


 詳しく説明を聞くと、先述したように魔術の腕は一流でいろんな敵をコテンパンにしてきたみたい。けど、唯一勝てなかった奴がいたそうだ。


 ちなみに最強になれなかった理由は体質だったという。どうやら魔術を使いすぎると体調を崩してしまうそうで、お構いなしにバンバン魔術を使った翌日は丸一日動けなかったこともあったらしい。


 そこでリリスは考えた。最強になるためには己の欠陥を補えばいいと。その方法を探して試行錯誤するうちに「誰かの身体に自身の魂が憑依すればよい」という結論に至ったのだそうだ。


 そして自身が死んだ後に己が求める至高の身体を探して、赤ん坊の私の身体を見つけたというわけだ。


「どうして私になったの?」

「君はお腹にいたときから魔力量がとてつもなく多かったし、自然治癒力も並々でなかったからな。これ以上にピッタリの身体はないと思ったよ」


 褒められているみたいだけど、なんだかちょっと怖い。その言い方だと操り人形にピッタリみたいな意味になるのかな。しかしリリスは不安を抱いた私を見たのか一言だけ補足を入れた。


「もしかして操られるんじゃ? って思ってないか? 言ったはずだぞ。危害を加えたりしないしサポートもする。必要なとき以外は私は引っ込んでいるだけだ。だから心配するな」


 そう言ってニッコリと笑みを浮かべた彼女。ホントに悪魔なんだろうか。でも安心できる人だ。わかるんだ。この人は信用できるって。


 それにしても、


「その勝てなかった奴って一体何なの? 倒さなくちゃいけない相手だったの?」


 何故勝ちたかったのかを聞きたい。もしかしたら恨みがあったのかもしれないし倒さなくちゃいけない使命があったのかもしれない。けど返ってきたのは、


「別に倒さなくちゃならないってわけでもないしな。アイツ人間だから、とっくの昔の話だし良くても寿命で死んでるだろ」


 「はぁ〜、あの剣戟は剣聖というよりは化け物染みていたなぁ〜。一度くらいは勝ってみたかったなぁ〜」とか言っているのを見てなんとなく察した。ただ単に限界までいきたかったから最強を目指したのだと。


「そんなわけでシルヴィ、君が長年の祈願を果たしてくれ!」

「えっ! ちょっ!————」


 その瞬間、目が覚めた。窓から差す陽光は朝を告げるものだった。何だか変な夢を見たなぁと思いながらもリリスの言葉を思い出す。


———最強の魔術師に————-


 魔術は好きだ。いろいろな使い方ができて楽しいから。でも最強を目指したいわけじゃない。最強になったからといって何になるんだ。


 そう思いつつ服を着替えてダイニングに向かうと、テーブルに座るお母さんが見えた。お母さんは私に気づいておはようと朝の挨拶を交わして付け加えた。


「シルヴィ。お客さんが来てるわ」

「おきゃくさん?」


 反対側の椅子に知らない女性が座っている。取り敢えず私は彼女に挨拶をすると彼女も挨拶を返した。一体誰なのか。そう思ったとき、彼女が自己紹介を始めた。私にわかりやすい口調で。


「私はサーリャ。魔術協会からやってきたお姉さんよ」


 サーリャと名乗った彼女は私を見ると「あなたがシルヴィちゃんね」とさも知っているかのように言う。昨日の出来事が広まったせいなのか、しかし伝わるスピードが早いようにも思えた。聞けば彼女がこの村に着いたのはついさっきのことらしい。


 で、私の名前を知っているということは……概ね予想がついていた。彼女がこんな辺鄙で何もない村にやって来た目的が。


「あなたのすごい力を見込んで提案があるの。魔術協会に入ってみない?」


 協会への勧誘だ。それしか考えられない。魔術協会はどんなことをするのかサーリャさんに聞いてみると「魔術のお勉強や研究をするところよ」と答えが返ってきた。魔術の研究には興味がある。けど、もし頷いたらみんなと、大好きなお母さんと離れ離れになるかもしれない。


 私はお母さんの方を見た。見解が欲しかったからというのもあるが、単に決断が怖くて逃げたかったというのもあった。それを見たお母さんは、


「シルヴィならどうしたい?」


 と聞いてきた。ちょっとだけ微笑みながら、安心させるように。その優しい笑みは言外に「絶対に離れたりしないよ」と言っているようにも見えた。だから私は安心して、


「入ります!」


 と答えた。それを聞いたサーリャさんはニッコリ。バックから待っていましたと言わんばかりに書類を出し、お母さんがそれを記入していった。リリスはこうなることを知っていてあんな風に言ったのかな。


 書類を書き終え、私達は準備することになった。魔術協会の支部があるゼルドアの街に行くからだ。


 出発の二日前。荷造りを終えた後、お母さんは私を呼び、椅子に座らせた。鏡を前に。


「ねぇママ」

「なぁに?」

「私の髪の毛で何してるの?」


 お母さんは髪をブラシでとかしていた。サラサラとした綺麗な長い髪を、優しい手つきで。


「うふふ、こうしてるのよ」


 髪を結っていく。生まれながらの薄紫の髪で出来上がったのは可愛らしいツインテールだった。


「わぁー! ママすごい! どうやったの! 教えて教えて!」

「もちろんよ。まずはねー…」


 こうして私はお気に入りのツインテールの結い方を教えてもらった。言うまでもなく毎日のように練習した。自分でできるようになったときの喜びは今でも鮮明に覚えている。


 そして私達は出発の日を迎え、村のみんなに見送られながら旅立った。



------



 十二歳になった。


 そう、この街に来てから五年になるということだ。その内四年間、私は魔術協会が管轄するフォミス魔術大学という場所に通って勉強した。協会に入るといってもすぐに会員になるというわけじゃなかったみたい。あのお姉さんにももうちょっと詳しく教えてもらいたかった。いや、聞かなかった私も悪いのかもしれないけど。


 一年目に攻撃魔術を上級まで覚えて、二年目には治癒魔術の大半を覚えた。治癒魔術は家にあった魔術書には書かれていなかったので真新しく興味をそそるものだった。三年目は魔物学を勉強し、四年目は極級魔術までコンプリートした。その後は卒業試験を受けて合格。大学を卒業した。

 

 そして十二歳の誕生日を迎えた五年目。魔術協会の仲間入りを果たし、研究をしながら大型魔物の討伐をこなす日々を過ごした。


 みんなびっくりしてた。私が詠唱することなく魔術を使っていたかららしい。通常なら魔術は詠唱を用いて発動させるものだそうだ。たしかによく考えてみたら魔術書にも詠唱文が記されていたけど、イメージだけでなんとかしていた部分があった気がする。


 ともかく、入会一年目にして快挙を果たした私。そのせいで「即殺の魔女」なんて異名もつけられてしまった。なんだかむず痒い。だんだんとリリスの思惑通りになってきている気がする。予言でもしていたのかな。


 さて、そんな活躍をしながら数ヶ月経ったある日のこと。私がいつものように魔獣討伐を終えて報告しに行ったとき。


「……ふむ、たしかに確認した。ご苦労様、即殺の魔女様」

「その呼び名はやめてくださいヨーゼフ会長」


 目の前で椅子に座りながら背もたれに寄りかかっている好青年はラダム・ヨーゼフ。この魔術協会の会長にして最強の魔術師だ。何というか愉快な人だ。


「あははっ、いいじゃないか。君の実力は確かなものなんだ。もっと誇っていいんだよ」

「即殺なんて……十二歳の女の子につける名前にしては物騒ですよ」

「あははっ、そうか。なら呼び方を改めるよ」


 彼は椅子から立ち上がり、腰の後ろに両手を当てながら歩き始めた。ふと口にする。


「それにしても…十二歳なんだね〜」


 さっきまでの陽気な感じとは違う、少しだけ鋭い口調。取り繕っているけどこの口調は…考え事をしているときのものだ。大事な話を切り出すのだろうか。


 と思ったのも束の間、


「よし! 君に明日から一ヵ月間の休暇を与えよう!」

「え?」


 どうしてそうなった。


「休暇…ですか?」

「うん。君は頑張り屋さんだからね。協会の仕事で、しかもその年齢で魔物討伐の遠征までしているなら、疲れるのも当然かなって」


 あ、そういうことか。この人は私が疲れてるだろうから休みを与えようって思ってるのか。ちなみに疲れているかどうかと言えばそうでもない。たしかに討伐遠征には赴くけど疲れないようにいろいろと工夫しているから疲れたことなんてほとんどない。


「それに…故郷の友達とも会いたいだろ?」


 水色のオッドアイが私を射抜く。左眼が魔眼なのだ。それも心の中を覗く———心が読める魔眼。たしかに友達とも五年間文通すらしていない。だから久々に会うのも良いかも。


「そうですね……ではお言葉に甘えて」

「うん。しっかり休んでくれよ」


 そう言葉を交わして私は部屋を出た。これで今日の分の仕事は終わり。長期休暇をもらえるなんて思ってもいなかった。家に帰ってすぐにお母さんに休暇のことを伝えた。


「よかったわね、シルヴィ。じゃあ準備しよっか」 


 こうして二日後に出発するために準備を始めた。五年前もこんな風にここに来る準備をしていたんだっけ。五年という年月が短いように感じる。なんでかはわからない。


 二日後、私達は出発した。故郷ナーザ村に向けて。


 とはいっても馬車で半日の距離なので長い旅というわけじゃなかった。夕方までには村に着き、自宅へ向かう。


「ただいま」


 と言っても誰もいない。私とお母さんしか住んでいないのだから当然だ。


 でも不思議だ。五年も経っているのに家中に埃一つない。誰かが掃除していてくれたのかな。


 ともかく、清潔に保たれているならありがたい。お母さんは荷物を置いて台所へ向かう。私はベッドにダイブ。ふかふかのベッドはお日様の匂いがした。ご飯ができたら一緒に食べた。五年ぶりの家でのご飯は少しだけ懐かしい味がした。


 夕食を終えて一休み。そのときコンコンッとノックする音が聞こえた。ドアを開けると、


「こんばんは! おかえりシルヴィちゃん!」


 ルティがいた。帰って来たと聞いてやってきたのだろう。私はルティを中に入れて、お茶を片手にお喋りを楽しんだ。あっちでの出来事、勉強した魔術のこと、協会に正式に入ったこと。ルティは目を輝かせて聞いていた。ただちょっとだけ終始気まずそうにしていた。私が天下の魔術協会へと出世してしまったからなのか。


 私の話ばっかりだと自慢話みたいで鬱陶しいだろうから別の話に切り替えた。


「ルティのほうはどう?」

「私? 私はねー」


 話を聞いてみたところ、どうやらルティは聖教会に入ったらしい。聖教会とは、この世界の創造神を崇拝する最大規模の教会であり、主に三つの派閥に分かれて均衡を保っている。


 一つ、愛光派。全てのものに愛を注ごうという派閥。

 一つ、破邪派。悪しき魔を祓う派閥。

 一つ、神法派。神法によって地を治める派閥。


 このうちルティが所属しているのは破邪派だという。でも、なんで破邪派なんかに……いつも泣いていたあのルティが破邪派に、だ。


「昔、シルヴィちゃんが魔術で助けてくれたのを見て、すごいなぁ、強くなりたいなぁ、みんなを助けたいなぁって思ったんだ」


 詳しく聞いたところ、私が村を出て行った後に魔術の勉強や武術の勉強を始めたらしい。それから二年後に破邪派の実技試験で合格。そしてまた二年間教会の下で破邪騎士団の下っ端として各地を動き、派遣下級騎士としてこの村に居座っているという。

 

 それにしても、動機が私だったとは。何というかむず痒い。


 もっと話したかったが、夜が更けたのでもう寝ることにした。夜ふかしは身体に悪い。私達はまだ十二歳、子供だ。ルティも一言「おやすみ」と言って帰っていった。


 見送った後、私もベッドに向かい眠った。


 今思えば、私は気づくべきだった。


 ルティが気まずそうにしていた原因に。


 夢を見た。真っ白な空間に小悪魔っぽい姿をした少女と会った。


「久しぶりだねリリス。魔術協か————『シルヴィ!』」


 魔術協会に入ったよ! と嬉しい報告をしようとしたけど妨げられた。わかったのはリリスが焦っていること。冷や汗を流しながら瞬く間に近づいてきた。


「なんでそんなに焦———」

「マズイことになった! 急いでこの村から出ろ!」

  

 理由を問うまでもなく答えが返ってきた。

 

「え? どう…して?」

「よくわからないが……とにかくマズイ状況だ! 奴らが私を見つけて追ってきた!」


 奴ら? リリスは何者かに追われてるってこと? 今までそんな話は聞いていない。初耳だ。


「奴らって?」

「教会だ!」


 えっ? き、教会? でもなんでリリスを追って……まさか。思い当たる節があった。ルティから聞いた話によって大体は予想がついた。


「いいか! シルヴィ! ここから北の森に逃げろ! いい———」


 区切りの悪いところで目が覚めた。朝日は……差していない。外を見るとぼやけた視界でも曇り空が広がっているのがわかった。雨が降りそうだ。


「それにしても……リリスのあれはなんだったんだろ」


 夢でのことを思い出した途端に不穏な空気が部屋を包み込む。今日の天気といい夢といいなんだか気味が悪い。


 いや、こういうのは気分が良くないからだ。気分を良くするのは一日の始まりの朝ご飯。よし、そうしよう。私はリビングに向かって……と思ったけどやはり様子が変だ。家の中にお母さんがいない。


 外にいるんだろうかと思ったそのとき、ドアの方からノックが聞こえた。私はドアを開けた。


 ドアの先にいたのは————司祭服を着た男。


 「あっ」と声が出た途端に腕を引っ張られて強制的に外に放り出された。勢いに負けて転ぶ私。全身の痛みを堪えながら顔を上げると数人の騎士に囲まれていたのがわかった。そして縄で縛られ、手錠を着けられ立たされた。


「ほう、かの『即殺の魔女』が悪魔であると?」

「はい、アルフ大司教。彼女こそ悪魔の魂が宿った異端者でございます」


 アルフ司大司教と呼ばれた男性と隣にいた騎士が私を睥睨する。鋭い氷の棘が刺さるような悍ましい感覚を肌で感じた。けど、私はそんなものを意に介さない。なんとなく察していたけれど、やはり信じられないものを見たからだ。


「ル……ティ?」


 アルフと話していた騎士。兜越しにわかったその正体はルティだった。たしか彼女は言っていたはずだ。教会組織のうちの破邪派だと。だから悪魔————リリスを秘めた私を捕まえたのだ。


「シルヴィ、まさかあなたが本当に悪魔だったとはね」


 ん? 「本当に」? たしかに私にはお父さんがいないけど。 誰かから聞いたの? それとも彼女自身がリリスの存在に気づいたの? 


「どう…して…それを…」


 聞かずにはいられなかった。この言い方だと図星であるとわかってしまうだろうが、誤魔化そうとしても無理そうだ。だから割り切って聞くしかなかった。


「私ね、右眼に魔眼をもらったのよ。シルヴィとお揃いの金色の眼。簡単に説明すると悪魔の気配を探知できるの。昨日あなたが帰って来たって聞いて会いに来たけど、魔眼に反応があったからびっくりしちゃった。でもこうなった以上、破邪派の人間として裁きを下さなくちゃいけないわ」


 私はハッとした。昨日話をしていた時に気まずい表情になっていたのはそのためだったのだ。


「それにしても残念なことだ。まさか村人全員がこんな悪魔を庇護していたとは。嘘をどれだけ吐こうとも、無駄だというのに…」


 アラフが目を向けたのは胸を刃物で貫かれた村人たちだった。嘘をついて……私がどれだけ怪しくても、皆信じてくれたってこと? てことはあの死体の山は私のせいでできたってことになる。屍山の中には顔見知りの人も皆………うっ…吐き気がしてくる。見たくない。信じたくない。


「来い、異端者。神の裁きのときである!」


 囲む騎士の一人が強引に私を引っ張る。抵抗しようと魔術を使おうとしたが、思うように発動しない。もしかしてこの手錠は魔術対策として作られたものなのだろうか。


 前に見えたのは大きな鋼鉄の十字架。磔にする類のものだ。古くから教会の裁き方は磔にして火炙りにするのが常識だそうだ。話ではそう聞いていたが実物を目の前にすると底知れない恐怖を感じる。


 これから私は残虐な方法で殺されるの? そんなの……いやだ! 


「いやっ! 離して!」


 暴れて抵抗する私。しかし騎士たちは地面に強く押しつけた。当然非力な私が彼らに抵抗できるはずもない。身動きがとれない。強いて言うなら顔を上げることぐらいしかできなかった。


「まだわからないのかね、愚かな魔女よ。君の存在は厄災も同然なのだよ。だから死んでもらわなければならぬ。安心しろ。親子共々逝かせてやろう」

 

 親子…共々? まさか! 


「シルヴィ!」


 お母さんが騎士に引っ張られてきた。とっくに捕まっていたのだ。騎士に強制的に座らされ、手を後ろにまわして縄を縛った。


「お母さん! ッ!お母さんを離して! 殺すなら私だけを殺して! なんで私以外を巻き込むの?!」


 騎士たちに連行されながらも半ば怒りがこもった声を上げた。私だけをればいいのになんで私以外を巻き込むの! 訳がわからない! そう主張した。しかし返ってきた答えは、


「母親は君を産んだ張本人だ。厄災を生み出した本人にも罰を下さねばならぬ。ただそれだけのことだ」


 冷たく返された答えに、私の心は怒りどころか呆れへと移行していた。すなわち、コイツらに何を言っても難癖つけて処刑するんだな、と。


 遂に十字架に着いてしまった。手錠が外れた瞬間に魔術で脱出すれば良いのではとも思ったが、そのまま手錠は二つのリングに分かれた。使わせる隙を与えたくないようだ。


 結局、抵抗虚しく磔にされてしまった。連行していた騎士たちは皆大人。十二歳のか弱い少女が魔術もなしに抵抗など不可能だ。


「では、『即殺の魔女』シルヴィよ。汝が厄災をもたらす悪魔の子であることを懺悔し、そして祈りなさい。

 悪魔を生み出しし女よ。懺悔し、そして祈りなさい。

 さすれば二人とも苦しまずに天へと召されよう」


 アラフが執行宣言を終えると同時に代表の騎士二人が剣を抜いた。一人は私に、もう一人はお母さんに、それぞれ剣先を腹の辺りに向けた。どうやら火炙りではないらしい。


 騎士が剣を構えて突撃。私は目を閉じた。もうどうしようもないと悟ったのだ。ごめんなさい、魔術協会の皆。ごめんなさい、村の皆。ごめんなさい、お母さん……。


 そのとき、二つの肉を裂く音が聞こえた。


 しかし痛みは感じなかった。何があったのか。恐る恐る目を開けると、


「えっ?」


 目の前には見覚えのある背中があった。それは、


「ル…ティ…? なんで……」


 騎士姿のルティが執行役の剣に貫かれていた。わかることは一つ。ルティは私を庇った。さっきまで異端者だと罵っていたルティが、だ。


「かの…者の……枷を…外し……自由を……あた…えん……ゴフッ!」


 血反吐を吐きながらも唱えたのは解錠の詠唱。私の四肢を固定していた金具がガチャッと外れ、そのまま私は地面に落下した。全身に痛みが襲うが意に介す暇はない。


「ルティ!」


 すぐさま私はルティに駆け寄った。どうして庇ったのか理由を知りたかったからだ。けど返ってきたのは、謝罪の言葉だった。


「シルヴィ…ちゃん…ごめん…ね……やっぱ…り……友…達…を…殺す…なんて…でき…ないよ。早…く…逃げ…て……」


 それを最後に、彼女は血を吐いてピクリとも動かなくなった。彼女の身体がだんだんと冷たくなっていくのがわかった。やっぱりってどういうことなの……。


「シル……ヴィ…」


 その声はお母さんだ。心臓を貫かれたお母さん——いや、母だ。弱々しいけどなんだか力がこもったような声だった。こんな状況を招いた私のことを恨んでるのかな……。


「お母さん……ごめ———」


 ごめんなさいと言い掛けたそのとき、母は首をゆっくり横に振った。次の瞬間にはニッコリと優しい笑みを浮かべて一言。

 

「生きて……」

「————ッ!」


 母が残した言葉はただ純粋に娘への愛を込めたものだった。剣が引き抜かれると大量の血を流しながら目を閉じ、そのまま絶命した。


 涙が出そうだった。恨み言を言われるだろうと覚悟していたのに、期待を裏切られた。その分涙が溢れそうだった。母から聞いていた。私には父がいないと。だから悪魔だなんだと言われたのだと。


 けど、こんな得体の知れない娘に愛情を注いでくれた。思えば母は私に顔を向ける時はいつも微笑んでいた。安心させようとしていたのかな。


 母になら……リリスのことを喋っても受け入れてくれたかもしれない。そう思うと後悔がじわじわと込み上げてくる。


 私は今日、大切なものを全て奪われた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 怒り、悲しみ、後悔、それらが入り混じった叫び。それに呼応するかのように私の身体の魔力が暴走し、眩い光とともに大爆発を起こした。


------


「ハァ…ハァ…ハァ……」


 光が収まるとそこは焼け野原に変わっていた。


 抉れた地面、真っ黒に焦げた石ほどの炭。大司教をはじめとする教会の連中も木端微塵に吹き飛んだとわかった。


 ———北の森に逃げろ!————-


「ハァ……ハァ……北の…森……」


 ふと、リリスの言葉を思い出した。そうだ、北の森に逃げよう。奴らは必ず追ってくる。私は生きなくちゃいけない。


 私は歩き始めた。苦しくて苦しくて、もはや疲労なんて感じなかった。それでも歩みを止めなかった。歩くのを止めたらルティや母が、いや村の全員の犠牲が無駄になる。


 身を隠しながら歩き続けやっとのことで森に駆け込んだ。


 だけど結局、奴らに見つかってしまった。歩き続けて碌に身体の回復ができていなかった私は抵抗もできなかった。


 森の奥。騎士の剣を突きつけられて追い込まれた私の最期の一言は、


「ごめん…ね……」

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