第11話 闇の中での再会


 広大で薄暗い通路。巨大な迷路となったそこに一つの淡い光があった。発光石のランプだ。


 こんな暗くてほとんど見えない場所で灯りを点けるなど自滅行為にも等しい。だが仕方のないことだ。こうでもしなければ見えないのだから。


 その光に照らされて見えたのは白銀の毛皮を上に纏った一人の少年、ルーカスであった。彼は今、一人でこの三十六階層を探索しているのである。


 頼れる相棒が死した今、彼の探索スピードは落ちていた。魔物の気配を探知できない彼にとって、風狼は心強い仲間だったのだ。あるときは警告をくれ、またあるときは奇襲から守ってくれた。


 しかし今は違う。彼は気配を感じることもできないし魔力探知もできない。すなわち魔物の奇襲にも一人で対応しなければならない。今まで頼りすぎたと言っても過言ではないのだ。


 魔道具も新調した。素材として優秀な物が見つかったのもそうだが、一人で戦わなくてはいけない以上このままではいけないと思ったからである。風狼に甘えていたのは自分なんだから今度は自力でなんとかしなくては、と。


 決意を胸に五感を研ぎ澄ませ、ランプ片手に闇を進んでいたそのときだった。


「ッ!」


 闇の中から閃光が煌いた。何なのかはよくわからないが恐らく魔物だろう。ルーカスはそれを確認すると咄嗟に抜剣。剣に微量の魔力を込めて片手で振るった。同時に風の刃が目標へと飛んでいき、壁に傷跡を付けるのとともに「キィィ!」という断末魔を上げさせる。


 風の刃を飛ばせるようにしたのだ。軽く使える遠距離攻撃の手段がないと思ったゆえの改良だ。もちろん、構想を得たのは風狼の風の爪である。また、一回における魔力の消費量二分の一カットにも成功したものでもある。


 ルーカスは断末魔が聞こえた方向へと向かった。その先にあったのは胴体を綺麗に真っ二つにされた大きな蜘蛛の死骸。流れる血はついさっき出たようなので断末魔の正体はコイツで間違いないだろう。


 風刃の切れ味は基本的に魔力量に比例するのだが、魔力量を削減して切れ味を維持することができたのは大きな成果である。一応前から魔力量削減の研究は行っていたが、今回の改良で成功したということになる。  


 しかし油断は禁物だ。ここは未知なる魔物が潜む迷宮。気配を消すものや水音などの自然音すら消し去る輩がウジャウジャいる。今もどこかで虎視眈々と首を狙っているかもしれない。


 否、既に狙っている輩がいた。

 

 ルーカスの上にもう一匹、先程った奴よりも大きなのがいた。音もなく近づくソイツはまさにしのび。八つの目を光らせて口を開き、毒液に塗れた牙を剥いた。


 その途端、バチィ!と音を立てて電気が発生した。


「キィッ!?」


 いきなりの放電に思わずびっくり。退避しようと天井を後退りするが既に遅かった。鳴き声を聞いた彼が剣を振り、そのまま成す術なく首を切り落とされたのだから。


 放電の原因は背負子に取り付けた電気石———-あの黒鉄竜がブレスとして出したものである。放電する性質を利用して背後をとる魔物への牽制になるかと思い装備させておいたのが正解だった。おまけに仄かに光るので灯りにもなる。


 調整を繰り返してなんとか後ろに放電するようにできたギミックだ。手間をかけた分その効果は顕著に表れている。


 ルーカスは蜘蛛が死んだのを確認してから魔石を回収し、さらに奥へと進んでいった。



------



 ルーカスの探索は遅いものの順調に進んでいた。その要因は、やはり魔道具の改良だろう。。もちろん道中の魔物も手強い奴らばかりだったが、それぞれ魔道具一つで事足りてしまった。備えあれば憂いなしとは言うものの、この場合はオーバーキルと言えよう。


 そして現在彼は四十階層に突入しようとしていた。ルーカスの記憶(噂)では迷宮は大きいものでも五十階層までだという。この迷宮自体何階まであるのかわからないが、かなり深いところまで来たはずだ。


 さて、幾多の戦いを乗り越えここまで来た彼の心情はというと………少し不安を覚えていた。この先の魔物のこともそうなのだが一番の不安は……


 (シルヴィ………)


 彼女が未だに見つからないことだった。行き違いになっていたり、もっと深く潜っていったという可能性も考えてみたが、あんな非力な少女が深層に潜っていくはずがないとも考えた。ただ、彼女の迷宮の存在を聞いたあの様子から本気で臨んだ可能性もあるのだ。


 ともかく、どんな形であれ見つからないことに不安を覚えるのは当然だ。最悪の場合は…………言うまでもないだろう。


 目の前には巨大な扉。ギギギィと開いたその先は下り階段が繋がっており、奥は例に漏れず「闇」。彼女と会える可能性を期待し、覚悟を決めて次への一歩を踏み出した。

 

「……不気味だなこの階層は」


 この階層はなんとも不気味だった。密林のように木々が茂っていたのだが、その木々が全て紫色になっていたのだ。しかも木々から呻き声のような音も聞こえているうえ同色の霧が辺りを包み込んでいる。毒か何かに侵されているのかと疑う光景だ。


 ちなみに推測は半分正解といったところ。


 この階層は魔物の血や屍肉が腐ってできた毒素が霧のようになって空間を包み込んでいるのだ。そして木々も呼吸をするためその空中の毒素を吸い込み……………とまあ嫌な予感がするのは確かなことである。


 ルーカスは毛皮で鼻を覆って再度進んだ。しばらく探索を続けていると、突然何かの視線を感じた。後ろを振り向くが魔物の影はない。あるのは奇妙な色をした骨のように細い木々だけ。


 不審に思い右手に剣を持って臨戦態勢で先に進む。


 そして道中、木の下になにやら蹲った人影が見えた。


 耳を澄ませるルーカス。彼が聴いたのは嗚咽だった。恐る恐る人影に近づくと霧が晴れていき………そこには少女がいた。


 薄紫の髪でツインテール。ピンクのワンピース。間違いない。


「……シルヴィ!」


 少女は頭を上げ見覚えのある顔を露わにした。やはり彼女だ。嗚咽と蹲っていたのを考えれば道に迷っていたのだろう。


「……ルカ?」

「うん、やっと見つけた」

「…探しに来てくれたの?」

「うん」


 ルーカスがコクリと頷くと、シルヴィは立ち上がって彼をギュッと抱きしめた。


「ありがとう…」


 それは感謝の言葉。暗闇の中で自分を見つけ出してくれたことへの感謝の言葉。こんな暗いところにいたら人肌が恋しくなるのも当然だろうに。感動の再会だ。


 ——だが何故だろう。


 彼の背筋には悪寒が走った。


 その瞬間———彼女の口が三日月のように裂けた。


 ルーカスの本能が警鐘を鳴らす。今すぐ彼女から離れろと。でなければ殺されるぞと。本能に従って乱暴だが彼女の手をどけてその場を飛び退いた瞬間、先程までいた場所から木の棘が生えてきた。


「………チッ。なんで避けるのかなぁ?」


 舌打ちしたのはシルヴィだった。やはりあの棘は彼女が放ったものだったのだ。抱きしめてきたのは油断させるためか動きを抑えるためか、あるいはその両方か。ともかく、確認できた事実は一つ。


 ルーカスを殺すための罠だった。


「シルヴィ……どうして……」

「は? どうして? そんなの殺すために決まってるでしょ」


 今までとはまるで別人だ。こんな殺気を撒き散らす彼女は一度も見たことがない。殺そうとしているのはたしかだ。


 加えて辺りを見渡すと、木々の様子がおかしくなっていることに気づいた。なんと枝が凄まじい速度で急成長しているのだ。そして足元を見ると現在進行形で巻きつこうとしている。


 やはりおかしいと思い、枝から逃げるようにバックステップ。その際に剣の魔法陣を起動して振り抜いた。蒼い閃光が一直線上にあった木々をスパスパッと幹の半ばで切断する。


 風刃に電気を纏わせた飛刃だ。木の幹をも容易く斬れる切れ味の良さも売りだが、帯びた電気により切断面を焼き焦がすことができる。

 

 のだが、切断したはずの木々が尋常でない速さで再生していく。切り口を焼かれても逆再生でもしているかのように元通りになり、そこからまた枝が生えてきた。


 (やっぱりここの毒が木々に何か影響を与えた……魔物化させたのか? それともシルヴィの本当の能力なのか?)


 再生した木々はあたかも嘲笑するかのようにざわめく。これをただの木とは言い難いだろう。トレントと言うのが妥当か。


 シルヴィも間髪入れずに襲いかかる。それに気づいたルーカスは彼女の手刀を剣の腹で受け止め、ギチギチと音を立てて火花を散らした。とても小さな手で出せる威力とは思えない。


 手刀と剣の鍔迫り合いをしていたとき、今度は周りのトレントが枝の先に管を出し、紫の液体を放ってきた。彼を止めながら木々も攻撃をしかけてくる。コンビネーションはバッチリだろう。


 複数を相手取るなど至難の業だ。シルヴィとの交戦に集中するため、ルーカスは紫液を横目で見るなりサイドステップで躱しつつ、ポーチから出した電撃石をトレントに投げつける。


 基本的には気休め程度に使う撃退用の魔道具だが、その威力は魔力を込めれば込めるほど大きく変化する。


 限界まで魔力を込めた蒼きいかづちが爆ぜた。


「「「「キィィァァァァァァ!!」」」」


 奴らは感電し、そこから発火し始めた。


 しかし、単に焼いただけでは再生されてしまう。そこでルーカスは追い討ちをかけるが如く瓶の蓋を開けて油をばら撒いた。木の再生は止められないが、遅くすることならできると考えたからだ。


 奴らはさらに燃え盛る炎に包み込まれ、尽くを灰に変えていく。叫び、踊るように燃える光景は見る者を狂気に誘う。


 これで戦いやすくなっただろう。そう思ったのも束の間。


「……早く死んで?」


 下の辺りから声が聞こえた。シルヴィが懐に潜り込んでいた。冷酷な、虫ケラでも見るかのような目を向けて。


 マズイと反射的に剣を翳したルーカス。次の瞬間には下から手刀が振り上げられ、勢いに押されて剣が弾き飛ばされてしまった。


「ッ!? しまっ———」


 しまった。そう言おうとしていたときには、もう既に首に弍の手刀が迫っていた。恐るべき速さの手刀。誰であっても見逃してしまうだろう。

  

 ルーカスの目では世界がスローモーションに見えていた。動きに慣れてきたからではない。これは……走馬灯の前兆だ。


 すなわち、死はすぐ側まで近づいている。


 (潜らなかった方が……よかったのかなぁ……)


 やはり彼女は敵であり、魔物のアルラウネだった。助けるべき相手ではなかった。そんな後悔の声が心に響く。マリンの警告が正しかったのだと悟る。


 手に剣はない。いなしようもない。どうしようもない。


 死を覚悟して目を閉じて…………痛みは感じなかった。感じたのは勢いで生じた風のみ。


 一体、何が起こったのだろう。目を開けると、手刀は寸止めされていた。というより、彼女の手はプルプルと震えていた。


 何事かと彼女の様子を見ると………涙を流している。そしてボソッと呟いた。


「ル…カ……コロ……して……おねがい……」


 先程とは違う、いつもの温かい目。光が灯った正気の目。


「ルカだけで……も……生きて…いて…ほしい……。傷……つけ…たく…ない…-」


 きっと彼女の本心なのだろう。しかし、


「でも……そんなこと…できないよ……」


 ルーカスは殺すのを躊躇った。殺さなくても、洗脳されているならば解く方法があるはずだと考えたからだ。殺してと言われても、そう簡単に殺そうとは思えない。


 だがそのとき、ジールに言われた言葉を思い出した。


 ————騙されたつもりでやってみろ—————


「———この小娘め! せっかく会わせてやったというのに、呪縛を解いたか!」

 

 シルヴィ——否、彼女に取り憑いた何かが怒りを露わにしていた。そうだ、今まで攻撃してきたのは彼女ではない、この得体の知れない何かだ。


 すなわち、ルーカスはコイツに騙された・・・・


 ただそれだけの事実。ルーカスはやりとりを聞くや否やもう一本の剣を抜き、彼女を串刺しにせんとする。それを見た彼女は一言。


「ッ! おまえッまさか私を刺し殺すつもりか?! この身体にはシルヴィの魂も入ってるんだぞ! 私が死ねばこの小娘も死ぬ! 彼女が大切なら大人し————」


 しかし、脅しも抵抗も虚しく、彼女は黒き剣で心の臓を貫かれた。そしてルーカスが耳元で呟いた。


「…大切だと思っているなら尚更だよ」


 シルヴィは自分を大切にしてくれた。必死に呪縛に抵抗して犠牲を出さぬように一言かけてくれた。何よりも、彼女は覚悟を決めていた。ならばルーカスが彼女にすべきことは彼女を望みを聞き実行することだ。


 それが、信じるということなのだ。


 心の臓を貫かれた彼女は血を吐き、しかし微笑んで言った。


「ルカ………ありが……とう」


 それを最後に、彼女は息を引きとった。身体は粒子となり風に舞う砂の如く散っていった。


 ルーカスはそれを見送った。


 そして……


 蒼き雷光が地を走った。


 魔道具『黒鉄ブーツ』。黒鉄竜の甲殻———主にシュバルツ鉱石というものを使ったブーツなのだが、雷を纏わせて高速移動を可能にさせる。

 

 現在進行形で彼は蒼き光の尾を引いて走っている。周りのトレントにも光の尾しかわからなかった。


 光の速度に人間の足がついてくるはずがない。が、彼は足に負荷がかかるのを承知で走っている。もっとも、速さは光の速度には及ばないので人体に影響を及ぼすことは少ないが。

 

 ともかく、高速移動しているためトレント達はルーカスを捉えることができないのだ。


 一方、ルーカスはトレントの親玉がいるであろう下層へと向かっていた。トレント達は「行かせまい」と根を張って包囲網を形成していたが、雷を纏った状態で容易く突破。成す術なく散っていく。


 そんな無双を続けて四十五回層までやってきた。毒々しい紫の霧は相変わらずだが、とある変化があった。奥に巨大な蕾のようなものがあり、周りは太い根に囲まれていたのだ。そう、これは……この光景は……


 (夢で見た場所と同じ……?)


 となればこの先に、いや、もう既に現れていた。


 ロングヘアーの緑髪、花の冠、緑のドレス。妖艶な顔。


 親玉アルラウネへとたどり着いたのだ。


「……あの子を囮にしたけれど……効果は期待できなかったわね」


 とくに何も思っていないような澄まし顔で彼女は言った。ずばり、シルヴィを道具としか見ていなかったということだ。彼女のことなど一ミリたりとも思っておらず、この迷宮に入った者を殺すための餌としてしか見ていなかった。


「人の心を弄ぶのがそんなに楽しいのか?」


 それが彼の逆鱗に触れた。額に青筋を浮かべて険しい眼差しで睨んでいる。自分にされたことなど正直どうでもいい。


 ただ奴に対してあるのは、シルヴィを弄んだことへの怒りだ。純粋無垢な、天使のような笑みを偽りなく見せてくれた彼女を踏み躙ったことへの怒りだけだ。


 今まで発したことのないほどの殺気を放つルーカス。リミッターなど、もはや無い。


「でもね、あなたでは私に勝つなんて到底無理なことよ。この部屋は私の領域。あなたの心臓をブチ抜くなんて容易たやす————」


 蒼き雷光が地を這い、轟音が声を遮った。一拍、ポツンと一言。


「……へっ?」


 視界がぐらりと揺れる。


 この一瞬で起こったことはたった一つ。


 ———彼女は首を斬り落とされた。


 血は出ていない。焼き切られたから。轟音のせいなのか眩い雷光のせいなのか、それとも痛みのせいなのか、何が起こったのかわからなかった。すなわち、自分が首を斬られたなどとは考えもしなかった。


「えっ………嘘……でしょ?」


 彼女が頭を動かして己の身体を見ると、既に心臓部の魔石を破壊されているのがわかった。魔物にとって魔石は重要な器官だ。完全な魔石さえ身体に残っていれば大抵の魔物は復活できる。


 アルラウネも木を媒介に増殖できるのでそれらの仲間と言えるだろう。だが魔石を破壊されたとなれば、すなわち木を通しての再生も不可能。


 待っているものは『死』のみだ。

 

「き、貴様ァァァ——ギャッ!?」


 想定と違う現状に発狂するアルラウネ。そんな彼女に対してウザったらしいと言わんばかりにルーカスは追い討ちの灼熱剣をお見舞い。そして一言、


「……おまえの声は不快だ。さっさと消えろ」


 クリティカルヒットしたそれはアルラウネ(頭)を貫通し、一瞬で死に追いやった。痛みも感じさせずに一瞬で、だ。


 ボロボロになって散っていく残骸を尻目に、ルーカスは部屋を出るのだった。

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