第9話 不思議な夢と昔話
(あれ? ここは?)
気がつくとルーカスは真っ暗な空間にいた。明かりも何もない、真っ暗な空間。だが慣れたせいなのだろうか、不思議なことにだんだんと周辺の様子が見えるようになってきた。
巨大な緑の根で覆われているのがわかる。そしてぼんやりと目の前に見えてくるのは一人の女性。薄緑のドレスに同色の長い髪、頭には花の冠を着けている。とても美人なのだが、その容貌はどこか妖艶に感じた。
彼女が何かを話しだした。何かと言ったのは肝心の声が聞こえず何を喋っているのかがわからないからだ。口の動きだけで何を言っているのかなどわかるはずもない。
ただ、周りの様子が少し変だった。壁という壁からは蔦が伸び、まるで自分を取り囲むかのような位置についたのだ。
(ッ! まさかアルラウネ!?)
ハッと気づいた。この女はアルラウネだ。花が付いていたりところどころが緑色になっているのもそう判断した要素だが、何よりも足がなかった。そう、人間のような足はない。木の根のように伸びた足だ。
戦慄した。自分は一体何をされているのか、どうしてこんなところにいるのか。恐ろしくて堪らなかった。彼女はニチャァと悍ましいにやけ顔をする。先程までの美貌などが嘘のようだ。
そして何かを言い放つと身体に蔦が巻き付いた。ルーカスは必死に拘束から逃れようとするが思うように身体が動かない。固定されてしまっているからではない。そもそも腕が言うことを聞かないのだ。まるで金縛りにあっているかのように。
というよりも、どうして今まで気づかなかったのだろうか。その身体はルーカスのものではないということを。
シルクのように白く綺麗な肌に薄いピンクのワンピース、前に垂れ下がっている薄紫の髪。
(……シルヴィの身体? なんで?)
蔦はみるみる伸びていき、ついには包み込んでしまった。また暗くなっていく光景を目にしながらルーカスは思った。
(まさか、これって………)
そこで意識が途切れた。
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(————カ! 聞…えるか…ルーカス!)
その声を聞いてルーカスは目を覚ました。目の前には風狼が首を下げてこちらを見ていた。さっきのことは夢だったようだ。それはもう恐怖体験のようで奇妙な夢だったが。
「あれ、夢? ………風狼? やったのか?」
風狼に目を向ける。見れば腹の辺りに焼かれたような深い傷ができていた。焼かれたような傷……ルーカスは思い出した。雷光が迸った瞬間を。あの戦いは結局どうなったのか。
(あの通りだ)
風狼が目を向けた先を見ると、黒鉄竜が目を閉じて倒れ込んでいる。静かに眠るように、息をしていないのがわかった。勝ったのだ。ギリギリ剣のリーチが間に合って急所を突き、そのまま絶命させたらしい。
あの死闘で最後の最後までしがみ付き剣を刺したところまでは覚えているのだが、その後はどのように事が動いたのかわからなかった。風狼曰く、そのときの轟音と光で彼は意識を失ってしまったのだという。
風狼は風を纏うことでかろうじて光と轟音を防いだようだが、稲妻は防ぎきれずに直に喰らってしまったらしい。腹の焦げた傷はそのためだったのだ。それについて風狼は「少し油断していた」と己の反省をしていた。死んでもおかしくない傷だったのに「油断した」の一言で済ませる風狼はやはり強い。
とはいえルーカスも幸いだった。自身に怪我などはないかと確認するがほとんどが擦り傷であり、致命傷に至るまでのものは一切見つからない。目は閉じていたため光による失明からは免れたのだと理解できるが、気になったのは耳だ。あの轟音なら鼓膜が破れてしまってもおかしくないはずなのに無事だったからだ。
それについて風狼は思い当たることがあるという。曰く、覆うように結界が現れ稲妻を弾いていたというのだ。どうやらそれで音も遮断していたらしい。結界ペンダントのおかげだろうか。しかし覆うほどの規模で発動できるわけではない。これに関しては少し謎だ。
(まぁ、無事で何よりだ。取り敢えず今は休んで、また先に進もう)
何であれ無事だったのだ。魔道具の損失は大きく傷も負ったが、魔道具は修理できるし一生治らない傷を負ったわけではない。今は勝利を喜ぶべきなのだ。もちろん、先に進む準備もしながらだが。
この戦いを通して迷宮の魔物がどれほどのものかも実感できた。魔物との対峙では実戦経験が何よりものを言う。ルーカスもトレーニングを日課としているがそれだけでは足りないと痛感した。
これから先も数多の強敵と刃を交えることになるだろう。最悪命を落とすことにもなるだろう。
それでも、彼女を見つけるまで果てたりしない。必ず見つけ出すと誓ったのだから。彼らは先に進む決意を新たにするのだった。
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あれから、療養を完了させたルーカス達はどんどん奥に潜り探索を進めていた。風狼の探知能力もあってかマッピングは順調に進み、トラップもほとんど避けることができていた。それはもう快適に進み過ぎて逆に怖いぐらいに。
もっとも、道中すべての魔物を避けられたわけではない。風狼を欺くほどの技量をもったカメレオン型の魔物や、監視カメラの如く何匹も配置された蜂型のものもいた。
この蜂に関して一言で言えば「気持ち悪い」という感想しか出てこない。というのも、基本は成人と同じくらいのサイズで何百匹も集まってテリトリーを作る。虫嫌いならばこれだけでも失神しそうだ。
だが何よりも一番の要因は、腹が巨大風船の如く膨らんだ女王蜂だ。全長はなんと子分の約三倍であり、おまけに針から腐食液を噴射してくる始末。ただでさえ数で不利だというのに指揮をとってじわじわと追い詰めてきたのだ。
もっとも、魔道具を奮発した結果女王蜂の討伐に成功し、焦る子分を確実に仕留めることで打開はできたのだが。
他にも対峙した敵はいるがここでは割愛しよう。
さて、最初の地点から二十九階層目のところまで降りてきたルーカス達だが、ここで準備をすべく拠点を設けた。休憩するためでもあるが、一番の目的は魔道具の補填だ。ここまで来るのに電撃石をはじめとするものの数々が散っていった。迷宮内では何が起こってもおかしくはない。それゆえの備えだ。
簡易テントを設置して、あぐらをかいて座った。背負子から素材を取り出して錬成を始めると、綺麗な蒼の魔力光が包みこむ。心なしか錬金術の技術も前より上がっているような気がした。
(ほう……見事なものだ)
魔力光に照らされながら風狼も感心していた。錬金術の光に美しさを感じていたからというのもあるが、操作の精密さや手際のよさに特に焦点を当てていた。風狼はルーカスの何倍もの時を生きている。しかし、この世界の人類の叡智の結晶たる魔道具が生み出される光景を目にするのは初めてのことなのだろう。
その後も淡々と作業を進めるルーカスだったが、何か物寂しかったのか話をはじめた。
「そういえば、風狼は長い間あの森を守っていたって言ってたけど、何年くらい生きているの?」
(ん? 二百三十三だが。どうした急に?)
「いや、単純に何歳なんだろうなって。それと、風狼のことあまりよく知らないからさ、昔の話でも聞かせてくれない?」
要はこの際だから風狼のことを聞いてみようということだ。作業の方も時間がかかるので丁度いいと思ったのである。
(話せば長くなるが、いいのか?)
「長くたって構わないよ。どうせこの作業ももうちょっと時間かかるし」
風狼はコクリと頷き、語り始めた。
風狼は知っての通り精霊様の加護を受けた特別な魔物だ。それゆえに強靭な肉体と爪牙を与えられ、理性を持ち、念話で意思疎通ができるようになった。人語がわかるのもその恩恵の一つである。加えて、特殊な存在という誇りゆえに代々英才教育がなされてきたという。
すなわち、風狼族は森の中でも一番の地位にある。そんな森の要人たる彼らには主よりとある任務が与えられた。それは森を脅かす不届き者を排除すること。一族には代々それが伝わってきた。
その責務を果たすべく、彼らは森を脅かす存在を敵と見做し悉く排除してきた。それはこの森で暴れる魔物や外部からの存在、もちろん、人間もその対象だった。この森に入った人間は皆排除してしまったという。危害を加えるつもりでもない通りかかった人ですら、だ。
では何故人間が悪とされていたのか。結論から言えば第一印象が原因だった。というのも、彼らが出会ったのは男三人衆で「毛皮が高く売れる」やら「魔石が高く売れる」という欲に塗れた発言をしていたらしく、標的を見つけるやいなや襲いかかってきたため危機感を覚えたのだそうだ。
これらの事実より別の視点(人間視点)では、森に足を踏み入れれば生きては帰って来れない、無礼を働いた人間への裁きだ、という解釈になったのだろう。
さらに精霊信仰のおかげで「精霊様がお怒りだ。足を踏み入れてはならぬ」という迷信にまで発展した。昔のことであり今はだいぶ収まってきたが、残っている部分はある。
さて、そんな幼い頃から英才教育を受けてきた風狼は、十二のときには既に先代の意志を受け継いで狩りに出ていたようだ。狼の十二歳と考えるともうお爺ちゃん。しかし何があったのか今現在まで生き永らえている。他の仲間は寿命で死んでいったというので、彼が特殊なのだろうか。
そんな長寿な彼曰く、そのときは今と比べて相当冷酷な性格だったという。
惨殺してきた者、その数なんと約五十人。あるときは狩りをしに来た冒険者、またあるときは異常変異した魔獣。鍛え上げられた己の爪でその肉を裂き、返り血を浴び続け、その都度に泉で洗い流した。
(しかし、そんな人間の中に例外がいたのだ)
風狼が齢五十のときに会った人間、それは一人の青年だった。彼は森を愛し風狼達とも友好的になってくれた。本来なら自分達で鎮圧するはずの暴れていた魔物も宥めてくれた。そう、彼は血を流すことなく調和させたのである。力で鎮める風狼とはまったく正反対だと言えよう。
彼との交流のおかげなのか、だんだんと風狼達も丸くなった。やむを得ない状況であれば殺すことも必要としたが、協力の
それからというもの、森には様々な生き物が溢れかえり豊かな生態系を作り出したのである。
(彼のおかげでこの森では様々な種がバランスよく調和を保っていたのだ)
過去の良き事を感慨深く思う風狼。だが、それを聞いたルーカスは疑問を抱いた。
「様々な種がいた……か。じゃあどうしてあの森にはほとんど生き物がいないの?」
そこが気になるところである。事実あの森には植物や風狼などを除く生き物がほとんどいない。風狼の発言と合わせてみると矛盾が生じるのだ。
(それはだな………)
風狼が青年と出会ってから五年ほど経ったある日、事件が起きた。
(彼が突然森に駆け込んできたのだ)
風狼に詳しい事情を聞いてみると、青年は王国の兵団に追われているというのがわかった。というのも、魔物と話ができる彼は危険人物だと指名手配されていたのだ。もっとも、これはただの大義名分で、事実は彼のみが知る秘術を教えろと詰問してきたので断っただけだという。
要は逆ギレだ。ちなみにその秘術は使い方によっては世界の理に触れる禁忌の術である。一体どんな秘術なのかとルーカスは思ったが、禁忌だから秘術なんだろうなと触れることはなかった。
問題なのはその大義名分。青年が狙われるだけならまだしも、魔物も駆逐するよう命じたことで森の生き物にも飛び火したのだ。「魔物は害獣である。ゆえに一匹残らず駆逐すべし」という思想を王は持っていたのだろう。
しかし森の皆は戦うことを決意した。共に和平の道を歩んできた親友の青年を守るため、恩義に報いるため、そして森の未来のために。
やがて兵士達が派遣されてきた。仲間達は青年を奥へ逃し、己が爪牙を砥ぎ、兵士達と戦った。そこからは血に塗れた魔物と人間の殺し合いだ。その中で風狼族は先陣を切って仲間達を指揮し、守るべき者のために戦った。
しかし戦いは長引き、魔物達は劣勢となった。仲間は次々と殺され、皮を剥がされ、心の臓とも言える魔石をも引き抜かれた。風狼族も何匹かやられた。風狼の目の傷もそのときについたものらしい。だがその反面、兵士達にもかなりの痛手を与えたようだ。
そんな戦いは三年目にして終止符を打たれた。兵が森に放火するという形で。
事の発端は兵士達がいきなり来なくなったことだ。風狼はそれに違和感を覚えて皆に警告したが、一瞬のうちに辺り一面は火の海となり、仲間達を逃すことができなかった。
(あのことは今でも鮮明に覚えている……)
「………」
風狼は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
(あの火の海の中には……私の子供もいたのだからな)
声色が変わる。沸々と怒りが湧き上がるように。
風狼の後悔。それは我が子を守れなかったことだった。それすなわち己との対比。炎に焼かれて死んでいった我が子と難を逃れて今もなおのうのうと生き残っている自分との対比だ。
(本来ならば私が死ぬべきだった! 死ぬ覚悟だってできていた! けれどもあの子は何と言ったと思う?! 「お逃げください父上」だ! どうして私を庇ったのだ!)
やり場のない怒声。否、怒りの矛先は自分自身だ。不甲斐ない己への怒りだ。念話とはいえ、たしかにその声は木霊した。
「………」
ルーカスは黙り込んでいた。風狼の凄絶な過去を思い出させてしまったことを申し訳なく思ったのだ。加えて作業の手を止めてしまっていた。
(……すまん、つい感情的になってしまった)
「…無理もないよ」
風狼は一旦落ち着いた後、話を続ける。
自然鎮火が終わる頃にはほとんどが全滅していた。仲間達も草木も虫も、生けるものすべてが灰となり土へと還った。見渡す限り空が広がっている。緑生い茂る光景は既になかった。
長として、森を守る者としての責務を果たせなかった。後悔、嘆き、悲哀、それらの感情が風狼の胸を締め付けた。そして己の無力さを呪ったそのとき、思わぬ光景を目にした。
それは一輪の花だった。焼け野原となり死滅したはずの大地にポツンと一つ花が咲いていたのである。風狼は思った。これは希望だと。絶望するにはまだ早い、そんな啓示のように思えた。
その後も月日が経つにつれて木々が茂り、二年ほどで元に戻ってしまったという。これも自然の力なのだろうか。だとするなら凄まじいものである。このままいけば森の生態系も元通りになる日も近いと思われた。
そう思っていた時期が風狼にもあった。結論から言えば動物達は増えなかった。すなわち、森に存在する生き物は残りの風狼族含め僅か数十匹。繁殖しなかったのかとルーカスは疑問を投げかけたが、「繁殖できなかった」という答えが返ってきた。
原因は未だに不明だが、生殖器官が効かなくなってしまったらしい。風狼族は何故なのかそうはならなかったが、それ以外の種はそうなってしまい繁殖できなかったようだ。それが今現在も続いているという。森にほとんど魔物がいないのはそういう訳である。
ちなみに青年についてだが、あの後も安否は確認できていない。もう百年以上前のことなので当然と言えば当然だ。
(私が話せることはここまでだ)
すべてを出し切ったように過去を語り終えた風狼。その表情はどこかスッキリしたようにも見えた。
「……ねぇ、風狼」
(? なんだ)
「…人間を……恨んでいるの?」
ルーカスは恐る恐る聞いてみた。話を聞くからに人間側が一方的に悪いので、同じ人間として少しばかり罪の意識を感じたからだ。が、
(ふん……もう随分昔のことだ。過去は過去。今さら恨みなどない)
過去のことであると既に切り捨てていたようだ。恐らく怒りに任せて他者を手に掛けることなどあっては、風狼族の誇りに傷が付くとでも思っているのだろう。その何事にも動じぬ高尚な精神は二百年以上生きているだけあって磨き上げられている。
(それに……今思えば我々もやり過ぎたのかもしれんしな)
滅亡するきっかけを作ったのは自分なのではないかとも思っていたようだ。青年のおかげで丸くなったとはいえ、今までのやり方は人々の間で害悪なものとして伝わっていたからなのだろう。
これからの森の将来は風狼族がどう管理していくかに懸かっている。過去を振り返ってそう肝に銘じる風狼であった。
(話が長くなってしまったな)
「全然。丁度作業も終えたところだし、疲れたからそろそろ寝るよ」
(しっかりと英気を養っておけ。全力を出せるようにな)
ルーカスは少しばかりスペースを空けて、そのまま横になり床に就いた。寝顔を見た風狼はふと思った。
(この少年……なにか懐かしいな……)
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