第8話 黒鉄の番人

 ここは薄暗い建物の中。石造りの壁には見渡すかぎり苔がびっしりと生えている。しかしながら、それらの苔が仄かに光っているせいなのか真っ暗というわけではなかった。


「結構暗いな。灯りを点けよう」

 (そうだな。その方が良い)


 そう言って背負子から発光石のランプを取り出したのは一人の少年。ルーカスだ。そして隣には風狼もいた。彼らはシルヴィを探すべく、このユグニラ遺跡に足を踏み入れたのだ。


 もちろん、最初は少しいざこざがあった。というのも、彼女を探そうとした彼を風狼が一度止めたのだ。その理由は、「彼らを死なせないため」。精霊の森の守護者として、生ける者達の無駄な死はあってはならないという誇りがあったからだった。


 風狼も一応彼女に協力するという姿勢を見せたわけだが、あまりにも無茶なことはさせないべきだと考えていた。それゆえに抗議した。「魔物は強い。絶対に入るな!」と強めに警告したが、意地でも探し出すと言うことを聞かなかったので妥協案を提示したのだ。


 その案というのが、内部に入るならば風狼も同伴するという条件付きのものだ。ルーカス達が危険に晒されることを考慮すれば風狼という戦力があればそれで十分。いざとなったら身体を張って守ってやると意気込んでいた。


 他方、ルーカスは一刻も早く彼女を探し出したかった。彼女の正体を知るために、真相を掴むために。マリンの言う狡猾な悪魔なのか、それとも目に焼きついたままの純粋で可愛い少女なのか。未だに疑念は晴れていない。だからなんとしてでも見つけたかった。


 (シルヴィ……君は一体……)


 もしや本当に罠なのではと疑り深くなっていた。急にいなくなるという今現在における事実が疑惑をさらに加速させる。


 しかし、信じたいとも思う。今までの彼女の様子から判断すると本当に何も知らなかった可能性もあるのだ。特にアルラウネについての説明をしたときに初めて知ったという顔をしていたのが目に焼き付いている。


 半信半疑のルーカス。けれども「騙されたつもり」を思い出して臨機応変に、後悔のないようにやっていこうと心を切り替えた。


 そのとき、風狼から念話が届いた。


 (ルカ殿、怪しい床を見つけたぞ)


 それを聞いて風狼のところに向かう。この遺跡の内部は入り口から階段が続いており、祭壇が設置された広い空間に出る。その祭壇を中心として四方向(上から見ると斜め十字になっている)通路がそれぞれあるのだが、風狼から報告があった場所は北西の通路だ。


 合流してから例の床を教えてもらい調べ始めた。他の通路の床も調べてはいたが、さほど変わった様子はない。どうしてここだけが怪しいのか聞いてみると、


 (ここだけ魔力の反応が違かったのでな。何かあるなと思ったのだ)

  

 ということらしい。この床の下は一定の魔力反応があり、その他三つの床は大きく変動する魔力の流動を感じたそうだ。変動する方は不特定多数の魔物がいるということらしい。これも例の魔物の魔力探知によるものだろう。


 加えて風狼は鼻が利くので匂いでも魔物かどうかを区別できるらしい。つまりは魔力反応と鼻の二重フィルターを使っていたわけだ。なんとも頼もしい。


 トラップの類じゃなかろうかとルーカスは疑い、即座に錬成した棒で床を突いてみた。物理的な反応はない。まさか人か乗ったら発動するとかじゃないよな、とありそうな推測を立てるが、風狼に即否定された。魔力の反応はこの下にあると言うからだ。


 そうと決まれば床に手を付け、錬成を使って穴を開けた。その先には階段が続いており、奥から何やら光を放つものがある。


「これは………魔法陣?」


 その正体は奇妙な文字がずらりと並ぶ魔法陣。その奇妙な文字とは、ずばり現代においては目にすることはないものだった。ここは太古の時代に使われた遺跡。それをソースにして考えれば恐らく古代文字なのだろう。魔道具を作る上で魔法陣の知識はそれなりにあるルーカスだが、流石にこれでは読み取れない。


 すなわち、どのような効果をきたすのかがわからないのだ。


 風狼ときたらもちろん知識は皆無だ。できることと言えば魔力感知で何がありそうかを見極めるだけ。魔法陣からの魔力で確実に効果を当てることなどできるはずがない。


 彼らの選択肢は二つだ。このまま魔法陣に乗るか、この場を引き返すか。もっとも後者は論外だ。シルヴィを探しにせっかく入ったのに、怖気づいて何もしないまま終えるなどもってのほかだ。何のために風狼が同伴しているのか。


 彼らが決めた答えはただ一つ。魔法陣に足を踏み入れた。


 その途端、魔法陣はさらに輝きを増してついには眩い光が包み込んだ。ルーカス達は腹を決めた。


 「「必ず彼女を見つけ出す!」」


 

-------


 

 目を開けるとそこに苔むした壁はなかった。その代わり、ツルツルとした大理石でできた空間が辺り一面に広がっている。足元には光らなくなった魔法陣があった。隣には寝そべった風狼がいる。 


「ここは……」


 ルーカスはなんとなく察した。ここがかのサッチャー・アドルフが挑んだという迷宮の入り口だと。となると、あの魔法陣の効果はここに転移させるものだったのだ。


 (ここが迷宮の入り口か。祖父や父上からは聞いていたが、まさか実物を目にする日が来るとはな)


 同じく目を開けた風狼もそんなことを言った。どこか感嘆しているようにも見える。彼の口振りから判断するに、風狼一族では代々迷宮の話が伝えられてきたのだろう。


 もっともここは何が起こるかわからない危険な場所だ。彼らはその場でできるかぎりの準備をして気を引き締め、前へと歩み出した。


 目の前に見えたのは人一人が入れる大きさの黒い扉だ。白の大理石で囲まれた空間ではよく映える。両開き戸の扉を開けて、両方の角を錬成して固定した。逃げ道を確保しておくのだ。


 ガッチリと動かなくなったのを確かめ、扉の先に進む。目の前に広がるのは黒い金属質の壁で囲まれた空間。発光石が埋め込まれていたため思いの外明るかったが、その光も青く、不気味な雰囲気を作り出していた。


 ひんやりした空気を肌と肺で感じながら進んでいたそのとき、風狼が叫ぶ。


 (ッ?! 何か来るぞ! 気をつけろ!)


 その瞬間、黒い物体がズドンと重い音を立てて落ちてきた。ひび割れた地面にあるそれはゴツゴツとしている黒い鉱物の塊。刺々しい形をしたそれは、まるで名のある芸術家が彫った彫刻のよう。


 いかにも自然にできたものとは思えない大きな金属塊。自然物でないなら人工物だとしか思えなかった。けれども実は、これも自然が生み出した賜物である。


 何と言っても、魔物・・なのだから。


 物言わぬ金属塊と思われたそれは、ゆったりと動き始めた。翼を広げ、四肢を開き、首を動かし、そして眼を開ける。何故あんなにも刺々しい形をしていたのか。彼らは今になってようやく気づいた。


 名付けるならばこう呼ぶのが相応しいだろう。


黒鉄竜くろがねりゅう』と。


 開かれた紅眼がルーカス達を捉えた。敵認定されてしまったのは間違いないだろう。一拍、


「キァァァァァァァン!」


 金属を互いに打ち鳴らしたような凄まじい咆哮を上げた。それは己の縄張りに踏み入った不届き者を排除せんという意志。大気が震え、見る者聞く者を恐怖のどん底へと陥れる。

 

 堪らずルーカスは耳を塞いだ。直に聞けば鼓膜が破れる。本能が反射的に動いたのだ。風狼はどうやら風で聞こえる音を最小限にしたようで特に気にした様子はない。だが、両者ともビリビリとした感覚に襲われた。本能が警鐘を鳴らす。今すぐ逃げろ、まだ間に合う、と。


 逃げるつもりないが背を向けるルーカス。そうだ、逃げ道を作っておいたんだ。避難して作戦を練ろう。そう考えたときにはもう遅かったし、何より甘かった。


 急に扉がバタンッ!と閉まったからだ。


 (固定しておいたはずなのに! どうしてだ!?)


 改めて固定した部分を見ると、そこは綺麗さっぱり元の扉の角・・・・・に戻っていた。削られたり咆哮の勢いで破壊されたりした痕は見つからない、綺麗な平面の状態だ。この状態……見覚えがあった。ルーカスならば馴染みのある光景だ。


 (あの竜が……錬成したのか?)

 

 錬成したときとそっくりだったのだ。破損した痕もなく、綺麗にできる技と言ったらそれしか思いつかない。となれば、あの竜の能力について推測できるのは「鉱物を操る能力」だ。


 (来るぞ!)


 風狼からの警告。黒鉄竜は翼を広げて宙に翔び上がり、滑空しながら襲いかかってきた。ルーカスは足で地面を蹴って飛び上がり、ギリギリのところで躱す。刹那、前脚の爪が地面を深く抉り傷痕ができた。


「少々不安だったけど、一応使えるな」


 試作魔道具『疾風のブーツ』。使用者の移動能力を強化できるものだ。ブーツの底で風魔法を発動させることで、走るスピードを上げたりジェットのように噴射して高く跳ぶことができる。通常の飛距離はざっと五メートルくらいだ。試作段階にしてはまだいい方だろう。


 そのまま着地して黒鉄竜の姿を再度確認した。逃げ道はもうない。ならばやることは決まっている。


「先を急ぎたいんだ。悪く思わないでくれよ!」


 そう言って腰のホルスターから五十センチ程のナイフを一本取り出した。あの見た目からこれが通用するとは思えないが、試さなければわからない。すぐさまスナップを利かせて投擲した。


 真っ直ぐに飛んでいくナイフ。どういうわけか両刃が赤熱化していた。


 試作魔道具『赤熱剣』。両刃に熱を伝えやすい鉱石を用いたもの。赤熱化した部分が溶けてしまうため一回切りの使い切りになるが、その威力は折り紙つきである。


 黒鉄の甲殻に当たったナイフ。しかしその装甲を破ることはない。弾かれた後にジューと音を立てて溶けた部分はそのまま床に付着し冷えて固まってしまった。やはり火力が足りなかったのだろうか。一応温度は最大値で五百度にはなるのだが、これではまだ黒鉄の融点に達していないのだろう。


 もっとも、これはあくまでお試しなので期待はしていなかったが。一応通らないとわかったのは大きい。ゆえに、


 (外殻を錬成して突破する!)

 

 見た時から決めていた十八番で勝負する。錬金術はルーカスの最大の武器だ。外殻に張り付くなりして錬成すれば突破は容易いだろう。だがそのためには連携が必要だ。少なくとも近づけるようにしなければならない。


「錬成して外殻を突破する! アイツの動きを封じてくれ!」

 (了解した!)


 風狼は黒鉄竜を惹きつけるべく両脚の爪から風の刃を作り出し頭目掛けて振り下ろした。見えざる飛刃の数は六本。それもまとめて六本ではなく一本ずつずらして放った。歴戦の風狼の実力が垣間見える技だ。


 しかしながら喰らっても黒鉄竜はびくともしない。それどころか口を開けて攻撃の体勢に入った。喉の奥が蒼白く光りだす。風狼はそれを察知するや否やその場を退く。次の瞬間には高速で光る何かが地面に衝突した。


 バチバチと音を立てて蒼白く輝く物体。風狼に注意が向いていることを確認しながら物体も横目で確認する。ルーカスには何なのか一瞬でわかった。これは電気石という鉱石だ。どうやらこの竜、これをブレスとして飛ばしてくるらしい。


 相手の技はまだあるかもしれない。気をつけながら接近するルーカス。手にはいつの間にか剣ではなく鎖が握られていた。先に重石が付いているのでどちらかと言えばモーニングスターと言うべきだろう。この手の敵に鎖は悪手ではないかと感じただろうが彼はそう思わなかった。


 というのも、竜の能力には条件があると考えたからだ。それは、「部屋の鉱石なら操ることができる」という仮説だ。先程の扉についても、そこは部屋の一部だったから操れたというのが今のところの妥当な考え方かもしれない。何でもかんでも鉱石なら操れるというのはほぼないと言っていいだろう。


 仮に制限なく鉱石を操れるなら、とっくにこれらの武器は使い物にならなくなっているはずだ。


 作戦を実行すべく風狼に合図をした。空中は我が縄張りと言わんばかりに翔ぶ竜を地へ落とすための合図を。


 次の瞬間、風狼は合図を受けて大きく息を吸い込み、己の技を繰り出した。


「ヴォォォォォォォンッ!!!!」


 それは歴戦の守護者の威厳を示すが如き咆哮。轟々と鳴る突風と響き渡る大音声が一直線に走る。範囲こそ狭いものの圧縮された雄叫びは黒鉄竜のそれを遥かに上回る。


 突風に対しては微動だにしなかった竜だったが、咆哮が効いたのか一瞬だけ怯み翼の動きが乱れる。完全に落とすことはできなかったがそれで十分だ。すぐさまルーカスは高く飛び上がり、鎖を振り回した。即席の鉄球が付いた鎖は遠心力を乗せて重い一撃を生み出した。


 ゴンッ! と重い音が鳴るが外殻には傷一つ付いていない。だが成功だ。その勢いもあってか不意打ちを喰らって、黒い煙を上げながらその巨体を地に落としたのだから。


 そのまま黒鉄竜の背中に着地したルーカスは右手を着けて魔力を流した。近づける際に何かに引き付けられるような感覚があったが害はないので気にしない。範囲は限られるが弱点となる部分を作ればいい。イメージするのはポッカリと開いた穴。いざ錬成しようとしたそのとき———風狼から警告が飛んだ。


 (ルカ! 上だ!)


 ハッと上を見上げると、空中で数本の黒鉄の棘が現れていた。目を凝らして見てみると黒い塵が集まって生成されているのがわかる。同時に彼は理解した。この竜の能力を、ようやく。


 (飛べ! ルカ!)


 風狼の再びの警告にハッと我に返る。宙に浮かんだ棘はルーカスに狙いを定めて襲いかかった。それもどの方向に向かっても避けられないように。彼の本能が警鐘を鳴らし、その場を思い切り蹴って飛び上がった。


 同時に抜剣し、当たりそうになる棘だけを弾き返す。冷や汗をかきながら風狼の警告に感謝する。もしそれがなければきっと悲惨なことになっていただろう。


 距離をとってそのまま着地できるかと思いきや、今度は下で竜が口を開けて迎撃せんと待ち構えていた。落ちるところをピンポイントで狙っているのだろう。喉のから光る蒼白い光はまるでカウントダウンのように輝きを増していく。風狼は注意を向けさせるために攻撃を続けているが、既に眼中にはなかった。


 だがルーカスは焦ることなく落ち着いて着地点まで落ちていく。地面まであと数メートルとなったそのとき、待っていましたと言わんばかりに砲撃ブレスが放たれた。一条の極太の閃光が彼に襲い掛かる。


 そのときだった。


 (ここだ!)


 ルーカスは瞬く間に横に吹っ飛んだ。ブーツのジェット機能を利用して自身を吹っ飛ばしたのだ。一方、ブレスは壁に直撃し轟音を鳴らしながら盛大に煙を巻き上げる。


 反対方向の壁に彼は打ちつけられた。受け身をとっていたのでそこまでの大怪我には至らなかったが、身体が痛いことに変わりはない。だが閃光を避けられていなかったらこれよりもっと酷く、最悪死んでいたかもしれない。それに比べればまだかわいいものだ。


 ポーチから治療薬を取り出しグイッと飲み干した。鎮痛作用もあるので痛み止めの代わりにしたのだ。もっともその作用もかなり強いもので中毒性は高い。次の一手を打つために必要だと割り切ったのである。


 竜も普段はしないような特大ブレスを使ったせいなのか疲れているようだ。それを見計らってか風狼が彼に駆け寄った。


 (大丈夫かルカ!)


 ルーカスは大丈夫だと言ってすぐに立ち上がった。


「風狼、聞いてほしい」

 (何だ?)


 今すぐにでも伝えなければならないことがある。


「アイツの……本当の能力がわかった」


 彼は気づいたのだ。自分が立てた能力の仮説の間違いと、能力の真髄に。


 鉱物を操る能力というのはあながち間違いではない。ただし、それはあくまで応用・技の副産物であって本質ではないのだ。錬金術と同じように見えて同じでない。何故錬成しようと触れたときに一瞬引き付けられたのか。何故黒い粒子が棘を生成できたのか。


 それを証明すべく、黒鉄竜に電撃石サンダーストーンを投げつけた。魔力を流さずに・・・・・・・


 黒鉄竜に当たろうとしたそのとき、電撃石が放電を始めた。起動していない電撃石が、だ。すなわち、

 

「アイツは、『磁力』を操るんだ。それも、纏わせたり何処かに設置できたりするタイプのね」


 と、結論付けた。先の激闘の最中に何故黒い煙・・・が上がったのか。その正体は磁力で最も引き付けやすいもの、『砂鉄』だ。空中の棘は砂鉄を集めて結合してできたものだったのだ。この竜がこの場で扱える金属は、ずばり鉄。


 電気を操るのではないのかと風狼が主張したが、彼は即否定した。電気を操るのならば、ブレスは単純に雷を放つはずなのだから。そこまで発達していないのか、あるいはこの能力で限界なのか。いずれにしても電気石という自身の能力を補うようなものを飛ばしてくる時点でその考えは切って捨てたのだ。


 咆哮を喰らったときのビリビリした感覚もそのせいだったと言えよう。タネ明かしはここまでだ。黒鉄竜がついに動き出したのだから。


「キァァン!」


 再び翼を広げて飛び上がった。その瞬間、黒鉄竜の周りに砂鉄が集まり無数の棘が現れた。鋭く黒光りする棘は微かに電気を帯びている。本気になったということだろう。先程のブレスを避けられたのが原因なのか大層ご立腹のようだ。ルーカス達もその様子を見て再び戦闘態勢に入り、互いに睨み合う。


 第二ラウンド開始だ。黒鉄の棘は一気に勢いをつけて彼らに襲いかかった。ルーカスは剣を抜き、風狼は爪に風刃を纏わせ、両者とも竜に突撃した。己の武器を駆使して迫り来る棘の雨を凌いでいく。少し掠ったりはしているがお構いなしだ。


 そんな止まらない彼らへの警戒を高めたのか、黒鉄竜は口を開けてブレスの構えをとった。そして棘の猛攻を凌がれた直後に必殺とも言える砲撃ブレスが放たれた。 


 まるで大砲のように放たれたブレス。しかも先程とは違ってガトリング砲の如く連射している。棘の雨の後は閃光の雨。一発でも当たれば致命傷になりうるというのに、まして連射となれば凶悪極まりない。


 閃光は駆逐せんとターゲットを追いかける。そのターゲットは風狼。爪での攻撃はともかく咆哮を喰らったことで警戒しているためだろう。


 そんな風狼はほぼ不可視と言ってもいいそれらをギリギリで避けていた。本来ならば避けられそうもないが、かろうじて避けられていた。本能でわかるのだ。喰らったら死ぬと。火事場の馬鹿力というものだろう。これだけで部屋の周りを一周してしまった。


 だがこの追いかけっこもすぐに終わる。もう手は回してあるのだから。


 突然、黒鉄竜がたじろぎブレスを中断した。ルーカスが背中に乗ったのに気づいたからだ。彼はそのまま右手を付けて魔力を流し始めた。黒鉄の一部が溶けるように形を変え始めた。錬金術はちゃんと効くようだ。


 確認すると穴が開くのをイメージして魔力を込める。溶けかけた部分が再度錬成されていく。その途端に痛みを感じたのか、竜は鳴き声をあげながら振り落とそうと暴れ始めた。もはや風狼には目を向けていない。


「咆哮を放て! 風狼! 」

 (ッ! 正気か! おまえまで吹き飛ばされるぞ!)

「大丈夫だ! 今しかない!」

 (……了解した)


 ルーカスを心配しながらも再び大きく息を吸い込む風狼。そして一拍、二度目の咆哮をお見舞いする。なるべく頭部に集中させるように、渦巻く風と共に轟音が鳴り響いた。


 頭に集中砲火を受ける黒鉄竜。先程よりも圧縮されているせいか効果はさらに上がっていた。他方ルーカスはというと、首のペンダントが光を放ち目の前に輝くシールドが展開され咆哮に耐えていた。


 試作魔道具『結界のペンダント』。展開された結界は一人分までしかないが、その分堅固にできている。


 二度目の咆哮を喰らって怯む黒鉄竜。翼が止まり一気に地へと叩き落とされた。その振動がルーカスにも伝わるがお構いなしに錬成していく。意外に厚い。五十センチはあるだろう。このままいけば肉が見えてくるだろうと思ったそのときだった。


 (ッ! 抵抗が強くなった!?)


 だんだんと速度が遅くなってきた。魔力切れというのはあり得ない。魔力切れを起こした時は倦怠感に襲われたり目眩を起こしたりするなどの症状が出るからだ。もっとも、速度が遅くなったというだけでまったくできないわけではないが。


 苦闘するルーカス。他方、黒鉄竜はというと、


「クァォォォォォォン!!!」


 と今までとは違う鳴き声を響かせる。ちゃんと効いている証拠なのだろうか。しかし異様な声色に彼らには悪寒が走っていた。何かマズイものを仕掛けてくる、と両者ともに本能が警鐘を鳴らす。


 次の瞬間にはバチバチッという音が聞こえた。その正体はブレスで拡散された電気石だ。磁力で反応したそれらは放電現象を起こしながら輝きを増して、ついには光柱となった。


 それは雷光の包囲陣。すべての敵を一切合切破滅へと導く怒りの鉄槌。


 いかにも避けられそうにない、否、避けることなど許さない切り札。閃光が目を灼く。風狼が「退避しろ!」と叫ぶ。けれども彼はやめるわけにはいかないと魔力を思い切り流し込んだ。


「させるかァァァァァァ!!」


 ここでやらなければ死ぬ! らなければならぬ! 己を奮い立たせた。そして、


 甲殻が溶け、ピンク色の肉が見えた。すかさずルーカスは剣を引き抜き風刃を発動させる。リーチを長くしたそれを突き刺して—————


—————光が部屋を白く塗り潰した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る