第6話 疑念と信念


「その子から離れたほうがいいわ」


 マリンの表情は先程の少しふわふわした感じとは違う険しいものだった。


 一瞬頭が真っ白になったルーカスだったが、ハッと我に返りその理由を問う。


「……どうしてですか」

「話を聞く限り、その子は例の『アルラウネ』なんでしょ? だったら避けたほうがいいわ」


 マリンは思ったのだ。記憶がないと言いつつも名前だけは覚えていて、記憶を取り戻すためには迷宮に入る必要がある。これほどまでに都合の良いシナリオがあるだろうか、と。


「きっと罠よ。あの魔物は頭が良いから計画性のある襲撃の仕方もできるはずだわ」


 言われてみればたしかにと思うところもある。泉で水浴びをしつつピンポイントで魔物を誘き寄せて救出してもらう。そうすれば、か弱い少女のイメージ像の完成だ。プラスで何日かかけて交流を深めれば疑われる可能性も低くなるだろう。


 けれども、それだけでは正確な判断材料にはならないだろう。ルーカスは反論した。風狼の言葉を思い出せばそれは違うのではないかと思うところも幾つか上がる。


「ですが、彼女はそのとき足を怪我していて狼にも襲われかけていたんです。しかも風狼からは高濃度の魔力によって暴れたものだったとも聞きました。とても意図的なものだとは思いません」

「その狼の動きも察知できていた、としたら? 付け加えるとそれに合わせて演技していたら?」


 マリンが言いたいのは魔物の特性の一つたる察知能力のことだ。魔物の察知能力で主なものは生物の体内の魔力流を感じることにある。人間にはない能力なのだ。


 もっともそれはあくまでも普通の人間の話であり、訓練すればできなくはないことなのだが。これにより五感を失った状態でもある程度の行動はできる。


 つまりマリンの言うことが正しいなら、あの一連の出来事も彼女の中では計算済みのことだったと言える。


 そして追い討ちをかけるようにマリンが体験談を話す。


 曰く、過去に冒険者パーティーにいた男が、依頼を受けて森に入ったところはぐれ、帰ってこなかったという。後日喰われた痕が残った男の遺体が見つかったそうだ。


 それも首無しの……これ以上は言う必要はないだろう。場所はバルトア方面の森だったらしいが。

 

 ともかく、アルラウネの危険性はマリンも身に染みている。


「いい? ルカ君、これは君のために言っているの」


 渋々「はい…」と了承して外に出た。否、了承とは言いがたいだろう。そう、これは諦めだ。


 内心ではシルヴィは悪い奴じゃないと叫んでいたはずだった。だがこれ以上言っても今までの行動が全て否定される気がしてならなかった。


 (あのとき僕を助けてくれたのも演技の一つに過ぎなかったってことなのか……?)


 軽くなった背負子を背負ってトボトボと歩きながらそう考えていた。影が彼の前を立つ。まるで自分がこれから暗い方向に向かうかのように。


 やけに寂しく感じる夕焼け空が、ますます考えを負の方向へと流していく。


 いつの間にか俯きながら歩いていた。街はすっかり暗くなり、淡い白光石の街灯が点き始める。


「ん? なんだルカか」


 声に気がつき顔を上げるルーカス。目の前にはガタイのいい大男がいた。顔は影がかかっていて見えなかったがなんとなく誰かはわかった。


「ジールさん……」

「どうした? マリンと何かあったのか……って言ってもそんなわけないか。なんやかんや言って仲良いしな」


 まるで今まで息子のように育ててきた弟子なんだから当然だと言わんばかりに言い切った。ジールにはわかるらしい。


「…いえ、別に大丈夫ですから」

「何が大丈夫だ? いつもみてぇな営業スマイルしたって隠しきれてねぇじゃねぇか。きっちりと顔に書いてあるぞ」


 ルーカスは心配させまいと作り笑いしていたが、それすらもできていなかったようだ。


「……取り敢えず部屋に戻って荷物置いてから、所長室に来い。悩みは貯め込み過ぎない方がいいからな」


 工房に着くと、言われるままに自室に向かい、荷物を置いた。


「ジールさんは…この話をどう思うかな……」


 ポツリとそう呟いた。


 所長室に赴きドアをノックする。「入れ」という声が聞こえたのでドアを開けた。同時に先程まで考えていた悩みが重さを増して胸が押し潰されそうになる。


 それでも堪えながら言われるがままにソファに座ると、話が始まった。


「一体どうした? 悩みがあるなら話してみろ」

「…実は……」

 

 ルーカスはシルヴィと出会ったこと、彼女と過ごした一週間のこと、事情を話したらマリンに止められたことを順に話した。


「なるほどな。そのシルヴィって子が危ないところをルカが助け出して、それをきっかけに毎日のように会うようになったと」


 ジールは話をまとめると「なかなかやるようになったじゃねぇか」と称賛した。話の流れからなんとなくわかるが、今はそこじゃないとルーカスは内心ツッコミを入れた。ジールなりの励ましかたなのだろうとは思っていたが。


「で? おまえはどう思うんだ? ルカ」


 いきなりそう質問した。ジールにどう思うかを聞きたかったが流れを止められてしまった。 


「それは…彼女に協力したいけど…」

  

 一瞬言葉が出なくなったルーカス。やはりマリンの警告もあってか迷ってしまう。本当は彼女に協力したいという気持ちがある一方でマリンの警告通りに離れるべきか迷っている自分がいる。


 それを見兼ねたジールはこんなことを言った。


「おまえさ、人に意見を求めるのは構わねぇが、最終的に決めるのはおまえ自身なんだぞ」

「わかっているよ……そんなこと……」


 わかっているが、どうにも決断ができない。意見を聞いてそれらを吟味して決めようとしていたのに上手くいかない。一体何が原因なのだろう。ルーカスの決断力が欠けているのだろうか。


「おまえ…もしかしてだが、そのシルヴィって子が好きなんじゃないのか?」


 刹那、ルーカスの顔がほんの少しだけ赤くなった。


「別にそういうわけじゃッ!?」


 動揺を隠しきれていない様子でそう言った。図星だ。対してジールは「わかった、わかった」と宥めている。同時に今までこんな反応をしたことがなかったルーカスに少し吹いてしまった。続けて言う。


「おまえが彼女のことを話しているとき、なんだか楽しそうだったからよ。こりゃもしかしたらなって」


 どうやらそれだけで察したらしい。本当にこの男、何者なのだろうか。エスパーの類だろうか。もちろん、ルーカスは自分の顔がそう出ていたことなど知らなかった。


 そして、それを裏づけに言った。


「つまり、だ。おまえはシルヴィに好意を寄せているから、マリンが言ったことを信じたくなかったんじゃないか?」


 ハッとするルーカス。シルヴィはこの世に二人とない美少女だ。一方的ではあるがルーカスは彼女に恋をしている。彼女が好きなのは薄々気づいていた。


 しかし、マリンの言うことが正しかったら、自分の判断が間違いだったら、後悔することになる。マリンが彼に不利になる情報を教えるとは思えない。


 どちらを信じるべきか。極端に悩むルーカスにジールはこう言った。


「まぁ、俺が思ったことなんだがよ。取り敢えず『騙されたつもり』でやってみたらどうだ?」

「騙されたつもり……?」


 『騙されたつもり』とはどういうことか。


「要は、仮に裏切られたら「ああ、やっぱり騙されたんだな」って思うようにしてその場を凌げばいいんだ。そうすれば、相手を信じきった状態よりも心の傷は浅くなるだろう」


 ルーカスが懸念しているのは裏切られたときの損失だ。信じるにしても『信じきった状態』と『騙されたつもり』のどちらかを取るかによって、事実の受け入れ易さは大きく変わってくるだろう。


 決断力に欠けていたのは、損失を考えていたからだ。それを解消する考え方を思いついたジールは流石と言えよう。


「おまえなら、仮に彼女に裏切られたとしてもそれなりには対応できるはずだ。やるならやれるだけやってこい」


 激励。これは激励だ。彼ならできると信じてのジールの激励だ。ルーカスは今、彼から信じるコツを学んだ。ならばもう恐れるものはない。


「わかったよ。明日行ってくる」


 そう言ったルーカスは部屋から出ていき、自室に戻って床に就くのだった。



-----



 翌日、背負子を背負って森にやって来た。


 『騙されたつもり』を心の中で唱えながら、いつもの場所に向かう。テントが見えた。人一人が入るには十分な大きさの無骨なテントが。中には髪をツインテールに結った少女が………いなかった。


 (散歩にでも出てるのかな)


 テントに背負子を置いて、先日の散歩ルートの方面に向かった。奥に行けば行くほど木々が茂り、風が吹けばザワザワと葉同士が擦れる音がする。これを見たらシルヴィはどんなふうに言うかな、と思った。そこにもいなかった。


 泉の方にいるのかと思い泉に向かった。水面がキラキラと光を反射している。神々しい光景だ。そこに人影は……なかった。


 ルーカス以外誰一人としていない。


 遺跡の方にいるのだろうかと思い今度は遺跡に向かっていく。未だにシルヴィが見つからない。その事実が相まってか道中の木々の騒めきは、もはや不安を煽り立てるものに感じるようになった。

 

 遺跡に着いた。が、彼女の姿はここにもなかった。代わりに何匹かの風狼が集まっていた。そのうちの一匹がルーカスに気が付き近寄ってくる。そして念話で語りかけてきた。


 (ルーカス殿、丁度良いところに)

「何かあったのか? シルヴィを探しているんだけど」


 シルヴィという単語に反応した風狼はここぞとばかりに言った。


 (彼女は先日、この遺跡に潜っていった)


 それを聞いたルーカスは特に驚かなかった。何故ならなんとなく空気から予想はできていたから。


 ただ、悪い予想は当たっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る