第3話 森の中の妖精


 ゼルドアの街より少し北に向かったところには森がある。とても美しい森で、巷で『精霊の森』と呼ばれるほどだ。そこにはさまざまな動植物が生息しており、昔から「精霊様が生命を与えて下さった」と言われている。

 

 そんな森のあるところにルーカスはいた。切り株の近くにいる彼は今拠点を立てようとしていた。というのも、薬草を採ったり魔道具の作成の続きをしにきたのだ。


 ちなみに、彼がここに来るのは初めてではない。ゆえに薬草が生えている場所は大体把握している。


「さて、始めようか」


 地面に右手をつけて、グローブに魔力を込めた。


 すると地面が隆起し、その中からさらに現れた砂鉄が瞬く間にテーブルの形を作り上げた。


 錬金術は元素に干渉して形を変えたり人工的に物質を作り出す魔術だ。その原理としては物質の構成成分を操作したり、金属なら金属結合の性質を利用して変形させたりすることにある(以下この操作を『錬成』という)。


 このテーブルの場合は地中の鉄を金属原子の流動性を利用して錬成したものとなる。実際は形を作るのにもっと時間がかかる。原子がヌルッと動くのを正確にイメージして操作するので、脳をフルパワーで動かさなければならないからだ。


 それをこの短時間——数えて約五秒で錬成するルーカスはとんでもない手練れと言えよう。流石はジールが認めた男だ。あそこまで精密な設計図を描くのも納得がいく。


 即席のテントを張り終えて、採取場所に行こうとしたそのとき、重要なことを思い出した。


「そうだ、これ置いておかないと」


 ローブのポケットから拳大の塊を取り出し、切り株の上に置いた。この石、実は一定範囲の隠蔽効果を持つ魔道具だったりする。彼が作ったのではない。前にマリンの店で買ったものだ。


 そう、あのほぼポンコツの魔道具の中から当たりを、残りの一割を引き当てたのである。


 もちろん、これを置くのには理由がある。魔物がいるからだ。


 魔物とは自然の生物が空中の魔力(魔素)を多量に取り込んだことで異常に変異したものだ。変異の際、体内に魔石と呼ばれる物質が蓄積、生成される。原理的には人間も例外ではない。


 しかし例外として角や牙などの外部器官になった種類もいる。魔石は通常脆く剥ぎ取りにくいのだが、外部器官になっているものはとても堅く、凶器になりうる。


 また、詠唱や魔法陣を用いることは出来ないが、代わりにこれを用いて特殊な魔法を使う。魔石は魔道具の材料にもなる貴重なものであり、高い値段で売れる。


 しっかりと対策しておかないとテントを襲われかねないのだ。一応これで対策はできたため、ルーカスは薬草を採りにテントから離れていくのだった。



-------


 

 しばらくして彼は薬草の入った布袋を担いでテントに戻ってきた。どうやらお目当てのものは見つかったらしい。そして切り株に座り、背負子から錬金釜を取り出してテーブルに置いた。


 一応、この錬金釜も魔道具の一種であり、中に入れた材料の成分操作を補助してくれる。つまりは脳の負担が減るということだ。ルーカスが調整を繰り返して作り上げた、最初の魔道具だ。


 丸みのある釜に薬草をいれ、蓋を閉めてから側面に両手をつけて魔力を流す。すると蓋の魔法陣が淡い光を放ち始めた。中で錬成が始まる。その間、ルーカスはイメージを崩さぬように眼を閉じて集中した。


 五分経過。魔法陣の光が次第におさまると、ルーカスは蓋を開けた。中では淡い緑色の液体が出来上がっている。これがマリンに売っていた治療薬の正体である。


 何本かの薬瓶を用意して、薬液を濾過ろかしながら一本一本移した。日の光にかざした一本は、エメラルドの如き輝きすら放っていた。


「うん、いい出来だ」


 そう言って木箱の中に治療薬を収納する。これで保存ボックスの中に入れておけば次の取引まで長持ちするのだ。いつもこんな感じで薬を作っているのだが、『自動調合機』が完成すればもっと多く生産できるだろう。作業効率が良くなればルーカスも新たな魔道具の研究を進められる。


 取り敢えずひと段落ついたので休憩し、ついでに水を取りに行った。この森にはとても美しい泉があり、そこの水は不純物がほとんどない。だがそのせいか魚をはじめとする水生動物が生息していない。飲み水にするには問題はない。


 巷では「精霊様がいるから無闇に近づけないのだ」などと言われている。まさに「水清ければ魚住まず」だ。もっともルーカスは根拠のない噂を信じるわけがないのだが。


(精霊の森とはよく言ったものだなぁ。きっと斧なんか落としたら、拾ってくれそうな気前のいい精霊様なんだろうなぁ)


 冗談めかしてそんな御伽噺のような話を想像していると泉に着いて———次の瞬間には絶句した。


「……あ」


 小鳥のように可愛らしい小さな声は、静かな森にやけに明瞭に響き渡った。泉の中心に妖精——少女がいたのだ。


 薄紫の長髪にトパーズのような色合いの瞳。身長はそこまで高くはない。シルクのように綺麗な肌がところどころ濡れているので、水浴びでもしていたのだろう。


 泉自体はそこまで深くはないので水浴びをしていてもおかしいことはない。

 

 二人とも時が止まったように感じた。


 ルーカスは彼女の妖艶な姿に見惚れて、少女はいきなり現れた少年にびっくりして、しかし互いに声が出ることはなかった。


 彼女の髪から水滴がチャポンと落ちたのと同時に、二人は我に返り時が動き出す。


 先手はルカだった。内心動揺しているが表情を冷静に保ち誠意を込めて第一声を出す。そしてペコリと頭を下げた。


「すみません、すぐにここから立ち去ります」


 こういうときはこれが一番の方法だ。とりあえず先に自分から謝罪をする。どちらに非があろうと関係なく、だ。彼も予想外だった。まさか本当にいるとは思ってもいなかったのだ。


 早いところテントに戻ってしまおうと考えた。そうだ、今のことは忘れてテントで魔道具作りの続きをしようと。


 そう思って戻ろうとした矢先に——少女から声がかかった。


「待って」


 一体どうしたとルーカスは恐る恐る立ち止まる。


「人ですか?」

「そうだけど、何か?」

「そう、ならよかった」


 変な質問だった。人であるかどうかというのも、返答に対する「よかった」も、一体なんだったのだろうか。


「だったら、ここにいてくれませんか? 一人だと心細いんです」


 いきなり過ぎる。心細いからとは言ったが、よくわからない。本当にこの少女は何をしたいのだろうか。


 この違和感を感じて、ルーカスはあることを思い出した。『アルラウネ』の噂だ。


 この森で死んだ人間は精霊様に導かれて森の眷属になる、と。その森の眷属というのが『アルラウネ』という魔物だそうだ。ただし魔物ゆえに本性は凶暴である。


 精霊様という崇高な存在の眷属だというのに何ということだ。と思うのだが、そこは「森に仇なす愚か者に、精霊様は牙を剥くのだ」というご都合解釈をしている。


 その中で語られていた特徴はこうだ。


 (アルラウネは姿で誘惑し、人語を巧みに操って人を誘き寄せる。そして誘われた者は………言うまでもなく餌食になるであろう)


 ピッタリと当てはまる。間違いなくこのパターンだ。早いところこの場から立ち去ろうと考えた。振り返ることなくテントの方向一直線に。


「あ、待ってください! 話を聞いて欲しいんです!」


 ピタッと止まるルーカス。しかし警戒は忘れない。腰に付けた剣の柄をギュッと握りしめ、今にも抜こうとしているのがその証拠だ。そして言葉の真意を確かめるために口を開いた。


「じゃあまず、何でそこにいるの?」

「…水浴びをしていまして」

「……どうして恥ずかしくないの?」

「えっと、それってどういう……」


 彼女は忘れていた。ルーカスと出会うまで、すなわち、ここで初めてと会うまで。水浴びをしていたなら言うまでもないことだろう。


 気づいた少女は赤面しながら蹲り、しかし大声を出すことなく言った。


「……見たんですか?」

「見たというか、見えたというか……」


 淡々と答えるルーカス。対して少女はプルプルと震えていた。しかし話を続ける。


「……まぁ、それはいいとします」


 彼女が寛大なのか、それとも質問に対して予め用意した答えなのか。もし後者であり反応も演技だとするなら、何も知らない人ならノックアウトだろう。


 ルーカスはこの問いでカマをかけたつもりだったが、反応が予想(恥じらいを見せることなく誘いを続けると思った)と違っていたので見分けがつかなかった。


「じゃあ、もう一ついいかな。君はアルラウネなのかい?」


 カマをかけても無駄かと思い、今度は率直に言った。もちろん例に漏れず剣に手を掛けた状態だ。


「アルラウネって何ですか?」


 アルラウネを知らないらしい。否、この場合はしらけているとでも言うべきだろうか。一応ルーカスは特徴を教えた。反応を見るためでもあるが、ひょっとすると本当に知らないという可能性もあるのだ。


 説明の途中だった。能力のことを言いかけたときに答えが返ってきた。


「あっ、植物を操る能力ならありま——」


 それを聞くや否やルーカスはそのまま走り出した。「植物を操る能力」という時点で確信したのだ。


「ッ! 待って——キャッ!」


 少女はルーカスを留めようとしてつまずいた。音を立てて水飛沫が飛ぶ。


「待って……ッ!」

 

 少女は置いて行かないでと言わんばかりに手を伸ばして呼び止める。表情は悲痛なものだ。そうしているうちに茂みの向こう側からゴソゴソと何かが出てきた。


 「まだ人が!」と希望を見出した少女はその方向を向いた途端に、絶望の表情に変わる。そして悲鳴を上げた。


 現れたのは狼の魔物だったのだ。


 先程の音でこちらにいるのに気づいて来たのだろうか。相当飢えているのか、涎を垂らしながら獰猛な眼つきで少女に近づいてくる。


 唸り声を上げて獲物に近づく狼。


 一方ルーカスも聞こえた悲鳴に何事かと振り返り狼に気づく。だが少女のことは極力考えない。あれは罠だ。下手に近づけば殺される。そう考えてきっぱり切った。


 はずだった。というのも、その光景に疑問を覚えたのだ。


 すなわち、(どうして狼がアルラウネを狙うんだ?) と。


 アルラウネは特徴からして植物系の魔物だ。肉食獣たる狼がアルラウネを狙うのは少し変ではないか。


 そしてもう一つ。もし彼女が本当に獲物を狙っていたならば、ルーカスに害をなそうとしたならば、自分の能力を教えるだろうか。加えてその能力があるなら、あの狼に十分対処できるはずだ。


 そっと様子を見てみると少女は逃げることもままならず、涙目になっている。足を挫いたのだろうか。あの様子では怖気づいて能力も操れないだろう。


 (ここで見捨てるのか? 見捨ててもいいのか?)


 ふと頭によぎったのは孤児だった頃の記憶。周りの大人たちが手を差し伸べてくれなかったとき、生きるために仲間と共に盗みを働いたとき、自分はどう思ったのだろうか。


 失望した、仲間に感謝した。


 ならば今の彼女の境遇も同じではなかろうか。飢えた獣に目をつけられて喰われるというのは、不幸であることに変わりはない。


 ルーカスの助けたいと思う心が奮い立つ。

 

 その一方で逃げてしまおうという気持ちもあった。


 彼は強くはない。毎日の日課にトレーニングを入れているが、正直自信はない。助けるにしても今持っている道具だけで何とかできるかも不安である。結果的に助けられなかったとしたら、全てが徒労に終わる。自分がこんなにも考えを巡らせたのが馬鹿馬鹿しくなるだろう。

 

 二つの言い訳がましい心が葛藤した末、ルーカスは爆発した。


 (もうなるがままになれ!!)


 やけくそにも思える覚悟を決めるやいなや腰に着けていた護身用の片手剣を引き抜いて狼に突撃した。


 狼はルーカスに気がついていない。というより今にも少女に喰らいつこうとしていた。このままでは間に合わないと踏んだ彼は、ポケットから正八面体の黒い石を投げつける。


 狼が獲物を目掛けて喰らいつこうとしたそのとき、目の前でバチィ! という音と共に光を放つ。先程投げた石から電気が放たれたのだ。それに反応して狼は後退りする。


 この石の正体はもちろん魔道具——『電撃石サンダーストーン』。魔力を流してから三秒経つと放電する。


「こっちだ!」

 

 狼が彼の方を見た。どうやら先程の電撃の正体が彼によるものだと認識したらしい。加えて敵であるとも認識したのか今度はルーカスを睨みながら唸り声を上げた。


 同時に彼も睨み返した。猛獣が、しかも魔物が殺意を向けてくるのには少なからず恐怖を感じている。だが見捨てて後悔するよりもずっとマシだ。覚悟を決めてグリップを強く握り締め、狼の動きに意識を移した。


 遂に狼が動き出した。チーターもかくやというスピードで風を切りながら距離を詰めていく狼。そして彼の目の前で跳び上がり右前脚の爪を振り下ろした。対してルーカスは剣でそれを受け止めた。


 ギチギチと音を立てて剣と爪が競り合う。狼が左前脚でルーカスを押し倒す。このままでは首に噛みつかれる。必死の力で剣を前に翳し、噛み付きを止めた。だが両脚の爪が食い込んで、痛みに脂汗を流す。押し切られる。もうダメだ。


 そう思いかけたそのとき、狼の身体が浮いた。否、浮いたというよりも遠ざかっていると言うべきか。地面から伸びたつたがガッチリと捕らえていたのだ。


「あまり長くは使えません! 早くとどめを!」

「ッ! うん!」


 蔦の正体は少女の能力。自分を助けに来た彼に何かできることはないか考えた結果起こした行動だ。千載一遇のチャンスを掴んだルーカスは再び剣を構え首を狙い、縦に振り抜いた。


 その光景は第三者視点から見れば違和感を覚えるものだろう。剣の軌跡が狼に届いていないからだ。普通なら空振りだと思われよう。


 しかし次の瞬間には狼は首を刎ね飛ばされ、血飛沫を撒きあげながら絶命した。


 実は剣には魔法陣が施されており、魔力を込めることで風の刃が発動するようになっていたのだ。ルーカス自作の魔道具の剣である。もっとも、すぐに劣化してしまったが。


 ともあれ、危機を乗り越えたのだった。

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