第49話 熱量
暗い院内にも少しずつ目が慣れてきた。
暗闇と言っても窓があるところは視界が拓けている。そういうところは避けて襲撃してくるだろうな。
キイ。
廊下の奥の方で戸が動くような物音がした。
足音を殺してそこに向かう。
病室だった部屋の扉が開きっぱなしになっていてカーテンが揺れている。
その前に
俺たちは突入せずに中の様子を見る。
窓際のベッドに腰かけた弥凪が礼二郎の腕の傷の手当をしている。
そういえば俺のかすり傷の手当、誰もしてくれなかったな。大した怪我じゃないから別にいいんだけど。
「……礼二郎サン、
「ああ……死体になって一緒にいてもらうんだ……」
「えっとですね、死体になったら一緒にはいられないんですよね。腐るから」
弥凪の奴が至極真っ当なことを言い聞かせてくれている。
「どうして……? 僕はオフィーリアを、現実にするために、頑張って、それで、」
「あれはオフィーリアじゃなくて深月ちゃんっすよ」
「オフィーリアじゃ、ない……?」
「そのオフィーリアって俺、見たことないんですケド、どんなん?」
「……」
「……ああ~……これはこれは……綺麗だね。実物で見てぇな……ほら、やっぱりコレ、深月ちゃんじゃないでしょ? そうだよ、礼二郎さん。深月ちゃんは作者なんだからさ、実物見せてもらうってのは?」
実物はもうないけどな。
ないけど、あるフリをした方がいいんだろうな。得意ではないが、駆け引きの材料だ。
「これの実物をもらって部屋に飾ったらさ、一緒にいられるんじゃない?」
「……そう、かな……?」
「そうっすよ。じゃあ深月ちゃんにもらわなきゃだから、生かしておかないとっすよね」
「……そう、だね……」
やはり弥凪は俺を殺したくないんだな。
俺を殺そうとする礼二郎をどうやって説得しようか悩んでいたが、これは好都合だ。
だったら、俺は強気に出てもいい。
よし、行くか。
部屋の入り口に堂々と出て行く。
「礼二郎、話がしたい」
堂々と出てきた俺に、礼二郎と弥凪が驚いた様子を見せる。
「ついて来い」
廊下に出て歩き出すと、後ろからついてくる足音がひとり分聞こえる。
振り返って、通路途中にある共有スペースを指す。
「そこで話そう」
「……わかった」
薄汚れた椅子に腰かけると、四角いテーブル挟んだ向かいで礼二郎も同じようにする。でもすぐに立ち上がった。
「あのオフィーリアの絵を、僕に、くれないかな……?」
「あれは俺にとって大切な絵だ。ただであげるわけにはいかない」
「じゃあ……いくら、なら……?」
「今後死体を害さないというのなら考えてもいい」
礼二郎がゆっくりと座る。
「……僕は、ね……死体が、好き、なんだ……あ、オフィーリアは、勿論愛しているよ。傷ついた死体は興奮、するんだ……」
「俺のオフィーリアは傷ついてなんかいないぞ」
「なに、を……? バラバラじゃ、ないか」
礼二郎がポケットから隅が潰れた写真を出してうっとりと眺める。
確かに、肌の色をところどころ変えて塗ったから、バラバラと言われると、そう見える人には見えるのだと思う。
礼二郎の無骨な指が写真の核をなぞる。
「……動けなくされて、もっと酷いことをされて、かわいそう、じゃないか……? かわいそうで、愛おしい……」
わかってはいけないというのに、俺には、なんとなくわかるような気がする。
「あの白さが、いいよね……真っ白くて紙のようで、ひんやりして気持ちいいんだ……」
「見ているだけじゃ駄目なのか?」
「……? どうして、あれに触れずに、いられる、の……? そうか。君は知らないんだな。あの肌の心地よさを」
「それを知っていたとしても、踏み込むべきじゃない」
「なんて……勿体ないんだろう。君は、人生を損して、いる……だから、一緒に、やろう、よ。気持ち、いいよ……」
一度大きく拒絶したというのに、こりもせずにまた誘うなんて、どういう神経をしているんだろう。
「どうしてそんなことをすべきじゃないのか、本当にわからないのか?」
「……わからない、なぁ……僕が、したいから、するんだ……」
「死体の人のことは考えたことはないのか?」
「? 死体は、なにも考えない……それくらい、君にも、わかるよね……?」
「じゃあ、死体の家族のことは?」
「そんなの、知らない……僕、には関係、ない」
俺も正直、以前はそんなこと考えていなかった。美術館で作品を見るような感覚だ。その作品の家族のことなんて眼中になかった。
礼二郎の話を聞いて、自分勝手な奴だということは嫌というほどわかった。
俺には人を説得する話術なんてない。そういうことが自分に出来るとは思えない。
だけど、俺にはひとつだけ誇れるものがある。
綺麗な死体への愛だ。
「俺も死体が好きだ。美しい白色の皮膚も……艶を失った髪も、どこも見ることの出来ない目も。震えない声帯も!」
熱のこもりが深くなるほどに、しんとした院内に自分の声が反響していく。
もうなにもかもどうなってもいい、言ってしまえ。思いの丈を、全力をこめて、この感情を、人の目なんて気にせずに。俺は詩歩のように自分の感情をはっきりと口にしたい。だからもうそうする。
「自分の意思で動かせない手も! 足も! 他人に触れられても嫌だといえない心も! もう苦痛を感じない安堵も! 温度を奪われていくだけの体も! 全部愛しい! 尊い!」
椅子から勢いよく立ち上がる。
椅子が倒れる音が自分の声で消される。
「だからこそ守らなきゃいけないんだ! 慈しむんだ! 触れることは許されない! 俺は絶っ対に死体を害さない! 俺の愛しい死体を誰にも害されたくない! 俺の方が死体の好きなところいっぱい言えるんだからな! 俺の方がもっと死体のことが好きだ! 大好きだ!!」
もう、大声選手権だった。
腹の底から出したことのないような大声で礼二郎を威圧してやった。
礼二郎は口を開けて俺を見上げている。
「どうだ! 俺の方が死体への愛が大きいんだからな!」
なんで張り合ってるんだろう、なんて正気に戻りそうになるけど、もう引っ込みがつかない。
「お前はこんなに死体のことを考えたことがあるのか?!」
「…………ない」
「俺の死体への愛は大きいんだぞ! 深いんだぞ! 死体は俺のものだ!」
「…………」
礼二郎はぽかんと口を開けたまま、いきり立つ俺に当てた視線をそのままに、胸の前で両手を組んだ。
「か……神よ……貴方こそ、正に、オフィーリアを生みし神……神の御心、その貴き情熱を僕は、しっかりと、感じました……僕は、貴方の信仰に感銘を、受けました……」
別に宗教ではないんだけどな。
「お前は自身の罪を償う気はあるか?」
「……貴方が、それを望むので、あれば……」
「
「……仰せのままに」
よし。
話はまとまった。
熱が人を動かすこともあるんだな。
「……あの絵は、破壊じゃなくて、愛、だったんですね……」
「……そうだ」
破壊だと思われていたのか。
もしかすると、だから切断の能力が生まれたのだろうか。
他人に絵の真意が正しく伝わるのも、悪い気がしないもんだな。
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