第42話 深月の特異能力
朝焼けが世界を明るみにしていく。
スケッチブックの白紙と同じ色をした
こんなに泣いたのははじめてだ。
涙がこんなに止まらないものだなんて、知らなかった。
袖で涙を拭って、スケッチブックを畳む。
「……詩歩、もう行くよ。あとは俺がなんとかする」
詩歩の死体に別れを告げて、公園を後にする。
借りている部屋に戻ると、
ずっと起きてたみたいだ。
灯が顔を上げる。
「……
俺は随分酷い顔をしているんだろう。
一晩泣いたんだ。灯が驚くのは無理もない。
「ごめん……俺には、これしか……」
ただ死体を修復することしか出来なかった。
それを伝えたくて、さっき書き殴った詩歩の絵を灯に見せる。
たったそれだけで、俺の修復をとなりで見てきた灯だから、詩歩がもうこの世にいないことを理解してくれる。
「……どうして……っ」
灯が握った拳で床を叩く。
「自分が同行出来ていれば、違ったかもしれないのに……! 自分が詩歩を巻き込んだせいで……っ」
「それは違う。詩歩のことは詩歩が自分で選んで行動した結果だ。灯には関係ない。詩歩が頑張って逃げずに立ち向かった結果なんだ」
灯に、詩歩は
「……やはり、自分が
駄目だ。
灯が悪いわけじゃない。灯は自分を責めなくていいのに。
こんな時、詩歩だったらなんて言うんだろう。
きっと思ったことを考えなしにズバズバ言うんだろうな。
だったら、俺もそうすればいい。
「俺は……生きている人間が嫌いだった。馴染めたことがなかったし、信頼もしていなかった。灯のおかげだ。嫌いだった人間を信じてもいいと思えるようになったのは」
あの日、灯が俺を見つけてくれなかったら、俺は今もひとりきりで毎日絵を描いて、誰のことも大切に思わずに淡々と過ごしていたんだろう。
「灯が俺を受け入れてくれたから、色々と話を聞いてくれたから、詩歩とも向かい合うことができた。多分、灯がいなかったら諦めていたと思う」
詩歩とはわかり合おうとしないまま、詩歩の苦しみを知らないまま、また生きている人間を単に嫌いになるだけだっただろう。
「俺は灯にたくさん助けられた。物理的にもだけど、精神的にもだ。灯がいてくれたから、詩歩の死も悲しくて悔しくて仕方ない。灯と詩歩が、そんな風に俺を変えてくれたんだ。俺はずっと、そうなりたかった」
憧れていた。
普通のそこらへんにいるような人たちのようになりたいと、俺は憧れていたんだ。
死体だけが好きで、人の体温なんていらないと嘆いていた自分がずっと嫌だった。
「だから、灯が折れたんなら、今度は俺が灯を助ける番だ。灯に救われた分、俺にお返しをさせてほしい」
灯の人形のような赤い目が、いつになく綺麗に煌めいている。
まるで人形に命が灯ったように。
「……深月……違う……それは違います。救われたのは、自分の方です」
灯の小さな手が、床に置かれたスケッチブックをめくる。
これまで俺が修復してきた人たちの絵が、陽の下にさらされていく。
「自分は姉が殺害され損壊されたことが辛かったです。同じように損壊された者の遺族の辛さも、心が押しつぶされそうになるほどよくわかる。だから、それを失くしてくれる深月に出会えたことは、幸運なんです」
生き返らせることが出来ない、ただ修復するだけの力がなんになるのだろう。そう思っていた。
灯の姉を救うことは出来なかったのに、それでも灯は俺の力を認めてくれた。はじめからそうだった。
「ありがとう、深月。深月の力は間違いなく、生きている者の心を救う力です」
救えていたのか。
俺は、誰かの心をきちんと救えていたんだ。
灯の温かい腕に身体を包まれる。
弱々しくて優しい灯の声がすぐ近くに聞こえる。
「深月はどうしてそんなに人が嫌いだったんですか……?」
「……誰も、俺のことを助けてくれなかったから」
だから俺は人が嫌いだった。
誰も、俺の傷に気付いてくれなかった。
思い出したくない。
誰も、俺のために声を上げてくれなかった。
思い出したくない。
一番安心できるはずの家に帰ると、必ず辛い目にあった。
だから俺は、生きている人には助けてもらえない人間なんだと思った。
「俺はいい子だったのに。今みたいに死体が好きじゃなくて、父さんと母さんに気に入られようと頑張ったのに」
「深月が死体を好きになったのはいつですか……?」
あれは、いつだっただろう。
俺が死体をはじめて見たのは、そうだ、両親が交通事故で亡くなった時だ。
俺があの時なにを感じたのか、思い出す。
毎日怒鳴り散らしてうるさく、俺が何を言っても言わなくても、物を投げたり足で蹴ったりしてきたあの両親が、黙って眠るように死んでいるのを見たあの時だ。
おとなしい二人の死体を見た時、俺が何を言っても言わなくても黙っている両親を前にした時、両親がはじめて自分を受け入れてくれた気がした。両親の物言わぬ死体に心が救われた気がした。
あれがはじまりだった。
「両親が死んだ時……何も言わない死体がすばらしいものに見えたんだ」
「……そうだったんですか」
今、わかった。
俺が本当に修復したかったのは、家族の仲だった。生きている人間との関係だった。だから俺には修復の力が宿った。
俺は本当は誰かに受け入れてもらいたくて、自ら損壊させてきた生きている人間との関係を修復したくて、そして、それはもう叶っていた。
最初から俺を受け入れてくれた灯、戸惑いながらも受け入れてくれた詩歩、ふたりは自分のそばにいてくれた。
俺のトラウマはもうない。
「灯、行こう」
「……一体どこへ……?」
「トラウマをぶっ壊しに行くんだよ」
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