第39話 正義の力

 空が暗くなってきた。

 夕方の空は、不安をかき立てる色をしている。真っ赤な夕焼けならいいが、その後の紫は闇を連れてくる。

 一旦画廊で仮眠をとって、すっかり暗くなった夜の町に出た。

 詩歩しほがいそうな場所には全く心当たりがないが、じっとしていることなんて出来ない。

 さて、どこへ行こうか。

 昨日俺たちに見つかったからあの廃小学校にはいないだろう。警察の目がある町中にもいないかもしれない。もっと町の外れの方に足を伸ばしてみよう。怪我した足は痛むけど、今それを我慢出来なかったらこの先ずっと後悔することになるかもしれない。それは嫌だ。

 そう思って、画廊を出たそこに、詩歩が立っていた。

「……詩歩」

「……」

 詩歩は沈んだ表情で、俺に気付く。でも何も言わない。

「ひとり、か……?」

「……うん……」

 伝えなければならないことがあんなにたくさんあったのに、いざ本人の姿が夜の主役として現れると、上手い言葉が紡げない。

 対面したまま、俺も詩歩も無言でただ立っている。

 なにから話せばいいんだろう。

 なにを言えば、詩歩は耳を傾けてくれるんだろう。

 そうじゃない。落ち着け。

 どうして詩歩は逃げずにまだここにいるんだ。もしかして、詩歩は俺の言葉を待っている、のだろうか。

「……今日は、青空ひとつないきれいな曇りだったな」

 そんな、一度話したきりの人と再会したときの挨拶みたいな言葉を絞り出してどうするんだ、俺は。

「え……?」

「あ、いや……えっと……元気、か……?」

「…………」

 なんか言ってくれ。

 なにそれ、って笑ってくれてもいい。

 だというのに、詩歩の目から光るものがこぼれ落ちた。

「ふ……っ、うっ、く……っ」

「……だ、大丈夫、か……?」

 どうしたらいいんだ。急に女の子に泣かれる経験なんて、昨日もあったけど、でも詩歩がどうして泣き出したのか全くわからなくて、どうしたらいいんだ。

「……ごめ……っ……ずびっ……真野まのさんが、普通すぎて……っ」

 なんだかよくわからないが、泣いている詩歩を見て確信した。

 やっぱり詩歩は悪い奴じゃない。

「……中、入るか? 座るとこあるし」

 画廊の扉を開けると、詩歩は頷いてくれた。

 詩歩と一緒に薄暗い画廊の中に戻る。

 詩歩を奥のソファに座らせて、俺もとなりに座る。

「……真野さん……私、やっぱりダメだ……臆病な自分が嫌になる……」

 怖いことから逃げて朱ゐ黎あかいくろに加担したことを後悔しているんだろうか。

「詩歩は臆病じゃない」

「……真野さんは知ってるでしょ。私は、我が身かわいさに幼馴染みを見捨てた。今度は、弥凪やなぎくんを手伝った……やっぱり私は、変われないんだよ……」

「それは違う。詩歩、聞いてくれ」

 詩歩のきらきらして綺麗な目が俺の方を見る。

 今言わないと、どうしても駄目だ。これまで言えなかったことを全部言わないと。

「詩歩はいい奴だ。明るくて、真っ直ぐで、元気をもらえる。ゆずも言ってた。詩歩は優しくて、いつも助けてくれる、って」

「……柚が……?」

「俺なんかより長い付き合いの柚が言うんだ。詩歩はちゃんと立派だ。それに、あんなに怖がりなのに捜査に協力してくれた。全然臆病なんかじゃない。勇気がある」

「……でも、私……」

「俺も考えたんだ。詩歩の遮断の力は、詩歩が怖いことから逃げるための力じゃないんじゃないか」

「他に、何だって言うの……」

「詩歩が怖いものを逃がさないための力だ」

「……え……?」

「詩歩が拒絶したいのなら、遮断の中に逃げることも出来る。でも、それだけじゃないだろ。遮断の中に対象を閉じこめることだって出来るはずだ。だから、あれは詩歩がもう二度と逃げないための力なんじゃないか?」

「……二度と逃げないための……?」

「俺にはそう見える。詩歩の能力は自分が逃げるためのものじゃなくて、犯罪者を逃がさないための正義の力だ。それは詩歩の強さの証なんだと思う」

 どうだ。

 言えたぞ。やっと言えた。

「……臆病者の力じゃ、なかった……? 逆、だったの……? 私が……?」

「そうだよ。詩歩の、犯罪者は許せない、家族や友達を守りたいって言葉、俺もあかりも嘘じゃないって信じてるんだ」

「……灯ちゃんも……? ……でも……じゃあ……私に取り憑いてる女の子は……? 私を許してない……」

 それに関しては、もう情報を解禁してもかまわないだろう。

「あれは霊的なものじゃないんだ。灯の能力で、人の特異能力が具現化して見えているだけだから、呪いとかそういうんじゃない。詩歩は恨まれてなんかいないよ」

 詩歩が上半身を前に倒して、両手で顔を覆う。

「……そうなんだ……そう、だったんだ……」

「ああ。だから安心して朱ゐ黎あかいくろから抜けるんだ」

「……知ってたの? あれが朱ゐ黎だって」

 そうか。詩歩は灯と礼二郎れいじろうのことを知らないからな。

 でもそれは今ここで言わなくてもいいことだ。戻ってから灯の判断で話してもらった方がいいだろう。

「ああ」

「……そっか。それなのに、私のこと信じてくれたんだね、真野さんも、灯ちゃんも」

 顔を上げた詩歩は、さっきまでの揺らいだ表情ではなく、強い意志が感じられる目をしている。

 もう、大丈夫だろう。

「ありがとう、真野さん。私、遮断の力に悪い意味しか持ててなかったから、真野さんが正義の力だって言ってくれて、嬉しかったし、よかった。こんな私でも、神様がやり直す機会をくれたのかな」

「詩歩だから機会をくれたんじゃないか。だから詩歩、俺たちのところに戻って来てくれ」

「ごめん。それは出来ない」

 全部納得してくれたと思っていた。

 戻ってこられない理由なんて、もう何もないと思っていた。

 なのに、どうして断られる……?

「私が朱ゐ黎あかいくろにいたのは、本当は、怖かったからじゃないんだ。やらなきゃいけないことがあるの」

「それは、詩歩じゃないと、いけないのか?」

「うん。私がやるべきこと。でも、ひとりでどうしていいかわかんなくなって……それで、真野さん」

 詩歩の真剣さにつられて真面目な声が出る。

「はい」

「真野さんに手伝ってほしいんだ。私と一緒に来てくれる……?」

 俺は詩歩を信じている。

 だから答えなんて決まっている。

「ああ。どこに行くんだ?」

「今夜犯行が行われる場所だよ」

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