第37話 詩歩の奪還について
部屋で
急に灯が顔を両手で覆ってうつむいてしまった。
「どうかした……?」
「…………
口調がいつもの灯だ。
もう大丈夫なんだろうか。
「忘れてくれというなら忘れるけど」
「お願いします」
灯が赤く染まった顔を上げて、こっちを見る。
「……ふふっ……なんだか以前にもこんなやりとりをしませんでしたか?」
「前は立場が逆だったけどな」
笑い合って、灯が俺から離れる。
「深月、
「ああ。俺は詩歩が
「自分もそう思います。深月に心当たりはありますか?」
廃校で、まるで恋人同士かのように身体を重ねていた
「……弥凪に騙されている、とか……」
いや、でもあいつ、俺のことが好きだとか狙っているだとか言っておきながら別の奴を誘惑したのか。まあ、一途そうでもなかったからあいつの中ではアリなんだろうな。斯くいう俺も綺麗な死体なら性別も人数も問わない。うん。そういうものだな。
「確かに詩歩は騙されやすそうではありますが……意外としっかりしているところもあると自分は思います。残忍な犯罪者を許せないという意志において、自分と詩歩の気持ちは一致していました。あれが嘘だとは思えません」
俺と詩歩の時間があったように、灯と詩歩の時間もあったんだろう。詩歩は灯に懐いているように見えた。嫌われていた俺なんかより灯の方が詩歩のことをよくかわっているかもしれない。
俺も、詩歩が嘘をついていたとは思えない。詩歩が……いや、言わなきゃだめだ。思っているだけじゃ、だめだ。だから俺の声は詩歩に届かなかったんじゃないのか。
「詩歩が、言ってたんだ。特異能力について悩んでいるって」
「悩む? 心霊現象だと思っていることですか?」
灯は詩歩から聞かされていないのか。
「いや、自分の能力が遮断であることに気落ちしていたんだ。嫌なものを遮って拒絶する、臆病者らしい力だって」
「深月はそれを否定したんですか?」
「否定したかったけど、出来なかった。あの時の俺は、遮断の意味を答えてやれるほど詩歩のことを考えていなかった。でも、今なら俺は否定する。詩歩はそんな奴じゃないってわかるから」
「そうですね。詩歩は怖がりですが、それに立ち向かう勇気を持った人間です。次に会った時に、それをしっかり伝えてあげてください」
「灯が言った方が効果があるんじゃないか」
灯の赤目がちの瞳に無言で見つめられる。
「……深月は他人から向けられる感情にもう少し気を遣うべきです」
「? どういうことだ?」
「自分が言うことではないのでこれ以上は差し控えます。詩歩が一緒にいる可能性が高いとわかった以上、礼二郎という人物について調べます」
灯が立ち上がって玄関に向かう。それからドアノブを握って、人形のように停止した。
「灯……?」
ドアノブを握った灯の手が、かすかに震えている。
「……灯?」
灯がドアノブから手を離して、玄関に座り込んでしまう。
「…………すみません……身体が、外に出るのを怖がっているようで……」
平気そうだったけど、怖がるのは無理もない。
酷い目にあったことを思い出して、急に日常に戻れなくても責めることなんて出来ない。
「灯、大丈夫になるまでここにいていいから。俺はいつもの仕事場に寄ってから詩歩を探してみる」
「……」
灯が無言で頷いてくれたのを視認してから、ひとりで玄関を出て画廊前を目指す。
画廊前に
俺が声を掛けるより先に、俺に気付いた柚が控えめに手を上げて微笑む。
「深月さん。今日はお休みなのかと思いましたぁ。お会い出来て嬉しいですぅ」
柚は詩歩の親友だ。詩歩のことを話すべきだろうか。
いや、柚は詩歩が風邪で休んでいると思っている。柚が嘘をついていたんじゃなくて、詩歩が柚に嘘をついたんだろうな。柚が心配そうな様子を見せないのもそのためだろう。
なら、余計なことは言うべきじゃない。
「……あの後詩歩から連絡は……?」
「メールが来ましたぁ。深月さんとは直接連絡を取ったから心配しないで、という内容の」
やっぱり、詩歩は柚を巻き込みたくないよな。
じゃあ俺も詩歩に合わせなきゃいけない。
「ああ……柚さんには迷惑をかけたな」
柚の目が細く笑う。
「でしたらぁ、そろそろわたくしのことを好きになってくださいませんかぁ?」
「……それは、ちょっと……」
曖昧に濁すと、柚が目を見開いた。
「……深月さんはやっぱり、詩歩ちゃんが好きなんですか……?」
「えっ、だから、それは違う。詩歩はそういうんじゃなくて」
否定する俺を無視するように、柚が画廊の中に入っていく。
柚を追いかけて俺も画廊の中に入る。
「……深月さん、ご存知ですかぁ? これまで詩歩ちゃんが好きになった人はみんな、わたくしに告白してきましたぁ」
「……え……?」
薄暗い画廊の中で前を進む柚の表情は見えない。
「わたくしはどなたのことも好きではなかったので、全てお断りしましたけど……だから深月さんが初めてなんです。わたくしを好きにならない人は」
「……それは、詩歩も俺のこと、別に好きじゃないし……そもそも、そんなことに法則性なんてない」
「ええ。だって、これまで誰のことも好きではなかったのに、深月さんだけですぅ。こんなに傍にいたいと思ったのは」
「……」
こちらを向いた柚の無邪気な笑顔と、熱烈な恋の告白に、俺は応えることが出来ない。
「……詩歩は、知っているのか」
「どうでしょう? わたくしは告白されたことを一々詩歩ちゃんに報告なんてしたことありませんし、知らないかもしれません。……ああ、でも」
柚の左手人差し指が、床に置いてある絵の枠をなぞる。
「最近お付き合いされていた方には言われたそうですよぉ。
それが、詩歩と俺が出会った原因か。
死体の修復を詩歩に見られた夜、詩歩は恋人に振られたあとだと言っていた。
そして、それが詩歩が
「それで……詩歩は、なんて……?」
「『柚はかわいいからなぁ』って……それだけですねぇ」
それだけ?
もっとなにか、ないのか。
殺人事件が頻発している町で夜遅くまでうろつくほどショックを受けていたのに……?
……ない、だろうな。詩歩は柚を責めたりするような奴じゃない。そもそも柚が悪いわけでもないんだろう。
少しだけ、安心した。
「やっぱり……詩歩はそういう奴だよな」
「詩歩ちゃんは、優しいですからねぇ……出会った頃から、いつもわたくしを助けてくださいますし」
やっぱりどう考えても詩歩はいい奴だ。
早く見つけて伝えたい。
詩歩の遮断の力は正義の力なんだ、と。
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