3章

第34話 帰宅

「……っ……!」

 目が覚めてすぐに体を起こした。

 辺りが明るい。もう朝なのか。

「……深月みつき……?」

 心配そうなあかりに顔をのぞき込まれる。

「灯……大丈夫か……?」

 灯が無言で左腕にしがみついてくる。

「……えっ……と……」

 どうしよう。灯らしくない。いつもの灯なら飄々と『失礼、取り乱しました』とかなんとか言って立ち上がりそうなものなのに。

 教室の中央には血の痕だけが残っている。

 俺がいるところにも、俺の足から流れ落ちた血の痕がある。出血はすでに止まっているようだ。

 立ち上がると、懐かしい痛みが足を走る。

「っ」

 一応中央の血の痕だけ残して、他は掃除しないとな。

 道具を探して廊下を歩く。当然のように灯も腕にひっついたままついてくる。

「……灯、もう俺たち以外には誰もいないぞ」

 それでも灯は離れない。

 トイレにさしかかる。

 ここならトイレットペーパーが残っているかもしれない。

 誰の目もないが女子トイレではなく男子トイレの中に入る。

 個室を覗くと、斜めに千切られているトイレットペーパーが運良くあった。切り取り線とかないタイプだ。

 それを失敬して、さっきいた教室に戻る。

 自分が戻したものとこぼしたものを拭き取って、さて、このゴミをどうしようか。

 こんな廃校に捨てていっても回収はされないよな。

 ……持って帰るか。

 様子がおかしい灯を連れて、さっさと安全なところに移ろう。


 俺から離れようとしない灯と一緒に、ひとまず間借りしている部屋に帰ってきた。

 移動中、灯は一言も話さなかった。俺も話しかけはしなかったけど。

「灯、大丈夫か? 俺のことはわかるな?」

 灯が頷いてくれる。

 一夜で様々なことが起きた。

 灯と一緒に状況を整理したいけど、当の灯がこの様子だ。

 灯の身に起きたことは断片的に視えてわかった。でも、俺にはどうすることも出来なかった。

 こんな時、どうしたらいいんだろう。

 慰める言葉も、行動も、ちょっと思いつかない。

 男の俺には、灯がどれだけ傷ついたのか想像することしか出来ないんだから。

 俺にしがみつきっぱなしの灯をそのままにしておくことで、安心を与えられるならいいけど。

 灯から応答はないだろうが、俺ひとりでも状況は整理したい。

「やっと詩歩しほが見つかって、生きていて良かったけど……まさか弥凪やなぎと行動を共にしているなんてな……」

 弥凪はエウテルペの都で、人を調理していた。

 詩歩はそういう犯罪者を特に嫌悪していたはずだ。それなのにどうして弥凪と一緒にいたのだろう。もしかして、何か弱みを握られて……いや、理由なら詩歩が自分で言っていた。『怖い側にいれば怖くない』と。

 でも、それは本当に詩歩の考えだろうか。やっぱり弥凪にそそのかされたんじゃないだろうか。

「そうだ。灯、弥凪のこと調べたって言ってたよな」

 灯が無言のまま携帯電話の画面を操作して見せてくれる。

 履歴書だ。

「……顔写真、真面目に写ってるじゃないか」

 もっと笑って写っていたりするのかと思いきや、真顔だったから意外だ。

「本当だ。わりと各地を転々としてるな……ずっと空葉町からはまちに住んでいる詩歩との接点はなさそうだが……」

 詩歩はいつから弥凪とつながっていたのだろう。俺と詩歩が初めてエウテルペの都に行った時は、弥凪とは初対面のようだった。だとすると、あの時からなんだろうか。

 それにしても……弥凪が俺に向けて放ったあの言葉は……『切れ』と一言発するだけで本当に足が切れた。弥凪は武器になるものは何も持っていなかったのに。

「弥凪のあの力は……朱ゐ黎あかいくろ、だよな……? 弥凪が朱ゐ黎の一員なんだとしたら、あの礼二郎れいじろうと呼ばれていた奴は……」

 あいつは弥凪に敬語を遣われていた。目上の人物、ということだ。

「……っ、う……っ」

 灯が口元を覆って泣き出す。

「灯……?」

「……どう、しよう……っ」

 灯に両腕を捕まれて、正面から見上げられる。

 灯のルビー色の瞳から、涙がボロボロとこぼれ落ちていく。

「あ、灯……?」

「うっ、ひく……っ、……わた、わたしの、せい……っ……思い、出したのっ」

「え……?」

「あかい、くろが……っ、できたの……わたしのせいなの……っ」

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