第30話 関心


 店を出てゆずと別れた。

 早速詩歩しほの家に向かう。

 インターホンを何度鳴らしても誰も出ない。

 昼間だからか、カーテンは開いていてのぞき込めば部屋の中が見えそうだ。不審者っぽいが、見てみよう。

 門扉を開けて敷地内に入る。

 一番大きい窓から中を覗く。居間のようだ。人がいるようには見えない。

 横に回り込んでみるとすりガラスで中が見えない。大きい窓のところまで戻り、洗濯物が干してある一階のベランダの柵に足を乗せる。

 一階の屋根に手が届いた。

 もう完全に不審者だが、ここまで来たらのぼるしかない。

 何度か落ちそうになって冷や汗をかきながらものぼりきる。

 二階の部屋の窓を覗くと、まずベッド上に淡い水色の布団と動物っぽい抱き枕があるのが目に飛び込んでくる。白い壁紙には何枚ものポスターが飾ってある。ギターを持って何かを歌っている人だ。有名なアーティストなのかもしれないが、俺は見たことがない。

 なんとなく、詩歩の部屋だと思う。

 でもここには誰もいない。

 地面に降りよう。

 苦労してのぼったところからそう簡単に降りられるわけがなく、着地に失敗して左足をくじいた。

 

 どういうことだ。

 柚は、詩歩は風邪で休んでいると言っていた。詩歩と連絡をとったとも言っていた。でも家に詩歩はいない。

 いや、風邪ということは、病院に行ったのかもしれない。

 空葉町からはまちってどこに病院があるんだろう。生憎あいにくと病院に縁がなくて知らない。さっき柚に訊いておけばよかった。

 記憶をたどると、仕事場付近に歯科医と整形外科があるのは思い出せた。でも風邪は内科だ。


 病院を探しがてら、もう一度大学に足を伸ばしたが、知った顔はいなかった。


 夜になり、画廊前にあかりがやって来た。

「こんばんは」

「……灯、詩歩は?」

「そのことですが、詩歩の両親から捜索願が出されました」

「なんだって……?」

 詩歩は風邪だったんじゃないのか。

 灯に、詩歩は風邪で大学を休んだと柚から聞いた話をする。

「妙ですね。柚という人物がやりとりをしたのは本当に詩歩本人なのでしょうか?」

「でも柚は、詩歩だって言ってた」

「本人の声を聞いたと言っていましたか?」

「ええと……」

 どうだったかな。

 確か柚は、メールで、と言っていた。

「いや……やりとりをしたのはメールだ」

「ならなりすましを疑うべきですね」

 まったくだ。俺はなんて抜けているんだろう。

 落ち込んでいる俺の前で、灯が渋い顔をする。

「もしくは、柚が嘘をついているか……」

「柚が嘘を……? どうしてそんな必要が……」

「可能性の話です。万が一詩歩が損壊事件に巻き込まれたのだとしたら、朱ゐ黎あかいくろが詩歩は生きているアピールをするのは不自然ですので」

「どうして」

「これまで被害者周辺でそういった工作がされた形跡はありませんでしたから。詩歩の失踪と朱ゐ黎は無関係の可能性もあります」

「……」

 灯は可能性の話をしているだけだ。

 でも、なんだか、詩歩の失踪は自発的なものだと言っているように聞こえる。

「……あいつは、逃げたりしない。そんなことは、もう出来ないはずなんだ」

「深月は詩歩からなにか聞いているんですか?」

「ああ」

 灯の感情のわからない目に真っ直ぐに射抜かれる。

 『深月は死体を眺める事が出来ればそれで良かったはずでは?』

 灯から問われた言葉が頭から離れない。

 確かに、今まではそれだけでよかった。

 でも空葉町に来て、灯や詩歩と出会って、人と関わることがつらいことばかりではないと思い始めたんだ。

 詩歩は一緒に捜査をしてきた仲間だ。急にいなくなったら心配したっておかしくないじゃないか。

「……あんなに恐がりなくせに正義感の強い奴が、逃げたりなんかするわけないんだ。あいつは、前に犯罪が起きそうな現場から逃げたことをずっと悔やんで、それを挽回したがっていた。親友を助けられなかった自分を臆病だって言って、死体が好きな俺のことも嫌いで、それでも正義のために頑張っていた詩歩が、こんな時に、どこへ行くって言うんだよ……」

 俺はいつから詩歩のことをこんなに信頼するようになっていたんだろう。人なんて都合が悪くなればすぐに逃げる。見て見ぬ振りなんていくらでもする。

 でも、詩歩は違う。詩歩はもうそんなことはしないと言っていた。

「深月は詩歩のことが好きなんですね」

「……」

「自分も詩歩のことは好きです。素直で、真っ直ぐで、明るくて、元気をもらえます」

 ああ、そうか。俺も詩歩に元気をもらっていたのかもしれない。

 テンポの速い詩歩に会話では置いていかれていたけど、でも、あの時間は楽しかった。

 助けられたかもしれない親友を助けられなかったという重い後悔をもっていても尚、明るくいられる詩歩に、あの時俺は何を思っていたのか。今ならその答えを言語化出来る。

「俺は……詩歩みたいに、あんな風に楽しそうに生きてみたいって、思った。詩歩に、憧れていたんだ。だから……詩歩を見つけたい」

 そうだよ。今の俺は生きている人間に関心を持っている。

 もう死体が好きなだけの俺じゃない。

 灯が目を細めて笑む。

「ええ。自分もそう思います」

 これまで誰にも話そうとしてこなかった心の内を話して、気恥ずかしくなる。

 目を逸らした俺を気に気に留めることなく、灯が表情を消した。

「では深月、詩歩についての情報があります」

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